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7.月明かりの下で?

「「「お帰りなさいませ」」」

 王宮の部屋に戻った静羽を待っていたのは、勢揃いした侍女たちの出迎えであった。

「た、ただいま・・・・・・ ど、どうしたの? みんなで・・・」

 突然の状況に驚いている静羽に、女官長のガーネディア・ミスト・フォンが笑顔で詰め寄ると半ば強引に静羽を部屋の中央に立たせた。

「さ、さ。 急がなくてはなりません」

「え? 急ぐって何をですか?」

 訳が判らなくなっている静羽に、女官長は簡潔に答える。

「もちろん、舞踏会の準備にございます」

「舞踏会?」

「はい。そうでございます」

 答える間にも女官長は、他の侍女達にテキパキと指示を出して、静羽の体の寸法を取っていく。有無を言わさぬ様子に言われた通りに大人しくしている静羽が尋ねた。

「そ、それで、今は何をしてるんですか?」

「仕立てのための寸法を取らせて頂いております」

 笑顔だが、あくまで事務的に答える女官長の言葉に、静羽はなんとなく悪い予感がしてきた。

「えーと、そ、それってもしかして・・・」

 困惑しきりの静羽を置いておいて、女官長は次の指示を出す。

「仕立て屋と、ドレスをこれへ」

 すると、隣の部屋から商人風の男が静羽に一礼して入ってきた。そしてその後を、様々なドレスが続く。

 悪い予感が的中したようで、静羽は恐る恐る訊いてみる。

「あ、あの、もしかして、その舞踏会って、私も、出るんですか?」

「はい。そのように申し付かっております」

 途端に静羽は声を上げた。

「ええー!? そんなの聞いてません! 無理ですよ!!」

「ですから、急ぐのでございます。まずはお召しになるドレスを選んで頂かねばなりません。寸法直しに時間が掛かりますので」

 そう言って女官長が目配せすると、控えていた仕立て屋が一歩前に出ると優雅に一礼した。

「女神様におかれましては、ご機嫌麗しゅう。お初にお目に掛かれまして恐悦至極に存じます・・・」

 両手を揉むようにして賛辞を続けようとするのを、女官長はピシャリと遮った。

「世辞はよい。仕立てを急ぎなさい。時間がないのです」

「は、はっ! も、申し訳ありません! すぐに・・・・・・」

 慌てて道具箱に飛び付いた仕立て屋を見ながら、静羽は再び声を上げた。

「ちょ、ちょっと待って下さい! 私、舞踏会なんて出られません!」

「なぜ故に御座いますか?」

「だって! 私、その、貴族さんとかじゃないし、それ以前にこの国の人間じゃないし・・・・・・」

「貴族でなければ参加してはならないという決まりは御座いません。それに・・・」

 そこまで言って女官長はそれまでの事務的な笑顔から、少し優しい笑顔になった。

「あなた様は我が王国を、国王陛下をお救いくださった、大切な賓客に御座います。舞踏会にお出になることに何ら支障は御座いませんよ。」 

「で、でも・・・」

「それに今回の舞踏会は国内外に、王家の呪いが祓われたことを知らしめる大切な機会に御座います。国外からも大勢の賓客がお見えになります。陛下はもちろん、主役のもう一人は、あなた様なので御座いますよ」

 それを聞いて静羽はさぁっと血の気が引く。そんな重要な場に出られるわけがない。俯いて呟いた。

「む、無理です・・・ 舞踏会なんて出たことないし・・・ 何も知らない私が出たりしたら・・・ アルフさんに恥をかかせてしまいますし・・・・・・」

「ですから、舞踏会までの三日間のうちに全て習得して頂きます」

「そ、そんな、無茶な・・・・・・」

 なかなか承知しない静羽に、女官長は少し厳しめに言った。

「あなた様が御出席されることは、既に内外に通知されております。それで御欠席されれば、その方が陛下に恥をかかせることになりますが、それでも宜しいのですか?」

 そう言われてしまうとこれ以上は断れない。それに、アルフに恥をかかせるようなことはしたくない。暫し黙って考えると、静羽は大きな溜息を一つ突いて顔を上げた。

「・・・間に合うと思いますか?」

「それは、あなた様次第で御座います」

 女官長の挑むような返答に、静羽の負けず嫌いな部分が触発される。

「判りました。間に合わせてみます。宜しくお願いします!」

「こちらこそご無理をお聞き届け頂き、ありがとう御座います。頑張りましょう! シズハ様」

 初めて名前で呼んでくれた女官長の顔はとても優しかった。


 それから二日間は、それこそ寝る暇もないような忙しさだった。ドレスや身に付ける宝飾を選んだりしているうちは楽しかったが、舞踏会の礼儀作法やら、淑女としての立ち振る舞いや、会話の受け答え、そしてダンスの基本など、普通の貴族の令嬢などが幼少の頃から習うものを、たった三日間で恥ずかしくない程度には叩き込まなければならないのだ。教える側も教えられる側も必死だった。 幸い運動神経は良かったので、一番の難関と思われていたダンスの飲み込みは早い。優雅というには程遠いが、とりあえず相手の足を踏まずに済む程度には仕上がった。

 他のことを全部身に付けることなどもちろん不可能なので、基本をある程度覚えた後は裏技の伝授だ。例えば、ダンスへの誘いの断り方や、貴婦人たちの詮索の躱し方などは、今の静羽には重要な裏技なので必死に覚えた。

三日目には少し休む余裕が出来て、久しぶりに部屋でゆっくりしていると、エトヴァが訪ねてきた。アルフはこのところ忙しいらしく来ていない。

「あ~ エトヴァさん~ 久しぶり~」

 力が抜けて間延びした挨拶に、エトヴァは苦笑した。

「さすがにお疲れのようですね。大丈夫ですか?」

「んー さすがにちょっときつかったかなー 疲れた~」

 そう言って静羽はテーブルに突っ伏す。

「そうでしょうね・・・ でも皆、感心していましたよ。飲み込みが早くて教え甲斐があるって」

「そんなのお世辞に決まってるじゃない。ダンスなんか、何度も先生の足踏んじゃったし、会話の練習だって、笑うとき顔が引き攣ってるって注意されるし。おほほほっなんて笑えるわけないじゃない」

 エトヴァは静羽が、オホホと扇子を持って笑っている姿を想像して思わず身震いした。確かにちょっと怖いかもしれない。

「た、大変みたいですね」

「ほんとに。もう後はぶっつけ本番。行き当たりばったりって感じかしら。ところで、今日は何か?」

 気を取り直して顔を上げた静羽は、可愛らしく首を傾げて訊いた。エトヴァは何気ない、そんな仕草にドキッとしてしまう。

「そ、そうでした。あ、でも、お疲れだったら悪いので・・・」

「大丈夫よ。今日はもうドレスの確認くらいだから」

「そうですか? 実はお願いがあるのですが。静羽殿があちらの世界でしていらっしゃる、えーと、スポツの競技を、我々にも教えて頂けないかと」

「ラクロスを?」

「はい。実はアルフからも提案があって、近衛兵団に話をしてみたら、これが結構乗り気でして。静羽殿の、その神具を真似て、同じような物を何本か作ったのです。それで、もし時間があればと・・・」

「え? クロス作ったんだ? すごーい! いいわよ! こっちに来てからずっと練習できなかったからウズウズしてたんだ! いつ? 今すぐでも良いわよ!」

 途端に元気になった静羽は、さっそく愛用のクロスを取ってエトヴァを急き立てる。

「よろしいのですか? では、お手数ですが、近衛兵団の訓練場までご足労願いますか?」

「うんうん! 行こ! 早く行こ!」

 エトヴァの袖を引くように扉に向かった静羽だったが、ふと思い出したようにエトヴァに訊く。

「そういえば、アルフさんは? 最近会ってないけど」

「アルフですか? このところ忙しいみたいですね。舞踏会には各国の外交官がお見えになりますので、連日宰相殿と政治的な打ち合わせを行っているようですよ」

「そっか・・・・・・」

 アルフに会えないことで、少し気落ちしたような静羽の顔を見たエトヴァは、胸の奥が僅かにズキッとする。しかし、あえてそのことは考えないようにして、笑顔のまま静羽に扉を開けてあげた。


 近衛兵団の訓練場に着くと、既に二十人ほどが整列して静羽の到着を待っていた。皆、造りはバラバラだが、なんとか使えそうなクロスを手にしている。

 近衛長が笑顔で静羽を出迎えた。

「シズハ殿。こんなむさ苦しいところにご足労感謝致します」

「いいえ。私も体を動かしたくてウズウズしていたので、ちょうど良かったです。それに皆さんがラクロスに興味を持って頂いて嬉しいです」

「ほほう。シズハ殿の技はラクロスというのですな? どうか遠慮なく鍛えやって下さい。最近の若いもんはたるんでおりますのでな」

 そう言って豪快に笑う近衛長に隊員たちは苦笑するしかない。戦争が無くなって久しく、国内警備も実の無いものになりがちなのは否定できなかった。

「鍛えるというか、楽しくやりましょ! じゃあ、まず簡単に説明しますね」

「「「はっ! 宜しくお願いします!!」」」

 まず静羽は男子ラクロスについて簡単に説明をした。もちろん静羽は女子ラクロスなのだが、居並ぶ屈強そうな隊員達を見て男子ラクロスのルールの方が良いだろうと判断したからだ。女子と男子との違いは、まず女子が十二人に対して男子は十人であることと、女子ではチェック、いわゆる攻撃して良いのはボール持った人のクロスに対してだけだが、男子では相手に体にチャージしてもよく、クロスでグローブにも攻撃できる。そのため女子はほとんど防具を着けないが、男子はヘルメットや肩、肘、手に防具を着けている。

 次に十人ずつ向かい合わせて、見本を見せた後、スロー(投げ)と、キャッチの練習をさせる。これは簡単なようでかなり難しい。まず狙ったところにボールが飛ばないのだ。ほとんどの者は、目の前の地面にボールを叩き付けてしまったり、ホームランになってしまう。しかし、さすがに軍隊で鍛えられているだけあって皆真剣だ。

 そんな中、意外な才能を発揮したのが、一番線の細いエトヴァだった。最初はうまくいっていなかったが、静羽にコツを教わってから数回で、なかなかのコントロールになっていった。

「へえー。エトヴァさんって割りと飲み込み早いんだ」

 静羽が意外そうに言うと、ちょうど隣にいた近衛長が心無し苦い顔になる。

「お聞きになっておらなんだか? 神官長は、ああ見えて二年連続で、剣技大会の剣舞部門の優勝者なのだ」

「ええっ!! うっそー! エトヴァさんが??」

 普段のボケっぷりや、王妃との戦いでのドジっぷりからは、とても想像できない。でも、そういえば意外にすばしっこいところがあったかも。

「そうなのだ。優美さと鋭さを持った舞いは天性の才を持っているな。忌々しいことだが・・・」

 苦虫を噛み潰したような顔で言う近衛長に、静羽はあることをに思い当たって遠慮がちに訊いてみた。

「あの、もしかして、近衛長さんは、その大会の・・・」

「・・・・・・準優勝だ」

 やっぱり。それで近衛長はエトヴァに対して、どこか冷たいところがあったのだ。しかし、それでもエトヴァの実力を素直に認めているあたりは、器の小さい人間ではないのだろう。

 キャッチボールの後は、ボールの運び方を教えた。クロスのネットは虫取り網と違って深さがないので、無闇に振り回せばボールが飛び出てしまう。そこで、クレードルという独特の動きでボールをキープしつつ走るのだ。まして、敵がクロスを叩いてボールを落とそうとするので簡単なことではない。しかし、これはさすがに日頃から剣や槍を扱っているだけあって、みな飲み込みがよかった。中には、つい熱くなってボールそっちのけで、クロスで打ち合う者もいたりして、その時は近衛長が怒鳴りつけられる。それでもやはり静羽からボールを奪える者は一人もおらず、隊員達は改めて静羽の技能の高さを再認識したのだった。

 静羽は大体の基本を教えたところで、早速試合をさせてみることにした。大会に出るわけでもないのだから、雰囲気を味わって楽しんでもらえればいいのだ。やはりというか当然、初めは試合になどならなかった。ボールを持ったらそれに一生懸命で、廻りが全然目に入らず、近付く敵にも気付かないですぐにボールを落とされてしまう。そして落ちたボールに皆が一斉に群がって奪い合う。

「まるで餌に群がる魚だな」

 と、近衛長が溜息をつきながら酷評したが、静羽はしばらくそのまま好きにさせておいた。そして頃合いをみて一旦中止させ、それぞれにオフェンス、ディフェンスの役割を与えて、一番難しいボールのスローだけは、手で投げても良いことにした。まずはお互いの役割を認識させるのが先決だと思ったからだ。

 そうして暫く続けるうちに段々試合らしくなってきた。そうなってくると静羽も我慢できなくなり、自分も参戦する。

「エトヴァさん! こっち!」

 敵に前を塞がれたエトヴァに、静羽が声を掛ける。

「シズハ殿!」

 エトヴァは素早く一歩下がってクロスを振る。少し逸れて低めのパスになってしまったが静羽は難なくキャッチして、そのままシュートする。一瞬の出来事に敵のキーパーは棒立ちだ。

「さすが! シズハ殿! 素晴らしいです!」

「ううん。エトヴァさんのパスが良かったからよ。いい感じになってきたわね!」

 静羽に誉められて、エトヴァは照れたように笑って頷いた。静羽に認められることが心から嬉しい。大抵の者がパスを手で投げている中、エトヴァはずっとクロスで頑張っていた。投げるよりクロスの方が余程コントロールの良いのだ。

 そして、エトヴァと静羽の見事な連携プレーに触発されて、徐々に頑張ってクロスを使う者が増えていった。

「そこ! 走って! そう! ナイス・パス! おしいっ! もう少しよ! 頑張って!」

 静羽も常に声を出して試合を盛り上げる。隊員たちも神官のエトヴァに負けたくないという思いと、静羽に注目してもらいたい一心から一生懸命になる。

 だいぶ様になってきたところで静羽は抜けて、それまで禁止していた体へのチャージも許可した。すると試合はより激しいものになり、大いに盛り上がってきた。線の細いエトヴァが心配だったが、思いの他素早く、敵のアタックを難なく躱している。本人も活き活きとして普段の天然からは想像できない活躍ぶりで、静羽もエトヴァに対する評価を新たにしたのだった。

 皆で汗を流して訓練場を所狭しと駆け廻り、夕刻にはクタクタになって地面に転がって息をついていたが、それは心地良い疲れであった。エトヴァや隊員達はもちろん、近衛長も静羽に感謝しきりだった。

「こやつらの、こんな活き活きした姿は久しぶりだ。これもみな、シズハ殿のお陰ですな」

「いいえ。こちらこそ久しぶりにラクロスができて嬉しかったです! 皆さんも私のヘタクソな教え方で、よくやって頂けました。ありがとうございました」

 そう言って軽く静羽が頭を下げると、へばっていた隊員達が慌てて起き上がると静羽に対して、直立不動の礼をとる。

「こちらこそ、ご教授頂き、ありがとうございました!」

「「「ありがとう御座いました!!」」」

 隊員たちの態度に近衛長は満足げに頷くと、表情を改めて号令を発した。

「総員! 整列っ!!」

 号令に従い隊員達は機敏に整列する。エトヴァも自らその横に並ぶ。

「シズハ殿に感謝の意を込めて!! 敬礼っ!!」

 ザザッと一糸乱れず全員が敬礼する。右手をピンと伸ばして胸に水平当てるのがエクリムス王国の敬礼の仕方だった。

 静羽は暫し呆気にとられていたが、照れ臭そうに、それでも嬉しそうに微笑むと、皆を真似て敬礼を返した。皆との連帯感、一体感が心地良い。エトヴァを見ると彼も嬉しそうに何度も頷き返してきた。思わず嬉し涙が込み上げてくる。

「ありがとう。皆さん・・・」

 後にラクロスは、エクリムスを発祥に国家の威信を掛けた国際試合にまで発展したが、それもまだ何年も先の話である。

 

 久しぶりに体を動かして、少し汗をかいた静羽は夕食前に湯殿を使わせてもらった。部屋に戻る途中にあったバルコニーに出る。湯上りの火照った体にさぁっと吹き抜ける風が気持ちよかった。

 暗くなって瞬き始めた星空を見上げる。こちらでは街灯りがほとんどないので、星が降ってきそうだ。東の空に二つの月が昇っている。赤っぽい大きい方の月は、もう一つの月のように明るく輝いてはいない。クレーターのような地表は見えず全体的にボヤッとしていて、所々に白っぽい横縞模様が見えるのだ。

 既に見慣れた光景だったが、何の気無しに月を見やった静羽は、驚愕に目を見開き、声を失った。

「あ、あれは・・・・・・」

 いつもは縞模様だけの月の表面に何か赤い斑点のようなものがある。その姿は図鑑やなにかで何度も見た事がある。それは、

「・・・木星・・・?・・・・・・」

 赤白の縞模様に、赤い楕円形の斑点。それはまさに木星の姿であった。

「・・・いったい、ここって何処なのよ・・・・・・」

 静羽は大きな溜息をついて、ガックリと肩を落とす。

「どうしたのだ? 溜息などついて」

 突然後ろから声を掛けられて、静羽は文字通り飛び上がった。

「あ、アルフさん! 驚かさないで下さい!」

「すまん。驚かすつもりはなかったのだが」

 いつもの苦笑を浮かべつつアルフもバルコニーに出て、静羽の隣に並んだ。その横顔に幾分疲労の色が見える。

「お疲れのようですけど、大丈夫ですか?」

「ん? ああ、心配ない。ちょっと詰め込み仕事が多かっただけだ」

「そうですか。王様って大変そうですよね。無理しないで下さいね」

 心配そう言った静羽に、アルフは暖かい笑みを返した。

「ありがとう。その言葉だけも元気になる。・・・・・・シズハは、優しいな」

 アルフの言葉と笑顔に、頬が上気するのを感じて静羽は慌てて視線を逸らす。

「そうだ。舞踏会の件はすまなかったな。事前に了解も得ずに決めてしまって」

「そうですよ! 大変だったんですよ!」

 恨みがましそうに睨む静羽に、アルフは苦笑を返した。

「すまんな。女性なら誰でも舞踏会に憧れているものと、勝手に思い込んでしまっていたのでな」

「憧れるのと、実際出るのでは全然違いますよ! そんな教育だって受けたことないんですから」

「そうらしいな。いや、本当にすまなかった。しかし、だいぶ様になったと聞いているぞ? 折角の機会だ。大いに楽しむといい」

「無理です。楽しめません。きっと逃げるのに必死です」

「まあ、そう言うな。そうだ。当日は一曲、一緒に踊ってもらうかな。特訓の成果を見せてもらおう」

「お断りです!」

 気楽に言うアルフに、静羽はきっぱり言い切って、プイッとそっぽを向く。普通なら国王の誘いを断るなど、不遜極まりないが、アルフはそんな静羽の反応が楽しくて仕方がない。突然国王にさせられエトヴァ以外の者は、皆一線を引いて接してくる中、静羽はいつも対等な感じで接してくれる。礼儀知らずだと言うものも中にはいるが、彼女は賢く、そして自然体なのだ。ちゃんと相手の立場を慮っている。

「ところで、先ほどは何を大きな溜息をついていたのだ?」

「え? ああ。あれのせいです」

 そう言って静羽は夜空を指差した。

「ん? 月、か? 月がどうかしたのか?」

「あの赤い斑点ですけど・・・・・・」

「斑点? ああ、今夜は“赤眼の月”だったか。見るのは初めてだったか?」

 アルフの問いに、静羽は首を横に振る。

「いいえ。ある意味、初めてではないんです」

「? どういうことなのだ?」

 怪訝そうに訊くアルフに、静羽は複雑そうな顔を向けた。

「・・・あの月は、私の世界では、木星と呼ばれていて、地球からは遠い遠い所にある星なんです・・・」

「なんと! そちらの世界でも、あの月が見えるのか? チキュウというのは?」

「地球は、私達が住んでいる星のことです。木星はとても遠くて、普通では他の星たちと同じように夜空に輝く一点にしか見えないんです」

 なにか途方も無い話で、アルフは言葉が継げずにいる。

「木星がこんなに近くに見えるなんて、此処は一体何処の星なのでしょうか? 太陽系には地球以外に生物が住める星は見付かっていないはずなのに・・・」

 問い掛けに答えられるはずもなく、アルフは独り言のように言う静羽を黙って見つめる。

「・・・・・・まあ、考えても判りませんよね。そういう意味では、ここは確かに異世界なんでしょうから」

 苦笑して言うと静羽はもう一度赤眼の月、木星を見上げた。アルフも月を見上げる。

「・・・エトヴァから聞いた話では、赤眼の月に白月が重なったときだけ、シズハの世界との道が開かれるのだそうだ。二つの世界は何か深い関係があるのかもしれないな」

「そうですね。何故か言葉も通じるし。文字は読めないけど、似ているところが多過ぎる気がします」

「うむ。今度、王国や神殿の古い文献を調べさせてみるか ・・・赤眼の月か・・・・・・ !」

 何気なく呟いたアルフは自分の言葉にハッとした。赤眼の月、静羽の世界との道が開かれる。そして、静羽は帰ってしまう。アルフは自分の手元に視線を落とした。静羽は自分の世界に帰ると言っていた。それは当然だ。帰る場所があるのだ。自分にそれを止める権利はない。しかし、それで本当にいいのか? このままでいいのか? 答えは既に判っている。だが言うべきかどうか。

「アルフさん?」

 急に黙り込んでしまったアルフに静羽が声を掛けると、アルフは顔を上げてゆっくりとシズハに向き直った。

「・・・シズハ」

「はい?」

 小さく首を傾げる静羽に、アルフは思い切って言葉にする。

「・・・こちらの世界に、残ってはもらえぬか?」

「!?」

 静羽は息を飲んでアルフを見つめた。突然のことに戸惑ってしまう。

「で、でも・・・私、帰らなくちゃ・・・・・・」

「どうしても帰らねばならぬのか? あちらに想い人はいないと聞いたが、そうではなかったのか?」

「いません。そういう人はいません! 嘘じゃないです! いえ、でも、そういうことではなくて・・・・・・」

 静羽はどう答えていいのか判らなかった。確かに何か理由があって帰らなくちゃいけないということではない。

漠然とここは異世界だから自分の世界に戻らなければと思っているのだ。

 戸惑う静羽にアルフは畳み掛ける。

「ご両親のことが心配なのか? ならばご両親ともこちらに来てもらえばどうか?」

「ええ!? そんな、無茶な・・・」

「無茶は承知。私の自分勝手だということも判っている。それでも私は・・・・・・」

 真摯な光を放つ水色の瞳が自分を見返してくる。静羽は我知らずその瞳に魅せられてしまう。

「・・・・・・君に、そばにいて欲しいのだ・・・・・・」


 エトヴァは、昼間の興奮が冷めやらぬ様子で、静羽を探して歩いていた。静羽に認めてもらって、舞うこと以外に自分にできることを見出した喜びで足取りは軽かった。更に嬉しいことに、明日の舞踏会では静羽のエスコート役を宰相に申し付けられたのだ。そのことを静羽に知らせようと思って探していた。

 最初に静羽の部屋にも行ったとき、侍女から今湯殿を使っていると聞いて、少し時間を開けてきたのだが、まだ戻ってないというので、近くを探しているところだった。

 湯殿に向かう途中の回廊で、バルコニーに立つ静羽を見つけ急いでそこに向かった。着いてみると、一緒にアルフがいるのに気付く。ちょうど良い。アルフにも明日のことを話しておこうと、二人に声を掛けようとしたとき、アルフの言葉が聞こえた。

「・・・・・・君に、そばにいて欲しいのだ・・・・・・」

 エトヴァは出し掛けた言葉を飲み込んで、慌てて柱の影に隠れた。


 静羽は、アルフの言葉に呆然とする。そして、その言葉の意味が浸透してくるにつれ、頬が上気し、鼓動が早くなる。何か言わなくちゃと思い口を開くが、胸がドキドキして、熱くて、苦しくて、結局言葉にはならない。

 ずっと見詰め合っていることに気付いて、耳まで赤くしながら俯いた。

(・・・嬉しい、よね。うん! すごく嬉しい! で、でも、だからって、こっちに残るわけには・・・・・・ ) 

 そっとアルフを見ると、相変わらず真剣な眼差しでこちらを見詰めている。答えを待っているようだ。

(困った。どうしよう! なんて言えばいいの? 私って経験値、低すぎ!!)

 はい、とは言えない。かといって、いいえ、とも言いたくはない。

 なかなか答えてくれない静羽に、アルフは僅かに眉を顰めた。

「・・・・・・もしや、迷惑だったか?」

 アルフの悲しそうな顔に、静羽は慌ててブルブルと首を振る。

「迷惑だなんて、そんな! そんなことありません! とっても! ・・・・・・と、とても、嬉しいです・・・」

 言葉の最後には再び真っ赤になって消え入りそうな声になってしまう。

 それを聞いたアルフは安心したように笑顔になった。

「よかった。強引過ぎて嫌われてしまったかと思った」

 アルフは一歩、そっと静羽に近付いたが、静羽は硬直して動けない。

「シズハ」

 促すように呼び掛ける声に、静羽はそっと顔を上げる。先ほどより近くにアルフを感じる。

「シズハ。君が、好きだ・・・ こんな気持ちは初めてだ」

 真っ直ぐな言葉に思わず息が止まる。優しげな水色の瞳から目が逸らせない。きっと、今が言うべき時なのだ。

「・・・私も・・・ アルフさんが・・・」

 やっと絞り出した声は掠れてしまった。顎先に優しくアルフの指が添えられた。アルフの瞳が近付いてくる。

「あ・・・・・・」

 月明かりの下で、重なり合う二つの影。

 そして、肩を落とし、音を立てずにそっと立ち去るもう一つの影。

 それらを見守る今宵の赤眼の月は、どこか優しげな明かりを平等に注いでいるようだ。

 

 が、

「・・・・・・これは、何の冗談かな? シズハ?」

 お互いの唇の間に差し込まれた掌を指してアルフが訊いた。唇が触れ合う直前に静羽が自分の手で遮ったのだ。

 大きく息をついた静羽が、ついっと一歩退がって真っ赤の顔で、アカンベーをした。

「残念でした。私のファーストキスは、そんなに安くありませんよ~だ」

 アルフはそんな子供っぽい静羽に暫し呆気に取られていたが、クククッと笑い出し、遂には声を上げて笑った。

「はははっ! まったく、君って娘は! 本当に楽しませてくれる!」

 目尻に涙を浮かべて笑うアルフに、静羽はムッとして言い返す。

「失礼ね! そんなに笑うことないじゃないですか! だいたい、告白してすぐにキスしようだなんていきなり過ぎますよ! ちゃんと段階を踏んで・・・・・・」

「そうか。ならばちゃんと段階を踏めばいいのだな? ずっとできないのかと思ったぞ」

 悪戯っぽいアルフの突っ込みに、自分の失言に気付いて静羽はあたふたした。

「あ、いえ、だから、そうじゃなくて! そ、それは、だから・・・・・・もう! 意地悪!」

 怒って背中を向いてしまった静羽に、アルフは笑いを治め表情を改める。

「いや、私も少し性急すぎた。すまなかったな。だが、君への想いには嘘偽りはない」

 後ろから肩に手を添えようとした瞬間、静羽はその手から逃れるように身を捻った。

「シズハ・・・・・・」

「ご、ごめんなさい! 私・・・・・・ 私もアルフさんが、好きです! でも、でも、これ以上・・・・・・」

 これ以上アルフを感じたら、私は離れられなくなってしまう・・・・・・ 心の中で呟いて、静羽はアルフの脇を擦り抜けようとした。

「シズハ!」

 しかし、それより早くアルフの手が静羽の手を掴んだ。

「だめ! 離して!」

 その手を振り解こうとした瞬間、静羽がバランスを崩す。

「キャッ!」

「危ない!」

 倒れ込む直前、なんとか静羽を抱き止めた。腕に感じる静羽の体温、湯上りのふわっと香る薔薇の香りに鼓動が速まる。未だ嘗てこれほど人を好きになったことがあっただろうか。

 さっきより近いところにアルフの眼差しがある。背中に感じる力強さ。この胸のドキドキが聴こえてしまいそうだ。

「シズハ・・・」

 二人はじっと見つめ合う。僅かな時間が悠久にも思える。

「・・・シズハ」

 アルフがもう一度名前を呼んだ。それだけで何を求められているのか判る。期待と不安が交互に波打ち、せめぎ合う。静羽はただじっと見つめ返すしかできない。

 アルフの瞳が僅かに近付く。

「・・・だめ・・・・・・」

 静羽の囁きにアルフが固まる。しかし、今度は逃れようとはしない。アルフはまたゆっくりと静羽に近付いていく。

「・・・・・・だ・・・め・・・」

 最後の囁きの時、静羽はゆっくりと目を閉じた。


 淡い月明かりの下、二つの影は一つになった。



 静羽は部屋に戻ったが、心ここに在らずという感じだった。

 寸法直しの終わったドレスの衣裳合わせの時も、ほとんどお人形状態で、侍女たちの賛辞にも生返事を返すだけ。

 やっと一人になり鏡台の前に座って、半ば無意識にいつものようにブラシで髪を梳かす。そして鏡の中の自分の唇が目に入って手が止まる。そっと自分の唇に指を当てると、先程のことが思い出され、一気に顔が真っ赤になった。まだ唇に感触が残っているような気がする。我知らず、ホォと熱い吐息をもらす。

「・・・結局、奪われちゃったなぁ・・・」

 ファーストキス。別に守ってきたというわけではないのだけど、ここで、こんな形で経験するとは夢にも思わなかった。もちろん異世界にいること自体が夢物語なのだが。

「でも、考えてみれば、メルヘンよね」

 異国のお城のバルコニーで、月明かりの下、青い瞳の美男子の王様と。正にメルヘンの王道をいく状況で、普通であれば絶対有り得ないシチュエーションだ。

「好き・・・に、なっちゃった・・・・・・ね・・・」

 一度は拒んだが、嫌だった訳ではない。怖かったのだ。

 まだ知り合って間もないけど、会う度に惹かれていく。でも、好きになってしまったら離れられなくなってしまう自分の性格を判っているから、深く考えないようにしていた。

 それに、いくら好きになってしまったからといっても、元の生活を捨てて異世界に残るかというと、やはり現実的に無理。天涯孤独の身であれば話は簡単だけど、優しい両親や、親しい友達、苦労して手にしたレギュラーなど、自分の一部になっているものを簡単には切り捨てられない。そこまで愛に妄信するほどの経験もない。

 だから、別れが辛くならないように、その想いだけは避けてきたのに。

 奪われちゃった。ファーストキスも、そして、私の心も。

「どうしたらいいのかな・・・」

 そんなことをぼんやり考えながら髪を梳かしていると、ふと気配を感じて後ろを振り返った。部屋を見回しても特に変わった様子はない。浮遊霊でも迷い込んできたかと思い、少し意識を集中してみたが、それらしいものは見当たらない。

「おかしいなぁ。確かに感じたんだけど・・・」

 部屋は広いが、人が隠れられるような場所はないはずだ。隣の部屋に侍女が入ってきたのかと思って耳を澄ませてみるが、物音一つしない。もっとも親しくしてはいても、侍女が黙って入ってくることは有り得ないことだったが。

 きっと疲れてるんだ。今日は久しぶり動いたし、あんなこともあったし。早く寝よ。と、訝しく思いながらも、深くは考えず鏡台に向き直った瞬間、

「ひっ!!」

 静羽は、目を見開き、そのまま凍りついた。鏡の中、自分のすぐ真後ろに誰かが立っている。

(だっ、誰っ!?)

 声を上げて振り向こうとしたが、声は出ず、体はピクリとも動かない。その直後、後ろから強い霊気が押し寄せてきた。後頭部がピリピリとして血の気が引く。

 手も足も動かせず、ただ鏡を凝視することしかできない。

 女性だ。白いドレスに長い金髪が俯いた顔を隠している。この女性は、知っている。

(ソ、ソフィア、王妃・・・・・・)

 何故? どうして? あのとき成仏したんじゃなかったの?

 ソフィア王妃の霊は、じっと静羽の背後に佇んでいる。動いたり顔を上げる気配もない。しかし、静羽は以前の恐怖を思い出して震えた。

 唯一動かせる目を鏡台の横に向けた。そこに護符を巻き付けたラクロスのクロスが立て掛けてある。手を伸ばせば届く。静羽は王妃がまだ動かないのを確認して、左手を伸ばそうとした。駄目だ。やはりピクリとも動かない。

 更に左手に意識を集中する。脂汗が額に浮かび、左手の筋肉が痙攣してくる。

(お願いっ!! 動いて!!)

 まるで全身に巻かれた縄を引き千切るかのように全身に力を込める。

 人差し指がピクリと動く。

(! やった!!)

 そこで、初めて王妃が動いた。静羽の背後から手を伸ばして、静羽の剥き出しの左腕に触れる。

(あっあぅ!?)

 静羽の体がビクンッと痙攣した。強力な負の霊気を直接注ぎ込まれ、気を失いそうになる。

(あぁ・・・ く、苦しい・・・)

 触れられた腕に目を向けるが、そこには何も無い。しかし、鏡の中の王妃は静羽の腕をしっかりと抑えている。触れられた部分から体温が奪われていくようだ。

(い、いや・・・ 助け、て・・・・・・)

 意識が遠のき始める。その時、王妃が顔を上げた。そして、触れていた左手をやっと放す。

(!! はぁ・・・・・・)

 静羽は喘ぐように息を継いだ。全身の力が抜けてぐったりしたが、まだ体は動かない。否応無しに鏡に写る王妃が目に入る。

 王妃がゆっくりと目を開いていく。

(ま、またなの・・・ 怖い!)

 目を閉じる事さえ許されず、静羽は以前の王妃の禍々しい漆黒の瞳を思い出して恐怖した。

(・・・・・・え?)

 しかし、予想に反して開かれた王妃の瞳は、憂いを帯びたサファイヤブルーだった。そして、それまでと霊気の質が変わる。今までは憎しみの篭った負の霊気だったが、今は限りなく深い悲しみに満ちた霊気が押し寄せてきて、胸が締め付けられそうだ。

≪・・・・・・好きになっては、駄目・・・≫

(・・・?)

 頭の中に王妃の澄んだ声が響いた。でも、何を言われているのか判らない。

≪・・・王家の者を・・・国王を好きになっては駄目・・・≫

(!?)

 やっと判った。私とアルフのことを言っているのだ。でも、何故?

≪・・・この国の玉座は・・・呪われている・・・数多の血で染められている・・・≫

 残虐王バムトのことを言っているのだろう。

(そ、それはもう何十年も前の話よ!)

 静羽は思い切って反論したが、王妃は小さく首を横に振る。

≪・・・蓄積された血の恨みは・・・易々と消えはしない・・・其処に座する者もまた・・・血に狂う・・・≫

(アルフは、そんなことにはならないわ!)

 しかし王妃は、再び小さく首を振る。

≪・・・王家の血は・・・絶えなければならない・・・悲劇が再び・・・起こらぬように・・・忘れなさい・・・≫

(で、でも! 私は・・・・・・)

 色々な想いが鬩ぎ合う。大切にしたい初めての想い。アルフのいつもの苦笑した顔が目に浮かぶ。

「でもっ私は! ・・・えっ!?」

 突然声が出て静羽はビックリした。いつの間にか鏡の中の王妃が消えている。体も動くことに気付いて、慌ててクロスを取って振り返ったが、もうそこには誰もいなかった。

≪・・・忘れなさい・・・忘れなさい・・・・・・・・・≫

 最後に王妃の声だけが頭の中でリフレインしながら消えていった。

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