05
うわ、とぼくは思った。
まさかまだ会話が続くとは思っていなかったし、そもそも彼とお互いの名前が必要なほど親密になる気もなかった。知らない人に名乗るのになんとなく抵抗を覚えていたぼくは、反射的に嫌な顔をしてしまっていたらどうしようと冷や汗をかきながら微笑んだ。
音で聞いただけだからどんな漢字をあてるのか未だに分からないけれど、みことと名乗ったそのお兄さんは、ぼくが名乗るのをにっこりと笑って待っていた。
「……さつきです。旅は……なんでしたっけ」
「旅は道連れ、世は情け。旅は道連れ同士助け合って、世の中は情けをかけあって生きてくのがいいってことだよ」
本当はその言葉もその意味も知っていたけれど、ぼくは初めて聞いたような顔をして「物知りですね」と言ってみせた。
お兄さんは満足そうな顔をして「よろしくね」とだけ言い、それからおよそぼくとよろしくする気のなさそうな顔で座席の横の手すりに寄りかかって、再び携帯をいじり始めた。
彼の向かいの座席に着きながら、ぼくは、さっきは申し訳ないことをしたなと思った。
気が滅入っていたとはいえ、貸してくれた携帯を突き返して文句を言った。子供らしくなかった、とぼくは反省した。
子供とは無邪気であればいい訳ではない。時には積極的になり時には大人に頼り、決して大人が間違ってるなどと思わず、適度に無垢な失敗して馬鹿な子だと笑われ許してもらわなければならない。
繰り返せば呆れられる。生意気すぎると嫌がられる。しかし従順すぎても気持ち悪いと言われてしまう。子供は結構難しい。だって、大人にとって常にかわいい存在でなくてはならないのだから。
みことくんはどうやら無知で純粋な子供が好きらしい、とぼくは判断した。そして、子供自体が特別好きなわけではない、とも。つまりぼくが話しかけたりあんまりなことをしでかさない限り、彼と目を合わせてしゃべることもないだろう、と考えたのだ。
四六時中構われてるんじゃ猫をかぶるのも一苦労だけど、この程度の会話ならなんとかなる。さっきのお詫びも兼ねてぼくは彼の望む子供でいよう、そう思ったのはすごく自然な流れだったと思う。
旅は道連れ。気持ちよく道連れになるには、それが一番だと当時のぼくは思った。
電車はなかなか次の駅に着かなかった。
腕時計は持っていたのだけど、壊れてしまったのか動かない。何時を指した所で止まっていたのかは忘れてしまった。
体感時間としては三十分、四十分くらいだっただろうか……窓の外の山を眺めるのも飽きて、携帯で暇を潰せるみことくんが羨ましくなってきた頃のことだった。
「さつきくん、見てごらん」
ふと顔を上げたみことくんがぼくの後ろを指差した。
そこには川沿いにあるような土手が線路と平行に伸びていて、その土手の上を牛が四頭歩いていた。
「かわいいね」
社交辞令のような声でみことくんは笑い、それからふいと遠くに視線をやった。
牛がかわいいとは思ったこともなかったけれど、暇そうなぼくに気を使ってくれたのだろうかと思い、ぼくは座席に正座する形で窓の外の牛を眺めた。牛たちの進行方向と電車のそれと逆だったのだけど、遠景と言うのだろうか、なかなか遠ざからない。
やがて飽きて普通に座り直した。