序ノ一 シグ
「ここは……」
俺は、何か中世的な建物の一室らしい部屋に独り、立っていた。
眼前には二本の松明と木製扉。部屋の灯りは燃え上がる松明の炎のみ。
少し薄暗いが、周りを見渡してみると、周囲は煉瓦の壁でおおわれている。机や椅子といった家具の類は一切なく、少し狭い。
そして足元に目をやると、石畳の床。
俺は、ここまでのあまりに突然の流れに、正直まだ整理のつかない頭で、少しボーっとしながらゆっくりと目を閉じた。
そうしてみると、部屋の空気がひんやりとしていて気持ちのいいことがわかる。
松明の燃え爆ぜる音がより鮮明に聞こえてくる。
これらの感覚から、もうこの世界が夢ではないという事は明らかであるように感じられた。
頭は混乱していたが、なぜだか気分は妙に落ち着いていた。
そんな不思議な感覚の最中、俺はふと頭の中でグリーンを呼んでみた。
「お呼びでしょうか」
即座に声が聞こえる。
目を開けると、宙に浮かぶ緑色の発光体。
「本当にすぐ参上するんだな。で、ここは一体どこなんだ?」
とりあえず、今抱いている疑問を率直に投げかける。
「ここはガメスタ塔。この世界に来た全ての方が、必ず最初に訪れる建造物の一室です」
「ガメスタ塔……もしかして『GAMEスタート』ってことか?」
「ですね」
「……随分とふざけた名前だな」
「ここでは、この世界での仮の名前及び容姿の設定等が行えます。どうぞ扉を開いて先へお進みください」
グリーンに促されるまま、俺は扉を開いて次の部屋に進む。グリーンも俺の横に漂うようにして着いてきた。
扉の先の部屋は、壁に等間隔に明かりが灯してあり、前の部屋に比べると大分明るく、そして広さもあった。
部屋の中心には大きくて立派な鏡が置いてある。
「その鏡の前に立って、目を閉じて姿をイメージすれば、顔立ちも体格も髪質も、好きな姿になることが出来ますよ。まあ、人間以外の生物になったり、性別を変えたり、巨大化といったことまでは不可能ですが」
俺が聞くよりも先にグリーンが説明してくれた。
ちょうどいい。
こんなアバター顔とは早速オサラバできるのか。
何なら、ここで容姿だけでも元の俺の姿を取り戻させてもらおうか。
俺はそう意気込んで鏡の前に立ち、瞼を閉じた。
さっき見たミラーの姿を、なるべく正確にイメージしながら。
再び目を開けた時、鏡には俺がイメージした通りの姿が映し出されていた。
短めの黒い髪に、二重の茶色がかった目。
……確かにイメージした通りなのだが、実際に鏡で見てみると、どことなく元々の俺の姿とは違う気がする。
「何度でもイメージしなおせば、何度でも姿を変えることが可能ですよ」
グリーンがまるで俺の思考を読んだかのような言葉をかけてきた。
……いや、頭の中で呼び出すだけで現れるってことは、もしかしてこいつ本当に思考を読めるのか?
ふとそんなことを考えるも、グリーンからの返事はなかった。
俺は気を取り直して、もう一度自分の姿をイメージして瞳を閉じる。
黒い髪に、二重でアーモンド形の目。
やはりなんか違う。もう一度。
短髪に、茶色がかった目。
これも違う。もう一度。
黒い目に、アーモンド形の茶色がかった髪。
絶対に違う。っつーかアーモンド形の髪って、気持ち悪いな。
その後も何回やっても元の姿に戻るどころか、どんどんかけ離れた方向へと進んでいった。
「元の姿に戻りたいのなら、無駄ですよ。あなたがクリアするまで絶対にその姿を思い出すことがないよう、ミラー様がスキルを発動させていますので」
グリーンが後ろから、鏡越しに話す。
「スキルって何だ?」
「スキルについては、またおいおいお話しいたしましょう。それより、これ以上容姿をいじっても、悪い方にしか変化はしませんからね」
「そうかい。じゃあもうこれでいいや」
グリーンにそそのかされて、俺は不本意ながらも鏡の前を退いた。
鼻、口、輪郭は少し中性的で、銀髪に二重の緑の瞳。ゲームキャラにしか見たことがないような革製の衣服を身に纏っているという、元の俺とはかけ離れた姿だったが。
「では、つぎの部屋へ進みましょう」
この鏡の部屋に入った扉と反対側にある扉を開け、俺は次の部屋へと進んだ。
グリーンもやはり横についてくる。
次の部屋は天井から豆電球が吊るされており、部屋の真ん中には大きなタッチパネルが置かれていた。
反対側の壁には、鉄製の扉が見える。
タッチパネルってことは、別に中世的な世界観ってわけでもないようだな。
そう思いつつパネルの側へ近づくと、パネルが光り機械特有の訛りをもった女性の声を発した。
「Please select your language.」
パネル上に様々な言語が表示される。
一番上にはEnglish。
俺は日本語をタッチした。
「名前を入力してください」
声が日本語に変わった。
パネルには、カタカナで50音と濁点、半濁点が羅列されている。
どうやら、ここで仮の名前を設定できるようだ。
タッチパネルを前に、俺はしばらく黙り込んだ。
仮の名前とはいえ、やはり自分の名前だ。
簡単に決めることはなかなかできるものではない。
しかも、考えてみると自分の名前どころか一般の日本人っぽい名前すら浮かばなくなってきている気がする。
これもスキルってのが影響してんのか畜生。
「なあ、ここで名前を決めた他の人たちって、例えばどんな名前にしていったんだ?」
しばらく悩んでからグリーンに尋ねてみた。
「そうですね……たいていの場合は、今の姿から、それに似合った名前をゲーム感覚で付ける方が比較的多いようです。例えば直近に来た5人の名前だと、カイト、ルビー、クロス、カゲロウ、ガンダムですね」
ガンダム……その人は一体どんな姿になったのか。気の毒に。
しかし、なるほどそういう決め方か。
それなら…………
「この名前でよろしいですか?」
俺が名前を入力すると、確認の音声が響き渡る。
画面の左上に『はい』、右上に『いいえ』の文字。
そして下部中央に大きくシグの二文字。
少し迷ってから、『はい』を押す。
「それでは行ってらっしゃいませ」
タッチパネルはそこで画面を暗転させた。
それと同時に鉄製の扉がゆっくりと開門していく。
開く扉から吹き抜ける風にシルバーの髪が揺れる。
ずっと薄暗い室内にいたせいか、扉から差し込む陽の光がグリーンの瞳に突き刺さる。
俺は扉の外へと歩き出した。