兄さんの直本賞受賞
六月最後の日、待ちに待った直本賞及び龍之介賞の発表があった。直本賞には浜島由利の「割れないシャボン玉」、龍之介賞には司馬やまとの「放課後の教室」が選ばれた。兄さんの受賞は本当にうれしかった。
「司馬、おめでとう。これで完全に師匠を超えたな…。一門では初受賞だぞ!」
「えっ、先生。私は先生がすでにもらっているものだと思いましたよ」
「越前、この賞はほんの一握りの作家しかもらえない。第一線で活躍している人のうち、この賞を持っているのはわずか三割。あとは新人賞か他の経験者向けの賞止まりの人ばかりさ」
僕はこの時初めて、先生が直本賞や龍之介賞を受賞していないことを知った。まあ、言われてみれば思い当たる節はあった。いつだったか忘れたが、先生が文学賞を車の免許に例えて、こんなことを言っていた。
「いいか、越前。新人賞というのは車の免許と同じなんだよ。どんなに車の運転がうまくても免許がなければ公道は走れない。どんなにうまい小説を書いても新人賞を取ってなければ誰も読んでくれない。しかし、別にゴールド免許を取れなくても青免許でも十分公道を走れる。直本賞や龍之介賞が取れなくても新人賞を取っていれば小説家としてきちんと活動できる。用は一つ新人賞を取ればいいんだ」
これを聞いたときは何十年も新人賞が取れずにくすぶっている僕をなぐさめてくれたのかなと思ったが、どうやらこれは先生が自分に言い聞かせるために言ったようだ。
兄さんが龍之介賞を取ったので、この夏は何かとにぎやかだった。兄さんの受賞パーティーやらそれに便乗したパーティーやらに先生や僕もしばしば顔を出した。姉さんにも声がかかったはずだが、彼女は一度も来なかった。
「私が官能一本で行く限り取れることのない賞ですから、興味ないです」
一門だけで集まって小さな祝会をしたとき、姉さんは兄さんに対して皮肉たっぷりの一言を言い放った。しばらく、それが頭にこびりついて離れなかった。
このままいけば、僕も姉さんと同じように官能の世界でやっていかないといけない。しかし、僕には姉さんのような女性特有の武器はない。
そうなれば、待っているのは可もなく不可もなく常に一定した欲望のために働く世界だ。世の中の男どもの数えきれないほどの欲望を満たすために、飽くなきエロスの追求…。
これでは会社勤めの頃と全く変わらないではないか。いくら生活のためとは言え、官能小説家に成り下がるぐらいなら、今すぐ会社勤めに戻った方がマシだ。
先生や兄さんのような一流の小説家になるために、僕は全てを捨てて小説家の道を選んだ。
すてきな彼女との甘い一時も、その先にある幸せな家庭生活も、会社勤めのそれなりに身分も生活も保証された生活も、生まれ育った故郷も…。
例を上げればきりがない。要するに普通に会社に勤めていれば手に入れたであろう幸せと引き換えに、僕はこの道を究めることにしたのだ。もう、ここまで来たら何が何でも成り上がるしかない。
そうだ、官能小説を書くことも成り上がるための手段だと割り切れれば、それでいいのだ。今までの働きが認められて八月から官能小説の長期連載を任されることとなった。少しずつであるが、確実に一段一段駆け上がっている。
もうすぐ、春から書いている大衆文学新人賞用の小説が出来上がる。去年の反省をふまえて、今年は師弟愛について描いた「先生の大きな背中」を賞に出すつもりである。後は先生に見てもらい、問題がなければ八割方うまくいったようなものだ。