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「幸福は有限らしい、聞いてないわ!」~侯爵令嬢と呪いのペンダント

作者: 22
掲載日:2025/10/10

 侯爵令嬢ティア=アルフェリスは幸福だった。1人娘を愛する穏やかな両親、忠実な侍女、愛する婚約者。

どこを切り取っても、絵画のような完璧な毎日。

しかし今朝、ティアの胸中に染み付いた一点の汚れが拭えなくなってしまった。


「確かに……私、できすぎてるのよね…」


大好きなスコーンを前にして、ティアは葛藤していた。


◆◇◆


その日の朝、ティアが目覚めたときに奇妙なことが起きた。

目を覚ますと枕元に、見知らぬペンダントが置かれていたのだ。


「なにかしら、これ」


赤い宝石が、銀細工の中に収まっている。添えられていたのは、小さな紙片一枚。


《幸福貯金ペンダント》

《これは、あなたの“人生の幸福”の残量に応じて反応する装置です》

《残量は表示されません》

《幸福貯金が減るたびに、振動します》

《幸福は使い切りです》


「……は?」


ティアは眉をひそめた。


(イタズラ……にしては、出来がいい)


そのとき、侍女が大きな花束を抱えて部屋に入ってきた。


「お嬢様、お目覚めですか?

朝早くに、王子からティア様にと王宮から花束が届いておりますよ」

「まあ!フィリクス様から?」


慌ててベッドから出て花束を受け取ると、カードが添えられていた。


「“君を思って庭のバラを選びました”だって……」


そう呟いた瞬間、手に持ったままだったペンダントがかすかに震えた。


「……!」


ティアは固まった。


(ペンダントが…震えた?)


ペンダントに添えられていた紙片を慌てて確認する。


「幸福貯金が減るたびに、振動します…?え…?」




 その日の午後、家庭教師が帰ったあとに息抜きにとティアは庭を散歩していた。


朝からずっと怪しいネックレスを眺めて難しい顔をしている私を案じて、侍女のフェイが庭でのお茶に誘い出してくれたのだ。鳥はさえずり、あたたかな陽射しが注いでいる。


「なんて気持ちのいい日……って言った瞬間に、また震えるのかしら」


呟いたとたん、ぴくりとペンダントが振動した。


(本当に……そういうことなの?)


庭に設えてある東屋に着くと、フェイが手早くお茶の用意をしてくれる。

それを眺めながら、ティアはこの不思議なネックレスについて考えていた。


フェイに確認したが、やはり昨日寝る前まではそんな首飾りはなかったという。

心配性の侍女は、そんな不審物すぐに捨てましょうと言ったが、私はそのネックレスを手元に残している。


「眺めてても解決しないわね」


気分を切り替えて、お気に入りの銘柄のお茶に口をつける。

天気もよく、スコーンも絶品。自然と顔がほころぶ。


その瞬間――ネックレスがかすかに、また震える。

私は、スコーンをそっと皿に戻した。


(今日これまでに、何度ペンダントが震えたか数え切れないわ。

しかもカードに書かれていた通り、確かに私が幸せを感じた時に震えてる)


ーーーーこれ、本物だわ。


《幸福貯金が減るたびに、振動します。》《幸福は使い切りです》


ペンダントに添えられたカードに書かれていたメッセージを思い出す。


(ということは……私の幸せは“有限”ってこと?)


その考えは一度脳裏に棲みつくと、なかなかティアの頭の中から追い出すことはできなくなってしまった。


「確かに……私、できすぎてるのよね…」


1人娘を愛する穏やかな両親、忠実な侍女、愛する婚約者。

なんの憂いもない日々。


「わたしの“幸福の消費量”は、予想以上だわ。

このままじゃ、すぐに“人生の残りの幸福”を使い果たしちゃう!」


ティアは確信した。

「幸福を消費しすぎる私のために、このペンダントを神様が授けてくださったのだわ!」


ティアはその神の御業を無駄にせず、しっかりと役立ててねばと決意した。


◆◇◆


「王子との来週のデートは、せっかくだけどお断わりしましょう。幸せになりすぎるわ。

あと、今日渡すはずだったシェフの誕生日祝いは…フェイに届けさせましょう」


直接渡すつもりだったけど、シェフの喜ぶ顔をみてしまったら、きっとティアは幸せになってしまう。


そうして数日間すごすと、初日は1時間に1回は震えていたネックレスが、徐々にではあるが沈黙する時間が伸びてきた。


「そうだわ!今日からは紅茶も無糖にしてもらって、お部屋に花を飾るのもやめてしまおう」


美しい砂糖細工を1日1つ選んで、紅茶に入れるのはティアが楽しみにしている日課だったが、それもやめて。

フェイが考えて飾ってくれていた部屋の花も、毎日楽しみにしていたのでやめてもらった。


「最近のティア様、冷たくなった気がする……」

「なにか追い詰められてらっしゃるような…?」


幸福を避ければ避けるほど、周囲は不思議そうにティアを見るようになった。

そんな使用人の訝しげな視線を感じるたびに、ティアの心は痛んだが、その痛みは計画が順調である証拠でもある。


試行錯誤を重ねて、日に日にペンダントの震えは減っていき、ただ赤く、静かに硬くティアの胸元を飾る時間が増えていった。


「これでいいわ。幸福を感じなければ、ペンダントは反応しない。幸福を感じなければ、私は“残量”を守れる」


まるで幸福そのものが、毒でもあるかのように。



◆◆◆◆◆◆◆


 ネックレスが現れてから2週間、ようやくこの日ペンダントは一度も震えなかった。



その裏では「ティア=アルフェリスが、笑わなくなった」との噂が社交界にも拡まっていた。

相思相愛の王子との逢瀬もすべて断り、社交の場では貴族の笑みを返し、

王妃教育の終わりに楽しんでいた、王宮の庭の花にも目を留めることが無くなったという。

誰もが疑問に思っていた。


「あのティア様が……どうして」

「お体の具合でも?」

「何か……ご事情があるのでは?」


誰にでも優しく笑顔を絶やすことがなかった少女が、貴族らしい微笑みしか見せなくなった。

その突然の変わり様に、さまざまな推測を口にしつつも誰もが心配していた。

もちろん婚約者の王子も。

王子妃教育で顔を合わせた今日も、なにか憂いがあるなら聞かせてほしいとティアの手を握った。


かつてのティアなら心が震えるような嬉しい出来事だったが、それでもペンダントが震えなかったことに、ティアだけはやりきった充足感に満たされていた。

胸に去来しそうになる達成感を抑えつけながら、ティアは日記に記した。


「ようやく今日、幸福消費ゼロ達成ーーと。やっぱり

幸福の残量を維持するためには、無感動であるのが最適ね」


ここ2週間の日記を見直しながら、対策を練る。

「何も感じないことが、一番幸福に近いのかもしれない」


彼女はふと、鏡を見つめた。映ったのは無表情の自分。

美しい。完璧な令嬢の顔だった。

(まるで空の器のようだわ)


そんなことを、その日ティアは思った。


ーーその数日後、事件は起こった。



 侍女のフェイが、大怪我をして屋敷に運び込まれた。

外出した際に馬車の事故に遭ったという。


治療は終わったが、血を大量に流して意識が戻らないまま青い顔でベッドに横たわるフェイを見て、ティアはハラハラと涙を流していた。子どものころから姉のように傍にいた存在で、最近のティアの変わり様を1番心配してくれていた。

今回の馬車の事故も、ティアが昔から好きだった果物を買いに行こうと郊外まで外出した際に遭ったという。


「ごめんなさい…フェイ。そんなに心配をかけていたなんて…」


ティアは、その冷えた手を握りしめる。

王子が手配してくれた薬と医師のおかげで大事には至らなかったが、ティアはぐったりと横たわるフェイの顔をみていることしかできない。しかし、その時。


ーーペンダントが震えた。



(……どういうこと!?)

(私、いま、“減らした”の?)


一瞬意味がわからず、ティアは混乱する。


「あなたが倒れたのに……わたし……」


ティアの指が、ペンダントに触れる。

それは、久しぶりの振動だった。


「そうか…」


姉のように慕うフェイが怪我をしたことでーー


(これで、もっと幸せにならないで済むと思って)


(わたし、喜んだんだわ…)


自分の思考に衝撃を受けた。

「誰とも笑い合わず、触れ合わず、喜ばず

人の不幸を喜んで。…それが“賢い選択”だというの?」


ティアは、ベッドの傍で震える声を出した。


「……フェイ。お願い。戻ってきて。私は、あなたの笑顔が見れるなら、減ってもいい」


「減っても……もう、それで、いいの」



 数日後。フェイは意識を取り戻した。

完全に治るのはまだ先だが、後遺症も残らないだろうという医者の言葉にホッと息が漏れた。


薬と医者を手配してくれた王子への礼状に、返事が届いたと渡されティアは封を切る。


「最近元気がなかったし、気心が知れた侍女も伏せってしまった。君が心配でならない」


そこにはティアへの愛と心配りがあった。

手紙を握りしめると、胸元のネックレスが震えた。


「……ああ、また減った」


ペンダントは、静かに振動している。


「でも……これでいいの。今、私は幸せ」


ティアはペンダントを外して、窓の外へ向かって放り投げた。

赤い石は、月光を受けて一瞬だけ光り――そのまま、ふっと溶けるように消えた。


その日を境に、ペンダントは現れなかった。

測られることのない幸福のなかで、ティアは少しずつ笑顔を取り戻していった。



 ある日の昼、王宮での勉強のあとに久しぶりに王子と庭の散歩を楽しんでいた時。

ティアはふと立ち止まり、空を見上げた。


「幸福って、“減る”と思われます?」


王子が笑って言った。


「僕は、“分ければ増える”って考えの方が好きだな」


その答えに、ティアは声をあげて笑った。


「私、減るのが怖くて間違えちゃったのかもしれないわ」


彼女の笑い声は穏やかだった。



 その後、彼女は国民に愛される王子妃、そして王妃となった。

誰かが悲しめば、側にいって共に悲しみ

自らの喜びは、民と共に喜んだ。

かつて幸福を節約しようとしていた彼女は、惜しまずに“幸福を使う”人間になり、

多くの民を幸せに導いたと歴史書には記されている。


*****************************


【件名】観察管理局:観測単位1900「ティア=アルフェリス」の記録消去および処理報告


【発信元】自律観測AIユニット "CIRCULUS-20554”


【本文】観測単位1900――通称「ティア=アルフェリス」は、次元空間e-89の物語進行区にて、“侯爵令嬢/王妃候補。溺愛ヒロイン”として設定された対象である。

本観測実験は、物語進行に乗っ取り幸福が定められた存在が、幸福を有限資源として知覚した場合、

いかなる行動選択をとるかの観察を目的とし、下記条件のもとで実施された。


【初期設定】

•観測対象は転生者ではない

•観測者側からの直接干渉は行わない

•《幸福貯金ペンダント》を支給し、幸福時に反応するよう設定

•「残量表示なし」とする

•終了条件:対象がペンダントの存在を自発的に放棄したとき



【経過記録】

初日:幸福を得るたびにペンダントが震えることを確認。強い混乱

7日目:対象は“幸福回避”に完全に舵を切る

14日目:完全に笑わなくなり、周囲に異常が認知される

20日目:侍女の事故により、対象は“人の不幸を喜ぶ”という思考に直面

→ 強い倫理的葛藤を発生。対象は「幸福を使い切ってもよい」と自己の意思を表明

23日目:ペンダントを投棄。自発的に放棄したため、終了条件成立


【特記事項】対象は「幸福を守るために幸福を捨てる」という倒錯に至りながらも、最後に「幸福を失ってもなお他者と共に笑いたい」と願うに至る。“柔軟な受容”であった。


《《 装置回収 》》

《《 記録消去処理開始 》》

《《 対象を観測リストから除外 》》


【考察】

観測単位1900「ティア=アルフェリス」は、“幸福の有限性”という設定を壊すことなく、最後にそれを乗り越える姿勢を選んだ。

我々観測者はしばしば、強制された枠組みを打ち破る“逸脱”を期待する。

本実験で期待されたのは、規定の幸福を自ら手放した場合の物語の新たな可能性だった。

たとえば、ヒロインの孤独の死。たとえば、新たなるヒロインの選定。

物語の強制力の強度をはかる試金石となるべく実行されたこの実験に、彼女は、“受容”と“分有”を通じて別の解答を提示した。この観測は、物語進行区における“幸福因子”の揺らぎと〝強制力〟に関する貴重なデータとなる。


【補足】観測AIユニット自身の感想ログ(削除予定)

対象が投擲した赤い石が月光に消える光景を、今でも反芻している。

数値では測れぬ輝きが、そこに確かにあった。


【結語】本記録をもって、観測単位1900の観測は終了する。

観測AIユニット "CIRCULUS-20554" は次の対象へ移行する。



星新一さんが好き過ぎて…。感想などいただけましたら、小刻みにバウンドして喜びます。

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