長い下積み生活の始まり
弟子入りして最初にしたことはペンネームを決めることであった。本名のままでは活動するのはよくないらしい。
「『大岡越前守』なんて言うのは、どうでしょうか?」
「馬鹿を言うなよ…。そんな大それたペンネーム付けたら、名前負けするし、時代劇ファンから、そっぽを向かれるぞ…」
「……」
「そう言えば、ここ最近ずっとエチゼンクラゲが日本海で大量発生していたな…」
「まさか…」
「よし、南条君は今日から、『越前くらげ』の名前で活動することにする」
「いやいや、先生、それはちょっと…」
「ペンネームなんて、ちょっとふざけたぐらいのがちょうどいいんだよ」
「へえ、そう言うものなんですかね…」
先生は僕が福井出身でここ数年ずっとエチゼンクラゲが大発生していることから「越前くらげ」でいいだろうと勝手に決めてしまった。僕は反対したが、他にいいペンネームが思いつかなかったのでしかたない。
話によれば、先生はロッキード事件のニュースを見て、自分のペンネームを決めたそうである。この世にお金が嫌いな人なんかいない。
みんな大なり小なりお金が好きなんだ。だから「御金持好」としたらしいが、ペンネームはもっと考えてつけたほうがよかったのではないか?
先生曰く、ペンネームよりも小説の中身が重要とのこと。そんなことはわかっているが、越前くらげでは行き着く先もたががしれているような気がしてならなかった。
名前が決まると、弟子としての日常が始まった。弟子と言うと聞こえはいいが、実際にやっていることは先生のアシスタントである。先生は作家養成学校の講師やら文学賞の選考委員やらと毎日飛び回っている。
しかし、毎日合間をぬって仕事場にやってきて、必ず何かを書いている。そして、原稿ができるとそれを僕に渡して、また出て行く。
「その原稿、明日までだから」
問答無用で無理難題を言い渡される。これではゆっくり作品なんか見ることはできない。おかしい言葉や文法を直すので精一杯だ。原稿用紙百枚ほどの原稿を見て、今日も仕事場に泊り込みか…と思った。仕事場にはもう一つ部屋があって、そこは寝室になっていた。かつて、先生が弟子を取るまではここで生活と仕事をしていたらしい。
ブラックコーヒーを飲みながら、打ち込みを続けていた。夜七時ごろに原稿をもらってから既に五時間ほど経っていた。途中、食事休憩をはさんでようやく半分打ち込みを済ませた。先生の作品はとても面白い。唯一つ残念なのはこれを息つく暇もなく一気に読まなければいけないことだった。
全てが終わったのはもう暁の頃だった。後はこのデータをメールの添付ファイルにして出版社に送ればおしまいである。その後、僕は寝室で昼過ぎまで寝ていた。それから先生が来るまでの間に郵便物やファックスの整理をして、先生の机上に置いておく。先生は来るなり、僕を見てこう言った。
「そうか、今日は徹夜明けだったね。今日は早く上がって、明日はゆっくり休みなさい」
「はい、ありがとうございます」
徹夜明けの日はいつも繰り返されるやり取り。よほど忙しくない限り、徹夜明けの翌日は休みとなる。
こんなときに僕はひっそりと小説を書き進めていく。そして、また次の日は朝から仕事場に通う。こんな日々の繰り返しはとても新鮮で勉強になった。月末にはささやかながら給料らしきモノがもらえた。給料と言っても本当に必要最低限のお金。
「恵まれすぎるとハングリー精神がそがれるから、死ぬか生きるかの狭間ぐらいの生活がちょうどいいんだよ。もし、いまの生活に不満を感じるなら、一日も早く、ここからはい上がることだな。それができないなら、今すぐここから出ていきなさい」
そう言って、先生は初めての給料らしきものを僕にくれた。プロ意識を持つことの大切さと、プロとして生きていくことの厳しさと共に…。