青と白とで水色になる
武頼庵さん主催『みずに纏わる物語企画』参加作品です(*´Д`*)
遥か遠くの青空に、白い煙が立ち上り、混ざり合う。
家から自転車で30分ところにある親水公園。渓流を縁取る護岸ブロックの縁に腰掛けて、俺は煌めく水面の眺めていた。
頭上に伸びた広葉樹は夏の強烈な日差しを散らす。青いTシャツの袖で頬の汗を拭いて、カップヌードルのスープの最後の一滴を飲み干した。
少し離れた場所では親子がバーベキューを楽しんでいる。でも幸いにして、今日はそれ以外の利用者はいない。
俺は家の冷蔵庫からくすねてきた缶ビールを傾け、同じく親父の部屋からくすねてきた一本のタバコに火をつける。ヌードルの塩味と、ビールの苦味が混じった後味に、甘いピースライトの風味はよく合った。
地区予選の決勝は、そろそろ決着が着く頃だろう。
翔太は甲子園に行けたのだろうか?
スマホを開けば目当ての情報を得ることなど容易いのに、どうしてもカバンの中に手が伸びなかった。
翔太の大活躍を改めて確認したとして、俺はどんな気持ちになればいいのか。
『俺と翔太は、小学校の頃はライバル同士だったんだぜ』と周りに吹聴すれば、少しは気が休まるのだろうか。
そんなはずない。
より惨めったらしくなるだけだ。
俺は戦地の残火のような白い煙を、青い空へと塗りつけている。
かたやアイツは、青空に打ち上がった白いボールを、必死に追いかけている。
青と白——
同じ色でも、俺の方は明らかに濁っていた。
「あー、不良を発見!」
背後からの声。
俺は咄嗟に口に咥えていたタバコをコンクリートで揉み消す。恐る恐る振り返ると、そこにはTシャツにジーンズの少女が立っていた。
「なんだ、美空か……」
驚いて損した。
ニヤニヤと笑いを堪えている美空をじっとりと睨みつけてから、俺は数口で揉み消してしまったタバコを未練がましく眺めた。
「お兄ちゃん、負けちゃったよ」
知る気もないのに、情報が向こうから勝手にやってくる。田舎ってのはそういう場所だ。
「そっか残念だな」
残念だが、十分な戦果だろう。部員すらギリギリの田舎の高校が、地方の決勝まで行けただけでも大金星だ。よくやったよ。
そう慰める事も出来たが、それすらもなんだか惨めったらしく感じて、俺は何も言わず再び前を向いた。
俺と翔太は、小学校の頃はライバル同士だったんだ——そんな薄っぺらい見栄なんて、すべての事情を知ってる美空には簡単に見破られるだろう。
涼しい風が吹いた。
頭上の枝葉が音を立てて揺れる。
視線を上げると、対岸の木々が両手を振っていた。どこかの誰かにエールでも送るように。
美空は護岸ブロックを慎重に滑り降りると、水面スレスレに座り込んで水面を覗き込んだ。
「おおおお、タイコウチがいるぞ。かわいい」
長い髪が水面につきそうなほど身を乗り出して、美空はおよそ花の女子高校生とは思えない言葉を放つ。
こいつがこうなってしまったのも、俺と翔太が川遊びに連れ出したからだろうな。
でもそれだって、はるか昔の化石みたいな記憶だ。
「こっちに来ない? 川博士」
「ガキの頃のあだ名で呼ぶんじゃねーよ」
「えー? あたし、博士のこと尊敬してたんですけど?」
「アホか……」
ゆらゆらと揺れる白い背中を視界の隅の入れながら、俺は木漏れ日が踊るコンクリートをぼんやりと眺める。
世を厭んで、孤高を気取って、不良の真似事なんかをしてみるけれど……俺は結局、翔太のライバルの成り損ねでしかない。
青空が白い雲で霞み、心に差す日を濁らせたあの日から、不貞腐れたガキは、今でも心の中で頬を膨らませている。
そんな懐旧に気を取られていると、視界の端っこから不意に白い背中が消えた。
脳内回想録を破り捨てるような水音と、飛び散る水飛沫。
落ちた。
「ばっか——」
俺は護岸ブロックを滑り降り、川の中に尻餅をつく美空へと手を伸ばした。
「何コケてんだよバカ!」
「あああ、タイコウチに逃げられちゃった……」
それでも美空は屈託なく笑う。
俺は目の前のバカを引き上げてブロックに座らせた。美空の尻のあたりから滴り落ちた水が、コンクリートにいくつもの線を引く。
何やってんだ、俺は。
本当にアホらしい……。
翔太が努力の汗でユニフォームを濡らす中、俺は冷たい河水でスニーカーとジーンズを濡らしているってわけか。
その対比は、呆れるほどに滑稽だ。
「やっぱり助けてくれるのは、タケくんだよ」
その時——美空がポツリと呟いた。
「子供の頃もそうだった。あたしが川で転ぶと、助け起こしてくれるのは決まってタケくんだった。お兄ちゃんの方が足が速いはずなのに、先に駆けつけるのは、タケくんだった——」
そうだったろうか?
覚えていない。
美空が語る昔話は、ありきたりな思い出の一つとして、俺の中では完全に色褪せている。
「小さい頃は、なんでなんだろって思ってた。お兄ちゃんだって全力で駆けつけてくれたはずなのに、タケくんには追いつけないんだもん。でも、今ので確信した——」
俺は美空の大きな目がこちらに向けられてるのに気が付いてギョッとした。
「タケくん、たくさんのものを見てるんだよね。いつだって、自分を取り巻く世界全部を。だから——あたしの事にもすぐに気付いて、一番に駆けつけてくれるんだ」
蝉の鳴き声が止んで、別の蝉が鳴き始めた。
バーベキューを楽しむ子供の笑い声は、川音の隙間を抜けて響き渡る。
「お兄ちゃんがいつも言ってたよ。『俺は野球だけ……自分の事だけしか見れていない。でもタケは違う。あいつは俺が見れないものに気付ける目を持ってる。そんなあいつを、俺は尊敬してる』って」
「……俺は暇人だからよ。どーでもいい事を見聞きして、時間を潰してるだけだ」
「その『暇』だって、お兄ちゃんとは別の、大事な時間の使い方なんだと思うよ」
その言葉は俺の心に優しく触れた。
気の利いた返しなど、出来るはずがない。
「はいはい、お褒めいただき光栄です」
「素直じゃないね」
「ガキにくせに生意気言うなよ」
俺が睨みつけると、美空は「もうガキじゃないもんね」と唇を尖らせる。
その顔に懐かしさが込み上げる。
認めるのは癪だけど、今日この場所で美空と出会えた事で、濁った心が少しずつ透き通っていく気がした。
「タケくんは昔のまんまだよ。不良ぶってるけど、変わってないってこと確かめられた」
「はあ? 確かめる?」言葉尻をふん捕まえて、俺は口の端を釣り上げる。「もしかして、さっき水に落ちたのは、ワザと——?」
悪戯っぽく笑う美空の顔が、真意を物語っていた。
「ふざけんなよ。ズボンもグシャグシャだっつーの」
「あたしはパンツまでグシャグシャだけどね」
「そりゃマズイな。風邪引く前にさっさと帰れよな」
「んー、そだね」
そう言って美空は立ち上がる。
彼女の肩に止まっていたオオシオカラトンボも、同時に空へと舞い上がった。
「あのさ……」
「ん?」
「お兄ちゃん、またタケくんと川遊びしたいって言ってたよ」
「はあ? 高三にもなってそんな事言ってんのか?」
「ちなみに言ってたの、昨日の夜」
「ばっか……大事な試合の前に、なにどーでもいい事考えてんだよ。そんな腑抜けだから、負けたんじゃねーの?」
俺は本心を悪態で誤魔化す。
「負けちゃったのは残念だけど……お兄ちゃんも大事な『暇』ができるんじゃない? 夏はまだまだこれからだもん——」
そう言ってクスリと笑い、美空はブロックを上っていった。
残された俺は、アスファルトに熱せられてすっかり炭酸の抜けてしまったビールを一口飲む。
残念というか当然というか、先ほどまでの背徳的な苦味は鈍く重たいものに変わっていた。
俺は溜め息を吐くと、涼を求めて川縁に近づき、水面を覗き込む。
流れに逆らい尾鰭を揺らすヤマメ。
艶やかな鱗が光を返した。
青と白が混ざり合い、水色になる。
本物の水色は、少しだけ賑やかな今年の夏を見通せそうなほど、清く、清く、透き通っていた。
お読みいただきありがとうございます。
青と白が合わさる事で『水の色』になる。
そんなニュアンスを要所要所に散りばめてたお話です。青空とタバコの煙、同じ青空と白球、青と白のTシャツ、とか(*´Д`*)
また幕田の連載エッセイで頂いた「経験しなかった事も経験」というコメントに感銘を受けて、自分の灰色の青春を成仏させるために書いたお話でもあったりします( ̄▽ ̄;)
これもある意味『実験作』かも。




