新人賞を取ってからの5年間
この春、六年間もの間、続けていたマガジーンヌでの冒険物語「ロード・オブ・ザ・スティック」の連載を無事に終えることができた。
六年もの間、僕が原作を書き、円熟こうじ先生がそれを漫画に仕上げる流れを続けてこれたのも、多くの読者に支えられたおかげである。この六年間で新人賞だけでなく、三年前にはマンガ原作最優秀賞、一年前には最優秀マンガ賞を頂くことができた。
この仕事を引き受けてなかったら、二つのマンガ賞をもらえなかったから仕事を引き受けて本当によかった。また、同じ出版業でありながら、まったく土壌が異なることを肌で感じ取れたことも大きな収穫だ。書評やコラムを書く仕事にもすっかり慣れて、今や生活の一部になった。
僕は新人賞を取ってからも毎年一作品は作ってきた。ネタはやってくるものではなく、作るものであるからしゃしゃ丸のようにネタがないからと言って書かなかったことは一度もない。
「夢を夢で終わらせない」、「メイド喫茶の誘惑」、「パソコン画面のパンドラ」、「よく晴れた日には外に出よう」、「無名のマラソンランナー」の長編五作品を月刊・大衆文学や小説界に連載した。
もちろん連載後、単行本にしてもらった。他にも多くの短編小説も書いたし、また先生ほどではないが、越前くらげ名義で官能小説もたまに書いていた。やはり、自分のやりたいことをやって、生活ができることはすごく幸せだ。
また、最近はインターネット上でも作品を公開する機会も増えた。僕は三年前から作家として売れる前の数々の駄作を加筆訂正したものをネット上で公開している。ネットで僕の作品を知り、文庫版の本に手を出してくれる方もおり、今ではネットでの活動も小説家として欠かす事ができなくなっている。
また、今までの恩返しを少しでもやろうと思い、二年前から養成学校の講師も引き受けた。ずっと昔、先生とこの学校の存在意義について話したことがある。
あの頃と同じく、ここを卒業して作家になれるのはわずか一%だ。毎年、千人ほど入学しても、わずか十人ほどしか夢を叶えられない。しかし、残りの九九〇人もやるだけのことをやってから夢をあきらめるので、何もせずにうじうじしている連中よりよっぽどいい。
それにこの学校ができて十年の間、約百名がここに来たことで自分の才能を開花できたことは日本文学における大きな功績である。まあ、自らその才能に気付き、自らその才能を開花させた人もたくさんいる。
彼らは「学校を出た奴はマニュアル主義で今いち自分の個性が発揮できてない」と言って、いつも僕らを見下してくる。でも、一度新人賞をとって小説家としてのスタートを切ったら、そんなことはまったく関係ない。
作家になるまでの経歴よりも、作家になってから何をするかの方がよほど重要である。僕は作家養成学校でいつも生徒に対して、そのようなに教えることにしている。




