第27話 消え失せるもの、現れ出ずるもの
舞台は、引き続き、明治時代の没落華族、神尾家が屋敷である。応接間において、新見あやの幽霊に託された洋画や浮世絵を検分していたところ、フロックコート姿の見知らぬ男が家人の制止を無視して応接間に入ってきた。と思うと、お札らしきものをあやに向かって投げつけたのである。
苦悶の表情を浮かべるあやに駆け寄ると、神尾瑞樹は、火花を発しているお札を素手で掴んで放り捨てた。半透明のあやの姿が明滅する。心持ち表情も和らいだが、いまだ苦しげな様子だ。
瑞樹が、あやを抱きしめようとする。その腕があやの体をすり抜けるが、苦しげな中にも嬉しさを交えてあやがいう。
「ああ、瑞樹様。私が見えるのですね。渡すべきを渡し、最後にもう一度、お会いすることもできました。もう思い残すことも御座いません」
「幽霊でも幻でも構わない。そばにいてくれ」
「ふふ、だめですよ。神尾家の次期当主として、もっとしっかりしてください。
良い人を見つけてくださいね。忘れて欲しいとは言いません。望めるなら、ほんの時たま思い出してもらえれば。あら、そんな顔をして。さあ、笑って見送ってください。私は幸せでしたよ。その気持ちを、ここに閉じ込めていきますから」
あやの体が薄れ、橙色の霧のようになった。それは揺れ動きながら、瑞樹が手にしていた肖像画へと流れ込み、消え失せた。同時に、あやの肖像画は弾けるような笑顔に変わっている。それを見て泣き笑いの表情になった瑞樹には、どこか吹っ切れたような、さっぱりとしたものがあった。が、
「やれやれ、成仏しかけだったか」
と面倒くさそうに言うのは、先のフロックコートの男である。瑞樹に睨みつけられながら、笑って言葉を続ける。
「おお、恐い。そんなに睨まないでくださいな。貴方、もう少しで取り憑かれるところだったのですよ。勝手に入ってきたのは謝りますが、悪い気配を感じたのでね。私は、そこの十五郎君の先輩で、明石吉之助と言います。怪しい者ではありませんよ」
「少佐からは聞いていませんが、私と同じ憲兵なのですか?」
「元憲兵です。少佐殿とは因縁浅からぬ間柄でしてね。ここで十五郎君に会うとは思っていませんでしたが。まあ、一言いわせてもらえれば。……貴様らのやり方は甘い」
眼光鋭く、十五郎を射竦める。
「舩坂少佐の部下らしい甘さだ。貴様らは神尾家がなにを祀ってきたか知らんのだろう。そこの狐娘など、さっさと滅してしまえば良い」
「ふん、狐娘というのは私のことか。勝手に押しかけてきて無粋な輩よ。いろいろと余計なことを知っているようだが、その傲岸不遜、勝手な行いを後悔することになるぞ」
「はっ、自分が何者かもわからぬ半端者がいっぱしの口を聞く。やれるものならやってみるがいい」
明石と葛葉の睨み合いに、瑞樹が割って入る。
「御前が何者であれ、この神尾家で勝手な真似は許さない。失せろ」
「ふむ、神尾の次期当主か。この場では貴方の言い分がもっともか。言われなくても失せますよ。用が済めばね」
言い終わるや否や、若い女性の声が響いた。部屋に入ってきた気配もなく、驚く一行の前に現れたのは、淡い色合いの御高祖頭巾をつけた女性である。
「明石様、これに」
短く言って手渡したのは、手のひらに乗るほどの小さな箱だ。金属のような布のような不思議な風合いを持ち、見る角度によって様々な色彩が浮かぶ。
その箱を見て、葛葉が顔色を変えた。しかし、明石は躊躇いなく箱の蓋を開けて見せた。中身は空っぽである。箱の中には何も入っておらず、からからと箱を振ってみせる。楽しそうな明石とは裏腹に、葛葉は無念の表情である。絞り出すようにいう。
「それを開ける意味を分かっているのか?」
「もちろんです。この箱が神尾家を栄えさせてきたのでしょう? 思わぬ富が舞い込んでくること請け合いです。没落華族にとっては悪くない話じゃないですか。
いや、なに、いずれ処分はしますが、最後に実験ですよ。自分の目で見たものしか信じない質でして。始末するのは、それからです」
にらみ合う二人を尻目に、瑞樹が口を挟んだ。
「何を言っているのか分からんが、さっさと出て行け。これ以上がたがた言うと官憲へ突き出すぞ」
「おお、恐い恐い。なるほどねぇ。女系の一族とは思ったが、次期当主も知らないとはねぇ。この箱のことは、そこな狐娘に教えてもらいなさいな」
と、瑞樹に向かって箱を放り投げた。
言いたいことだけ言うと、明石は頭巾の女性をつれて部屋を出て行き、後には空っぽの箱を手にした瑞樹と、憤懣やるかたない表情の葛葉、わけもわからず途方に暮れたような十五郎たちが残された。




