13
隣の車両に戻ると、みことくんが床に倒れていてぎょっとした。
ぼくに足を向けてうつぶせで、座席と並行な形で倒れてたから顔は見えなかったけれど、制服姿を見て一瞬でみことくんだと思った。
恐る恐る近づくにつれて、髪の長さだとか、そばに落ちてた携帯だとかでやっぱりみことくんだと確信して、起こさなきゃと思って床に膝をついた。
ぼくの脳裏にはあの公衆電話の前でのみことくんの姿が鮮明に焼きついていた。
今でもたまに思い出す。さっきまでしゃべって笑っていた人間が目を見開いて痙攣するのは怖かったし、気持ち悪かったし、そんな不謹慎なことを思ってしまう自分も嫌になるから、あまり思い出したくはないのだけど。
とりあえず起こさなきゃ、とぼくは思った。うつ伏せに倒れていたから仰向けにしなきゃいけないと思ったのはそう不自然な流れではなかったと思う。だから特に深く考えずに彼の肩に手をかけて力を入れた。
するとみことくんは、うつ伏せの体制のまま、関節のない木彫りの人形のようにごろっと転がった。
「……え」
全身が強張って、ぞっと鳥肌が立つ。彼の身体には、ぼくが無意識に想像していた柔らかさや温かさがまったくなかった。
固い。冷たい。動かない。
これはみことくんじゃない。死体。
みことくんの、死体だ。
そう理解した瞬間、喉元に色んなものがこみ上げてきて、ぼくは床に嘔吐した。胃液とどろどろになった吐瀉物の味が口内を満たして余計に嘔吐感が増す。吐いても吐いても気持ち悪くて、げえげえ言いながら何度も座席に手をなすりつけて感触を消そうとした。
およそ人間の肉だとは思えない固さが、気味の悪い冷たさが、それらの感触が粘液のようにぼくを飲み込んで離れない。
どんなにのたうちまわって手のひらをこすっても、こすりすぎて擦り剥いて破れた皮膚から血が滲んでも、あの感触が貼り付いてこびりついて離れない、気持ち悪さが消えない。
ぼくは一生懸命手のひらをこすった。
「あ、あああ、ああああああ」
正直もう、みことくんなんてどうでもよかった。
無限に湧いて出る悪寒に耐えられなくて、跪くようにしながらえづいていたら、不意に何かぴとっとしたものがぼくの手に触れた。
見れば倒れたままのみことくんの目が開いてこっちを見ている。その開いた目の眼球とまぶたのあいだから、黒くぶよぶよしたヘドロの触手のようなものが伸びていた。
目だけじゃない。薄く開いた口から、白いシャツと胸のあいだから、爪の隙間から、袖口から、何本も何本も黒くて生臭いそれが伸びてぼくに絡みついてきた。
ぼくは自分のものとは思えないような奇声をあげてめちゃくちゃに手を振り回してそれらを振り払って、払っても払っても伸びてくるそれを踏みつけて逃げた。隣の車両は遠くて仕方なかったし、ドアは重くて仕様がなかった。
やっとの思いで隣の車両に逃げ込んでドアを閉めて、ふらついて尻もちをつく。そしてぼくは見てしまった。
ドアの向こう。
こっちに向かってくる触手に置物のように引き摺られているみことくんの身体は、見るも無残に潰れて腐っていた。皮膚がはがれて破れた肉と骨が見えて、目玉は飛び出て視神経がむき出しになって、手足は変な方向にねじ曲がって今にも千切れそうで、割れた頭からは脳みそがこぼれて液だまりができていた。
屍体の後ろに伸びる赤黒い摺った後は少しずつ伸びている。こっちに近づいている。逃げようにも指先が力なく床を引っかくばかりで動けない。その間にも化物は向かってくる。ドアの隙間から黒い触手が染み込んできた。
……そこからしばらく、記憶はない。