1.お城で除霊?
光の中は眩しくて目を開けていられなかった。
男に引かれて二,三歩よろけたところで、周りの空気が変わったことに気付く。
ひんやりとした空気は湿り気を帯びて微かにカビ臭い。
明らかに数秒前の空気とは違う。
少しして瞼に感じる光りが薄れると、静羽はゆっくりと目を開く。
まず大きな蝋燭が目に入った。次に薄暗い石造りの壁が見える。
足元を見ると自分の周りに何か円形の印が淡く光っている。これはテレビか何かで見た事がある。確か魔方陣とかいうものだ。
目が慣れてくると辺りの様子がはっきりしてきた。
学校の教室ほどの石作りの小さな部屋で家具らしいものは一切ない。左手にドアが一つあるだけだ。
「ようこそ。エクリムスへ」
声がする方を見ると、目の前にあの男、エトヴァが立っていた。
「あ・・・! は、放して!」
まだ腕を捕まれていたことに気付いて、慌てて振り解くと、今度はエトヴァもあっさりと手を放した。
静羽は後退りながら叫ぶ。
「なによ! ここは何処なのよ! なんでこんな所にいるの?!」
ついさっきまで家の近くの路上にいたはずなのに、光の中に連れ込まれて、目を開けたら見知らぬ小部屋の中だ。
静羽は我知らず、手にしたクロスを目の前に構える。
それに対してエトヴァは深々と頭を下げた。
「手荒な真似をしたことは、お詫び致します。オクムラ・シズハ様。ここは王城です。・・・エクリムス王国の」
エトヴァは先ほどまでとは打って変わって、冷静な態度で静かに答えた。
「王城ですって?! 何を言ってるの? さっきまで道にいたのに・・・!!」
そこまで言って静羽は、ハッと何かに気付いたように、構えたクロスを胸元に引き寄せる。
「わ、わかった! あなた、私にクロロホルムかなにか嗅がせて、眠らせてこんな所に連れてきたのね! それで、それで・・・」
「クロロ? なんですか? それは? ともかく私はあなた様を眠らせてなどいませんよ。腕を引っ張ってきただけです」
静羽は思いっきり疑わしげなジト目で、エトヴァを見返す。
「ほ、本当ですよ! 国王陛下をお救い下さるお方に、そんなご無体な事などしようはずもありません!」
焦って弁解するエトヴァを信じた訳ではないが、確かに衣服に乱れたところもなく、身体に違和感もないので一先ず安心する。
「まあ、それはいいです。でも、とにかくすぐ帰してください!」
静羽がそう言って迫ると、エトヴァは急にそわそわと落ち着きなく、視線を宙に漂わせる。
「あ、あの、還して差し上げることはできるのですが・・・
その、“道”を開けることができるのは満月の時だけなので・・・
だから、その、すぐには・・・」
「何を訳の判らないこと言っているの? 早く元の所に帰して! さあ!!」
クロスを構えて一歩一歩近付いてくる静羽に、先ほど一撃食らったエトヴァは身の危険を感じて後退る。
「だ、だから、す、すぐには無理なのです!」
「だったら、いつなの!!」
壁際まで追い詰められて、逃げ場を失ったエトヴァは、ダラダラと汗を垂らしながら、指折り数える。
「え、えーと、つ、次の満月までだから、よ、四十八日後・・・かな・・・」
静羽は眉を顰めて、もう一度訊き返した。
「・・・いつ、ですって?」
「四十八日後、です・・・」
脱力したようにクロスを下ろすと、静羽は深い溜息をついた。
「話にならないわ・・・ もういいです。頼みません。自分で帰ります」
そういうと静羽はドアに向かって歩き出す。
「い、いや、しかし・・・」
エトヴァが引き止めようとするのを、キッと一睨みで黙らせる。
そうして勢いよくドアを開けて一歩出ると、振り向き様に思いっきりドアを閉めた。
バターンッという音が辺りに木霊する。
「まったく! なに考えてるのかしら! やっぱり無視しておけばよかったわ!」
目の前のドアに悪態をついて、ベーと舌を出すと踵を返す。
「・・・え?」
振り返った静羽は、その場に凍りつく。
そこは広い廊下だった。
天井がアーチ状になった石造りの西洋風の趣きだ。静かに燃える松明が点々と壁に置かれているが、辺りを明るくするのにはあまり役には立っていない。
そして霊たち。その数が尋常ではなかった。
さながら幽霊たちがパーティーでもやっているかのようだ。
しかもその大半がまともではない。五体満足なものはほとんどおらず、腕や足が無いもの。首の無いもの。無残な傷跡から止め処なく血を流すもの。はみ出た内臓を引き摺って歩くもの。
そこは、まるで地獄絵図だった。
「な、なに・・・ これ・・・なんなの・・・」
静羽は真っ青になって後退る。
今までも無残な霊の姿は視た事はあったが、ここまで凄惨なものは初めてだ。
「やはり、お視えになったのですね・・・」
突然の声に振り返ると、エトヴァが悲痛な表情で立っていた。
「この城は・・・呪われているのです・・・」
呆然としていると、急に足元が冷やっとした。視ると長い髪の女性の霊がうつ伏せのまま静羽の足首を掴んでいる。
さぁっと血の気の引く。視ればその霊は腰から下が無い。身体を引き摺ってきたように床に血の赤い跡が延々と伸びている。
「ひっ!」
静羽が小さく悲鳴を上げると、その女性の霊はゆっくりと顔を上げた。下顎が無い。
静羽と目が合うとその霊はニヤッと笑う。下顎が無いので判るはずもないが、確かに笑ったのだ。
「い・・・い、いやーっ!!!」
静羽は悲鳴を上げると、無我夢中で逃げ出した。
「あ、オクムラ・シズハ様!? 待って下さい!」
エトヴァの制止も聞かず、静羽はクロスを振り回しながら走っていく。
クロスに触れた霊は端から霧散していく。
エトヴァは場違いながら、その静羽の勇姿(?)に感動した。はやり自分の見込んだ通りのお方だったと。
「・・・ですが、そちらは行き止まり」
エトヴァの囁きは、もちろん静羽には届かなかった。
必死に走っていたが静羽は遂に立ち止まる。
ラクロスで走ることは鍛えていたが、ここは空気が重く、いつも以上に息が続かないのだ。
止まってしまうと足の震えが止まらない。霊が視えることは日常茶飯事だが、スプラッタ系ホラー映画は嫌いだった。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
そんなことにはお構いなしに、霊はわらわらと寄ってくる。
再び走り出そうとするが、見ればそこは行き止まりだ。周りを見回して近くにあったドアを開けて飛び込んだ。
後ろ手にドアを閉めると大きな息をついた。呼吸を落ち着かせながら、薄暗い部屋を見回す。
部屋には、長細いテーブルが中心に置かれ、壁には人の背丈以上はある、大きな板が立て掛けてあるだけだ。
よろよろと部屋の中央に置かれたテーブルへ近寄ってみると、テーブルには何もなく、しかし何に使うのか短めのベルトがいくつか固定されている。
この部屋に入ってから、更に呼吸が苦しくなり、何か重いものを背負っているように身体が重い。
立っているのが辛くなってテーブルに両手をつく。
途端に耳を劈くような叫び声が聞こえた。
ビクッとして顔を上げると、何もなかったはずのテーブルの上に、見知らぬ男が横になっていて、絶えず叫び声を上げてもがいている。
見れば男の両手両足は、ベルトでテーブルに固定されていた。
テーブルの周りには三人の男たちがいて、皆残忍な顔で笑いながら、横たわる男を見下ろしている。
(なに・・・ これ・・・)
静羽は後ろに下がろうしたが、身体は金縛りにあったように動かない。いや実際に金縛りなのかもしれない。
男たちは何やら短く話をして頷きあう。一人が手にしていた物を持ち上げた。短剣のようだ。
蝋燭の光に浮かんだその白刃は何かで濡れている。切っ先に溜まっていた雫がテーブルに落ちて赤い斑点を描いた。
血だ。他の者がもがく男の右手を無理やり抑え付け、握ろうとする指を無理やり伸ばす。短剣がその手の上に翳される。
(な、なにを、するの・・・)
良く見ると、横たわる男の左手の辺りに血溜まりができていて、そして、その手には指が無かった。
(! まさか! そんな・・・や、めて)
男たちが何をしようとしているのか判ってしまった静羽は、必死に逃げようとするが、身体はピクリとも動かない。顔を叛けることも目を逸らすこともできない。
男が口元に歪んだ笑みを浮かべながら短剣を振り上げた。目は狂喜に見開いている。横たわる男に向かって短剣が振り下ろされる。
(いやーっ!!)
力の限りに叫ぶと、急に身体がフッと軽くなった。慌ててテーブルから手を離して壁際に逃げる。
もう男の叫びは聞こえて来ない。恐る恐るテーブルの方に目をやると、入ってきた時と同様に、何もないテーブルがあるだけだった。男たちの姿も見えない。
「はぁはぁ・・・何だったの・・・いったい・・・」
壁に背を預けて呼吸を整える。ただ息苦しさは変わっていない。
重い身体を支えようと壁に手を向けると、木の感触がある何かに触れた。
その瞬間、男の哄笑が部屋中に響く。
驚いて見ると、上半身裸の大男が少し離れたところから、こちらに向かって高笑いをしていた。
その男は笑いながら、おもむろに手にした物を振り上げて、そして鋭く振り下ろす。
ヒュンッと空気が鳴る音がしたかと思うと、バシッという音と同時に別の叫び声が響いた。
恐る恐る横を見ると、別の男が壁に向かい合う形で、木の板に張り付けられていた。静羽の方に向いた顔は苦痛と恐怖に歪んでいる。
再び空気が鳴る音と共にその男が叫び声を上げる。鞭で打たれているのだ。その背中にはいくつも黒ずんだ跡が付いている。
連続して空気が鳴る。男は叫び声を上げながら、縛られた手を必死に伸ばして、静羽の手を掴もうともがく。
(いやーっ!!!)
静羽が叫ぶと、再び何もない静寂の部屋に戻った。
「・・・もう、嫌・・・」
その場にへたり込んだ。このまま気を失った方がどれだけ楽か。
「なんで・・・どうしてこんな目に・・・」
ドアが開く音がして誰かが部屋に入ってきたが、静羽にはそれを見る気力もなくなっていた。
「ここは嘗て、拷問部屋だったのです。ここでどれだけの人が犠牲になったか・・・」
入ってきたエトヴァが重々しく言ったが、静羽は聞いていなかった。とにかく息が苦しい。
「オクムラ・シズハ様。ここにいてはお身体に障ります。さあ、こちらへ」
抵抗する気力も既になく、静羽はエトヴァに支えられながら、嘗ての拷問部屋を後にした。
静羽とエトヴァは城内の一室に入っていった。
その部屋は今までのものとは違い、落ち着いた調度品が並べられていて、明るく清潔に保たれていた。
エトヴァは、静羽を長椅子に座らせて言った。
「さあ、ここなら大丈夫です。この部屋はソレル神殿の高価な神具で護られていますから」
少し誇らしげにいうエトヴァであったが・・・
(全然! 大丈夫なんかじゃない!)
静羽は心の中で怒鳴った。確かに下の幽霊パーティー開催中の廊下に比べれば幾分はましだったが、まだ霊がうようよしている。息苦しさも身体に掛かる重さも少しも良くなってはいない。
「・・・あのう、大丈夫ですか?」
辛そうな様子が変わらない静羽に、エトヴァは心配そうに声を掛けた。
実はエトヴァは静羽ほどには霊を視ることができなかった。ある程度強い霊ならば靄のように見えることができるが、だいたいは霊がいることを感じられる程度だ。だから静羽の苦しさまでは判らない。
(もう駄目・・・ なんとかしないと!)
静羽はゆっくりと顔を上げると、囁くように言った。
「し、お、を・・・」
「はい? なんですか?」
聞き取れなかったエトヴァは、屈んで静羽の口元に耳を寄せる。
「・・・お塩を、持って、きて・・・」
「塩? あの料理に使う塩ですか?」
不思議そう聞き返すエトヴァに、静羽はゆっくり頷く。
「構いませんが・・・いったい何を?」
「いいから、早く、そこのグラスいっぱいくらい・・・」
「え? グラス一杯もですか? いやーどうでしょう。ここは内陸なので塩って貴重品なんですよ。料理長にお願いしても、そんなにもらえるかどうかぁ」
それを聞くと静羽はまた何か囁いた。
聞き取れず再びエトヴァは耳を寄せる。
すると、いきなり静羽はエトヴァの胸倉を掴んだ。
「持って、きなさい!」
凄みの効いた声で言われて、エトヴァは冷や汗を浮かべながらコクコクと頷くと、転がるように部屋を飛び出していった。
エトヴァが戻ってきたのは、それから三十分ほど経ってからだった。
「遅くなってすみません! 料理長がなかなか出してくれず、あの手この手で説得していたもので・・・」
おずおずと差し出したグラスには塩が半分ほどしか入っていなかった。
「すみません。これが精一杯でした・・・」
「仕方ない、わね。じゃあ、それを、部屋の四隅に、盛って」
声を絞り出すようにいう静羽の様子に、切迫したものを感じたエトヴァは、言われた通りに部屋の角に飛んで行った。そしてしゃがみ込んでグラスの中の塩を一摘み取ると、床にパラパラと落とした。途端に静羽に怒鳴られる。
「ケチるんじゃない!」
「は! はい! すみません!」
もったいないなぁと思いながら、今度は一掴み取ると床に塩の小山を作る。
同様にして部屋の四隅に塩を盛りつけた。
「できましたよ。これは、いったい何の意味があるのですか?」
エトヴァは殻になったグラスを、未練がましく見ながら静羽に訊いた。
静羽はそれには答えずゆっくり立ち上がると、テーブルに立て掛けてあったラクロスのクロスを取る。
「少し、離れて、いて・・・」
訝しそうな顔のエトヴァが下がったのを確認すると、静羽はゆっくり大きく深呼吸してクロスを構えた。重い身体に鞭打って背筋を伸ばす。
「臨!!」
気合の入った一言と共に、クロスを水平に振るう。
すると部屋のどこかで、パキンッという乾いた音が鳴った。
「兵!!」
今度はクロスを縦に振るう。またパキンパキンと音が鳴る。
「・・・なんの音でしょう?」
エトヴァが不思議そうに周りをキョロキョロする。
これは俗に言う、ラップ音という心霊現象の一つであるが、エトヴァはそれを知る由も無い。
「闘!者!皆!陣!列!在!」
一音毎にクロスを縦横に振っていく。クロスの軌跡を絵に描いたとすると、ちょうどマス目のようになっているはずだ。
静羽が一音言う毎にラップ音が多くなっていく。さすがのエトヴァも初めての現象に身を竦める。
「前!!」
最後の一音を言い切ると同時に、バシィッという、今までで一番大きなラップ音が部屋に響いた。
すると、部屋の空気が一気に軽くなる。心無し蝋燭の明かりも明るくなったような気もする。
やっと息苦しさも身体の重みも取れて楽になると、静羽は新鮮な空気をむさぼるように深呼吸をした。
「すごい! 素晴らしいです! なんか空気が変わりましたね! 霊の存在も感じない!」
エトヴァは感激して、飛び上がる勢いで部屋の中を歩き回っている。
「塩ってすごいんですね! 霊を追い払う効果があるなんて知らなかったです!」
そして部屋の片隅で、自分が盛った塩を感慨深げに眺めていた。
「いやーコルト産の高級ワインと引き替えにした甲斐がありま・・・・ハッ!?」
背後にものすごい殺気を感じて、エトヴァは咄嗟に頭を抱えてしゃがみ込んだ。その頭上を唸りを上げてクロスが通過する。
「な!?」
慌てて横に転がるように逃げて振り返ると、美しい顔を怒りに染めた静羽がクロスを振り上げていた。
「逃げるな!!」
言うが早いか、静羽はクロスを振り下ろす。
「ちょ!? ちょっと待って!」
問答無用で振り下ろされるクロスを、エトヴァは体を捻って辛うじて躱す。案外反射神経はいいのかもしれない。
「逃げるなって言ってるでしょ!」
「ちょっと待って下さい! い、いきなり何をなさるんですか!」
「それはこっちの台詞よ! 無理やりこんな所に連れてきて! しかもなによ! あの幽霊の山は! 私を呪い殺す気?!」
「そ、それは・・・」
「問答無用よ!!」
そう叫ぶと静羽は再びクロスで殴り掛かる。エトヴァは部屋中を駆け回りながら、ギリギリのところで静羽の攻撃を躱していく。
「はぁ、はぁ、いい加減、観念しなさい!」
「はぁ、はぁ、はぁ、ど、どうか落ち着いて下さい!」
高級そうなテーブルを挟んで、二人は息を荒くして睨み合う。
綺麗に片付いていた部屋は、今や台風が通り過ぎたような有様になっていた。
静羽は意外に素早い男をどう追い詰めようかと考えていたが、ふと足元に金属製の水差しが落ちているのに気付いた。細かい装飾彫の入った、少し丸みのある高価そうなものだ。
「あ・・・」
静羽は突然何かに気付いたように真顔になって、エトヴァの後ろの方に視線を外す。
「え? なんです?」
エトヴァもつられて、静羽の視線を追うように後ろへ振り返った。
「もらったー!!」
静羽は足元の水差しをクロスのネットですくい上げると、綺麗なスローフォームでエトヴァに投げつけた。
双葉女学園は地域で一,二位を争うラクロスの名門校である。そこのエースである静羽はコントロール抜群だ。
カーン・・・という余韻を残したような音が部屋に響く。
後頭部に直撃を受けたエトヴァは、うーんと唸って、その場にバタリと倒れ伏す。
「勝った!」
静羽は満足げに、ガッツポーズをとるのだった。