2.此処は何処?
一矢報いた静羽は、床でのびているエトヴァを放っておいて、豪華な長椅子に腰を下ろした。
そして、今の状況を落ち着いて考えてみる。
ここはどうやら日本ではないらしい。建物だけならいくらでも西洋風に建てられるだろうが、霊たちなどは作りようがない。特に自縛霊はその場所に縛られるので別のところから連れてくることなどはできない。霊たちがみな外人だったので、ここは日本じゃないと考えられる。しかも服装が古めかしい中世っぽいものばかり。エトヴァの服装もそんな感じだ。雰囲気的にどこかの外国の古城にでも連れて来られたのか。しかしエトヴァは日本語を話していた。流暢とかではなく口調に何の違和感もないのだ。どうも腑に落ちない。
始めは誘拐されたのかと思ったが、何か事情があるようだし、このエトヴァという男もそんなに悪い人には見えない。いずれにしても話を聞いてみるしかない。
「・・・・・・う~ん・・・」
唸り声を上げながらエトヴァがゆっくりと起き上がる。
「痛たたた・・・」
後頭部を擦りながらエトヴァは周りを見回す。長椅子に座っている静羽を見付けて、一瞬ホッとしたが、すぐにまた痛みで顔を歪めて恨みがましく言った。
「ひどいじゃないですか・・・・・・あぁ、タンコブできてる・・・」
そう言って目尻に涙を滲ませるエトヴァに、静羽もちょっとやり過ぎたかなと思いつつも表情は怒ったまま言い返した。
「自業自得よ」
冷たく言い放たれて、エトヴァは悲しそうに溜息をつくと静羽の正面にある椅子に腰を下ろす。
静羽は腕組をしながら、努めて厳めしい顔をしながらエトヴァに詰問した。
「ちゃんと説明はしてもらえるんでしょうね?」
「そう、そうでしたね。ご説明がまだでしたね。失礼致しました・・・・・・えーと、どこからご説明すればよいでしょうか?」
とぼけた顔で訊いてくるエトヴァに、静羽の形の良い眉がピクピクする。
「・・・とりあえず、ここは何処なのよ?」
まずは簡単なところからの質問に、エトヴァはホッとしてにこやかに答えた。
「ここ? あぁ、ここは私の部屋です」
この人、天然だわ・・・ 薄々そうではないかと思っていたが、静羽は内心溜息をついた。
まだ静羽にジト目で睨まれているので、エトヴァは必死に考え直す。程なく間違いに気付いた。
「す、すみません! ここって、部屋のことじゃないですよね! あははは・・・・・・は」
笑って誤魔化していると、静羽の手がそっと脇に置いてあるクロスに伸ばされていくのに気付いて、慌てて表情を改めた。
「オホンッ。失礼しました。ここはエクリムス王国。その首都サイフォムにある王城です」
「エクリムス? サイフォム? 聞いた事ないわ。ヨーロッパのどこかかしら?」
静羽は可愛らしく首を傾げる。世界史は得意な方だが、過去にも現在にもそういった名前の国は聞いたことがない。歴史にも出てこない小国か?それとも。
「ヨーロ? なんです? あぁそうだ。まずこれを言っておかなければなりませんでした。驚かないで下さいね。・・・実は、ここは、あなたの世界とは違う世界なのです!」
厳かに告げるエトヴァの言葉に、静羽は呆気にとられた。
「・・・はい?」
訝しげに聞き返す静羽に、エトヴァはしたり顔でうんうんと頷く。
「驚かれるのも無理ないですね。あなた方のところでは、別の世界というものは夢物語でしかないようですから。でもここは、正真正銘の別の世界なのです!」
「・・・別の世界って、住んでる場所が違うとか、身分が違うとか、考え方が違うとか、そういう世界のこと?」
「いいえ、そうではありません。えーと、なんと言ったでしょうか・・・ あなた方の言葉でいうと、じかん・・・ではなくて、じけん・・・でもなくて・・・ あっ、思い出しました。次元です! そう、次元が違う世界なのです!」
何故か誇らしげに言うエトヴァの言葉を聞いて、静羽は立ち上がるとクロスを取って、静かに大上段に構える。
「私は真面目に話をしているのよ」
静羽の殺気を感じてエトヴァは慌てる。
「わ、私も真面目です! 決して嘘などついていません!」
「ふざけないでっ! 別の次元の世界? ここが異世界ってこと!? 馬鹿にするにもほどがあるわ!」
「い、いいえ! 馬鹿にしてなど・・・ ほ、本当に、本当に別の世界なのです!」
必死に訴えるエトヴァに、静羽はクロスを構えたまま睨みつける。
「じゃあ、ここが異世界だって言うなら、なんで言葉が通じるのよ? 私はずっと日本語喋ってるのに」
静羽の問いに、エトヴァはギクッとなる。
「あ、えーと、そ、それは・・・ わ、私も共通語のエスワリ語を話しているだけなのですが、そ、それが何故通じているかは、わ、解っていなくて・・・」
冷や汗を流しながら、しどろもどろに答えるエトヴァに、静羽は、してやったりという顔になった。
「ほーら、早速ぼろが出たわね。私だってその手の小説とか読んだことあるんだから、騙そうったってそうはいかないわよ!」
静羽はそう言って一歩前に踏み出す。
「だ、騙そうなどとは・・・ あっ! そうだ! こ、言葉は何故か通じるのですが、文字は通じないんですよ!」
エトヴァは転がるようにして壁際の書棚に駆け寄ると、そこからいくつか分厚い本を取ってきて静羽の前で開いて見せた。
疑わしい視線をエトヴァに送ってから開かれたページに目を落とすと、そこには見たことのない文字がびっしり書かれていた。情報社会になった現代では、世界で使われているほとんどの文字は、読めないにしても見たことはあり、それがどの辺りで使われているものかくらいは簡単に知ることができる。静羽も世界史は得意科目の一つで、普通の人よりは知っているという自信があったが、そこに書かれている文字は今まで見たことのあるどの言語にも当てはまらない。
とりあえず構えていたクロスを下ろすと、開かれた本を何ページか捲ってみる。
「・・・確かに見たことないの無い文字だけど、こんなのデタラメに書けば、それっぽく見えるわ。これじゃあ証拠にはならないわね」
口ではそう言ったが、内心ではもしかしたらという考えが浮かんできていた。デタラメに書こうと思えばできるかもしれないが、知らない文字ながらも流暢に書かれているように見える文字列には、英語の文法のような規則性がみてとれていた。
静羽の言葉にエトヴァはがっくりと肩を落として、頭を抱えた。
「これでも駄目ですか・・・ あぁ、どうしたら信じてもらえるのでしょう・・・」
そんなエトヴァの必死な様子に、静羽はつい気の毒に思えてきたが、ここは情に流されてはいけないと努めて厳しい表情をする。
暫し頭を抱えていたエトヴァが突然ハッと顔を上げた。
「そうだ! あれを見て頂ければすぐに納得してもらえたのでした!」
エトヴァはすくっと立ち上がると、一瞬前とは打って変わって自信満々の顔で言う。
「今度は間違いありません! これ以上ないっていう証拠をお見せしましょう!」
そういうとエトヴァは部屋を横切ると、閉められていた豪奢なカーテンをシャッと開ける。そして床まである大きな窓を開け放った。外はバルコニーになっているようだ。エトヴァはバルコニーへ一歩出たところで振り返り、静羽に手招きをする。
外を見ろということなのだろう。まさか、どこかのアニメのようにお城ごと空に浮かんでいました、なんてオチではないでしょうね。などと考えながら、静羽は恐る恐る近付いていく。
静羽は窓際まできて立ち止まった。爽やかな風が頬を撫でる。思わず深呼吸すると自然な澄んだ空気に満たされる。バルコニーは日本の家屋では考えられないほど広かった。そのため、ここからでは夕暮れの空しか見えない。隣にいるエトヴァに促され、バルコニーに出る。そのまま真っ直ぐに端の手摺りまで歩いていく。
「うわぁー すごーい!」
眼下に広がる景色に思わず感嘆の声を上げた。高台にある城から伸びる緩やかな傾斜面に、周りを囲むように街並みが広がっている。遠くの街の端には高い城壁が連なり、その向こうは何処まで続いているか判らない深い森に囲まれている。左手は小高い丘になっておりその奥には険しい山脈が見え、右手は広大な平原が広がっていた。
街並みに目を戻すと、建ち並ぶ家々の煙突から白い煙が上がっている。夕飯の支度が始まっているのだろう。大きな通りには篝火が焚かれ夕餉のひと時を楽しむ人々で活気に満ちているようだ。
しかし、その街並みや人々の服装が普通ではない。歴史映画やファンタジー映画に登場するような中世ヨーロッパの風景だった。家はレンガで造られており、現代建築のような素材は一切使っていないように見える。電線や電柱らしきものも見当たらない。人々の様子も自然で本当にそこで生活しているようだ。
確かに、目の前の風景は、自分の世界の現実とは掛け離れている。しかし、これが映画のように全部セットで、みんなで大芝居をしているのだという可能性はまだある。自分ひとりを騙すためやっているのだとすれば、ちょっと大掛かり過ぎる気もするが。
疑り深いかもしれないが、ここが異世界だなんて夢物語を簡単に信じるわけにはいかない。それを言おうと振り返ると、エトヴァが笑顔で空を指差す。釣られて空を見上げて、そのまま静羽は硬直した。
「・・・う・・・そ・・・」
日が沈んで黒さを増していく夕空に星が瞬き始めている。そして明るく輝く満月が二つ。
「・・・月が・・・二つ・・・」
そう、中天に輝く月が二つ浮かんでいる。一つは見慣れた白い月。そしてもう一つは白い月の倍の直径はありそうな赤銅色に鈍く輝く月。いや、月というより宇宙関係の図鑑の写真でみるような惑星に近いような気がする。
静羽は我に返ると両目をゴシゴシと擦った。きっと錯覚だ。急に遠い所を見たから目の焦点が合わなかっただけに違いない。ゆっくり目を開いて恐る恐る空を見上げる。まだ二つある。おかしい。まだ目の錯覚が直らない。静羽は再び目を擦って見たが、それでも月は一つにならない。今度は手で片目を塞いで見てみた。それでも二つ。
「まさか・・・そんな・・・そんな・・・はずない」
何をしても消えない二つの月を静羽は呆然と見つめるしかなかった。
「これで信じて頂けましたでしょうか?」
視線を戻すと、エトヴァが側に立って、勝ち誇ったような顔をしていた。
「あなた方の世界では、月は一つしかないと聞いています。ですが、この世界の月は二つ。これが動かしようのない事実なのです」
「・・・本当に、違う世界な・・・の?」
エトヴァがはっきり頷くのを見て、静羽は大きな溜息をつくと、力なく項垂れた。そんなファンタジーなことが現実に、しかも自分が体験することになろうとは・・・
「もうすぐ夏ですが夜風はまだ冷たいです。お部屋に戻りましょう」
さすがに気の毒に思ったのか、気遣わしげなエトヴァに促されて静羽は部屋に戻った。
静羽は長椅子の背凭れに身を預けて、天井の豪華なシャンデリアに揺らぐ蝋燭の炎をぼんやりと眺めながら、もう一度今の状況を頭の中で整理することにした。
予想外のことに、自分は外国どころか異世界に連れてこられたらしい。未だに信じられないが事実として受け入れざるを得ない。誘拐されたことには変わりないのだが、異世界となればここから逃げ出せばいいというわけにもいかない。恐らくは自力で戻るのは不可能なのだろう。読んだことのあるその手の小説では、大抵は何かしらの使命を押し付けられて、それをクリアしないと還してもらえないという話だったと思う。中には還る方法が判らず探し続けるっという話もあるが、今回は明らかに、このエトヴァという男に連れて来られたので、還す方法も知っているに違いない。そういえば最初の部屋でエトヴァは言っていたではないか。還すことはできるが今すぐは無理で、何日か後であると。ということは還してくれる意思があるということだと思われる。ならば聞ける範囲で言うことを聞いて、ちゃんと還してもらうのが一番かもしれない。
よし! そうしよう! 静羽は頭を切り替えると、体を起こして居住まいを正す。エトヴァはこちらが落ち着くまでじっと黙って待っていてくれたようだ。
「・・・大丈夫ですか?」
「うん。たぶん・・・ それより、ちゃんと説明はしてもらえるんでしょうね?」
静羽の言葉にホッと胸を撫で下ろすと、エトヴァも居住まいを正し、表情を改めた。
「では、改めまして。わたくしは、エトヴィエル・シーブック・アクトバスと申します。ファラミス神殿の神官で、縁あってこちらの、ここエクリムス王国の、王国顧問神官長を務めてあります。以後、お見知りおきを」
そういって丁寧に頭を下げるエトヴァに、釣られて静羽も頭を下げる。若そうに見えるのに神官長とは、意外にエリートなのかもしれない。
「ここは、エクリムス王国の首都サイフォムにあります王城です。この部屋は神殿関係者用の部屋となっていまして、現在王城に詰めている神殿関係者は、私だけとなっております・・・」
最後の言葉に僅かに憐憫な響きを感じて、静羽はおや?っと思った。
「そうでした、まず何よりも謝罪をしなければなりませんでした・・・ オクムラ・シズハ様、この度はこちらの勝手で十分な説明もできないまま、無理やり連れてくるような形になってしまい誠に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるエトヴァに、静羽は苦笑を返すしかなかった。
「確かに、こんなところに無理やり連れて来られたことにはまだまだ文句を言いたいところだけど・・・ まあ、もういいわ。一矢報いたし」
溜息まじりに答えると、エトヴァも苦笑しながら自分の後頭部を擦った。
「ありがとうございます。そういって頂けると助かります」
「それで、ここで私に何をさせたいの?」
静羽の問いに、エトヴァは再び表情を改める。
「エクリムス王国を、王国陛下をお救い頂きたいのです!」
直球できた。しかもストレートのど真ん中で。まさかとは思っていたが本当に小説の世界になってしまった。無理よ!と叫びたいのをグッと我慢する。
「・・・具体的に、何がどうなっているの?」
「先ほど、この城が呪われていると言いましたが、正確には城ではなく、王家が呪われているのです・・・」
「王家が・・・ ということは・・・」
「はい。現エクリムス国王、アルフレッド・キルウォルフ・リーク・エクリムス様がその呪いによって、ずっと原因不明の病に臥せっておられるのです・・・」
辛そうな顔のエトヴァを見て、静羽はあることに気付いた。
「もしかして、その王様って、あなたの・・・」
「そうですね・・・アルフレッド国王陛下は、アルフは、私の幼馴染なのです・・・」
エトヴァは何処か遠くを見るように、虚空を見詰め、少し長くなりますがと前置きをして語り始めた。
「アルフは前国王が崩御なされるまでは、私と同じファラミス神殿にいました。ファラミス神殿には孤児院があり、アルフと私はそこで孤児として育てられ、神官の勉強をしながら暮らしていたのです。それが、前国王が崩御されると突然城から遣いが来て、実はアルフが崩御された国王の実子だと告げたのです。前国王には子供はいないと公表させていましたが、それは王家に掛かる呪いから王子であるアルフを守るためだったのです」
「呪いから守る・・・」
「そうです。この国では、王家の人間は長くは生きられないのです・・・」
「長く生きられない? それが呪い?」
静羽が僅かに眉を顰めると、エトヴァは重々しく頷く。
「エクリムス王国は近隣でも最も歴史の古い王国です。今から約百五十年前までは、賢王フェリス二世のおかげで平和で活気に満ちた豊かな国でした。賢王フェリス二世は三百年ほど前の王で、政治、外交に非常に優れた手腕を発揮した王でした。この王が在位中三十年掛けて周辺諸国と、無期限同盟を外交によって実現させたのです。
そして、欲が満たされれば戦は起きないという持論の下、領土が欲しい国には、自国の不要な領土を買い取らせたり、富が欲しい国にはいくつかの貿易特権を与えたりと、各国が欲しいものをうまく配分して、他国を侵略したくなる要因を潰していったのです。そして、その十年後にはついに自国と諸国の軍隊を解散させて、平和同盟の宣言をなされたのです」
静羽は素直に感心した。科学の進んだ自分の世界では軍隊も戦争はなくならないのに、この世界では何百年も前に軍隊を解散させていたなんて。
「それからしばらくは、エクリムスも諸国も平和で豊かな時代が続きました。それが百五十年ほど前の、残虐王バムトの時代から変わってしまいました。バムトの前王は男子に恵まれませんでした。女王が認められていないこの国では王女が婿を取ってその者が王となります。
バムトはその当時の宰相の長男でした。誠実で宰相の父を助け、諸官の評判も良く、何より当時の王女ソフィアが見初めていたので満場一致で次期国王に決定したそうです。
しかし、それはバムトの表向きの顔だったのです。バムトは幼少の頃から残虐な性質があったそうで、最初は小動物、次は犬猫、次は馬と残虐な行為を繰り返していたそうです。そして成人すると、その対象はついに人間に移りました。秘密裏に別邸を建てて、そこで残虐の限りを尽していたといいます。
そして、一旦国王の座に就くとその残虐性が一気に表に出てきてしまったのです。逆らう者は容赦なく、罪科がない者には罪を捏造して拷問に掛け惨殺していったのです」
「じゃあ、さっきの部屋は、もしかして・・・・・・」
先ほどの残酷なシーンがまざまざと浮かんできて、静羽は身震いして自らの肩を抱いた。
「そう、あの部屋で何百人もの人が拷問され、殺されていったのです」
「なんてこと・・・・・・」
では、あの廊下に彷徨う夥しい無残な霊たちはその被害者たちなのか。静羽は寒気を覚えた。
「そして一番悲惨であったのが、その王妃です。それまで優しく誠実であった想い人が、ある日突然豹変したのですから。以前の彼を信じて必死に正気に戻るように説得しましたが、その度にひどい暴力を受けたそうです。王妃として逃げることのできない彼女に、城内の者もバムトの報復を恐れて助けることができませんでした。
しかし、その中にも救いの手はありました。王妃の身辺警護をしていた騎士の一人が、人目の無い所で王妃を励まし支えになっていたのです。そうした二人に愛が芽生えるのに、長い時間は必要としなかったでしょう。そうして密かに内通していた二人は、王妃の懐妊を機に、ついに逃亡を決意したのです。しかし・・・・・・」
「まさか・・・捕まっちゃったの?」
恐ろしい結末が予想できてしまい静羽も段々聞くのが怖くなってきた。エトヴァも悲痛な表情をたたえている。
「残念ながら・・・・・・密告によって逃亡直前に、二人はバムトに捕まってしまいました。怒り狂ったバムトはその騎士に死ぬ手前まであらゆる拷問を掛け、生きたまま野犬に喰わせたのです。すべて王妃の目の前で・・・・・・」
「・・・ひどい・・・・・・」
「それでも怒りの収まらないバムトの矛先は、次に王妃に向けられました。執拗なまでの暴力に美しかった王妃の顔は見る影もなくなったといいます。そして激しい暴力にも必死に腹部を庇おうとする王妃に、ついにバムトは王妃が身篭っていることに気付いてしまいました。血に飢えて性欲に乏しかったバムト自身の子ではないことは明白で、更に怒り狂って、泣いて許しを乞う王妃を押さえ付けてお腹の子を・・・」
「やめて!!」
静羽は両耳を塞いで叫んだ。あまりにも惨過ぎる。
「・・・失礼しました。女性の方にする話ではなかったですね。お許し下さい・・・ そして、王妃は一命は取り留めましたが、その日から感情の一切をなくしてしまわれたそうです。人形になってしまった王妃にバムトも興味を無くして後宮に幽閉してしまったそうです。それ以来王妃の姿を見たものはありませんでした。ただ王妃を後宮に連れて行った侍女が、扉を閉じる直前に王妃の呟きを聞いたと言います。ただ一言、『お恨みします』と・・・・・・
バムトはその後、やっと蜂起した仕官たちに討ち取られました。それで全てが終わったかのように見えたのですが、それ以後国王になった者はみな短命なのです。それまで健康であったにも関わらず。また、その王妃になった者も身篭ってもすぐに流れてしまうのです。それが三代続いたところで、人々は、これは王妃ソフィアの呪いだと囁き始めたのです。そしてついにアルフの父上、前国王が諸侯の中から選ばれてしまったのです」
「でも、アルフさんはご無事だったんでしょ?」
「はい。幸いにも。これにはアルフの御父君の秘策があったためです。それまで経緯から、この呪いは国王の座に就いた時、戴冠が済んだ後から始まるものと考えた御父君は、次期国王に選ばれたその日のうちに、その時既にアルフを身篭っていた奥様と離縁なされたのです」
静羽はなるほどと思った。離婚して家族でなくなれば呪いから逃れられると考えたのだろう。そしてそれはうまくいっていたのだ。
「しかし、難産だったため、元々身体の弱かった奥様は、それから程なくして御亡くなりになってしまわれたのです」
「まあ、可哀相に・・・・・・それで孤児院に?」
「はい。本当に呪いから逃れられるか判らなかったので、できるだけ王家の関係から遠ざけたかったのでしょう。しかし結局は王座に就くことになってしまいました。玉座に座ること、それは死の代名詞です。誰も国王になどなりたくはないのです。そのとき前王の実子がいるという情報が漏れてしまい、アルフは連れて行かれてしまったのです・・・」
辛そうなエトヴァに静羽も同情した。国王になれば死ぬと判っているのだ。
「そうだったんだ・・・・・・辛いよね・・・」
「はい・・・アルフは王位に就いた途端に、やはり急に体調を崩し始めたのです。それまで風邪もろくにひいたこともなかったのに・・・私はファラミス神殿の大神官様に懇願してエクリムス王国の顧問神官にさせて頂きました・・・アルフには小さい頃からよく助けられました。気が弱くよく苛められた私をいつも助けてくれていたのです。今度は、今度こそ私が彼を助けたいのです! ですが、どうしても駄目なのです! 何をやっても! 神官十人掛かりで祈祷しても、各神殿の霊験あらたかな品物を揃えても!」
エトヴァは悔しそうに拳を自分の膝に打ち付ける。そんな様子を見て人情に厚い静羽は何とかしてあげたいと思ったが、相手は何百年もの間、王家に取り憑いてきた強大な呪いなのだ。自分にどうにかできるレベルの問題ではない。
「事情はだいたい判ったわ。でも、申し訳ないんだけど、私では力になれないわ・・・」
静羽の言葉に、エトヴァはショックを受けた。
「・・・え? 力になれないって・・・な、何故なのでしょう?」
「確かに、私は霊を視ることができるわ。でも、ただそれだけ。私には御祓いしたりとか、呪いを解くとか、そういう力はないから」
エトヴァは一瞬絶望したような顔になったが、ブルブルと頭を振ると身を乗り出す。
「い、いいえ! あなたなら絶対に大丈夫です! きっとアルフを救うことができます!」
急なエトヴァの鬼気迫る勢いに、静羽は驚いて思わず退いてしまう。
「お、落ち着いて。信じたい気持ちは判るけど・・・」
「いいえ! きっとやれます! 私にはわかります!」
「・・・どうしてそんなことが判るのよ?」
その問いに、エトヴァは胸を張って答えた。
「私の勘です!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・無理」
「できます!」
「無理無理無理って、絶対に無理!」
「絶対に、絶対に、絶対にできます!」
我慢の限界だった。静羽は立ち上がって大声で言い返す。
「だから、無理だって! 確かに霊は視えるけど、それ以外に何もできないんだって言ってるでしょ!」
「いいえ! きっとあなたならお出来になります! 先程も下の廊下で次々に霊を消されて、この部屋でも霊を全部消し去ったではありませんか!」
言われて静羽はウッと詰まってしまった。
「そ、それは、このクロスに退魔の護符が巻き付けてあって・・・ さ、さっきのだって教えてもらったおまじないをしただけなんだから。私の、力じゃ・・・ないわ・・・」
必死に否定しようとしたが、確かに除霊の真似事を既にしてしまっているので、最後の方は声も小さくなってしまった。
静羽は詳しく知らないが、それは“九字護身法”と言って、密教や修験道に伝わる呪文で、邪を粉砕し撃退させる強力な呪法である。通常は厳しい修行を積んで霊力を高めた者でなければ唱えたところで何の効力もないが、静羽の場合はクロスに巻き付けてある強力な退魔の護符の力で同様の威力を出せるのである。
「それだけで十分です! 今までの方々より数倍はましですよ! お願い致します! オクムラ・シズハ様! お力を御貸し下さい! どうかこの通りです!」
そういうとエトヴァは静羽に向かって頭を下げた。勢い余ってテーブルに額を打ち付けて涙目になるが、再度頭を下げて懇願した。
静羽はそんなエトヴァの真摯な態度に心打たれていた。自分にできることはほとんどないかもしれない。だが、すぐに帰ることもできないのだ。いる間だけでもできることはしてあげよう。
「・・・わかったわ。わかったから、顔を上げて」
静羽がそう言うと、エトヴァは恐る恐る顔を上げた。
「本当に?・・・本当に助けて頂けるのですか?」
エトヴァが確認するように訊くのに、静羽は渋々ながら頷いた。
「こうなったら仕方ないわ。できる限りのことはしてみる。でも助けられるかなんて判らないわよ。私は霊媒師じゃないんだから」
それを聞くとエトヴァは飛び上がって喜んだ。信仰しているファラミス神に感謝の祈りを捧げ、テーブルを周って静羽の前に跪くと、静羽の右手を恭しく取って手の甲に自分の額を乗せるようにする。
「ありがとうございます。オクムラ・シズハ様。私の救世主さま・・・」
貴婦人に対する最高礼でもってエトヴァは感謝を示した。静羽はそんな貴族みたいなことは経験がないので、真っ赤になって慌てて手を引っ込めた。
「や、やめてよ。私は救世主なんかじゃないから! それに、元の世界にちゃんと帰すって約束して!」
「もちろんです。ファラミス神に誓って、次の満月には元の世界にお帰し致します。ご安心を。オクムラ・シズハ様」
にこやかに言うエトヴァに、静羽は念を押した。
「約束よ。もし、うまくいかなくても、ちゃんと帰してよね」
「はい、必ず。お約束致します」
「ところで、ずっと気になっていたんだけど、私の他にもこの世界に連れてきた人がいるの?」
静羽の世界では月が一つであることや、次元って言葉を知っていたり、それに先程、他の方々よりマシだとか言っていた。
静羽の鋭い指摘に、エトヴァは思わずギクリとする。
「・・・す、鋭いですね。はい、確かに以前、三名ほど・・・」
「えぇ! 三人も? その人達はどうなったの?」
「もちろん、ちゃんと元の世界にお帰り頂きましたよ。お帰り頂くまでが大変でしたが・・・」
「どういうこと?」
エトヴァは疲れたように大きな溜息をつくと渋々と話し始めた。
「・・・そもそも冗談みたいな召喚呪文なんて試してみたのが間違いだったのです。国王陛下を、アルフを助けようと、神殿秘蔵の魔法書を端から試していたのです。そして最後に、後から書き足されたような『困ったときの救世主召喚法』などという冗談としか思えない呪文を・・・」
「・・・確かに冗談にしか聞こえないわね」
静羽もそのあまりの安直な名前に苦笑するしかなかった。
「ですが、まさか本当に異世界への道が開くなどとは思ってもみませんでした。これでアルフを救える!と思った私は後先考えずに、目の前の光の門へ飛び込みました。そこを抜ければきっと救世主に会えるのだと信じていた私は、そちらの世界で最初にお会いした方にこちらへ来て頂いたのです」
「どんな人だったの?」
「・・・若いお嬢さんでした。確か、オクムラ・シズハ様と同じような服装をしていましたね。よく日に焼けた顔をしていらして、オクムラ・シズハ様とは違う明るい茶色の髪でしたね。唇も瞼も違う色をしていて、見た事もないご容姿だったので、てっきりこの方が救世主様かと思って・・・」
コギャルね。と静羽は苦笑した。確かにコギャルのファッションはこちらの人間にはさぞ奇抜に見えただろう。
「よくこっちに来てくれたわね。それとも私みたいに無理やりかしら?」
多少皮肉を込めて静羽が言うと、エトヴァは焦って首を振る。
「い、いえいえ! 決してそのようなことは! あなたのときは本当に時間がなかったので・・・」
「どうだか。まあいいわ。それで?」
あまり苛めるのも可哀相なので、話を促す。エトヴァは冷や汗を拭いながら続けた。
「え、えーと、一緒に来て欲しいとお願いすると割りとあっさり承諾して下さいました。しかしその後が大変でした。てっきりすぐにアルフを助けて下さるのかと思ったのですが、そんなの知らない、できないと仰られて・・・アルフのことはそっちのけで次々とドレスや宝石類を所望させて・・・・・・何より困ったのは、話す言葉が良く理解出来なかったのです。オクムラ・シズハ様と違い、言葉を省略したり逆さまに言ったり・・・」
コギャル語ね。と静羽は同意するように頷いた。最近は流行は過ぎた感があるが、たまに町中で見掛けるコギャルの言葉は、私でも半分以上は理解できない。うちの学園はお嬢様学校なのでそんな話し方をする者はいないのだ。
「来て頂いて無下にすることもできず、適当に遊んでもらい次の満月に帰って頂きましたが、後で城中の者に白い目で見られてしまいました。
そして次は男性の方に来て頂いたのです。今度はちゃんと事情をご説明して来て頂きましたが・・・ 失礼ですがこれも外れでした。一見気弱そうな方でしたが、こちらに来るなり俄然張り切られて、やれ剣士と魔術師と神官と盗賊を連れて来いとか、やれ魔王は何処だ!とか。なぜ盗賊が必要なのか判らなかったのですが・・・」
ゲーム・オタクね。RPGそのままだわ。静羽はもはや苦笑するしかなかった。
「そして、王家秘宝の宝剣や武具を持ち出して振り回した挙句、次の日には筋肉痛だとか仰られて・・・後は飲んだり食べたりばかりで・・・次の方は部屋から一歩も出ずにだた寝てるだけでしたし・・・・・・」
静羽もいい加減に馬鹿馬鹿しくなってきた。
「それで、次に私って訳ね」
「はい・・・ ですが、やっとちゃんとした方を見付けることができました! アルフを救えるのはオクムラ・シズハ様しかおりません! 他の方は霊を感じることすらできなったのですから!」
そう息巻いていうエトヴァに、静羽は嫌そうな顔で言った。
「それは、もういいから・・・ ところで毎回名前をフルネームで呼ばないで。なんか変だわ」
言われてエトヴァはキョトンとして訊き返す。
「そうなのですか? では、なんとお呼びすれば良いのでしょう?」
「静羽でいいわ。そっちが名になるから」
「なるほど。後ろの方が名になるのですね? ・・・シズハ様。これで宜しいでしょうか?」
「様は、いらないわ。シズハでいいわよ」
「いいえ! そんな呼び捨てなど恐れ多い! で、では、シズハ殿、ではいかがでしょうか?」
「うーん。まあ、いいわ。あなたは、エトヴァさん、でいいかしら?」
エトヴァは満面の笑顔で頷いた。名前を覚えてくれていたことが嬉しかった。
「じゃあ、よろしく。エトヴァさん」
「はい! こちらこそ、宜しくお願い致します! シズハ殿」
そう言って二人は笑い合った。やっと雰囲気が明るくなってエトヴァは内心ホッとしていた。今度の方こそ間違いない。能力はもちろんのこと、話し方もしっかりしていて礼儀正しい。真っ直ぐに見詰めてくる瞳にも強い意志の光が見える。この方こそアルフを救ってくれるに違いない。
「それで、アルフさんって、今はどんなご様子なの?」
「そうですね・・・・・・とりあえずは、お会いして頂くのが一番早いかもしれないですね」
それを聞いた静羽はちょっと驚いた。
「会うの? 今から?」
「はい。善は急げと申しますし。これからお引き会わせ致します。どうぞ、こちらへ」
そういうとエトヴァは早速ドアに向かって歩き出す。またあの霊の大群の中を通るのかと思うと静羽はかなり憂鬱になった。
「・・・また、あそこ通るの?」
嫌そうな顔の静羽にエトヴァは安心させるように笑って答えた。
「ご心配なく。もうあそこは通りませんよ。国王の部屋は最上階ですから。そこまでの間は霊は少ないはずです」
「・・・だと、いいのだけれど・・・・・・」
部屋を出た静羽とエトヴァは、そのまま城の最上階へと上がっていった。エトヴァの言った通りこの辺りは空気が軽かった。霊がいないわけではないが、あの地下のような無残な姿の物はいない。ここの霊たちはみな中世貴族のような姿をしていて表情も穏やかだった。静羽が視えることが判って優雅にお辞儀してくるものもいる。静羽も思わず律儀にお辞儀を返してしまう。
「本当に霊たちがお視えになるのですね」
エトヴァは尊敬の眼差しで静羽を見た。そんなエトヴァに静羽は苦笑を返した。
「なんか、こっちに来てから余計よく視えるようになったみたい」
窓からの月明かりで廊下はぼんやりと明るかった。静羽はふと窓辺に寄って眼下を見下ろした。先程見たときと同様に現代ではない街並みが眼下に広がっている。
「・・・本当に異世界なのね・・・・・・」
改めて実感して静羽はそっと溜息をついた。