止める側/止められる側
夜は、静かすぎた。
須郷迅は、机の前に座ったまま動けずにいた。
スマホは伏せてある。
それでも、指先が落ち着かない。
(……呼べ)
頭の中で、何度も同じ言葉が鳴る。
声を聞けば、落ち着く。
少し話せば、夜を越えられる。
それだけでいい。
——それだけ、のはずだった。
スマホを持ち上げる。
通話ボタンに、指が触れる。
(……今だけだ)
理由をつけるのは簡単だ。
試験前で不安だとか、
少しだけ話したいとか。
どれも、嘘じゃない。
指が、画面を押しかけた、その瞬間。
画面が光る。
——着信。
佐藤玲奈。
一拍、呼吸が止まる。
「……もしもし」
声が、思ったより低く出た。
『……起きてましたか』
玲奈の声は、落ち着いている。
心配はしているけれど、慌てていない声。
「起きてる」
『さっき、
何度か通知が出た気がして』
——見られている。
迅は、そこで気づいた。
(……止められた)
自分が、
越えかけていたことを。
「……呼ぼうとしてた」
正直に言ってしまった。
一瞬の沈黙。
『……今ですか』
「今」
それだけで、
胸の奥がざわつく。
『……迅』
名前を呼ばれる。
『今、
誰の夜ですか』
その一言で、
何かが、はっきりした。
「……俺の」
『そうですよね』
優しい声。
でも、線は引いている。
『私の夜を、
迅が支える必要はないし』
一拍。
『迅の夜を、
私が代わりに越えることもできません』
痛い言葉だった。
でも、正しい。
「……分かってる」
分かっているから、
苦しい。
『声を聞けば、
楽になりますか』
「……なる」
正直すぎる答え。
『それは、
今日だけです』
静かな断定。
『明日も必要になります』
その先を、
言わなくても分かった。
依存になる。
『だから、
今日はここで止めます』
止める側の声だった。
「……ありがとう」
絞り出すように言う。
『止められてくれて、
ありがとうございます』
その言葉で、
迅は目を閉じた。
通話は、
それ以上続かなかった。
切れた画面を見つめながら、
迅は深く息を吐く。
(……越えなかった)
でも——
越えかけた。
それを、
はっきり自覚した夜だった。




