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01

 人は思い込みの激しい生き物だ。ちょっと嫌だったことは腸の煮えくりかえるような腹立たしい出来事に、少し嬉しかっただけのこともこれ以上ないくらい幸せな出来事に、事実は心の中でひっそりと膨らみ尾ひれを生やし元々の姿はいつの間にか霞んでしまう。

 ぼくのこの記憶も、そんな無意識の妄想の一端なのかもしれない。どこまで本当だったのかと強く問い詰められたら困ってしまうだろう。けれど、どうしても全くの夢物語には思えないのだ。

 あの田舎道が、窓に映る暗い車内が、窓から見えた場違いなくらい美しい花火が、そして、ほんの少し唇を噛んで薄く微笑んだ「みことくん」の横顔が。

 ぼくはどうしても忘れられずにいる。





 小学五年生の頃のことだったと思う。校外学習に行った帰りの電車で、数駅とはいえ、当時慣れない電車旅に疲れたぼくはついつい寝てしまった。

 「お忘れ物のございませんよう……」みたいなアナウンスで目をさますと、電車の中には誰もいなかった。クラスメートも、先生も、見知らぬ他の乗客すらも。慌てて閉まりかけたドアに駆け寄ったけれど間に合わず、ドアはぼくの目の前でプシュウと閉まった。

 やがて電車が揺れ始める。ぼくは呆然としていた。

 何駅寝てたんだろう。なんでみんな起こしてくれなかったの。なんでぼくを置いて行っちゃったの。泣きわめくというよりもただただ愕然としながら、ひとりぼっちの現実を受け止めきれずにドアに嵌められたガラスの向こうを見ていた。

 行きはずっと街並みが見えていたのに、その時の窓の外は地下鉄のようだった。


 どれくらい経ったのかはよくわからない。ただしばらく呆然自失と立ち竦んでいたら、ドアが開く音がした。車両と駅を隔てるドアじゃなくて、車両と車両を繋ぐドアが開いた音だ。そちらに目をやると、腰の曲がったお婆さんがワゴンを押してやってくるところだった。

 お婆さんの腰はくの字というよりはつの字のように曲がっていて、肌はどす黒いおよそ生き物の色には見えないような色で、昔のお屋敷のお手伝いさんが着るような裾の長いドレスを着ていた。銀色の金属製のワゴンをガラガラと押しながら、こちらへやってくる。なんとなく、ぼくはお婆さんが来たのと反対側の車両に逃げた。

 そこの車両も誰もいない。なんで誰もいないんだろうとなんだか得体の知れないものを感じながら立っていたら、後ろからガラガラ、ガラガラガラとワゴンを押す音が近づいてきた。もう今度こそ怖くなって逃げたのだけど、そのさらに隣の車両はあろうことか一番後ろの車両だった。そしてやっぱり、誰もいなかった。

 これ以上奥には逃げられない。ぼくは座席の横の手すりにぴったりくっついて、お婆さんが通り過ぎるのを待つ事にした。ガラガラガラガラという音がどんどん近づいて、ついにお婆さんが現れる。ぼくはどきどきしながら彼女が通り過ぎるのを待っていた。

 それなのにお婆さんは、ぼくの前でぴたりと足を止めた。


「お菓子はいかがですか」


 掠れたなんてもんじゃない、ガラガラに枯れた声がぼくにたずねる。ぼくはワゴンの中を覗いた……いや、どうだっただろう、ふと視界に入っただけだったかもしれない。

 ワゴンの中には、誰でも知っているような工場生産のお菓子が大量に入っていたけれど、そのどれもがロゴや説明文が日本語でない何かで書かれていてぼくは思わず顔を逸らした。日本語でも英語でも中国語でもない、なんだかよくわからないぐちゃぐちゃの文字だった。


「いりません」


 ぼくはお婆さんに言った。

 お婆さんは暫くぼくの前で止まっていたけれど、やがてまたガラガラとワゴンを押して歩いて行き、そのまま電車の端っこの行き止まりの壁にすうっと吸い込まれて消えていった。

 見間違いではなかったと思う。けれど、あの壁に触って確認したくはなかったから、僕は少し考えてから元いた車両に戻ることにした。



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