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みことくんは感情がすぐに顔に出る人だった。
ぼくが驚いたり「すごいですね」と言ったりするととても嬉しそうな顔をしたし、逆にお気に召さない反応をしてしまうとあからさまにむっとされた。
最初は脳をフル回転させてみことくんの望む反応を叩き出していたけれど、あまりにも彼の演説が長く内容も素晴らしいほど多岐にわたるものだから、ぼくはだんだん疲れてしまっていた。そんな時の「あ、そうだ」だった。
どうかせめてぼくが興味を持てる話でありますように。確か、そんなことを祈るような気持ちだった。
「さつきくん、あのね、そういえばすっかり言うのを忘れていたよ。さっき電話で聞いたんだけどね。さつきくんは最後まで電車に乗ってればいいみたいだよ」
みことくんは笑った。
「僕も乗ったはいいけど降りる駅が分かんなくてね、ちょうど良かったんだ。聞けて。さつきくんは終点まで行くのかあって思ったんだけど、なんだかそうじゃないみたいだよ。“最後まで乗る“んだ。降りちゃいけないんだって。
ずっと乗ってれば、そのうち帰れるんだってさ」
ぼくは心臓が止まったかと思った。
思わず息をするのを忘れてしまうくらいなのに、冷汗が背中を伝うのは分かった。
——電話。地下鉄。満員電車。
みことくん、あのホームに降りたこと、覚えていたの?
ぼくは露骨に動揺しながら、それなのに平静を装ったつもりで手すりを強く握った。
「みことくん、で、電話のこと、覚えてたんですか?」
「今思い出したんだよ。覚えてたと言ったら嘘になるかなあ、忘れてたからなあ」
「どこに電話したんですか」
「んー? んー……」
みことくんは首を傾げた。その顔から波が引くようにすうっと表情が消えていく。
さっきの人形のような生気のない顔のみことくんを思い出して、ぼくは怖くなって話をそらした。自分でも驚くくらい大きな声が出た。
「そ、そういえばですね! みことくんが電車に乗る前もこんな感じの地下鉄だったんですけど! そこには黒い影がいっぱい乗ってたんですよ! 気がついたらみんないなくなってました!」
我ながらどうでもいい話だと思った。どうでもいい上に嫌な話をしてしまった、とも思った。
ぼくはあの影がすごく怖かったのに、その印象の強さのせいで逆に反射的に話題に出してしまったのが、なんというか……悔しかったというか皮肉めいていたというか、ああもう、ぼくは、みたいな気持ちだった。
けれど、みことくんはぱっと笑って「へえ!」と言った。
ぼくはほっとした。だって、よく喋るよく笑う人の無表情はなんだか怖いから。
「影法師に会ったの? よかったじゃないかさつきくん! 僕なんか見たことすらないんだよ。地下鉄から出たら消えてしまうからね。明るいところにいられないんだよ、彼ら、影だから。
僕のいた駅は田舎の地上だったし、昼間だったからなあ。夏ってとこまではよかったんだけどなあ。
今も地下鉄なのになんでいないんだろうね。僕も会いたかったなあ」
いいなあいいなあ、さつきくんいいなあと、みことくんはぼくより小さい子供のように身体を揺すった。
そんなつもりで話したんじゃなかったのに、とぼくは思った。
話題をそらせたのは良かった。けれど、一緒に気味悪がってくれるかと思ってたのに、という落胆に似た驚きのようなものがあったのを覚えている。
みことくんが変わった人なのか。それともぼくが常識外れなのだろうか。みことくんの話に苦笑いで相槌を打ちながら、ぼんやりそんなことを考えていた。