10話 とある少女が困っています
イササギさんがBクラスの魔物討伐のための遠征に向かってから10日が過ぎた。
イササギさんから渡されたトレーニングメニューは既に全てこなした。
生まれ変わった気分だ。
腕や脚の太さは以前の倍近くはあり、硬さも以前とは比べるべくもない。幻想界の回復薬恐るべしである。
唯一柔らかい胸部も、激しい運動を繰り返す中で既に自分の身体として馴染んでいる。硬化の魔法でその硬さを調整することも自由自在である。
セナさんによれば、イササギさんの遠征は難航しており、当初の予定より長引いているそうだ。何でも予想外の魔物が現れ、混乱が起きたようだ。
ただ、イササギさんが亡くなる様子は想像できないので、俺はその点は心配していない。
俺とツルギは今日も、今では見慣れた相手であるホーンラビットとブラウンクロウを狩りに向かう。
今日は今まで来ることのなかった森林の奥地を目指すつもりだ。
獣道を歩いていると、遠くにバスケットボールほどの大きさはある灰色の兎を見つけた。
Eランクの魔物であるホーンラビットだ。
俺はツルギとアイコンタクトを取ると、挟み撃ちの体制を整える。
何度か戦闘して分かったことだが、ホーンラビットは襲撃されると、まずその敵とは逆方向に真っ先に逃げる習性がある。横に逃げようとはしないのだ。
そして逃げる先にも敵が待ち受けていると、今度は躊躇なくその角を生かした突進を仕掛けてくる。
俺は既に何度か食らってしまったが、硬化させた皮膚を貫くことはないとはいえ、突進の衝撃を抑えられるわけではなく、身体が突き飛ばされるだけの威力はある。
今回は木々が生い茂る場所ということもあり、刀を持つツルギが追い立て役で、仕留める役が俺である。
標的を挟み、ツルギとは反対の方向に位置取ると、俺は草陰に身を潜める。
ツルギが刀を抜いた。準備が完了したようだ。
20メートルほどにも離れた距離からツルギが刀を構えホーンラビットに向かっていく。
当然その距離からではホーンラビットは足音に反応し、敵の存在を察知する。
ツルギの姿を目視したホーンラビットは逆方向へ、つまり俺の方へと一目散に駆け出した。
俺はその進路を遮るように草陰から姿を現す。
右手には逆手にダガーを構えている。
普通に持つよりも力が込めやすいためである。決してかっこいいと思ってやっている訳ではない。本当に。
誰に対してとも知れぬ言い訳を一人でしている間にも、ホーンラビットは近づいてきていた。
まさに脱兎の速さで駆けてきた勢いそのままに突進を仕掛けてきた。
俺は敢えて低く構え、急所である胸部を狙いやすいようにする。
こちらの胸部を貫かんとホーンラビットが跳ねた。
目前に鋭く発達した角が迫る。
俺は敵の跳ねた瞬間を見逃すことなく左に避ける。
そして右の脇腹を潜り抜けるように跳んだ灰色の兎に、力の限り刃を刺し込んだ。
ギュ、と力無い叫びが聞こえた。
後ろを振り返ると、ホーンラビットは背中にダガーを深々と突き刺されながら、それでもよろよろと逃げだそうとしている。
俺は急いで後を追い、腰に帯びたもう一本のダガーで敵に止めを刺した。
「ふう、今回はうまくいった」
突き刺さったダガーを抜き、血を拭き取りながら、一人喜ぶ。
ザッザッと音を立て、ツルギが走り寄ってきた。
「お、先輩やったっすね」
「今回は上手く避けれたよ。スローモーションで見せてやりたいくらいだ。」
ここまで上手くいったのは今回が初めてだ。何度も失敗を繰り返した結果である。
ホーンラビットが跳ねる前に避けようとして軌道を変えられたり、足を狙われて脛をやられた上に逃げられたりという苦い経験があってこその成功である。
「しかし、やっぱりダガーは攻撃力不足なのかなあ」
今までに傷が浅く、動きを鈍くするまでにも至らないことがあった。
今回でさえも一撃で仕留められた訳ではない。
「毒とか塗ればまた別ですし、弱点を狙える利点もあるっすから、いいんじゃないっすか?」
そういうツルギは初めて対峙した時、既に一刀の元に敵を切り伏せていた。
「どっちにしろ師匠から教わったのはダガーだけっすよね?ならそれを極めるべきっす!」
いつのまにやらツルギはイササギさんを師匠と呼んでいる。
実際俺も同じ程度に尊敬している。
聞けばイササギさんはB級の魔物も幾度となく狩っている、ベテラン中のベテランらしい。
今回の遠征も本来は関係のない別の街の冒険者組合からお呼びがかかり、参加することになったのだという。
帰ったイササギさんを喜ばせる程度には成果を挙げたい。
「うし、次行くか」
俺は動かなくなったホーンラビットを回収し、次の標的を探すことにする。
正直、狩りをすることを楽しみつつある自分がいるのを感じる。
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俺とツルギはその後更にホーンラビットを二匹、ブラウンクロウ二羽を狩った。いよいよ袋もいっぱいになり、持ち運びに苦労する重さになってきた。
今日はここまでだな、と考えながら魔物を袋に詰めていると、
「ギャー!!」
テンプレートな悲鳴が聞こえてきた。若い女性の声だ。
距離は少し離れているように感じた。
俺とツルギは顔を見合わせる。
「他の冒険者かな。ツルギ、どうする?」
俺が問いかけると、ツルギは既に走り出していた。
「もちろん行くっす!」
俺は魔物を詰めた袋をそのままに、ツルギを追って走り出した。
息が上がらない程度の距離を走ると、背の高い木や草の少ない開けた場所に出た。
そこで頭の上に動物のような大きな耳を備えた少女が犬らしき生物に追われているのが見えた。
「大丈夫っすか!?」
ツルギが獣耳の少女に声をかける。
少女はこちらに気が付くと、そのままこちらに走ってくる。
その顔面は必死の形相である。
「た、助けてくださいぃ」
ツルギにもたれかかるようにして、少女は消え入りそうな声で話す。
少女を追っていた犬型の生物は、俺とツルギの姿を確認すると、立ち止まり、こちらを見据えている。
その犬としては大きめな体格と、殺気を漏らすその佇まいから、犬というよりは狼なのだろう。
その尻尾は俺の知っている狼のそれではなく、太く長く、そして全体が棘で覆われている。その禍々しさがこの生物が人を襲う魔物であることを如実に示している。
「なあ、コイツは何て魔物なんだ?」
俺は魔物から視線を逸らさずに獣耳の少女に問いかける。
「ポ、ポイズンウルフって魔物です。尻尾に毒があるです」
息が整ってきたのか、獣耳の少女はツルギから離れると、ツルギの誘導に従い俺とツルギの後方へと移動する。
ポイズンウルフは牙を剥き出しにしてこちらを威嚇している。
よく見ると背中から何ヶ所か血を流しているのが分かる。先ほど走っていた様子を見るとまだ動けるのだろうが、手負いのようだ。
ダガーを構えている右手が汗で湿っていくのを感じる。
ツルギは後ろを振り返り、少女が後方へ移動したのを確認すると、腰の刀を抜こうとした。
――その瞬間、魔物はその大きな口を開きツルギに向かって飛び掛かった。
抜刀は済ませたものの、まだ構えていなかったツルギは避けられず、刀で防ぐようにして仰向けに倒れる。
獣は涎を垂れ流しながらツルギに覆いかぶさり、目の前の得物を噛み千切ろうと何度も歯を噛み合わせている。
俺は急いでツルギの元へ駆け寄ると、右手のダガーを獣の背中に突き刺す。
カキン、と音がして刃が弾かれた。味わったことのない感触である。
獣の牙は今にもツルギに届きそうになっている。
俺はダガーを両手で持つと、獣の出血している箇所を目がけて全力で突き刺す。
今度は肉を抉る感触が手に伝わった。
獣は大きく仰け反ると、ツルギから離れ、距離を取った。
手に持ったダガーを見ると、刃先から10cmほどが赤く濡れている。致命傷ではないだろう。
「まずい、硬いぞ」
俺はツルギにも伝わるように呟くと、武器を単発式ライフルに持ち替える。
ツルギは立ち上がると刀を構え、ジリジリと獣に距離を詰めていく。
ポイズンウルフは再びツルギに襲い掛かった。
ツルギはヒラリと右に躱すと、刀を振り下ろす。しかし俊敏なポイズンウルフには当たらない。
それからも何度となく互いに攻撃を繰り返すが、ツルギの刀は一向に当たらない。
一方のポイズンウルフは正面にいる時は牙と爪で襲い掛かり、通り過ぎたかと思えば尻尾を振り回してツルギを吹き飛ばす。
ツルギの全身を覆う金属の鎧を貫きこそしていないが、形勢は良くない。
俺も隙を狙って何度かライフルを放つが、不規則に動く俊敏なポイズンウルフには掠りもしない。
「コイツ、隙が無いっす」
息が上がった様子のツルギが、こちらを見ることもなく叫ぶ。
厳しいな。こちらには決定打が無い。
俺のダガーも銃もただでさえ当たらない上に、先ほどの硬さを考えると致命傷も与えられないだろう。
俺はふと後方にいるはずの少女を確認する。
獣耳の少女はうつ伏せになって倒れていた。身体は僅かに上下している。呼吸はしているようだ。
「まさか、毒か!」
俺の声にツルギが一瞬振り向くが、すぐに目の前の獣に意識を戻す。
俺は少女の元へ駆け寄ると、顔が見えるように身体を返す。
少女は時折呻き声をあげ、苦痛の表情を見せる。話せる状態では無さそうだ。
刹那、思考する。
この少女を助けたいなら猶予はない。すぐに敵を倒す手段が無いなら、選択肢は撤退だけだ。
しかし、敵がみすみす逃してくれるとも考えづらい。
頭の中に一つだけアイデアが浮かんだ。
俺は叫ぶ。
「ツルギ!合図したら目と耳を塞げ!その後撤退!逃げるぞ!」
ポイズンウルフの牙を刀で防ぎながら、ツルギが答える。
「え?……了解っす!」
話が早いヤツは好きだ。
俺は目を閉じ、右の掌の上に意識を集中する。
ツルギにはまだ話していないが、最近練習していた魔法だ。
いきなり実践投入するとは考えていなかった。
目を開けると、右手には緑色をした円柱状の物体が握られていた。
「行くぞ!!ツルギ!」
俺は精一杯の声で叫ぶと、その物体を前方に投げる。それと同時に後ろを振り向き、目を閉じ、耳を塞ぐ。
次の瞬間、言葉にならないほど大きな爆発音が周囲に轟いた。
瞼の裏が明るくなる。
爆音がしたかと思えば、今度は何も聞こえなくなった。ただ不快な耳鳴りだけが体内で木霊している。
俺はバックパックを後ろから前に移し替えると、目の前で倒れている少女をおぶり、一目散に駆け出す。
ツルギも無事追ってきているのを確認した。
病人をおんぶして走ることになるとは、早速筋トレの甲斐があったな。
俺はイササギさんに感謝しながら、急ぎ街を目指した。