月読みの子
五時半で威吹鬼は工場の仕事を終え、その日の六時にはきっちりと妖撃舎、つまり八柱に月給十八万を払っているギルドの応接室にいた。
「あんたが仕事終わったらすぐ来いなんて言うから、ほんとにすぐ来たぜ」
と威吹鬼は言った。タオルを首から下げている。着ている半袖シャツの首元と脇には汗の染みが大きく広がっている。
「わりいな。風呂に入っている暇もなかった」
「いいさ。急に呼んだのは私さ」
普段は賞金稼ぎを応接室などに上げることなどまずない。せいぜい窓口止まりだ。特別な仕事だったとしても、事務机の横っちょで打ち合わせをする。
威吹鬼の場合は特別だ。威吹鬼の場合、少しばかり話が違う。
常に目を閉じているが、だから動きが鈍いかと問われればさにあらず。それで化け物と命を奪い合うハンター稼業が務まるはずもない。
威吹鬼は聴覚・味覚・嗅覚・触覚といった視覚以外の感覚が異常に鋭い。つまり音や匂い、ほんのわずかな空気の流れで対象の位置、大きさ、重さ、質感などといったところから筋力、スピードもほぼ正確に捉えることができる。つまるところ、五十メートル先から歩いてくる八柱の「景気のほどは?」という質問に対する答えを、肉体労働をしながらじっくりと考えることができるのだ。
射撃の腕は百発百中。目が使えるハンターですら、まったく相手にならない。目を閉じたまま威吹鬼の放った弾丸は、大抵は敵の急所と思しき辺りを貫通する。
さらに精密で俊敏な動き。威吹鬼は飛んでくる矢を手でつかみ取れる。
そして豪快な力。これに関してもおよそ人間離れしているが、八柱が全体重をかけても一ミリたりとも動かせなかったクズ鉄満載のドラム缶を軽く運んでいたというだけで、もう説明の必要もない。
こういったもろもろの要素を列挙するだけで、威吹鬼が賞金支払い所の窓口や事務机の横っちょではなく、応接室で打ち合わせをする立場にあるということは理解に易しい。
しかし、威吹鬼はそれだけではない。威吹鬼が持っているのは、強さだけではない。
威吹鬼には他のハンターとは異なる点がある。決定的に。
「威吹鬼。あんたが殺った河童の話だ。その、どれくらいの大きさがあったね?」
「大きさ?」
威吹鬼は出されていた茶を一口すすり、口を湿らせた。
「俺がぶった切って持ってきた頭を見たろ?」
「ああ、もちろん見たさ。でかかったな。収穫の季節が過ぎて、ちょっとばかり育ちすぎた西瓜くらいあった」
「それなら、大体分かるだろ? そうだな……二メートル半くらいか。調べもついてんだろ?」
「ああ、ついている。ついているとも」
「どうしてそんな質問をする」
八柱はほんの少し沈黙した。そしてゆっくりと口を開いた。
「威吹鬼。奴の討伐に、ウチを含めた様々なギルドが差し向けた四人のハンター達。つまり、奴の胃袋に落ち着いたハンター達だな。決して無能な四人ではなかった。いずれも腕利きだ。まあ、あんたほどじゃないがね」
「ふうん」
「一人は〈蛇忽会〉の蓮蚊という男だ。知っているだろう?」
「ああ知ってる。地下闘技の覇者だ。挑戦者を四十人片っぱしから殴り殺したっていう、無敗のチャンピオンだろ」
「そう、そいつだ。その蓮蚊だよ。そいつを含めた四人が、ぺろっと平らげられた。成すすべもなく」
「…………」
「あんたの言った通り、二メートルを超える化け物だ。大物だよ。事を重くとらえた各ギルドは連絡を取り合い、威吹鬼、あんたをあの河童に差し向けることにした」
「で、一件落着」
「……とはいかなかった」
八柱も茶を一口すすり、ひりひりするのどを潤した。昼間、ぬめらぎ駅周辺を歩いた時からどうものどの調子が悪い。まったくあの周辺の空気は汚すぎる。だから行きたくなかったんだ、とまた八柱は思った。
「あとで調べて分かったんだが……つまりあんたが河童の首をはねたあと、でね。獰猛な河童の大物にぞくぞくと出てこられてもたまらないのでね、ウチ専属の化学班と特捜班に、色んな方向から調べさせたんだよ、河童のことを。……するとね、妙なことが分かった。今から三週間ほど前……つまり威吹鬼、あんたがあの河童を殺る二週間前。あいつの身長はわずか一メートル半、体重にいたってはたったの四十キロしかなかった。四十キロというと、あんたが昼間運んでいたドラム缶の何分の一だね?」
威吹鬼は、持ったままだった湯呑みをゆっくりとテーブルに置いた。
「七分の一だ」
「そうか、あのドラム缶は三百キロ近くあったのか……! 恐ろしい腕力だな」
「あの河童も、多分そんくらいの重さはあったぜ」
「そうだろうね」
八柱も湯呑みをテーブルに置いた。
「あっただろうね。だから妙な話なんだ。わずかな日数で、体重を七倍にした河童。一体何を喰えばそんなに膨れ上がるんだ?」
「月読みの子だ」
威吹鬼は間髪入れずに答えた。
「……つくよみ?」
「あの四人のハンター以外にもう一人喰った人間。河童の野郎は恐らく、一番最初に月読みの子を喰って力をつけたんだろう」
八柱は置いたばかりの湯呑みを手にし、もう一度のどを潤した。八柱ののどの調子は戻らない。
「わかるように説明してくれないかね」
目を閉じたまま威吹鬼は顔を四十度ほど上げ、腕組みしてソファーに深く座り直した。いつも威吹鬼が話し出す時の、お約束の姿勢だ。
「化け物の間では定説になってる話だ。十月の満月の夜は、奴らにとって特別な夜だ。奴らは月読みと呼んでる。そう呼ぶ理由はわからねえが。その月読みに生まれた人間は、化け物どもにとって垂涎のご馳走なんだよ」
「……と、言うと?」
「その月読みに生まれた人間を喰えば、馬力が出る。もっと言や、霊的なパワーが上がる。めっぽう強くなれるんだ」
威吹鬼は組んでいた腕を解いた。
「月読みの人間は、若ければ若いほどいい。赤ん坊に近いほどな。多分河童は月読みの赤ん坊の存在をどこからか嗅ぎつけ、喰ったんだろう」
八柱はごくりと唾を飲んだ。
「それで合点がいった」
「……こっからが依頼の話かい、八柱さん?」
八柱は身を乗り出した。
「ああ。そうだ」
なぜか小声になった。
「お金持ちのご子息サマが化け物に狙われているんだよ」
「……つまりその子は」
「その、月読みの子だ」
本題に入る前に、すでに八柱ののどはひび割れていた。湯呑みに茶はもう残っていない。湯呑みを逆さにし、残りをすするようにして何とか飲んだ。しかし苦い茶のほんの一しずくでは、これ以上八柱ののどのひりつきを抑えることはできないようだ。




