60 キスとかキスとか
「乱暴だなあ」
顔が見えなくても、呆れ半分面白半分に言ったのが判る周の声。
「対面に座るな、顔見んな、和明が減る!」
怒り口調の智洋に、その後ろの連れが盛大に噴き出した。
「馬鹿? 馬鹿なの? 何様なの智洋~っ!」
両手に持ったトレイの上で、食器が揺れてカタカタと音を立てている。
「うるせえ黙れ」
唸るような怒声にもめげずに、ぶひゃひゃひゃと笑いながら、別のテーブルに知り合いを見つけたらしくそっちへ行ってしまった。
智洋がそのまま動こうとしないので、仕方なく俺は残り僅かな食事を詰め込むように平らげた。ここで文句を言うよりもさっさと食べ終えた方が早いと思ったんだ。
同じように考えたのか、周も手を動かしている気配がし、
「心配なら一人にしなきゃいいのに」
ぼそっと呟いてから、静かに立ち上がった。
そりゃあ無理でしょ。いくらなんでも。智洋にだって自分の生活があるんだしなあ。
俺はそんなことちっとも望んでないのに、ふと見上げた智洋の顔は悔しそうに歪んでいた。
俺も立ち上がったのを見て、ようやくラケットが下ろされた。
続々と出入り口から入ってくる寮生たちを見て、結構な時間が過ぎていたことに気付いた。携や智洋とだと食事そのものに専念するからあまり会話らしき会話もないし、いつもさっさと食堂から出てしまう。周とだと思いの外時間を掛けてしまったようで、このままビリヤードに行けば良さそうだった。
「じゃ、俺ら遊戯室行くな」
声を掛けると、智洋は何か言いかけて一旦口を噤み、それから「おう」と短く答えて俺が通路に出るのを待ってから、今まで俺が座っていた窓際の席に腰を下ろした。
食器返却口に向かいながら、周はくすくすと笑っている。
まあ、さっきのあれはいくらなんでも変だよなあ。どうしたんだよ、智洋ぉ……。
嘆息しつつも、少し心配。何かあったのかなあ?
遊戯室に向かいながら、周が小さな容器をポケットから出して差し出してきた。
「手ぇ出して」「ん」
反射的に上向けた手の平に、コロコロとタブレットが転がり落ちる。ミント味のお菓子。歯磨き代わりや気分転換に重宝するやつだ。
「サンキュ」
ポイッと口に放り込むと、笑顔で頷かれて。噛み砕いてる間に遊戯室に着いたんだった。
入ってみると、珍しく先輩たちもまだ来ていなかった。ちょっと早すぎたかなあ。
多分前に使ったやつだろうと思うキューを手に取り、今の内に少し練習しておくことにする。
「カズ~、見てて」
周は適当に球を全部転がすと、近くに手玉を置いて撞いた。
ストレートに撞いたのでは絶対に当たらない場所にあった一番に当たり、ポケットの傍まで転がっていって止まる。
「惜しい」
悔しそうに舌打ちしたけど、今凄く綺麗にカーブしたよね?
「えっ、何今の!? もう曲げられるようになったの?」
キューのグリップ部分でとんとんと肩を叩きながら、周は少し唇の端を上げた。
「うう……なんでなんで~っ! そりゃあ平日に練習してたの知ってるけどさあ。同じ日に始めたのにーっ」
地団太踏んで悔しがっていると、くすくす笑いながら寄って来た。
「だって負けたくねえもん」
「俺だって!」
ぶうっとむくれて見せると、違うってと屈みこむ。半分伏せた瞼を見つめていると、ちゅっと音がして一瞬だけ温かいものが頬に触れていった。
「先輩に、負けたくねえって言ってんの」
ふえっ……。
今、もしかしてキスされましたか。
脳内に、智洋とした約束がテロップのように流れて行く。
──もう、させたら駄目だかんな。
──俺のこと、好き? だったら言うこと聞いて。
早速破ってしまいました……。
フリーズしていると、不思議そうにしていた周がまた屈んできた。ちょっ! 今度は正面からきたか! 寸での所で手の平で相手の口を塞ぎ、唇は死守!
とか思ったら、そのまま手の平舐めてるしーっ! ひいぃぃっ!
涙目になっていると、くしゃくしゃと頭を撫でる大きな手の平に、周が俺の手を解放してくれた。
「待たせたな」
艶のあるテナーが耳のすぐ横で聞こえて、そのまま耳の下に柔らかいものが触れる。心地良い体温と大好きな声。背後から回されたもう片方の腕にそっと腰を抱き寄せられて、またしても心臓が壊れそうなくらいにばっくんばっくんいってますよ!
「軸谷先輩」
声を出せない俺の前で、目を見開いた周が呟いた。




