表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/47

ありがとう、先生。

 このとき、僕ははっとした。どうして、こんな大切なことに三〇年間も気付かなかったのだろう。だから、一人前になるのに長い長い年月がかかったのである。どうして、新人賞やら直本賞やら龍之介賞やらの文学賞にそんなにこだわっていたのだろう。


 今となっては一月にノミネートされた「夢を夢で終わらせない」が選外になって本当によかったと思う。本当に大切なのは、自分の作品を通じて一人でも多くの読者に喜びと感動を与えることである。


 その数が多ければ多いほど、作品を通じて人々と心でつながることができる。それに引き換え文学賞はただ豪華なだけで堅苦しい名誉ぐらいしか残らない。


 それなのにかつての僕はとにかく新人賞にこだわった。先生の元に弟子入りした頃は新人賞がないと、とてもじゃないが一人立ちできなかった。しかし、新人賞を取った頃には別に新人賞を取らなくても、それなりに仕事があったからこだわる必要はなかったのである。


 今思えば、新人賞へのこだわりは一種の職業病だったのかもしれない。それがあの事件の根底にあるものだとしたら、僕らにも十分責任があったのである。自分のことを棚に上げて、まるで被害者のごとく振舞っていた。


 でも、本当は持ちつ持たれずの共犯だったのである。あの事件の真相をあばかなくてよかったと思ったとき、己の器の小ささを改めて思い知らされた。


 それと最近、もう一つ思うことがある。この世界に王道なんてないことだ。僕は以前、先生に対して自費出版のことを完全否定したことがあった。しかし、この世界には自費出版からのし上がって成功した人もいる。僕はたまたま青天出版の倒産を経験したから自費出版を目の仇にしてきたけど、それは間違っていた。


 また、しゃしゃ丸のように最初の勢いはいいけど、後からうまくいかなくなる人もいる。彼は僕にこんなことを言っていた。


「あのときは何もかもがうまく行き過ぎて完全に見失ってました。南風さんのこと、思いっきり見下して本当に悪いことをしましたよ。でも、あの頃から分かってました。自分がこんな風になるんじゃないかな…と。いつも、最初はうまくいくんですよ。でも、後からどんどん行き詰って…最近、ようやく、その抜け出し方が分かってきました」


「車車車、成長したな…」


「自分、あなたが思っているような天才ではないですよ。どこにでもいる凡人なんです。もし、本当に天才ならあんなに長い間スランプで苦しみませんし、あんな危険なことをしませんよ。でも、自分には家族がいるし、今さら他の仕事ができるとも思えないから、はいつくばって泥水をすすって頑張るしかないんです」


 なんだ。彼も僕も変わらなかったんだ。彼は大した下積みのせずに作家デビューし、ろくに苦労せずにのんびりとした生活をしているのかと思っていた。でも、そんなのは僕の思い込みだった。


 彼は彼なりに苦労している。もちろん彼だけではなく、世の中の人々全てが自分の世界でもがき苦しんでは、必死になって欲しいものを手に入れようとしている。


 姉さんのように自分を切り売りしていく人もいる。僕は姉さんのような人が実は嫌いだった。自分にない生まれながらの売り込み能力がうらやましくて憎くてたまらなかった。でも、彼女は彼女なりに努力、そして苦労している。


 初めて彼女と出合った時はボンテージを着ながら官能小説を売りさばいていた。その後、結婚、離婚、青年海外協力隊、再婚、出産とわずか十年足らずで激動の人生を歩む。しかし、どんなときも小説のことを忘れずに、常に自分の生活を題材にした小説を出し続けた。これも一つの生き方だし、一つの成功例だと思う。


 兄さんのように平凡な作家人生を歩む人もいる。先生や僕のように長い長い下積み生活をした人もいる。作家養成学校に行ったことで才能に目覚めた人もいる。ある日、突然才能に目覚めた人もいる。


 一冊の本に触発されて作家になった人もいる。本当に作家の数だけ作家のなり方があるのだ。生きている間にそのことに気付いてよかった。


 もし先生に出会わなければ、僕は絶対に作家にはならなかっただろう。先生の弟子として過ごした十年間は一つ一つが勉強だったし、一人前になっていく過程そのものだった。先生との師弟関係はもう解消されたけど、僕にとってはいつになっても先生であることは変わらない。ありがとう、先生。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ