待たされる事は苦痛だ…
早いものでまた四月がやってきた。また、いつもと同じように桜が咲き乱れ、多くの人が就職や進学をしていく。僕も先生の所に弟子入りしてから四年が過ぎて、五年目に入った。
僕は本当に成長しているのだろうか…。時々、すごく不安になることがある。御金持好先生の元に弟子入りしたおかげで仕事のやり方やコツをつかんだ。そして、仕事もそれなりに軌道に乗っている。それなのに、大衆文学新人賞が未だに取れない…。
確かにマガジーンヌでの連載は相変わらず順調である。最近、ある全国紙で書評を書く仕事を任された。また、週間雑誌のコラム欄を書く仕事も任されるようになった。新しい仕事はいつも大きな期待感を僕にもたらしてくれる。しかし、僕は未だに無冠の新人のままだ…。
時同じくして、しゃしゃ丸が新人賞受賞以来、約二年ぶりとなる第二作目を作った。「棚からぼたもちがなくなったとき」と言う自身の新人賞・直本賞受賞後の長い長いスランプで苦しみ、苦しんだ末にそのことをそのまま小説にしてしまったことが書かれていた。
僕はあまり面白いとは思わなかったが、「車車車」という名前が売れているだけあって、そこそこ売れたのである。やはり、ネームバリューはあるに越したことはないとそれを見てしみじみ感じた。
さらにこの年の四月から作家養成学校の二校目が開校し、先生は設立委員会の委員長をしていたことから、二校目の校長になった。
「せっかく、選考委員から降りたというのにこれではまったく暇にならないじゃないか…」
仕事場でそんなことをぼやいでいた。しかし、前よりかは暇があるらしくて、「今度生まれてくるときは甘え上手になりたい」と言う小説を早速仕上げていた。僕は本になるまで待ちきれなくて、あおいが打ち込んだ原稿を見せてもらった。
頑固で強がりな性格が災いして、いつも貧乏くじばかり引いてきた老人が「あのときこうしておけばよかった」と振り返る内容である。そして、一度しかない人生だから、素直で正直に生きていくのが一番だと訴えていくメッセージは先生の半生から得られた一つの答えに違いない。
また、下根多羅部としても「僕の体は君の下僕」と言うとてもエロスにあふれた官能小説を仕上げていた。御金持好はもちろんのこと、下根多羅部のファンは意外と多いので久々の小説はきっと売れるだろう。
四月末、大衆文学新人賞の最終選考に残ったと大衆文学社から連絡が来た。これで三年連続の最終選考入りを果たした。またしても、取れるかもわからないのに受賞の言葉を考えないといけない。
さすがに三度目になると取れるかどうかもわからないのに受賞の言葉を考えるのが馬鹿らしくなる。だから、今年は去年のに少しだけ手を加えたものを写真と一緒に送った。
ちなみに肥前あおいの作品は一次選考通過がやっとだった。それなのに彼女はけろっとしていた。彼女は本当に作家になる気があるのだろうか? 普通、もう少しへこんでもいいと思うのだが…。
今年は新人賞発表まで酒を断って願掛けをすることにした。まあ、それは建前であおいが誕生日祝いをしようとか言う前に先手を打っておいたのである。それにしても彼女の相変わらずしぶといこと…。
この前も「前祝しましょう」なんて言ってきた。彼女には最終選考から二回連続で落とされたことなんかないから、とてもじゃないけどそんな気分にならないことがわからないのだろう。
僕の所には一生、新人賞受賞の知らせは来ないのではないかと、悲観的な夢を見てうなされることもあった。もう、こんな馬鹿な挑戦は止めてしまえば楽になれるのにと思ったこともある。
でも、春の来ない冬や朝の来ない夜がないように、いつか僕の元にも新人賞受賞の知らせがきっとやってくるはずだ。もし、やってこなくてもやってくるまで何度も挑戦すればいい。ただ、それだけのこと。そうやって、何度自分を励ましたことか…。
しかし、今回もさすがにダメとなったら、僕は文学界に絶望して、首を吊ってしまうかもしれない。かつてないほどに追いつめられていた…。




