穏やかな親密さ
夜は、静かだった。
テレビは点いていない。
キッチンの灯りだけが、
リビングを柔らかく照らしている。
洗い物を終えた玲奈が、
タオルで手を拭いた。
「……終わりました」
「ありがと」
迅は、
ソファから立ち上がらない。
それでいい。
同棲してから、
こういう「終わり」が増えた。
一日の終わり。
話題の終わり。
無理に続けない、という終わり。
二人は、
同じソファに座った。
距離は、
自然に決まる。
「……今日は」
迅が言う。
「疲れてるか」
玲奈は、
少し考えてから答えた。
「疲れてます」
即答。
「でも、
一人になりたいほどじゃないです」
迅は、
それを聞いて頷いた。
「……触れるか」
質問だった。
確認だった。
「はい」
短い返事。
迅の手が、
玲奈の指に触れる。
絡めない。
ただ、重ねる。
温度が伝わる。
「……こういうの」
玲奈が言う。
「学生の頃は、
想像してませんでした」
「俺もだ」
迅は、
視線を落としたまま答える。
「もっと、
激しいもんだと思ってた」
「大人の夜、
ですか」
「……あぁ」
少しだけ、
笑う。
手が、
ゆっくりと動く。
肩に。
背中に。
触れる場所は、
選ばれている。
(……大丈夫)
玲奈は、
そう思った。
期待されていない。
試されてもいない。
「……玲奈」
名前を呼ばれる。
それだけで、
胸の奥が落ち着く。
「今、
無理してないか」
迅の声は、
低いけれど、急がない。
「してません」
「平気な顔、
してないか」
玲奈は、
一瞬だけ考える。
「……してないです」
正直な答え。
迅は、
それ以上踏み込まなかった。
額に、
軽く触れる。
キスは、
短い。
深くしない。
続けない。
離れる。
「……今日は、
ここまでだな」
「はい」
それで、
不満はなかった。
ソファに並んで、
しばらく黙る。
外の音が、
遠くで鳴る。
「……迅」
玲奈が言う。
「こういう夜、
好きです」
迅は、
すぐには返事をしなかった。
少しだけ間を置いてから、
短く答える。
「……俺もだ」
選んだ距離。
選んだ触れ方。
それは、
欲しいからじゃない。
壊さないための、
親密さだった。
やがて、
それぞれの寝る準備をする。
同じ部屋。
同じ時間。
布団に入って、
灯りを落とす。
「……おやすみなさい」
「……おやすみ」
暗闇の中で、
手がもう一度だけ触れた。
離れない。
絡めない。
それで、
十分だった。
大人の夜は、
何かを奪う時間じゃない。
互いの明日を、
軽くするための時間だ。
この夜は、
確かに、
二人のものだった。




