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第43話 明石からの招待


 ここは大磯の別荘街。明治時代のこととて、避暑地とは言え、夜は静かなもの。


 神尾家の別宅で夜を迎えるのは当主の妹である神尾琴葉に、縁あって投宿している舩坂和馬少佐以下四名である。加えて昨夜来の珍客、小高小夜がいる。


 根拠はありませんが、まずもって明石様が来るのは今夜でしょう。


 という小夜の言葉に用意万端整えて気を張っているところ、生温かい風が吹くこともなく、陰に籠もった鐘の音が聞こえてくることもなく。涼やかな風が運ぶ潮騒と、穏やかな風鈴の音が響いている。


 しかし、夕暮れ時、昼と夜が溶け合い、次第に暗さを増してきた頃、吹き込む風に、甘い匂いが混じり始めた。屋敷に充満するその匂いに不審なものを感じ、十五郎は袖で口元を覆ったが、匂いは染み込むようにして入り込んできた。強烈な眠気が襲う。


 そばにいた千代と正三がその場に崩れ落ちて寝息を立て始めた。十五郎が揺さぶってもつねっても、まったく目を覚ます様子がない。


 一方、舩坂少佐と琴葉、小夜の三人は平然としたもの。十五郎に向かって少佐がいう。


「匂いによる幻術であろう。丹田で息を吸い、ぐっと吐き出すように呼吸をしてみろ」


 と、それに応じたのは十五郎ではなく。どこからか明石吉之助の声が聞こえてきた。


「さすがは少佐殿。たいして効き目はなかろうと思いましたがね。眠気に襲われすらしないとは」


「斯様な真似は時間の無駄だ。直接、来い」


「いいえ、私にとっては時間の節約。少なくとも、その単純な二人は、明日まで目を覚ましはしないでしょう。それで十分です。行くのは面倒ですから、こちらへ来てくださいな」


 と、言い終わるや否や、屋敷の周辺から、もくもくと暗い雲が沸き立ち、屋内へ入り込んできた。舩坂少佐が舌打ちをして声を上げる。


「おびき出されるのも癪だが仕方あるまい。行くぞ」


 舩坂少佐、十五郎、琴葉、小夜は、あれよあれよと言う間に膨れ上がってきた雲を避けて屋外へ出た。舩坂少佐がいうに、千代と正三はそのままで大過ないという。黒雲が周囲に迫るも、一方向だけは空いており、その行く先に明石がいるものと思われた。


 潮騒の音が次第に大きくなる。


 黒雲を抜けた先は宵の海辺である。そこに、悪びれもせず、堂々と明石が立っていた。


「ようこそ御越しを」


「何がようこそだ」

 と、不機嫌な様子の舩坂少佐。「あの黒雲、幻術か結界か。どういうつもりだ」


「当たらずとも遠からず。今日で仕舞いにしますので、逃げ出されては困るのです」


「逃げ出したりなどするものか。貴様は、ここで私が処断する」


「やれるものならやってみるが良い」


 その言葉を鼻で嗤うようにして、明石が小夜の方へ視線を向けた。


「小夜、何をしている。勝手に一人で行ったことは許してやる。戻って来い」


「もう止めましょう。そこな琴葉様に何の咎がありましょうや。これ以上、明石様の苦しむ姿を見たくはありません」


「はは、これはまたおかしなことを言う。苦しくなどないぞ」


「では、その涙は?」


 明石の両目から涙が流れていた。いま気付いたように袖で拭うと、楽しげに笑う。


「これはただの癖さ。潮騒を聞いていると、どうしようもなく涙が出てくるのだ。だが、やるべきことを思い出させてもくれる」


「明石様のやるべきこととは、何の咎もない琴葉様を殺し、その魂の救いもなく、呪いの元を奪い取ることですか。悲しみも後悔もなく、嬉々として殺すことに何の道がありましょう?」


「道など元よりないわ。やれやれ、誰に毒されたか知らんが、後で仕置きだね」


「貴様に後などない!」


 舩坂少佐が一歩踏み込む。暗い海辺で少佐の持つ刀のみが白く映えていた。加勢しようと駆け寄る十五郎を刀身で制する。


「下がっていろ。奴との因縁は私の方が先だ。お前は琴葉のそばにおれ」


 間合いに入った舩坂少佐が迷いなく刀を振るい、それを鉄扇で防ぎつつ、明石は拾い上げた石をつぶてとして投げつける。互いに申し合わせたように目まぐるしく攻防が入れ替わる。


 と、明石が足を滑らせた。一気に間合いを詰めようとする舩坂少佐に向かって礫が飛ぶ。


 少佐は避けようともせず、礫を受けながら明石に斬りかかったが、鈍い音が響いて、鉄扇の先から煙が上がっていた。隠し鉄砲である。


 少佐の左肩から鮮血が吹き出した。


 一瞬ひるんだものの、舩坂少佐は傷を庇うこともなく、そのまま刀を振り下ろした。ほんの少し狙いが逸れて、明石の左肩を切り裂く。互いに致命傷にはならないが、相応の手傷を負ったところ。


 追い討ちをかけようとした舩坂少佐だったが、傷ついた明石の左肩から、鮮血ではなく、黒い霧のようなものが吹き出し、少佐の身を包んだ。


 すっと退いて距離をとるも、黒い霧を吸い込んだ喉が、肺が、焼け付くように痛み、片膝をついた。それを見て首を振りながら明石がいう。


「危なかった。向こう見ずの無鉄砲が一番こわい。普通、撃たれたら退くものだよ」


「貴様、その体は……」


 咳き込みながらの少佐が問う。


「長年、呪いを受け続けてきたら、こうなったのさ。瘴気とでも言うのかな。もう自由には動けまい。楽にしてあげるよ」


 明石が、隠し鉄砲の口を少佐に向けた。


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