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彼は、桜茶が好きだと言った。
だから毎年、春になると千華は桜茶を飲む。
熱くて少し苦い桜茶は、初めこそ渋さに顔をしかめたりするが、お茶を飲み込んだ後、鼻の奥をすうっと抜けていく桜の芳香が癖になる。
二つしか歳の変わらない京だったが、彼は、桜茶の好きな彼は、もしかすると自分よりもずっと大人だったのかもしれない。
千華が桜茶を美味しいと感じるようになったのは、京と離れて一年目の春だった。毎年飲んでいたのに、その年の春になってやっと好きだと思えるようになった。
熱いお茶を啜りながら、自分はもう、染まってしまったな、そう思った。
苦手ものが好きになって、好きなものが苦手になって。
そうやって、どんどん相手の色に染まっていく。
千華はふと、中学生のころ、本に書いてあったことをふと思い出した。
桜の木は、花びらだけが色づく訳ではない、と。
凍える冬を越え、暖かな春を迎える時。
桜の木は幹の皮の中まで、少女が上気した肌のような、あの色に染まるという。
あんなに小さな淡い色の花を咲かせるためだけに、桜の木全体でその色に染まるのだ。
彼を愛おしく思うが故に、体の全てを染め上げ、その愛おしさを伝えようとする。
彼が帰ってくるまで、あと、どれくらいだろうかーー。
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「元気にしていたか、千華」
「うん。おかえりなさい、京」
三年後。約束通り、彼は千華の元へ帰ってきた。
でも、まだ一度も、目線を合わせてくれない。
どうして?
「今日は泊まっていく?」
ゆっくり首を傾げながら千華がそう聞くと、京は一瞬だけ目線をこちらにやり、うなずいた。
「ねぇどうして、こちらをみないの?」
その日の夜、久しぶりに敷いた京の布団の横に座り込んで、千華は聞いた。
横になっていた京は少し上体を起こし、苦笑いした。
「あまりに、君が綺麗になっていたから」
千華は瞬きをして、薄く笑った。
胸のあたりまで伸びた髪は耳元でゆるく一つにまとめてあり、彼女が笑うとその髪も一緒にゆらゆらと揺れた。
「おれは、ただ歳をとっただけだな」
違うわ、それは。
千華はその言葉を飲み込み、薄い笑みを浮かべたまま、黙って京の首元に触れた。
首元を細く長い指でまさぐるように撫でながら、千華は冷たい彼の首にかかったチェーンを引き寄せる。
「ち、ちか……っ」
チェーンに繋がれていたのは、指輪だった。
ほかの人と繋がれた、指輪。
「ちがうんだ、ちか……」
慌てて指輪をひったくり、回らぬ口で弁解しようとする京は、大人なんかじゃない、幼い少年のよう。
「見て、京」
やさしく京の頬を撫でながら、その顔をこちらに向かせる。
それからそっと京の手を取り、自分の髪に触れさせた。
「この長い髪も」
京に髪を梳かせながら千華は微笑み、今度は京の唇に自分の唇を合わせる。ねっとりと舌を絡ませてから、唇を離した。
「この口付けの仕方も」
自分が何をされているのかわからず、ぼうっとしたままの京は、なんだか可愛らしかった。
そんな京の手を取り、自分の胸へ押し付ける。
「ち、ちかっ。おまえ……」
「聞こえる? 心臓の音。……速いでしょう?」
京は手を震わせながら、頷く。
「わたしの全部、あなたで出来てるの」
そう言って、千華はそのまま京の手を腰にまわし、囁いた。
「あなたに染められた わたしを見て」