真面目な相談事
「壁からちんこが生えてたんだ」
お互いの注文した飲み物が揃うまでたっぷりと焦らされてから放たれたその言葉に、私の思考は瞬断した。
「……はぁ?」
それでも何か言おうとして、私の口から出たのは気の抜けた疑問符だけだった。
熱でもあるの? 質の悪い風邪でも引いた?
恐らく相当な間抜け面を晒しているであろう私に、真面目面しか出来ない孝明は至って真剣なまなざしを向けて来る。
「だから、壁からちんこが生えたんだよ」
いや、繰り返された所で意味が分からないからね。
言ってる意味は分かるけど言ってる意味が分からないからね。
落ち着く為に紅茶を一口飲んで一息吐いても私は軽い混乱から抜け出せないでいた。
そうしている間も孝明は至って真面目な顔で私を見ていた。
私が言葉を探している時は気を使って黙るのはいつもの孝明なのだが、今日ばかりは喋って欲しい。
「なんかこう、順を追って話し……いやいい」
いや、やっぱり喋って欲しくない。
何をどう説明された所で私が理解可能な話が聞けるとは思えない。
「至って真面目な相談なんだが……」
知ってる。
孝明はいつだって真面目面で真面目な話しかしない男だ。
私と孝明は所謂幼馴染と言う奴で、現在は至って真面目な男女交際を六年も続けている。
その間にヤる事はヤっているのだが……孝明は良く言えば真面目、月並みな表現なら淡泊、悪く言えばスタミナ不足だった。
「少し前に壁からちんこが生えて来たんだ」
あ、私の反応を待たず唐突に話を始めた。
こんな時は大抵切羽詰ってるんだよな。
「俺の部屋、西側にベッドが置いてあるだろ? 大掃除に取りかかろうとしてベッドをどかしたんだ」
大掃除ってまだ十一月の中旬ですけど?
発売日に年賀状を買って十二月十五日に投函する孝明らしいと言えばらしいけど。
「そうしたら足首くらいの高さにちんこが生えてたんだ」
今更だけど、他人の目も耳もある場所でちんこちんこ連呼してる状況ってどうなんだろうか?
……ちんこちんこ連呼って何か語感良いな。口に出して言いたくは無いけど。
私の頭がまともな思考を拒否している。もう一口紅茶を飲んで落ち着こう。
「しかもがっちがちに勃起してたんだ」
「ぼっふ」
紅茶吹いた。店内の視線がいくつかこっちを向いた気配を感じる。
何言ってんだよこいつは。
「……大丈夫か?」
孝明がちょっとおろおろした仕草でおしぼりを差し出しながらそう言った。
私は孝明の頭ン中が大丈夫か不安だよ!
「いいから続けて」
差し出されたおしぼりを手の平で拒絶しつつ自分のおしぼりで口元を拭う。
思わず先を促す言葉が口をついて出てしまったが、紅茶であろうと言葉であろうと出したモノはもう戻せない。
「最初は幻覚でも見ているのかと思ったんだよ」
私は今現在そう思っている。
「だからとりあえず握ってみたんだ」
ずどん。
私が手の平をテーブルに叩き付けるのと同時に、外で大きな音がした。
「あ、車が電柱に突っ込んだ」
孝明の言葉に後ろを振り返ると、窓の外に事故現場が出現していた。
今はそんな事はどうでもいい。
「いいから続けて」
視線を孝明に戻してそう言った。
店内が騒がしい。
この騒々しさはこの意味不明な会話を他人に聞かれる危険性を大きく下げるだろう。
……そこまでして聞く価値があるのかはさて置き。
「握ったら握れたんだ」
これは禅問答が何かであろうか?
「その感触で実在している事が判明した訳だ」
感触のある幻覚もあると思うよ? 多分。
「幻覚なら無視すればいいと思ったんだが、実在しているとなるとそうはいかなくて」
私はこの話が孝明の冗談であると判明したらしばらく孝明を無視するよ。
「かと言って切り取るのも躊躇しちゃって」
ああ、男ってちんこ切り取る所想像すると凄い嫌な感じになるんだっけ?
「勃起ってのはちんこに通ってる血管内の血流量が増す事で起きる現象だから、中身もちゃんとしたちんこだった場合一面血塗れになりかねないからさ」
いらん知識が増えた。それと心なしかはにかむ様な真面目面するんじゃねぇ。そしてちんこちんこ連呼するんじゃねぇ。
「ほら、ホースに勢い良く水を流すと硬くなって真っ直ぐになるだろ?」
そんな例えは要らない。
職場でトイレ掃除当番の時ホース握るのが恥ずかしくなるじゃないか。
「その後色々調べたんだけど、どうやらちんこは壁から直接生えてるみたいで付け根の辺りの壁も体組織みたいになっていて」
その様子が容易に想像出来る。
目が悪いから継ぎ目に顔を近付けて観察したり、外に出て外壁を調べたりしてたんだろ?
気になった事を調べている時の表情はいつもと同じ真面目面の様でありながらもどこと無く恰好良くて、私が孝明を好きになった理由の一つだからちんこ相手にそれやってたら幻滅するぞこの野郎!
「でも実害は無いからしばらく放置する事にしたんだ」
なんでだよ。
昔から何事にも動じないそのどっしりとした安心感も魅力だけどさ。
私はちょっと落ち着き無い所があるからそんな孝明を見習おうと思ったのが孝明を意識し始めた切っ掛けだったな。
その孝明がこんな……うん、ちょっと紅茶飲んで落ち着こう。
「そしたら、翌朝増えたんだ」
がちゃん。
「すみませんでしたー」
持ち上げかけたカップを受け皿に落とすのと同時に厨房で誰かが何かを割った様だ。
幸いにもカップと受け皿は割れなかった。
「増えたのはちんこだよ」
私がどんな表情をしたのかは分からないが、孝明がそんな補足をして来た。
だがこの話の流れでちんこ以外の何が増えると言うのだろうか?
「分かってるから続けて」
分かりたくも無かったけどな!
「一本から二本に増えたんだ」
大丈夫だよ。私も十本に増えたとか考えてないからね。
「今朝には十一本まで増えた」
「増えてた!?」
「うわっ。どうしたんだい? 急に大きな声出して」
店内の視線が私に集まっている事を感じる。
顔面が熱くなるのを咳払いで誤魔化してなるべく優雅に紅茶を啜る。
ずずずずっ。
優雅とは程遠い音が響いてしまった。
「……ちょっと整理するから、時間頂戴」
こんな注目を集めている状態でちんこちんこ連呼させる訳にはいかない。
とりあえず視線が完全に散るまで時間を稼ごう。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。
さっきの事故に対応する為に来たのだろう。
店内の意識が外へと向かうのはありがたい。この隙に私も少し考えを整理しよう。
十一本のちんこってどんな状態なんだ……。ん? 今朝が十一本目って事は一本目が生えたのは――えっと。
「一本目が生えた日を一日目として、日付は前日までをカウントするから本数から一引いて計算すればいいよ。今朝の時点で十一本なら一本目が生えたのは十日前だね」
主語を抜いてちんこちんこ連呼しない様にして、尚且つ無駄に理路整然とした解説してくれてありがとう。
何かちんこちんこ連呼って言い回しがすっと思い浮かぶ様になってる気がする。
うっかりこれが口をついて出た日には社会的に死ねる。
「……続けて」
何にしてもこの異常な状況を早急に終了させなければならない。
話よ、とっとと終われ。
そしてオチはどこだ。
「十本目が生えた日、詰まり昨日からだね、朝起きたら僕のちんこが勃起してたんだ」
オチはそこか。それは朝立ちと言う生理現象だ。
「だからもう二十四時間以上勃起し続けてる」
ずどん。
これは私がテーブルに頭を打ち付けた音だ。
店内の視線を集めている気がするがもうどうでもいい。
「因みに今はサラシ巻いてる」
「おぶっふ」
追い打ちはヤメロ!
「……どうしたらいいと思う?」
それは私が聞きたい。だが今は――
「……ここ出るよ」
私は鞄と伝票を掴むと席を立った。
まだ紅茶は半分も飲んでいないし、孝明のコーヒーに至っては手付かずだ。
おろおろとしている孝明を置いてレジへと直行して、手早く会計を済ませて店の外へ出る。
外には事故の現場検証をする警察官と僅かばかりの野次馬がいたが、私はそっちには目もくれずに五メートル程離れた車の鍵を開錠した。
「どうしたんだい急に」
孝明が上着を着つつ店から出て来た。
「いいから早く行くよ」
私は孝明の手首をむんず掴むと、ずんずん大股で車へと引っ張る。
私が車に乗り込むと孝明が若干困惑気味の真面目面で助手席に乗り込んで来た。
「行くってどこに?」
イク? どこに? そんなの決まってる。
「ラブホ」
淡泊でスタミナの無い孝明が二十四時間以上臨戦態勢。これは試さずにはいられないな!
そしてこの後滅茶苦茶――
♂♀♂♀♂♀♂♀♂♀♂♀♂♀♂♀♂♀♂♀♂♀♂♀♂♀♂♀
と、これが昨日の話。
結論から言うと、五時間程で孝明のちんこは萎えた。
孝明はぐったりしていたけど私は大満足だった。
今私は寝起きのぼやっとした状態で天井を眺めている。
枕元でアラームを鳴らす携帯電話を手繰り寄せアラームを止めて電話帳を開いた。
会田孝明。
あ行の先頭に表示される孝明の番号に掛けるには最低限の操作で済む。
これも孝明の良い所の一つだ。
コールはいつだって二回半。
「もしもし、会田です」
どこぞの事務員かと言いいたくなるいつもの孝明に、私はぽつりと今の感想を述べた。
「うつったみたい」
「何が?」
「転移じゃなくて感染の方」
「……何が?」
自分でも要領を得ない話をしていると思う。
きっと昨日の孝明も同じ感覚だったのだろう。
私の視線の先、天井には照明と火災報知器が取り付けられている。
その二つの間に、丸いモノが生えていた。
孝明は目が悪いが、私は視力には自身がある。
天井に生えた丸いモノは二房のおっぱいだった。
これは……十日後には私の乳首も勃起するんだろうか?
「天井におっぱいが生えてるんだけど」