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処刑台の露と消えたはずの侯爵夫人は、白き翼と共に舞い戻る ~無実の罪で捨てられた私が、国を救う竜の巫女になるまで~  作者: jnkjnk


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第3話:帰還、そして対面

王都の空は、呪われたように赤茶けていた。

かつては蒼穹を映し、白亜の城壁と美しいコントラストを描いていた空は今、砂塵と熱気で淀んでいる。太陽は慈悲なき暴君として君臨し、地上のあらゆる水分を奪い去っていた。


王宮の大広間、謁見の間。

そこには重苦しい沈黙と、腐臭にも似た絶望が漂っていた。窓は全て閉め切られているにも関わらず、どこからともなく入り込む砂が、磨き上げられた大理石の床を薄汚している。


「陛下……もう、限界でございます」


宰相が乾ききった唇を震わせて進言した。

玉座に沈み込むように座る国王の顔色は、蝋のように青白い。彼の周囲には、疲弊しきった大臣たちが力なく首を垂れていた。


「東部の穀倉地帯は壊滅、南部の水源も枯渇。さらに疫病の蔓延により、騎士団の半数が動けぬ状態です。民の暴動も時間の問題かと……」

「わかっておる……」


国王は掠れた声で答えた。その手は、玉座の肘掛けを強く握りしめている。


「だが、どうすればよいのだ。人事は尽くした。近隣国への支援要請も断られた。これ以上、我々に何ができると言うのだ」


神官長が進み出る。


「陛下、やはり『竜の巫女』の伝説に縋るほかございません。神託は下りました。救世主は現れると」

「その救世主とやらは、いつ来るのだ! 国が滅びてから来ても意味がないのだぞ!」


苛立ちを隠せない将軍が叫んだその時だった。


ゴォォォォォ……ッ。


地鳴りのような、あるいは大気が震えるような重低音が、王宮全体を揺さぶった。

シャンデリアが激しく揺れ、貴族たちが悲鳴を上げる。地震か、それとも敵襲か。誰もが最悪の事態を想像して身構えた。


「へ、陛下! 空をご覧ください!」


窓際にいた近衛兵が、裏返った声で叫んだ。

カーテンの隙間から、信じられないほどの強烈な光が差し込んでいた。それは太陽の灼熱の光ではない。冷たく、清冽で、どこまでも神々しい銀色の光だった。


次の瞬間、謁見の間の巨大なバルコニーの扉が、突風と共に弾け飛んだ。


「な、なんだ!?」


吹き込む風は、不思議なほど冷涼だった。熱気を帯びた広間の空気が、一瞬にして浄化されていく。

そして、その風に乗って「それ」は現れた。


バルコニーの向こう、赤茶けた空を背にして浮かんでいたのは、王宮の塔をも凌ぐ巨大な黒き竜。

その背から、一人の女性がふわりと舞い降りてくる。

重力を無視したような軽やかさで、彼女は大理石の床に静かに着地した。


「……遅くなりました。お招きにより、参上いたしましたわ」


広間中の視線が、彼女に釘付けになった。

純白のドレスに身を包み、顔を銀糸のベールで隠した女性。その佇まいは、この世の者とは思えぬほど優雅で、圧倒的な威厳に満ちている。

背後の空では、巨大な黒竜が悠然と翼を広げ、その銀色の瞳で玉座を見下ろしている。伝説の古代竜ヴォルグだ。


国王が震える足で玉座から立ち上がった。


「そ、そなたが……『竜の巫女』か?」

「左様でございます」


女性の声は、鈴の音のように美しく響き渡ったが、そこには氷のような冷たさも含まれていた。


「この国の惨状、空より拝見いたしました。大地は乾き、民は病み、国は死に瀕している。……哀れなことですね」

「おお、救ってくれるか! 竜の力をもってすれば、雨を降らせ、疫病を払うことも造作もないと聞く!」


王の懇願に、巫女はベールの奥で小さく笑った気配がした。


「ええ、可能ですわ。私の契約者である古代竜ヴォルグの力を用いれば、この国に再び恵みの雨をもたらし、穢れを浄化することは容易いことです」


広間に安堵の吐息が漏れる。これで助かる。誰もがそう思った。

だが、巫女は扇をパチリと閉じて、冷徹に告げた。


「しかし、条件がございます」

「じょ、条件? 金か? 領地か? 望むものは何でも与えよう!」

「物質的な富など、竜の前では塵に等しいもの。私が求めるのは、そのようなものではありません」


巫女は一歩、玉座へと近づいた。その圧力に、近衛騎士たちが思わず道を空ける。


「この国がこれほどの災厄に見舞われた原因……それは、この地に根付いた『罪』にあります。無実の者を陥れ、私利私欲のために正義を捻じ曲げた、醜悪なる罪。それが澱みとなり、天の怒りを買ったのです」

「つ、罪だと……?」

「はい。国を救いたくば、その元凶を清算せねばなりません。陛下、今すぐにある貴族の親子をここへ呼び出し、私の前で審判を受けさせていただきたいのです」

「ど、どの家の者だ?」


巫女は静かに、しかし明確に、その名を告げた。


「ヴァイデル侯爵家。当主ジェラルドと、その母ベアトリス。……彼らをこの場へ」


***


ヴァイデル侯爵家の屋敷は、かつての栄華を見る影もなく荒れ果てていた。

庭の木々は枯れ、噴水は干上がり、外壁の漆喰は剥がれ落ちている。使用人の数も激減し、広大な屋敷の中は薄暗く、埃っぽい空気が漂っていた。


「ああもう! なんでこんなに暑いのよ! 氷の配給はまだなの!?」


居間で扇子を乱暴に仰ぎながら、ベアトリスが金切り声を上げた。

汗で化粧が崩れ、厚塗りの白粉が斑になっている。着ているドレスも数年前の流行遅れのもので、所々に綻びが見えた。


「母さん、無理を言わないでくれ。氷なんて王宮や大富豪しか手に入らないほど高騰しているんだ。今の我が家にそんな余裕はない」


ジェラルドが疲労困憊した様子で答える。彼の頬はこけ、目の下には濃い隈があった。かつての貴公子然とした面影は失せ、生活苦に追われる中年男の悲哀が漂っている。


「情けないわね! あんたがしっかりしないからよ! エリーゼがいなくなってから、何もかも上手くいかないじゃない!」

「……それを言わないでくれ」


ジェラルドは頭を抱えた。

エリーゼ。その名を聞くたびに、胸の奥が焼けるような罪悪感に襲われる。

彼女がいなくなって三年。家は没落の一途を辿った。彼女がいかに優秀で、いかに多くの仕事をこなし、そしていかにこの家を守っていたか。それを痛感しない日はなかった。


(俺は、取り返しのつかないことをしてしまったのではないか……)


そんな後悔が頭をもたげるたび、母の「あの子が悪いのよ」という言葉に縋り、思考を停止させてきた。そうでもしなければ、正気を保てなかったからだ。


その時、屋敷の扉が激しく叩かれた。


「王宮からの使者である! ヴァイデル侯爵、ならびに先代夫人ベアトリス様へ、至急の出頭命令が出た!」

「えっ……王宮から?」


ジェラルドとベアトリスは顔を見合わせた。

この没落した家に、王宮から何の用だろうか。まさか、借金の取り立てか、それとも爵位の剥奪か。


「違うわ、ジェラルド!」


ベアトリスの目が、欲望でぎらりと光った。


「聞いたことがあるわ。『竜の巫女』様が現れたって噂! まさか、その巫女様が私たちをご指名なんじゃないかしら?」

「竜の巫女? なぜ僕たちを?」


「決まってるじゃない! 私たちは由緒ある侯爵家よ。もしかしたら、巫女様がこの家を拠点にしたいとか、あるいはあんたを見初めて婿にしたいとか……そういう幸運が舞い込んできたのよ!」

「そんな馬鹿な……」

「馬鹿じゃないわよ! これはチャンスよ! 巫女様に取り入れば、この貧乏生活ともおさらばできるわ! 王家の覚えもめでたくなって、また贅沢な暮らしができるのよ!」


ベアトリスは狂ったように笑い出し、クローゼットへ走った。


「一番いいドレスを出さなきゃ! ジェラルド、あんたも正装しなさい! 髭を剃って、シャンとするのよ!」


母の浅ましいほどのポジティブさに、ジェラルドは呆れつつも、心のどこかで微かな期待を抱いてしまった。

もし本当に、これが起死回生のチャンスだとしたら。

この地獄のような日々から抜け出せるのなら、何にでも縋りたい。

彼は震える手で、礼服のボタンを留めた。


馬車――塗装が剥げ、軋む音を立てるボロ馬車――に揺られながら、二人は王宮へと向かった。

窓の外には、飢えと渇きに苦しむ民衆の姿がある。だが、ベアトリスはそれを見ようともせず、手鏡で何度も化粧を直していた。


「いい? ジェラルド。巫女様の前では、あくまで上品に、かつての威厳を持って振る舞うのよ。私たちが被害者であるかのように振る舞うのも手ね。『悪妻に財産を持ち逃げされて困窮している』と同情を引くのよ」

「……母さん、まだそんな嘘を」

「嘘も方便よ! 生き残るためでしょう!」


ジェラルドは溜息をつき、目を閉じた。

瞼の裏に、エリーゼの最期の表情が浮かぶ。

『後悔なさいませんね?』

あの言葉が、呪いのように耳にこびりついて離れない。


王宮に到着すると、異様な雰囲気に包まれていた。

衛兵たちの視線が冷ややかだ。まるで罪人を見るような目つき。だが、興奮状態のベアトリスはそれに気づかない。

案内されたのは、最も格式高い謁見の間だった。


重厚な扉が開かれる。

そこには、玉座に座る国王陛下と、その傍らに立つ白衣の女性の姿があった。

そして、窓の外には信じられないほど巨大な黒竜が、赤い舌を出しながらこちらを覗き込んでいる。


「ヒッ……!」


ジェラルドは思わず足が竦んだ。竜の眼光があまりにも鋭く、自分たちを射抜いていたからだ。


「遅いぞ、ヴァイデル侯爵」


国王の声は硬かった。


「は、ははっ! 直ちに参上いたしました!」


ベアトリスは慣れた動作で優雅なカーテシーを見せたが、その膝は少し震えているようだった。ジェラルドも慌てて跪く。


「面を上げよ」


凛とした、澄んだ声が響いた。国王ではない。その隣に立つ、ベールの女性だ。

彼女こそが噂の『竜の巫女』に違いない。ベアトリスは媚びるような笑みを浮かべて顔を上げた。


「お初にお目にかかります、尊き巫女様。わたくし、ヴァイデル家先代夫人のベアトリスと申します。こちらは息子のジェラルド。この度は、このような栄誉あるお呼び出しをいただき、感無量でございます」


巫女はベールの奥から、じっと二人を見下ろしているようだった。表情は見えないが、不思議な圧迫感がある。


「……栄誉、ですか。私がなぜあなた方を呼んだのか、心当たりは?」

「ええ、ええ! きっと、我が家の高潔な歴史と、国への忠誠心を見込んでのことでしょう? 実は我が家、数年前にとある『不浄な女』によって財産を荒らされまして……今は少し見苦しい姿ですが、心は清廉潔白でございますの」


ベアトリスは流れるように嘘を吐いた。ジェラルドは心臓が止まりそうだった。神に近い存在である巫女の前で、これほど堂々と嘘をつける母の神経を疑う。


「不浄な女、とは?」


巫女の声が、わずかに低くなった気がした。


「エリーゼという、稀代の悪女でございます! 嫁として迎え入れてやった恩を仇で返し、あろうことか敵国と通じて国を売ろうとした売国奴ですわ! 幸い、わたくしがその悪事を見抜き、成敗いたしましたが……そのせいで家は傾き、苦労しておりますの。オホホ」


扇で口元を隠して笑うベアトリス。

国王陛下が何か言いたげに腰を浮かせたが、巫女が手でそれを制した。


「なるほど。そのエリーゼという女性は、冤罪を主張しませんでしたか?」

「ええ、もちろん! 悪人は皆、そう言うものですわ。ですが、証拠は明白でしたから。彼女は『竜の谷』へ落とされ、その汚らわしい命を散らしました。当然の報いですわね」

「……ジェラルド殿。あなたも、そうお思いですか?」


突然話を振られ、ジェラルドはびくりと跳ね上がった。


「え、あ、いや、私は……」

「あなたの妻だった女性です。彼女は本当に、国を売るような人間だったのですか? あなたの愛した女性は、そのような悪人だったのですか?」


問いかける声には、どこか哀切な響きがあった。

ジェラルドの脳裏に、エリーゼとの日々が走馬灯のように駆け巡る。

真面目に帳簿をつける横顔。領民の子供に微笑みかける優しさ。私の為に淹れてくれた紅茶の味。

彼女が悪人であるはずがない。そんなことは、最初から分かっていた。分かっていながら、母を守るために、自分を守るために、彼女を見殺しにしたのだ。


「……私、は……」

「ジェラルド! 何をもごもごしているの! 巫女様の前よ!」


母に叱咤され、ジェラルドは条件反射で答えてしまった。


「は、母の言う通りです……。彼女は、罪人でした。我が家の恥です」


その言葉が落ちた瞬間。

室内の空気が、絶対零度まで凍りついた。

窓の外の黒竜が、大きく喉を鳴らした。それは威嚇の音だった。


「……そうですか」


巫女の声から、一切の感情が消え失せた。


「よく分かりました。あなたたちが、救いようのない愚か者であり……私の死を願った、真の罪人であることが」

「は……? い、今、なんと?」


ベアトリスが間の抜けた声を上げた。

巫女はゆっくりと、顔を覆っていた銀糸のベールに手をかけた。


「我が名はエリーゼ。古代竜ヴォルグと契約し、冥府の淵より舞い戻った者」


さらり、とベールが滑り落ちる。

現れたのは、かつて泥に塗れて処刑されたはずの女の顔。

しかし、その美しさは人間離れしていた。月光のような銀髪、透き通るような白い肌、そして何より、竜と同じ縦に割れた瞳孔を持つ、鮮烈な銀色の瞳。

その姿はあまりにも神々しく、そしてあまりにも恐ろしかった。


「ひ……っ!?」


ベアトリスの喉から、引きつった悲鳴が漏れた。

ジェラルドは、幽霊を見たかのように目を見開き、腰を抜かして床にへたり込んだ。


「エ、エリーゼ……? ば、馬鹿な……死んだはずだ……竜の谷に落ちて……」

「ええ、落ちましたとも。あなたたちが突き落としたのですから」


エリーゼは、氷の微笑を浮かべて二人を見下ろした。

かつて見せていた慈愛に満ちた微笑みではない。罪人を断罪する、冷徹な裁判官の顔だった。


「お久しぶりですね、お義母様。それに、ジェラルド様。……随分とおやつれになったようですが、お元気そうで何よりですわ」


その声は優雅でありながら、聞く者の魂を震え上がらせる「竜の魔力」が込められていた。


「さあ、審判の時です。私が受けた屈辱、そしてこの国を危機に陥れたあなたたちの罪……その全てを、ここで清算していただきます」


ベアトリスは泡を吹いて卒倒寸前になり、ジェラルドはガタガタと震えながら、ただ絶望的な目で元妻を見上げることしかできなかった。

彼らの浅はかな期待は、最も残酷な形で打ち砕かれたのだ。


(ああ、なんてことだ……。彼女は帰ってきた。僕たちを裁くために……)


ジェラルドの心の中に、遅すぎる後悔と、底知れぬ恐怖が奔流となって押し寄せた。

救世主として現れたのは、自分たちが殺したはずの妻だったのだから。

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