第19話 使用人泣かせの屋敷
神尾家の屋敷は練塀町の外れにあり、広大な森と野っ原を背にしている。敷地を囲む土塀は行く手を遮って延々と続き、一見しただけではどれほどの敷地があるのか分からぬ。
部屋数も無数にあるが、そこに住むのは琴葉と祖母の二人だけである。土塀の向こうに生い茂る草木を通して見える建物は、和洋混合の増改築を繰り返し、歪な格好を晒している。
正三を連れて、申し合わせた時刻に屋敷を訪ねて行ったところ、数奇屋門の外まで琴葉が迎えに出てくれていた。春らしい薄紅色の着物姿である。
「本当に来てくれたのですね」
「そりゃ来るさ。出迎えてくれて助かったよ」
笑顔で応じる十五郎である。以前、牛鍋を誘いに訪ねてきた時は、どこからどう声をかければ良いか分からず、右往左往していたのだ。
数奇屋門を抜けたは良いものの、敷地内は外から見た以上に複雑な作りになっており、迷路のような生垣を辿り、いくつもある建物、いくつもある扉の中から玄関を見つけ出すのに一苦労だった。
今回は案内役の琴葉がいるので、すいすいと母屋に至った。
季節は、すでに春。
晩冬の屋敷は冷たく不吉さを感じさせるものだったが、今は匂いたつ春の揺籃に包まれ、温かな表情を見せている。
本日、十五郎は牛鍋の席で頼まれた通り、琴葉の叔母に会いに来ている。正確には叔母が出入りさせている霊媒師だか呪い師だかの顔を見に来たのだが、後妻の娘とて立場の弱い琴葉のことを考え、たまたま霊媒師などと同じ日の同じ頃合にやってきたことにして、何食わぬ顔で屋敷を訪ねてきたのだ。
琴葉の叔母には、辻斬りの件で迷惑をかけた侘びとその後の様子を見に来たと伝えるつもりである。
和洋折衷、歪な増改築を繰り返してきた屋敷の中は、外見同様、複雑な作りとなっていた。琴葉がいうには、隠し部屋に隠し通路、屋根裏、地下室、中二階、ドアだけの騙し扉、開かない窓に傾いた部屋、迷路じみた間取りと、なんとも使用人泣かせの屋敷。
実際に入ってみてその意味がよく分かった十五郎である。琴葉でさえ入ったことがない部屋もあるといい、屋敷の中で行方知れずになるという噂もこれなら分かろうというもの。
通された応接間からあまり外へ出ないようにしていた十五郎だが、叔母と霊媒師が屋敷へ来るまで待つことしばし、生理現象だけは如何ともし難い。厠の場所を尋ねて部屋を出た。
案内しましょうかと心配そうに聞く琴葉に、さすがに、では頼むとも言えず、丁重に断って一人で厠へ向かった。何度か迷いそうになりながらも、聞いた手順で廊下を進み、何とか厠に辿り着いた。ほっとしたのか、迷ったのは帰り道である。
いくら広い屋敷とはいえ、家の中で迷うなど有り得ないと思っていたが、実際、わざと迷うように作ってあるのかと思うほど屋敷内の作りは複雑で、助けを呼びそうになる。
だが、任せてくれと力強く胸を叩いた身としては、そんな頼りない姿を見せるわけにも行かず、屋敷内を足早に歩き回るしかなかった。
琴葉と祖母しか住んでいないと聞いていたものの、使用人なりなんなり、誰か居てくれと祈りながら扉を開くこと幾数回。
ようやく人のいる扉を引き当てた。
おそらく琴葉の祖母であろう。年配の女性がベッドに半身を起こしている。思慮深くも鋭い目で闖入者を睨みつけた。
「お客様でしょうか。迷われたのでしょうが、少々、不躾に過ぎますね」
「これは失礼しました。お察しの通り、不覚にも迷いまして」
丁寧に頭を下げる十五郎に、優しい表情で応じる。
「そうでしょうね。変わった造りになっておりますから。おそらく居られたのは玄関近くの応接間でしょう。この部屋を出て右手伝いに進めば戻れると思います。生憎、体調が優れず、案内できませんが」
「私が案内しますよ!」
若々しく明るい声に驚き、十五郎が声の出所へ目を向けると、メイド姿の女性がにっこりと微笑んでいた。最初から部屋の片隅に立っていたらしい。
「それは有り難い。助かるよ」
メイド姿の女性に続いて部屋を出た。年配の女性は首を傾げながらも、穏やかな表情で十五郎の背中を見送ったものである。部屋を出るとすぐ、メイド姿の女性が嬉しげに話しかけてきた。
「御客様に話しかけたりしてはいけないのですが、少しだけよろしいですか」
「ああ、構わないよ」
「ありがとう御座います。御覧の通り、メイドを務める新見あやと申します。今日は御嬢様に会いに来てくださったのでしょう? 私、嬉しくて。
もともと変な屋敷だし、あ、これは内緒にしてくださいね。ここを訪ねてくる人自体が少なくって。特に御嬢様を訪ねてくる方なんて、ほとんどいないから。
メイドの分際でと思われるでしょうけど、御嬢様のこと、とても大事に思っているんです。優しい方ですよ。きっと良い奥様になられます。お勧めです」
「へ? お勧め?」
「あら、違いました? てっきり御嬢様と恋仲の方かと思っておりました」
「いや、違う違う。俺みたいな片田舎出身の平民と華族の令嬢が釣り合うものかね」
「えー? 古い、古いなぁ。文明開化の御世ですよ。自由恋愛ですよ。軍人さんと御令嬢、青年と少女、あるいはメイドと御令息の禁断の恋、なんちゃって。西洋では自分で結婚相手を選べるらしいですよ。選り取りみどりですよ」
「いや、選り取りみどりかどうかは人によるんじゃ……」
納得いかない気分で居たところに琴葉の呼ぶ声が聞こえた。なかなか帰ってこない十五郎を心配して探しにきたらしい。
「良かった。迷われたかと思いました」
「迷うには迷ったが、ちょっとの間だよ」
「結構、迷ってましたよね」と、あやの声。
「あー、まあ、そこそこ迷ってたかな」
「奥様の寝室にまで入って」
「んぐぐ。琴葉、わざわざ済まなかった。ここからはお願いできるかな」
「ええ、一緒に戻りましょう」
先に立って歩く琴葉の背中について行きながら、奥様の寝室に戻るのであろうか、立ち止まって見送るあやに頭を下げた。琴葉が振り返り、早く戻りましょうと声をかける。




