01. アベルの憂鬱
俺には不満なことがある。今は西暦2175年だ。昔のSF映画なら今頃銀河系をビュンビュン飛び回っているはずなのだが、実際に人類が有人飛行に成功したのは火星までだし、空飛ぶ車は未だに登場していないし、もちろん某青タヌキなんかも開発されてはいない。VRMMORPGなんてもってのほかで、とにかく昔とそんなに変わらない生活をしていることが不満だ。
発展したことといえば、22世紀後半になってようやく核融合炉ができて、月に蓄積したヘリウム3と地球で作った重水素を核融合反応させてエネルギーを容易に生成できるようになったこと、反物質の生成が容易になったこと、脳内にチップを埋め込むことで何も無い場所にいても視覚上に表示されたグラフィカルユーザインターフェース……別名デスクトップから、あらゆる情報にアクセスができるようになり、本当の意味でのユビキタスの時代が到来したことなどだろうか。
とはいえ、デスクトップの操作感なんか特にそうだが、21世紀のパソコンを操作したときとあまり変わらず、パソコンをそのまま脳みそに埋め込んだだけって感じだ。正直そんなに新しいとは思えないし、あまりぱっとした発展ではない気がする。
もちろん22世紀が自分の時代だから慣れてしまっているというのもあるだろう。そりゃあ昔と比べたら当然便利な時代になっているはずではある。ただ、やはり不満といえば不満なのだ。
俺がしたかったのは、「それは非論理的です」とかほざく耳の尖った異星人と前人未踏の宇宙を探検したり、ピザみたいな宇宙人に捉えられた姫を光の剣を振り回して救ったり、エジプトから発掘された巨大なリングを通って神を自称する宇宙人を核弾頭で吹き飛ばしたり、つまるところそんなSF大冒険がしたかったのだ。幼稚園から大学まで行って、そして就職して仕事して……人類はいったい何百年そんな暮らしを続ける気だろうか? そんなのつまらないとは思わないのだろうか?
もちろん、俺ももう高校生なんだから、冒険だなんてそんな夢みたいなことを考えるのはそろそろやめようとは思っている。この平穏でつまらない生活に慣れていく必要があるんだ。どうせ、このままいけばそれなりの暮らしができることが保証されているのだし、なんだかんだ言ってもこの時代や生活が好きなのだ。だからきっと簡単なことだろう、冒険という夢を忘れるなんて。
それに、昔の人がこの景色を見たら絶対に感動するだろうしな……。
自分を納得させるようにそう心の中で呟くと、コーヒーを片手に部屋の窓から外を眺める。そこにはキロメートル単位でないと高さを測れないような超高層ビルが立ち並び、その間を数えきれないほどのモノレールが行き交っている。もちろん地面は遥か下の方にあり見ることはできない。そしてビルやモノレールの隙間からこぼれた夕日が、人工建造物特有の無機質な銀色を淡いオレンジに染め上げている。この光景は何度見ても絶景だとしかいいようがない。人類の文明と大自然の調和した究極の美しさだ。やはりこの時代に生まれてよかったんだと思う。
きっと冒険の夢なんていつか忘れて、他の人のように平凡な日常に馴染んでいけるに違いない。きっとそうだ。
しばらく外の景色を眺めていると、俺の視覚上にピコッという音とともにメッセージが表示される。
「そろそろ公開実験が始まる時間だ。今回も苦労してお前も見られるように計らってもらったんだから遅れるんじゃないぞ。愛するアベルへ。父より」
「わかってるって。もうそっちに向かうよ」
俺は仮想キーボードを叩いて即座に返信をする。
父さんは自分の仕事についてはあまり多くを語らない。だから、知っていることといえばワープ開発関係の仕事のそこそこ偉い地位にいる人だということくらいだ。が、なぜか公開実験にだけはよく呼んでくれる。俺に自分の働く会社に就職して欲しいのか、あるいは本気でワープが成功すると思っているのか、その両方か。真相は父さんに直接訊くしかないが、面倒だし何も訊いていない。とりあえずいつも職場見学だと思って実験を見せてもらっている。
ちなみにお察しの通り、ワープなんぞ一度も成功したことがない。コネを使って間近で見られたところで、たいそうな時間をかけるわりに物質は1ミクロンも動かず、下手をすると装置がド派手な火花を散らしてぶっ壊れて終了というのがいつものお決まりのパターンだ。正直言って見ていて面白いものでもなかったりする。職場見学でもあるから見に行くけどさ。
コーヒーを飲み干すとソファーから立ち上がり、自動洗浄機の中にコーヒーカップを放り込む。そして机とベッド、台所とホログラムのスクリーンくらいしかない殺風景なこの父さんの部屋を後にすることにした。ちなみにここは自宅とは別にある、父さんの会社の寮のような場所だ。
俺は脱いであった地球共通服の上着を羽織る。よくよく見てみると、地球共通服は21世紀の学生が着ていた「学ラン」というものにどことなく形が似ている。ただ色が真っ白なことと、前を閉じているのがボタンではなくスライドファスナー2.0なのが違うところだ。ぼんやりとそんなことを考えながら部屋を横断し、外へと通じるドアの前へ立つ。音も無く自動で開いたそれをくぐり抜けると、真っ白な通路に出た。そこを曲がってしばらく行くとエレベーターがあり、それに乗り込んだ。ここまで来れば、あとは地下のラボまで一直線だ。地下20階をタッチすると、エレベーターがグワングワンという音を立てて下降し始めた。少しするとチンッという音とともに到着。エレベーターのドアが左右に開くと、またしても真っ白な廊下が一直線に延びていた。向こう側にはセキュリティガードの男がいるが、俺は何度も来ているので顔パスだ。
「こんにちは」
「おう、アベルか。身分証はいらいないよ。父さんが待っているぞ。さあ中へ」
男がそう言うと真っ白なドアがプシューという音とともに左右に開く。
「いつもお疲れ様。それでは」
「おうよ。今日も楽しい実験になるといいな」
中に入ってすぐ後ろで扉のしまる音がする。辺りを見渡すと、色は相変わらずどこもかしこも真っ白だが、今までの廊下とは違ってかなり広い空間だ。10メートル四方程度の大きさの部屋にデスク型の計器が何台も並んでいて、白衣の研究員が椅子に座ったまま計器を慣れた手つきでいじっている。部屋の一番前にはどこか黒板を思わせる形状のガラスが設置されていて、構図的には教室を思い出させた。
ガラスの向こう側には巨大なリング状のワープ装置が見えていて、その前には線路のようなものと、大きなカプセルのようなものを積んだトロッコのようなものが置いてあった。白い実験室の中にこのふたつだけが黒光りしている。今回もカプセルをあのリングに通してワープさせる予定なのだろう。ちなみに移動先はこの研究室のあるアメリカ大陸から離れたオーストラリア大陸の研究室だと聞いている。
父さんは研究員の中に紛れてどこにいるかわからなかったが、しばらくするとひとりのアジア系の顔をした青白い男性研究員がこっちに向かってきて微笑んだ。父さんだ。
「アベル。いよいよ実験開始だ。今回は今までと違って、反物質の量も12次元超重力理論の……と説明したところでお前にはまだよくわからないか。とにかく全て完璧だ。お前が来なかった前回の実験では、一瞬だがイベントホライズンを開くところまではできているんだ。あとは安定化させるだけだし、私には今度は絶対に成功するという確信があるんだ」
父さんは自信満々な様子だった。ちなみにイベントホライズンとは事象の地平線のことで、つまるところワープの入り口のことだ。これが開けたということは、もしかすると今回はワープが成功するかもしれない。これでワープ航法が完成したとしたら、それは俺が歴史的瞬間を間近で目撃することになるのだ。期待で鼓動が一気に跳ね上がった。宇宙を冒険する夢も、もしかしたら叶うかもしれない。
「期待しているよ」
俺は子供のようにワクワクしている自分が少し恥ずかしかったので、少々素っ気ない返事をした。が、父さんはそんなことは気にも留めずにさらに続ける。
「この日を何年夢見たことか……! 私はこのために生まれて来たと言っても過言ではないんだよ!」
「それは成功してから言えって」
「そうだなアベル」
そして親子ふたりで笑いあった。
父さんとしばらく雑談をしていると、アナウンスが流れてくる。
「カウントダウンを開始します。指定の席に着いてください。30、29、28……」
いよいよワープ実験の開始だ。成功したらあのカプセルは消えて、オーストラリア大陸に超光速で移動することになるのだ。
「私は席に戻るから、アベルは隣りで見ていてくれ。今度こそ成功するぞ」
そう言うと父さんは自分の席に戻り、計器を確認しているようだった。俺は父さんの隣りまで歩くと、余った椅子に腰掛ける。この場所でワープ実験の見物することにした。
カウントダウンが「0」になると、グオオンという音が聞こえた。次の瞬間、21世紀の電車の加速音のように、音程が徐々に上昇していく。それとともにリング状のワープ装置が光を帯びていった。ここまではいつもと同じだ。しかし、しばらくすると地響きとともに研究室がガタガタと揺れ始める。これは初めてのことだった。もしかしたら本当に成功するかもしれないと再びワクワクし始めた。だが、そう思った直後に突然研究員が叫んだ。
「異常値だ! 中止! すぐに中止を!」
しかしもう遅かった。一瞬強烈な光が放たれた後、リング状のワープ装置の中央には光る波面のようなものがチラチラと揺れていた。そしてそこから黒い隕石のような物体が出てきてこちらに飛んでくる。危ない! と心の中で叫んだ瞬間、ガシャンという音とともに物体がガラスを突き破り、頭のかなり上を通過し、後ろから物凄い音がした。「うわぁ!」という複数の叫び声が聞こえた。それと同時に緊急事態を知らせるアラームがけたたましく鳴り響き、赤いランプが点滅する。辺りを見回してみると幸いなことに怪我人はいないようだった。
前を見ると狂ったようにワープ装置のリングの中央が光り、轟音とともに物体が開けた巨大な穴から猛烈な勢いで空気が吸い出されているようだった。椅子の安全装置が働いて身体を固定するベルトが巻き付き、酸素マスクが出てきた。物凄い風圧で酸素マスクは付けられなかったが、ひとまず吸い込まれる心配はなさそうだ。そう思った瞬間、物凄い風圧とともに俺の身体が宙に浮いていた。そして、父さんがぐいと俺の手をつかんだ。
そこでやっと俺のおかれた状況を理解した。俺の椅子のベルトがなぜか外れて、猛烈な勢いであの穴に吸い込まれているのだ。そして俺は、父さんと繋いだ手を離したら、多分……死ぬ。恐怖がこみ上げてきた。
「アベル! 絶対に手を離すなよ!」
返事はできなかった。物凄い風圧で引っ張られ、息をすることもままならなかったこともあるが、それ以上に死の恐怖が俺を硬直させていたからだった。そして物凄い手汗をかいていた。
俺は……死ぬのか? 恐怖が絶頂まで達したときだった。
「あ……あ……」
無意識に声が漏れる。父と繋いだ手が俺の汗でぬるぬると滑って、手のひらから指先へとどんどん移動していく。そして……
「ひあっ!?」
俺が叫ぶと同時に、かなりの力で掴んでいた手が滑り、父の手から離れていく。その瞬間、辺りの光景、何もかもがスロー再生のように見えた。俺は少しずつ穴の方へと吸い寄せられていく。
同時に恐ろしいほど冷静になっていた。
ああ、これで俺の人生は終わりか。まだ高校生だというのに、まだ何もしちゃいないままなのに、俺は死ぬのか。さようなら、父さん、母さん、みんな。今まで優しくしてくれて、ありがとう……。
そして視界はホワイトアウトした。