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5.作戦は完璧?

 静羽とアルフとエトヴァは、国王の執務室に集まって作戦会議を行っていた。

「さて、化け物退治についてだが、やはり剣などの普通の武器は役に立たないことは判ったが、どうしたものか?」

 アルフは腕を組んで顎に軽く指を当てた、いつものポーズで切り出す。静羽とエトヴァも向かいの豪華なソファーで考え込んだ。

「シズハ殿の、その武器は?」

「武器? このクロスのこと? あぁこれは武器じゃないわ。 シャフトに護符を巻き付けてあるだけ。 防ぐので精一杯よ」

「そうですか・・・・・・」

 エトヴァは残念そうに肩を落とす。

「そうだ。あの時、エトヴァさんが最後に投げたのが当たったとき、化け物がかなり苦しそうだったけど、あれは何だったの?」

「ああ、あれはただの水の入った小瓶ですよ」 

「水? 水って何の水なの?」

 静羽が突っ込んで訊いてくるのを、エトヴァは戸惑いながら答える。

「え? ほんとにただの水ですよ? 神殿で汲んできた、ちょっとしたお清めなんかに使う・・・・・・」

「お清め? じゃあ、それって聖水じゃない! それだわ!」

 静羽が得たりという顔で言ったが、エトヴァには今ひとつピンと来ない。

「古今東西、悪霊には聖水が一番の武器になるって決まっているのよ!」

「は、はぁ・・・・・・」

 エトヴァは半信半疑で返事をしたが、アルフは一つ頷く。

「まあ、効果があるのは確かだから、その路線でいってみるか。それで具体的にはどうするか? まさか桶に汲んできたものをぶっ掛けるわけにもいかんだろう」

 アルフがそういうのに、静羽は、えっ?という顔をした。正にそうすればいいと思っていたのだ。

「え? それじゃ駄目なの?」

「そう簡単にはいかんさ。水を掛けるにも、かなり相手に近付かないと無理だろう。シズハは、水の入った桶持って、あの触手の攻撃を掻い潜って近付ける自信あるか?」

 アルフの問い掛けに、静羽はちょっと考えてみた。確かに、昨日は身一つだったから何とか避けられたが、桶を持って、しかも中の水を溢さないようにするのはさすがに無理だ。

「・・・確かに、ちょっと無理があるわね・・・・・・ じゃあ、どうするの? 昨日みたいにガラスの瓶に入れて投げ付ける?」

「案としてはいいのだが、ガラスがそんなに集められないな」

「どうして?」

 静羽の素朴な疑問にアルフは苦笑しながら答えた。

「シズハの世界では簡単に手に入る物かもしれないが、こちらではガラスは貴重品なのだ。我が国内ではガラスの原料になる硝石が、ほとんど産出されない。だからガラスは全て輸入品になる。そのため当然高価で、ガラスは金持ちの嗜好品にしかならないのだ。」

 言われて静羽は、食事の時に出される食器を思い浮かべる。言われてみればコップやグラスなどは全て金属製だった。ワインなどのお酒のボトルも陶器か、酒樽だ。

「そうなんだ・・・ じゃあ他に何か水を入れられる物で・・・」

 静羽も腕を組んで考え込んだ。水を入れられるといっても、あまり頑丈過ぎては意味がない。化け物に当たったときに壊れて中の聖水を浴びせなければならないのだ。陶器でというのも考えたが、重いことと確実に割れるかどうかが怪しいこともあるから、それも候補から除外される。

「うーん、そうするとあれね。水玉風船。 ・・・あ、でも、もしかしてこっちには、風船って無いのかしら?」

「フウセン? それはどんなもの何ですか?」

 エトヴァが不思議そうに訊くのを見て、静羽はどうやらこれも駄目そうだと、肩を落とした。

「無いみたいね・・・ 風船っていうのは、伸び縮みする薄い袋みたいな物で、空気や水を入れると膨らむの。簡単に割れるから、よく子供とかが中に水を入れて、投げ付けて悪戯するのに使うのよ」

 便利なものがあるんですねぇとエトヴァは単純に感心しつつも考えてみる。

「でも、そういう物に近いというと、携帯用の水袋がありますね」

「そうか、それがあったな。それなら入手も楽で、数が揃えられるな」

 アルフもその案には相槌を打ったが、今度は静羽が判らない。

「それって、どんなものなんです?」

「豚などの胃袋を乾燥させて作ったものだな。ちょっと遠出するときや、旅人などが水を入れて携帯するものだ」

「そか。水筒の代わりですね。でもそれだと、結構丈夫にできてるんじゃないです? ぶつけたくらいじゃ破れないんじゃない?」

「そう、なんですよね・・・・・・そこが問題です」

 名案かと思われたが、またしても問題があって、エトヴァは残念そうに溜息をつく。しかし、アルフが少し考えて言った。

「いや、なんとかなるかもしれないな。例えば、水袋の口は緩めにしておくとか。投げるときに多少は零れるかもしれないが、当たった衝撃で溢れるだろう。あとは・・・そうだな、当たる直前に弓で射抜いて穴を開けるかだな」

「え? 弓で? そんなことできるんですか?」

 弓で射抜くと聞いて静羽は驚く。アルフはさらっと言ったが、素人が考えてもそんな簡単なことではないように思える。それに対してアルフは不敵に笑った。

「簡単ではないが、不可能ではない」

 時折見せるアルフのこういう揺ぎ無い自信に満ちた態度に、静羽は我知らずドキドキしてしまう。顔が赤くなるのを誤魔化すように静羽は思わず言ってしまう。

「ま、また、そんな自信たっぷりに。そんなこと本当にできるんですか?」

 そんな静羽の憎まれ口も、アルフは余裕で躱す。

「まあ、試してみないと判らないがな。よし、ものは試しに早速やってみるか」

 アルフは早速侍従を呼び付けると、水と、いくつかの水袋を用意させて中庭に移動する。

 中庭は良く整備された庭園になっていた。季節の花が咲き誇り、所々に等身大の彫像が置かれている。

「よし、まずは、とりあえず水袋だけで投げてみるか。的は・・・あれでいいか」

 アルフが示した先には婦人の裸像が立っている。アルフは水袋に水をタップリ入れると、袋の口を軽く閉じて、石像に投げ付けた。狙い違わず石像に当たると衝撃で、袋の口から水が噴き出す。しかし運悪く、袋の口が石像に対して外側を向いており、石像を濡らすことなく地面に落ちてしまった。

「これは、駄目だな。ちょっと確率が悪い。やはり射抜くしかないか。エトヴァ、次はお前が投げてくれ。俺が射抜くから」

 言われたエトヴァは焦る。

「え? 私ですか? いや、でも、投げるのって、あんまり得意ではないのですけど・・・」

「他にいないだろ。いいから、とりあえず投げてみろ。少し上めを狙ってな」

 そう言って強引に渡された水袋を見下ろしてエトヴァは溜息をつく。

「ほんとに、どこにいくか知りませんよ・・・」

 ぶつぶつ言いながらエトヴァは水袋を持って構えた。アルフは石像に向かって弓を引き絞る。

「いきますよー! えいっ!」

 気合いを入れて投げたエトヴァだったが、水袋は石像のだいぶ手前に落ちてしまった。

「あ、あれ? す、すみません。ちょっと力加減が・・・ も、もう一度!」

 エトヴァは慌てて水袋を拾って、再び構える。

「こ、今度こそ! いきますよ! えいっ!」

 しかし、今度は石像の右を大きく逸れて飛んでいく。それまで黙って見ていた静羽が、見かねて突っ込んだ。

「エトヴァさん、まじめにやってよ!」

「こ、これでも大まじめですよ・・・ だから言ったじゃないですか、投げるの得意じゃないって・・・・・・ シズハ殿、代わってもらえません?」

 半べそ状態で言うエトヴァに、静羽も慌てて手を振る。

「わ、私だって無理よ! ソフトボールだってあんまりやったことないんだから!」

 弓を下ろしたアルフは溜息をついた。

「仕方ない。誰か他の者を呼んでくるか・・・」

 そう言ってアルフが行き掛けたとき、静羽はベンチに立てかけてあるクロスを見て、ポンッと手を打つ。

「そうだ。アルフさん、待って。できるかもしれないわ」

 静羽はいくつかある水袋の中から、比較的小さくて丸みのあるものを選んで、クロスを手に取った。

「エトヴァさん、これに水入れて、ここに置いてみて。どうせ弓で射るなら口はしっかり閉じちゃって」

 エトヴァは言われた通りに水袋をクロスのネットに置く。

「ちょっと重いわね・・・」

 さすがにラクロスのボールに比べれば重くて大きい。静羽はクロスを軽く上下に振りながら具合を確かめる。

「まずはちょっと試しにっと」

 石像に向かってクロスを振る。ネットから放たれた水袋はかなりの勢いで飛んだが、左に大きく逸れてしまった。

「・・・やはり無理か」

 アルフが溜息交じりに言ったが、静羽は自信ありげ一つ頷く。

「今のは練習よ。大丈夫。コツは掴んだわ。次はいけるわ」

 同じようにエトヴァに水袋を入れてもらうと、静羽は再び綺麗なフォームでクロスを振るう。果たして今度は見事に石像の胸辺りに命中した。

「おお! すごいですね! 手で投げるのも大変なのに!」

 エトヴァがやんやと誉める。

「クロスでなら何処でも狙えるわよ。これでもコントロールには自信あるんだ」

 少し照れながら言う静羽に、アルフも感心したような表情になった。

「なるほど、それは、そうやって使うものだったのだな」

「そう。実際はこのくらいのボールを投げるんですけど」

「器用なものだな。よし、シズハ。もう一度頼む。今度は私の番だ」

 アルフは弓を掲げて言った。静羽も頷くと再びクロスを構える。

「じゃあ、石像の顔の辺りを狙いますね」

「わかった。いつでもいいぞ」

 そう言うとアルフは矢を引き絞る。

「いきます!」

 静羽がクロスを振るうと水袋がライナー気味に飛んでいく。アルフは水袋が石像に当たるタイミングを見計らって弓を射た。ヒュンッと風が鳴って、狙い違わず石像に当たる直前に、水袋の真ん中に矢が刺さる。そのままの勢いで石像に水袋が当たると刺さった矢が外れ、矢が開けた穴から水が漏れて石像を塗らしていく。

「やったぁー!!」

 エトヴァと静羽は飛び上がって喜んだ。しかしアルフは冷静に、再び矢を番える。

「まだだ。続けていくぞ」

「あ、は、はい!」

 静羽もすぐにクロスを構えて、エトヴァは慌てて次の水袋を準備する。

 そうして、二度、三度、狙いを変えてやってみて、うまくいくことを確認した。


 三人は意気揚々と執務室に戻ると、宰相と近衛長を呼んで、この作戦について説明した。

「なるほど。清めた水で撃退するのですね。その方法ならば離れた場所からでも有効ですね」

 宰相が納得したように言う。

「では、後は人選ですな。護り手としてはシズハ殿にお願いするしかありませぬが、あとは・・・」

 近衛長が考え込んだところに、静羽は遠慮がちに意見を出す。

「あまり大人数では、私も護りきれませんから、三人か、多くても四人くらいなら・・・」

「なるほど。では少数先鋭ですな。そうなると・・・」

近衛長が部隊の中の腕利きを思い浮かべていると、アルフが当然というように言った。

「水を清めるにはエトヴァが必要だ。そして、矢は私が射る」

 それを聞いた宰相と近衛長は揃って驚く。

「へ、陛下! お待ちください! 陛下御自らなどお止めください!」

「その通り! 荒事は我ら近衛兵団にお任せ下さい!」

 これにはさすがの静羽も驚いた。確かに練習はアルフがやったが、実戦は違う人だと思っていたのだ。さすがに王様自らやるのは無理があると思う。

「では訊くが、私以上の弓の使い手は兵団にいたかな?」

「い、いや、そ、それは確かに、陛下以上の射手はおりませぬが・・・ しかし・・・」

 それを聞いた静羽は不思議に思って、エトヴァにそっと訊いてみる。

「アルフさんて、確か神官になるはずだったのよね? そんなに弓、すごいの?」

「え? ああ。 アルフは国で行われる競技会の弓部門で優勝しているのですよ。神官の修行の中で身体を鍛える手段として、武芸を選択することもできるんです」

「へぇー。 道理でうまいはずよねー」

 素人の静羽が見てもアルフの腕前はなかなかだと思っていたが、競技会で優勝するほどならば頷ける。

 宰相と近衛長が何とか思い留まるように説得するが、アルフは考えを変えるつもりはないようだった。

「玉座に掛けられた呪いは、そこに座る者が取り払わなければならぬだろう」

「そ、それは・・・そうなのかもしれませぬが、折角回復されたところに、またお怪我でもされては・・・何卒、お考え直しを」

 宰相が必死に懇願するが、アルフは聞き入れようとしない。

「なに、大事には至らぬよ。シズハとエトヴァがいるからな、それに・・・」

「それに?」

 アルフは不敵に笑って言った。

「こんな面白そうな事、他の者になど譲れんよ」

 その場の全員が呆気に取られて、二の句が継げない。豪胆というか、何も考えていないというか。静羽は、きっとこの人は、すごい大物になるだろうと内心で確信した。



 静羽たち三人は並んで、一昨日逃げ出してきた後宮の入り口を見上げた。静羽はラクロスのクロスを、アルフは矢筒と弓を、エトヴァは城内から掻き集めた水袋と、神殿で清めてきた聖水がたっぷり入った桶を持っている。そして、三人の後ろには近衛兵団がずらりと並んでいる。

「よし。では、いくか」

 アルフはいつもと変わらない様子で言ったが、静羽とエトヴァは緊張した顔で頷く。結局、王妃との対決は三人で行うことになった。宰相も近衛長も直前まで難色を示していたが、アルフが頑として譲らなかったのた。

「お気をつけて。決してご無理をなさらないように」

 近衛長の渋面いっぱいの心配顔に、アルフは心配するなと頷いて後宮に入って行く。

 王妃の部屋に入ると、一昨日のように、ソフィア王妃の霊はソファーに静かに座っていた。打ち合わせ通りアルフが王妃に話し掛けるため一歩前に出る。その間に静羽とエトヴァは桶の聖水を水袋に入れて準備を急いだ。

「ソフィア王妃。残忍だったバムト王への恨み、赤子を亡くした悲しみは判るが、既に何百年もの時が過ぎているのだ。そろそろ恨みは忘れて死者の世界に帰ってはどうか? 亡くした赤子にもそこで会えるかもしれぬぞ?」

 アルフが静かに諭すように話し掛けたが、ソフィア王妃は無反応に俯いたまま。

「・・・・・・反応がないな。シズハ。どう思う?」

「判りません・・・聞こえてないのかしら?」

「うむ。この状態でも聖水は効果あるのだろうか?」

 今回の作戦はあくまで、あの化け物に対してのものだったので、王妃のままの霊に対する作戦は立てていなかった。

「あのままなら、シズハ殿のお祓いでなんとかなるのではないですか?」

「うーん。どうかしら・・・ どうします? とりあえずやってみます?」

「そうだな。それで済めば、それに越したことはない。お願いできるか?」

「はい。やってみます」

 静羽は前に出ると、様子を伺いならがゆっくりと王妃の霊に近付いていく。そして、あと二,三歩行けばクロスが届きそうな所で止まると、さっとクロスを構える。すると、それまで無反応だった王妃の揃えた膝に載せられていた指がピクリと動いた。静羽はそれに気付かず、九字の印を切るためにクロスを振り上げたその瞬間、なんの前触れもなく王妃の背中から化け物の触手が一気に飛び出して、静羽を薙ぎ払った。

「キャーッ!!!」

 辛うじてクロスを構えて直撃は免れたが、すごい衝撃と共に静羽は弾き飛ばされる。

「シズハ!!」

「シズハ殿!!」

 最初に飛び出したのは意外にもエトヴァだった。頭から倒れ込みそうになる静羽をギリギリで抱き止めたが、勢いは殺せず尻餅を着く。そこへ化け物の第二撃が襲い掛かる。静羽を抱えているエトヴァは避けられない。

「エトヴァ! シズハ!!」

 アルフがエトヴァの襟首を掴むと力任せに引き摺り寄せた。間一髪、化け物の触手が一瞬前にエトヴァたちがいた場所を打ち砕く。

「あ、ありがとう。アルフ。シズハ殿は大丈夫ですか?」

「痛たた~ 大丈夫。ちょっと手が痺れただけ。でも、急に出てくるんだもん。びっくりしたわ」

 見れば王妃の霊は、前の時のように既に化け物と化し、無数の触手を揺らしていた。

「まあ、これが本来の目標だ。では、作戦通りにいくぞ!」

「「はい!!」」

 三人は化け物から距離を取って、それぞれのアイテムを構える。アルフは弓を、エトヴァは聖水の入った水袋を、そして静羽はクロスを。

「よし! いつでもいいぞ!!」

 アルフが矢を引き絞って叫んだ。エトヴァが静羽のクロスに水袋を入れる。

「了解! まず右側のから狙っていきます! じゅあ、行きますっ!!」

 静羽はクロスを鋭くスローさせる。水袋が飛び出し、化け物へと向かう。触手の一本がそれを打ち払おうと動いた。

「! そこだっ!!」

 アルフがタイミングを見計らって矢を放つと、狙い違わず見事に水袋に矢が突き立つ。それを触手が打ち払ったため、中の水が穴から吹き出て触手に降り掛かった。

『オオオォォォォンンン!!』

 化け物が苦しげに叫び声を上げた。聖水の掛かった触手は、輪郭がぼやけて飛び散るように粉々になる。そして、捕り込まれていた霊達が、悲鳴を上げながら霧散していった。

「やったー!!」

 静羽が歓声を上げる。やはり聖水の効果は抜群のようだ。アルフもうまくいって一瞬ホッとした表情になったが、すぐに気を引き締めて次の矢を番える。

「よし! 一気にいくぞ!!」

 そうして静羽たちは、次々と聖水の入った水袋で化け物を攻撃していく。一つ、また一つと時々外したりもするが、触手は確実にその数を減らしていった。化け物も怒りの咆哮を上げて必死に抵抗するが、本体の移動速度は非常に遅いので、触手を懸命に動かすことしかできないのだ。

「もう少しね!」

 作戦がうまくいって、三人にも余裕が出来てきた。二十本近くあった触手も、残すはあと五本にまでなっている。化け物の動きも心なしか鈍くなってきたようにも見える。

 そのとき、化け物が一際大きな咆哮を上げた。

『グォオオオオォォォォーンンン!!』

 すると、残っていた触手たちがお互いを絡めるように巻きついていき、遂には一本に合体してしまった。長さも太さも倍近くになっている。

「・・・なんか、ちょっとやばいのではないでしょうか?」

 エトヴァが焦ったようにいうと、アルフも表情を硬くして頷いく。

「う、うむ・・・」

「あ! 危ないっ!!」

 化け物が一つになった触手を静羽たち目掛けて振り下ろしてきた。三人は慌てて横に逃れる。打ち降ろされた触手が、分厚い石の床を易々と打ち砕くのを見て静羽たちはギョッとなった。こんなものをまともに受けたら一溜まりも無い。しかも、長くなったため部屋に隅に逃げても届いてしまいそうだ。幸い動きはそれほど速くないので、避けるのは不可能ではないが、移動しながらとなると攻撃の精度は落ちてしまう。

「ちょっと、厳しくなったわね・・・」

「ど、ど、ど、どうします!?」

「どうもこうも、他に手はないのだ。続けてやるしかないだろ」

 動揺しているエトヴァに対して、アルフは憎らしいほどいつもと変わらず冷静だった。内心がどうかは判らないが、ここまで動揺を顔に出さないのはさすがだ。

「そうね! とりあえず続けましょ! 次、行きますよ!!」

 考えている余裕はない。静羽たちは気持ちを切り替えて攻撃を再開する。太くなった分、狙い易くはなったが、振り下ろされる触手を避けながらで狙いも甘くなってきた。 相手もただやられるだけではなかった。矢で射抜くことで中の聖水を出易くしていると気付いた化け物は、飛んできた水袋には目をくれず、それを狙って放たれる矢の方を防ぐようになってきている。それでも全部を防ぎ切れるわけではないが、太くなって耐性が付いたのか、聖水が掛かっても僅かに崩れるだけだ。

「・・・敵も馬鹿じゃないってことか。小賢しい!」

 かなり効率が悪くなってきて、さすがのアルフも焦り始めた。水袋も残り僅かで、桶に残った聖水もあと数回分しかなさそうだ。

「“毛利の三本の矢”ね・・・」

 静羽がボソリと言ったのをアルフが耳にして、ふと訊ねた。

「モウリ、の三本の矢? なんだ? それは?」

「え? ああ。私の国に伝わる古い教訓なんです。一本一本では弱くてすぐ折れてしまう矢も、それが三本も束ねれば折れ難く強くなるっていう。一人一人は弱くても三人が力を合わせれば、どんな困難にも乗り越えられるという例え話です。あの触手見てたら、ふと思って・・・」

「ほほう。名言だな。場違いだが、的は得ているな。しかし、それは今の我々にも当てはまるのではないか?」

「・・・そういえば、そうかもしれないですね」

「そうとも!」

 そう言って片目を瞑ってみせたアルフの笑顔に、静羽はまたしても我知らず胸が高鳴り、それに戸惑いを感じる。何故アルフの笑顔を見ると、こんなにドキドキしてしまうのだろう。

「アルフ! シズハ殿! 和んでいる場合じゃないでしょう!」

 緊張感のない二人にエトヴァが怒鳴った。二人は揃って首を竦める。

「そうだったな。悪い」

「ごめん。ごめん」

「まったく! 仲の良いのは結構ですが、時と場合を考えて下さい!」

 仲の良いというところに反応して、アルフと静羽は顔を見合わせる。そして、何となく気恥ずかしくなって、ほんのり赤くなりながら視線を外した。

「だ・か・らっ!! そういうことは、後でゆっくりやって下さい!!」

 二人のマイペースぶりに、エトヴァの眼がすっかり三白眼になってしまっていた。

「悪かった。真面目にやる。よし。もう後がない。確実に・・・・・・ 危ないっ! 避けろっ!!」

 油断していたところに、触手が再び襲い掛かってきた。しかも今度は横に薙ぐようにして、ソファーやテーブルを粉砕しながら迫ってくる。

 アルフはギリギリで身を屈めてやり過ごしたが、静羽とエトヴァは触手に追われる形で必死に逃げていく。

「あっ!?」

 エトヴァが足をもつれさせて、前へ飛ぶように転倒した。その時、聖水の入った桶が手から離れる。それをちょうど、髪の毛を掠めて頭上を通過した触手が打ち払う形になった。

『ガアァァァッ!!』

 残りの聖水を全部浴びた化け物は、さすがに苦痛の叫びを上げて、白い煙のようなものを上げながら、滅茶苦茶に触手を振り回し始めた。天井の豪華なシャンデリアやキャビネットが次々に破壊される。そして、窓際に逃げていた静羽の方に、ものすごい勢いで振り回してきた。

「キャーッ!!」

 中庭に面した壁が窓ごと粉砕された。静羽は手で頭を隠しながら、降り注ぐガラスの破片の中を必死に逃げる。手や腕に鋭い痛みが走ったが構ってはいられない。何とか反対側の壁際まで逃れて倒れ込んだ。

「シズハ! 大丈夫か!?」

 アルフが駆け寄って静羽を抱き起こした。手や腕に無数の切り傷ができて血が滲んでいる。幸いにも白く美しい顔には傷は見られなかったが、そんなことは慰めにはならない。

「だ、大丈夫です・・・ たぶん・・・」

 静羽が息を荒くしながら何とか答えた。アルフは厳しい顔で、動くなと一言いうと、慎重に静羽の髪の中に入ったガラス片を取り除いていく。アルフは怒りと後悔の念に苛まれていた。彼女なら大丈夫という根拠のない自分の思い込みが、静羽に怪我を負わせる結果になってしまった。自分にもこの国にも何の関わりもない彼女に、半ば無理やり手伝わせてしまったことを、今更ながら後悔していた。いつも物怖じせずに真っ直ぐ見つめ返してきていた美しい顔が、今は苦痛に歪んでいる。彼女にこんな顔をさせたくはない。自分の甘さと不甲斐なさで、アルフは自分に対して怒りを覚える。そして、声を絞り出すように言った。

「・・・もうここまでだ。危険だ。退却しよう」

「・・・え? 退却?」

 抱きかかえられていた静羽がアルフを見上げると、そこには苦悩に満ちたアルフの顔があった。慌てて駆け寄ってきたエトヴァも静羽の傷の様子に息を呑む。

「そうだ。もう十分だ。後は近衛兵団に任せればいい」

 アルフの言葉にエトヴァも賛同する。

「そうです! やれるだけのことはやったのですから! これ以上は危険です!」

 静羽は、暫し二人の顔を交互に見やったが、おもむろに立ち上がる。

「・・・嫌です」

「シズハ!」

 きっぱりと否定した静羽に、アルフは思わず声を荒げた。

「嫌です! だって、ここまできたのに! あともう少しなのに!! ここで引き退ったら、私の来た意味がなくなっちゃうじゃないですか!!」

「し、しかし・・・・・・ このままでは・・・」

「私、中途半端って嫌いなんです! どんなに苦しくて辛くても、諦めたらそこで終わりじゃないですか! 私はそんなの嫌です!」

 静羽は目の端に涙を浮かべながら、高一の時にラクロス部に入部したての頃を思い出していた。その当時、実は静羽はどちらかというと運動オンチなほうだった。かっこ良さに惹かれて入部したものの、なかなか上達せず、同時期に入部した他の子との差は開く一方であった。それでも生まれつきの負けず嫌いもあり、絶対レギュラーになるんだ!という信念で、人知れず練習に励んだ。手の皮が剥けても、転んで膝や肘から血が流れてもめげずに頑張った。そしてある日、突然突き抜けたのだ。

 それは全くの偶然だった。そのとき静羽は、連日の無理が祟って風邪をひいていたが、それでも練習を休まずに、人一倍一生懸命に練習に参加していた。しかし、終わり近くなって、熱が上がってきて立っているのもやっとの状態になってしまった。最後のメニューはシュート練習だった。相手がロストしたと想定して転がされたボードを走りながらキャッチして、そのままゴールへシュートするという練習で、静羽が最も苦手とするものだった。それでも、これさえ終わればと倒れそうになる体を根性で支える。

 自分の順番が回ってきて、フラフラしながらも静羽はボールへ向かって走り出す。体に思うように力が入らない。ああ、こんなではまともにシュートなんか・・・と頭は考えていたが、体はこれまでの厳しい練習の動きを覚えていた。無意識のうちに転がるボールをネットで梳く上げシュートを放った。未だ嘗てない鋭い弾道に、ゴーリー(キーパー)をしていた二年で準レギュラーの先輩は一歩も動けない。ボールはそのままゴールネットを激しく揺らす勢いで、ゴール右隅に突き刺さった。練習場が一瞬しーんとなる。みな声もなく、ゴール内に落ちて転がるボールを見ている。

「・・・え?」

 一番驚いたのは静羽本人だった。ボールをキャッチできたのも奇跡的で、あとは無意識だった。そんなに強く振ったわけでもないのに、今のシュートはいったい・・・

「奥村さん。もう一度やってみて下さい」

 そう言ってきたのは、キャプテンで三年の白鳥先輩だった。学園ナンバーワン美少女と言われ、学力でも学年トップクラス。何処かの財閥系の令嬢で、本当のお嬢様だ。でも、そういったことを鼻に掛けたところもなく、誰とでも分け隔てなく接し後輩の面倒見もいい、正に天が二物を与えた憧れの先輩だ。

「早く」

「え? あ、はっ、はい!」

 静羽は慌ててもう一度列の前に戻った。白鳥先輩の指示で再びボールが転がされる。それに向かって静羽は走り出した。ゴーリーも今度は真剣に構える。

 駄目だ、やっぱり力が入らない。せっかく白鳥先輩が見て下さっているのに。しかし、このときも自然と体が反応した。スムーズにボールをキャッチし、スローの瞬間、キーパーとゴールが目に入った。あ、左上の隅が空いてる。あそこならと、ぼんやり考えた次の瞬間、ボールはそこへ向かって放っていた。キーパーが慌てて反応するが、先程と同様の鋭いシュートで、僅かにキーパーのクロスを掠めてゴールへ突き刺さる。再び練習場が静まった。

「え? え? え? ど、どうして・・・」

 誰よりも呆然としている静羽に、キャプテンの白鳥は優しく微笑みながら近付いてきた。

「ナイス・シュートですわ。奥村さん。頑張って練習してきた甲斐がありましたね。皆存じておりますのよ。あなたが人知れず練習に励んでいたことを」

「えっ!?」

 静羽が驚くと、白鳥は優しく頷いた。休日や早朝も寝る暇を惜しんで近くの公園などで練習していたのだ。それを見られていたのだ。静羽は恥ずかしくなって俯いてしまう。

「あ、あの、私、鈍いから、それで・・・・・・」

「いいえ。あなたは鈍くなんてありませんわ。ほんの少し、そう、ほんの少しだけ力が入り過ぎていただけなのです。頑張ろうとする余りに、無駄に力が入ってしまっていたのですわ」

「力が・・・・・・?」

 言われて静羽はちょっと考えてみた。今までと何が違うのか。フォームなどを変えた覚えはない。唯一違うのは、風邪で力が入らないことだけ。あ、力が入らない? ハッとして静羽は白鳥を見る。

「そういうことです。今の感じを忘れないように。その調子で頑張りなさいな」

「はっ、はい! ありがとうございます!」

 静羽は嬉しくて満面の笑顔で頭を下げた。

「但し。体調が悪い時は無理をしないこと。よろしいですわね?」

 先輩は全部お見通しのようだ。

「は・・・はい・・・」

「よろしい。では、練習にお戻りなさい」

 そう言って、レギュラー組の練習に戻っていく白鳥先輩の後ろ姿に静羽はもう一度頭を下げた。が、そこまでが限界だった。再び頭を上げることができずに、そのまま前のめりに倒れ込んでだ。慌てて周りの部員たちが掛け寄る。

「キャー! 静羽! ちょっと、大丈夫?! しっかりして!」

 意識を失って倒れた静羽は保健室に運ばれ、様態を見た保険医の先生は、呆れながら言った。

「こんな幸せそうな顔で気を失ってる患者なんて見た事ない」

 その後、静羽はめきめきと実力を付けていき、一年生後半にはレギュラー補欠に選ばれ、二年生になると同時レギュラーの座を獲得したのだった。


 涙目になりながら必死に言う静羽にエトヴァが戸惑いながら訊いた。

「で、でも、もう聖水もないのですよ? どうやって戦うのですか?」

 先ほど転倒した際に、残りの聖水を全部溢してしまったため、もう攻撃の手段がない。静羽は部屋の中をグルリと見回す。

「外れたりして、まだ中身が漏れてないのが、いくつか落ちているわ。あれを拾えばまた攻撃できるよ」

 確かに漏れてない水袋がいくつか落ちているが、当然のこと、それは全部化け物の傍に落ちているのだ。

「む、む、無茶ですよっ! どうやって近付くんですか!?」

 エトヴァが絶望的な顔して言うを、静羽は、フフンと笑ってクロスを掲げる。

「任せて。こっちが本職よ」

「本職って・・・・・・ でも、そんな・・・」

 どうしたらいいか判らずエトヴァが途方に暮れていると、アルフが突然声を上げて笑い出した。

「はっはっはっ! まったく、君みたいな無鉄砲な女性は初めてだよ! シズハ」

「ア、アルフ・・・?」

 突然の言われように静羽はムッとして言い返す。

「無鉄砲で悪かったわね!」

「いや、すまんすまん。しかしシズハの言う通りだ。諦めたら終わりだな。できることが残っているうちは全力を尽くそう! 但し・・・」

 打って変わって真剣な表情に戻って言った。

「今度再び少しでも傷を負うようなことになったら、有無を言わさず撤退する。いいな?」

 静羽もそれには素直に答える。

「わかったわ」

「うむ。よろしい」

「じゃあ、私が水袋拾って、こちらに投げますから、後はエトヴァさんと」

「えぇ!? 私が投げるのですか?」

 エトヴァが素っ頓狂な声を上げる。それをアルフが顔を顰めて言い返した。

「仕方あるまい。いくらなんでも、そこまでシズハに頼るなよ」

「で、でも・・・」

「シズハが言っただろう? やる前から諦めてどうする。男ならばやって見せろ」

「的も大きくなったんだから、前よりマシでしょ? 頑張って! ところでアルフさん、短剣か何か持ってません?」

 突然の大役に緊張でカチカチになったエトヴァは放っておいて静羽が訊いた。

「あるが、どうするのだ?」

 訊き返しながらも、アルフは腰に提げていた短剣を鞘ごと外して静羽に渡す。

「ちょっと、これじゃ動き難いんです。 勿体無いけど、許して下さいね」

 そういうと静羽は、くるぶしまである神官服のスカートの膝上辺りに、躊躇なく短剣を刺し込んだ。そして自分の周まわりを一周させて、一気にスカートを短く切り落としてしまった。

「シ、シズハ殿!」

 エトヴァが驚いた声をあげたが、構わず二重になっていた下のスリップも同じ位置で切り取ってしまう。自分で切ったので、思っていたよりちょっと短くなってしまったが仕方が無い。しかし、これでだいぶ動き易くなった。綺麗な素足が剥き出しになり、エトヴァは顔を赤くして顔を背ける。  

 そのとき、部屋に別の声が響いた。

「陛下!! 陛下!!」

 化け物が壁を壊した音を聞き付けて、近衛兵団の面々が中庭の方に回ってきたらしい。

 壁が半ば以上無くなっているので、近衛長が駆け寄ってくるのが見えた。しかし、部屋の手前で中の化け物の姿が見えて思わず立ち止まる。

「こ、これは・・・ どうなっているのだ・・・」

 前回見た化け物の形と違っているのと、部屋の中の惨状に一瞬呆然としたが、部屋の奥の方に国王たちの姿を見つけて大声を上げた。

「陛下! ご無事ですか!!」

「近衛長! 来てくれたか! 私は無事だ! しかし、シズハが・・・」

 片手を上げて答えた若き国王の無事な姿を見てホッとした近衛長だったが、アルフの言葉に静羽を見て驚いた。確かに手や腕に負傷を負っているようだが・・・ あの裾長の神官服が膝上から下がなくなっていて、素足が剥き出しになっているが、果たしてそれも化け物の仕業なのだろうか? と、大いに悩む近衛長だった。近衛兵団の他の面々も、静羽の様子に驚き呆然とする者や、赤面して慌てて顔を背ける者もいる。こちらの世界の者には少し刺激が強すぎたのかもしれない。

「陛下! すぐそちらに参ります!」

 近衛長がそう言って、崩れた壁の隙間から中に入ろうとしたが、何かにぶつかった。訝しんで見てみたが何も無い。

「なんだ? ガラスがあるのか?」

 崩れた壁のところにガラスがあろうはずもないが、そっと手を伸ばしてみると、確かに見えない何かが壁になっている。ガラスのような硬質な感じはしないが、力を込めてもそれ以上は進めない。上下左右と手を当てて確かめてみたが何処にも隙間がない。

「これはまた奇怪な! ええーい! ならばっ!!」

 近衛長は腰の長剣を抜き放つと、見えない壁に斬りつける。だが、その剣も弾き返されてしまった。二度、三度と繰り返し斬りつけたが結果は同じだ。

「ぬぅぅぅっ! どうなっておるのだっ!!」

 どんなに斬りつけても体当たりしても、ビクともしない見えない壁に近衛長は唸り声をあげる。

 その様子を部屋の中から見ていたエトヴァが不思議そうに言った。

「・・・近衛長殿は、何をしておられるのでしょう?」

「うむ。どうやら何かに阻まれて入れないようだな。しかし、何も見えないが・・・・・・」

 二人は揃って首を傾げたが、静羽は思い至ることがあった。。

「・・・あれは、結界ね」

「結界?」

「そう。きっとこの化け物が、この部屋全体を外界から隔離したのね。だからあの化け物を倒さない限り、誰も入れないし、出れないのよ」

 本当にここは、つくづくファンタジーな世界ねと、静羽は大きな溜息をついた。

「なるほど。では、あいつを・・・ と、そろそろ悠長に話している時間はなさそうだぞ!」

 思わぬ痛撃を喰らって、少し後退して様子を見ていた化け物が、再び激しく触手をうねらせながら動き始めた。

「いよいよ正念場ね! じゃあ、行きます!!」

 静羽は表情を引き締めてクロスを構える。

「シズハ! 約束だぞっ! 無理はするなよ!」

「はい!!」

 答えたと同時に静羽は化け物に向かって飛び出した。そこへ鞭のようにしならせた触手が静羽に襲い掛かる。

「あぁっ!! 危ないっ!!」

 結界の外で見る事しかできなくなった近衛兵たちは、突然化け物に向かって走り出した静羽に驚いた。そして、その静羽に触手がすごい勢いで襲い掛かって悲鳴を上げる。あの細い少女の体では、簡単に吹き飛ばされてしまう。と、誰もが思った瞬間、少女の姿が消えた。そしてその次の瞬間には、触手の攻撃を無事に掻い潜って、速度も衰えずに走る少女が現れる。

「「おおおっ!?」」

 近衛兵たちが驚愕にどよめいた。誰もがもう駄目だと思っていたのだ。

 しかし、化け物もそれで諦めず、避けられた触手を取って返して、今度は走る静羽の背後から襲い掛かる。

「危ないっ!! 後ろだっ!!」

 それには静羽も気付いていて、チラリと後ろを見ると、絶妙なタイミングで僅かに捻りつつ、片手が床に着くほど身を屈めると、その頭上ギリギリを触手が通過する。そして避けたと見るや、曲げた足のバネを利用して更に速く飛ぶように走り出す。

「・・・あの娘・・・・・・ なんという身のこなしだ・・・・・・」

 近衛長は静羽の動きに呆気にとられた。他の者たちは既に声を出すことも忘れている。静羽が走り出してから、僅か十数秒の出来事だった。

 その間にも静羽は、目標の水袋のところに到着し、走り抜けながらにクロスのネットで水袋を掬い上げ、振り向き様にクロスを振るう。

「エトヴァさんっ!!」

 水袋が一直線にエトヴァに向かって飛んできた。

「え? え? え?」

 考える間もなく正確に胸の辺りに飛び込んできた水袋を、エトヴァはお手玉しながら辛うじてキャッチする。

「投げろっ!! エトヴァ!」

 既に弓を構えているアルフが叫んだ。

「あ、は、はいっ!」

 慌てて投げたわりには狙いが良かった。再び静羽を襲おうとしていた触手の半ば辺りで、アルフの矢が水袋を打ち抜き、中の聖水が触手に降り掛かった。

『グオオゥォォォ!!』

 化け物が苦痛の咆哮をあげた。触手の一部が溶けたように崩れた。

「や、やった! やりましたよ!!」

 エトヴァが半分涙目になりながら喜んだ。一発でうまくいくとは自分で全然思っていなかったのだ。

「だから、やればできるって言っただろう。お前は自分にもっと自信を持たなければ駄目だぞ」

 アルフも嬉しそうに答えた。いつも頼りなかった幼馴染が、静羽が来てから少しずつ変わってきているのが喜ばしい。

「次! いきますよー!」

 静羽が化け物の向こうから言うのに、二人は揃って力強く頷いた。

 その後も、静羽は神業的な反射神経を披露しつつ、次々に水袋を掬い上げてはエトヴァに投げ渡していく。

「す、すごい・・・・・・」

 静羽は、どんな体勢、どんな位置からでも、ピタリとエトヴァの胸元に水袋を投げ渡している。エトヴァたちも攻撃を避けて移動しているにも関わらずだ。手で投げてもそんなに正確には無理だろう。それをこの小さな少女は網の付いた奇妙な棒で行っているのだ。近衛兵たちはいつしか静羽を見る目が、賞讃から畏敬の眼差しに変わっていた。救世主。その言葉が自然と少女の姿に重ねられる。

 静羽とエトヴァの頑張りで、化け物の動きもかなり鈍くなってきている。最後に残った水袋を拾った静羽は、クレードルというラクロス特有の動きで水袋をクロスに保持したまま、アルフたちの下へ戻ってきた。

「はい。これが最後よ」

 あれだけ激しく走ってきたのに、ほとんど息を切らしていない。この小さな体の何処にそんな力があるのかと、内心舌を巻きながらアルフは言った。

「ありがとう。お陰で、何とかなりそうだ」

「ううん。私だけじゃない。みんなが頑張ったからよ」

 決して自分を奢らない静羽を、アルフは眩しそうに見つめた。

「そうだな」

「うん!」

 そう言って微笑む笑顔は歳相応に幼く見えたが、これまで知っているどの女性よりも強く優しいのだ。そう思っていると、アルフはふと自分の心の内に気付いて、自らを苦笑した。参ったな。これは。

「最後の一つはどうしましょうか?」

 自信がついてきたのか、幾分男らしくなったエトヴァが最後の一つになった水袋を掲げる。

「だいぶ弱ってきてるみたいだから、根元の本体辺りに・・・・・・」

『グァオオオオォォォォーンンンッ!!!』

 突然化け物が、耳を劈く咆哮を上げた。思わず皆が耳を塞ぐほどのものだ。そして最後の力を振り絞るかのように触手を振り下ろしてきた。

 耳を塞いでいた三人は反応が遅れてしまった。気付いたときには目の前だった。

「しまったっ!!」

「危ない!」

 静羽が一歩前に出て、頭上に翳したクロスで触手を受け止めた。それと同時に護符の巻き付けてある辺りが輝き始める。

「くっ!」

 しかし、弱ってきたとはいえ、太くなった触手の攻撃はさすがにきつかった。頑張って踏ん張ってはいるが、圧し切られそうになる。

「もうっ! しつこいったらっ!! このぉぉぉーっ!!!」

 静羽も負けじと全身に力を入れて、押し返そう気合いを入れる。すると、護符の輝きが徐々に広がっていき、静羽を包み始めた。長い黒髪も金色に輝き、光の粉が舞っているようであった。

「おおー・・・ 女神、様・・・・・・」

 それを見た近衛兵の一人が我知らず呟く。光り輝く静羽の様子が、神話で語られる戦女神のティメイシアに重なったのだ。そしてそれは他の者たちにも共通した思いであった。

「エトヴァ! 今の内だ!」

 静羽が押し返し始めたのを見て、アルフが叫び、弓を引き絞る。

「はいっ!! でも、この距離ならっ!!」

 そう言ったエトヴァは、水袋を投げずに化け物に向かって駆け出した。触手は静羽が抑えているのだ、この距離なら走った方が早い。エトヴァは静羽の横をすり抜け、化け物の本体に近付くと、持っていた水袋を触手の根元に思いっきり叩きつけた。

「これでっ!! どうだぁぁぁーっ!!」 

 水袋が弾けて聖水が触手の根元を濡らしていく。激しい蒸気のような白い靄が噴き出して、触手は根元から分断された。その途端、触手全体が爆発したように弾け、取り込まれていた霊たちが叫びをあげながら消えていく。

『ガアァァ!?』

 ソフィア王妃の背中に憑いていた化け物の塊が、ぐにょぐにょと変形し、顔のようなものが現れて苦しげな咆哮をあげた。

「それが本体ねっ!」

 静羽がその化け物に向かって駆け出した。駆けながらクロスで九字の印を切る。

「臨!兵!闘!者!皆!陣!列!在!前!!!」

 一文字毎にクロスの輝きが更に増していく。

「消えろぉぉぉーっ!!」

 跳び上がりつつ、化け物の本体に向かって渾身の力でクロスを振り下ろす。クロスが化け物に触れた瞬間、光が爆発した。まるでそこに太陽が現れたようで、誰も目を開けていられなかった。

『グゥワアァァァァ・・・・・・・・・』

 光が収まって、恐る恐る目を開けてみると、部屋の真ん中に、肩で大きく息をしている静羽と、背中の悪霊の塊がなくなったソフィア王妃の霊が佇んでいた。

 王妃の霊がまだ消えていないのを見て、静羽は重くなった両手をなんとか持ち上げて、再びクロスを構える。すると、俯いていた王妃がゆっくりと顔をあげ、そしてそれまで閉じられていた目を開けた。

「・・・・・・え?」

 その目を見た静羽は驚いた。これまで王妃の瞳は漆黒の闇だった。それが今は澄んだサファイヤブルーの瞳が涙を湛えて揺れている。それを見て静羽は納得する。これまでの王妃は悪霊に取り憑かれていて、あんな闇の目をしていたのだ。

 そして王妃の霊は、悲しそうに微笑むと、ゆっくりと消えていった。消える瞬間に何かを呟いたように思えたが聞き取れなかった。

「終わった・・・・・・」

 霊の気配が無くなったのを確認して、やっと静羽はクロスを降ろして大きく溜息をついた。そうして、アルフとエトヴァの方へ振り返る。二人とも嬉しそうに微笑んで、力強く頷いた。静羽も笑って頷き返す。三人の間に言葉は要らなかった。やり遂げた満足感が心地よく身を満たしている。

「陛下!! お見事でございました!!」

 悪霊が消えて結界も消滅したため、部屋に入れるようになった近衛兵団の面々がアルフの元へ駆け寄っていき、口々にアルフを、国王を称えた。しかし、アルフは首を横に振って、静羽とエトヴァの方を見る。

「いや、俺は何もしていない。この二人が頑張ってくれたお陰だ」

 皆もちろん二人の活躍は判っているので、近衛長もこの時ばかりはエトヴァを誉める言葉を口にした。

「神官長殿も、やるときはやるではないか。少しだけは、見直したぞ」

 どうにも素直に誉めきれない近衛長だったが、エトヴァは嬉しそうに頷く。

「シズハ殿も、その、此度の活躍は、実に素晴らしいもので、あったな・・・あったのだが、その、なんだ・・・・・・」

近衛長にしては、どうにも歯切れが悪いような言い方で、なんとなく目が泳いでいる。

 妙な態度に静羽は訝しんで訊き返した。

「どうしたんです? なにか言いたいことがあるならはっきり言って下さい」

「あ、いや、別に言いたいこと、というか・・・」

 するとそこへ、多分に笑いを含んだ声が割り込んだ。

「シズハ。皆、君の活躍を絶賛したいのだ。しかし、目のやり場に困ってしまっているのだよ」

「え?」

 そう言ってアルフの視線の先、自分の下半身を見下ろした静羽は一瞬固まって、次の瞬間絶叫した。

「キャアアアーッ!!!」

 またしても、短く切ってしまったスカートが、戦いで暴れた勢いで下着が見えるギリギリまでめくれ上がっている。真っ赤になって慌ててスカートを下ろして両手で前を抑える。

「サービス精神が旺盛なのは嬉しいが、少々刺激が強過ぎだな」

 笑いを抑えながら言い募るアルフを、静羽は真っ赤な顔で睨み付けて叫んだ。

「馬鹿っ! エッチっ! 変態っ! スケベ親父っ!」

 普通なら不敬罪で牢獄行きのような叫びにも、アルフは笑って言い返す。

「馬鹿も、スケベも否定はせんが、親父はないだろう。こう見えてもまだ若いのだぞ」

「知らないっ!! もうっ! 大っ嫌い!!」

 静羽は顔を赤くしたまま怒ってプイッと横を向いてしまった。

 暫くその場が静まり返ったが、突然プッと噴き出した者がいた。エトヴァだ。一度噴き出してしまうともう止められない。エトヴァは声を出して笑い始めた。次いでアルフも笑い始め、そして笑いは皆に広がる。そのうち静羽も一人で怒っているのが馬鹿らしくなってしまった。

「失礼ね! 笑うことないでしょ!」

 と抗議したものの、自身も既に笑ってしまっているので、なんの効力もない。

 そうして皆が静羽の周りに集まって、まるで旧知の仲間のように喜び合い、明るい笑い声が部屋を満たしていった。

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