12
ぼくは思わず座席から片足をおろして車内を見回した。
サラリーマンのおじさん。セーラー服の学生。茶髪のお姉さん。手ぶらのお爺さん。そして、みことくん。さっきまでいたはずのぼく以外の誰かが誰もいなかった。
「……みことくん?」
言ってみても空っぽの座席から返事はなかった。
偉そうな話ではあるけれどもその時のぼくは、ぼくが話題を振れば喜んで色んな話を披露してくれる饒舌で話好きな彼をかなりクリアに想像していたものだから、ひどく落胆した。なんだ、いないの。せっかく話を聞こうと思ったのに。
ぼくはぐるりと周りを見渡した。
あんなにも素晴らしい江戸の町並みが急に色褪せたようだった。
ぼくは立ち上がってしばらくぶらぶら視線を遊ばせて、その後車両と車両を繋ぐドアを見た。どうせまた隣に行っても誰もいないんだろうなとは思ったけど、どうにもすることがないから隣の車両に移動してみた。
その車両は、今までいた普通の座席とは違って、ボックス席だった。もう一つ隣も覗いてみたけれど、やっぱりそこも誰もいないように見えた。
ぼくはみことくんといた車両の隣、ボックス席の車両に戻って、そこに座ってみた。
当時ボックス席なんて写真でしか見たことがなかったぼくにとってその行為は、遠くまで一人旅をしているようでとても冒険心をくすぐるものだった。
一度消えた感動がなんとなく戻ってきて、ぼくは窓枠に頬杖をついて外を眺めた。町に住む人々は着物を着てちょんまげを乗せているのか、それともカメラを抱えた観光客みたいな格好なのか、見てやろうと思っていたのだけど、電車の外にすら人っ子ひとり見当たらなくてがっかりした。
張りぼての町だとわかるとまた再び素晴らしさが失せる。やっぱりあんまり綺麗でもないなとぼくは思った。
ぼくはぼんやりと遠くに視線をやったまま、夕暮れの空が赤くなって紺色になって黒くなっていくのを眺めていた。
灯りのともらない町は次第に暗さに沈んで見えなくなり、 窓の外は真っ暗になる。そうすると窓に車内が反射してちょっと怖かった。
隣の車両に戻ってもみことくんはまだいないだろうな、と何の根拠もなく思った。
——もしかして「まだ」じゃなくて「もう」かな。
みことくんは「もういない」のかな。
そう考えたら何故だかよくわからないけど無性に疲れて、もう寝ちゃおうかと思って、目を閉じて何も考えないようにしていた。
そんな時、突然バンッと窓が鳴って、ぼくは驚いて跳ね起きた。その間にももう一回か二回同じような音がした。鳴った窓はぼくのすぐ横だ。窓が叩かれたんだ、と気付くまでに随分と時間がかかった。
見れば、窓についた脂の手形は内側からついたものだった。
それが意味することをぼくはいまいち理解できなくて、座ったまままじまじと窓を見つめていたら、不意に誰かに足を掴まれ座席から引きずり降ろされた。
「うわ!?」とひっくり返った悲鳴が出る。その頃には掴まれた感触は消えていて、そのかわり勢いよく床にぶつけた尻がじんじんと痛んだ。わけがわからず呆然と座り込んでいたら、耳元に誰かの湿ったため息がかかって、鳥肌が立った。
ぼくは確信した——というか、怯んで一瞬で決めつけた。何かいるんだ。と。そう思うと冒険心がどうだとかそんなことを優雅に夢想する余裕は微塵もなくなって、ぼくはなんでもないような顔をして早足でその車両から逃げた。
その車両には、確かに、目に見えない何かが蠢いていたのだ。今考えてもそう思う。何だったのかはわからない、正直検討すらつかない、だってぼくはあの日あの電車に乗るまで心霊現象になんてあったこともなかったしむしろそれらを莫迦莫迦しいと思って生きてきたのだから。
……え? 今はどう思うか、って? それはまた随分と難しい質問だ。
……どうだろうね。
よく、わからない。