02. 気が付けば異世界に
ホワイトアウトしていた時間は永遠にも感じたが、多分一瞬だったのだろう。それまで光に包まれていた世界が、普通の明るさに戻っていた。そして気が付くと俺は、緑の中を飛んでいた。多分高度1メートルくらいだと思う。実際には落下もしているのだろうが、その高度を保ったまま地面を平行移動しているような感覚だった。周りの景色は緑という以外にはまだよくわからない。そして視点が定まらないうちに、ドサリという音とともに何か柔らかいものに激突した。
俺の「うがぁ!?」という間抜けな叫び声とともに、もうひとつ「きゃあ!?」という叫びが聞こえた。女性の声だった。反動で吹っ飛んだ俺はとっさに受け身をとり、なんとか地面に着地した。自分の身体のあちこちを触ってみたが、死ぬどころか怪我ひとつないようだった。
顔を上げて少しするとゆっくりと焦点が定まってくる。俺から少し離れた場所には、声の主と思われる少女が仰向けに倒れていて、近くに木で作ったカゴが落ち、その周りには果物が散乱していた。多分俺が激突して突き飛ばしてしまったせいだろう。申し訳ない。
まじまじと突き飛ばしてしまった相手を見てみる。金髪のポニーテール、そして白人とも俺のような黄色人ともまた違う雰囲気の真っ白な肌、大きな目。目を閉じているので瞳の色はわからないが、完璧という単語がまさにしっくりくる造形に思わず見とれてしまう。年齢は俺と同じくらいだろうか?
特徴的なのは、耳が尖っていることと、どこか民族衣装風の美しい装飾のなされたワンピースに短いポンチョのようなものを着ていることだ。これはなんという人種だ? ぱっと見た感じではファンタジー作品に出てくる《エルフ》のようだった。
改めて辺りを見回してみる。今の地球では全てが保護区になっていて入ることのできない「森」が、ここではどこまでも広がっていた。樹木のサイズは前に画像で見た保護区のものより大きく見える。というか、実際に大きいのかもしれない。スキャンしてみると「推定樹齢3000年」と表示された。やはり大きいのだ。それから先ほどのエルフ(?)が持っていたと思われる散乱した果物もスキャンしてみたが「不明な果実」としか表示されない。
ここはいったいどこだ? どこかの保護区に飛ばされたのだろうか? だとしてもこの人はなんなんだろうか? そしてこの果物は? ネットワークにも繋がっていないようなので、もしかするととんでもなく遠くの惑星に飛ばされたのかもしれない。そうだとすると、もはやそれは《異世界》ではないだろうか? いったいどうやって帰ったらいいんだ?
そんなことを考えている間に意識を失っていたらしいエルフ(?)が立ち上がった。頭を打ったのか、少しの間額に手を当てていたが、すぐに身体の土を払いのけてこちらに歩いてくる。身長は160cmくらいだろうか。先ほどは見えなかった優しそうな印象の美しいブルーの目をこちらへ向けていた。
俺はあわてて散乱した果物をかき集めてカゴに戻して差し出した。地球共通服が珍しいのか、彼女は俺の脚から頭までを物珍しそうに見ていたが、俺が差し出したカゴに気が付くと笑顔になった。俺がその眩しさに見とれていると、彼女が話しかけてくる。歌うような美しく不思議な言語だった。無論何を言っているのかわからない。分析にかけてみるが視覚上には「不明な言語」の文字が浮かぶばかりだ。俺はとりあえず「あの、すみません」と言ってみるが、当然俺の話す地球共通語は通じるわけもなく、試しに今はもう使われていない言語、英語やラテン語で「エクスキューズミー」だの「エクスクザーレメ」だのと曖昧な記憶の発音で話しかけてみたが、やはりこれもダメだった。
相手も言葉が通じないことがわかったようで、今度はジェスチャーに切り替わる。しばらくの間お互いに指を指したり手を振ったり飛び跳ねたりしていたが、どうにもわけがわからない。わかったことといえば、このエルフ(?)のジェスチャーは見た目同様に優雅でしなやかで美しかったことと、お互いの意思疎通はほとんど不可能ということだけだった。
しばらくの間を沈黙が彩った。が、彼女がそれを破った。
「イリス」
彼女は自分を指差して先ほどの歌うような不思議な発音でそう言った。名前だろうか?
「アベル」
俺も同じように自分を指差して名乗ってみる。すると彼女の顔に再び笑みがこぼれた。
「アベル!」
彼女はさっきのような発音で俺の名前を呼んだ。彼女の言語だとこんな響きになるのか。美しい。
「イリス!」
俺も同じように名前を呼ぶ。意思が通じてこんなにも嬉しかったことがあっただろうか? 俺たちはそれからしばらくの間、お互いの名前を何度も呼び合って、一通り気が済むと地面に座りふたり大笑いをしていた。
笑いがおさまりしばらくすると、イリスは突然俺の手を握り、そのまま遠くを指差し、ぐいと引っ張る。こっちに来いということなのだろう。そして俺は、彼女のか細くなめらかな手の感触に驚きながら、導かれるままに広大な森の中をひたすら歩き続けたのだった。