ぼくらの謎解きデイズ:平凡な僕が少年探偵団なんて始めたせいで、クラスの完璧超人が抱える闇に巻き込まれた件
雨が窓ガラスを叩いている。机に置かれたマグカップから湯気はとうに消え、灰皿には短い吸い殻が山をなしていた。新しい一本に火をつけ、深く煙を吸い込む。
ふと、机の隅に視線をやる。そこには一枚の色褪せた写真。半ズボンの少年三人、そして気の強そうな少女が一人。四人がぎこちなく、だが誇らしげに肩を組んでいる。
「東京少年探偵団」、か。
懐かしさと、今なお胸を抉る痛みが同時に蘇る。すべての始まりは、小学三年生の秋に起きた、あの忌まわしい事件。まだ世界が輝いて見えていた俺の人生を決定づけた、血と硝煙の記憶だ。
煙草の煙が、遠い日の夕焼けのように目の前をゆっくりと流れていった。
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僕たち四人は、自らを「東京少年探偵団」と名乗っていた。メンバーはリーダー格で力持ちのタカシ、物知りで冷静なヒロキ、紅一点で勝気なアカリ、そしてごく普通の僕、ユウタ。小学三年生の僕らにとって、世界は謎と冒険に満ち溢れていた。野良猫の失踪事件、公園の落書き犯探し。日常は、そんな小さな謎を追いかけることで輝いていた。
クラスには、いつも輪の中心で笑っているような男がいた。ケンタだ。成績はトップ、運動も得意。誰にでも優しく、太陽のように明るい。だが、僕だけは知っていた。ごく稀に、本当に一瞬だけ、彼の顔に深い影が落ちることを。
その日も、僕らは校庭の隅でケンタを交え、次の活動計画を練っていた。ケンタは目を輝かせながら言った。
「今度の土曜、河川敷を探検しないか? 古代の土器が見つかるかもしれないぞ!」
夕焼けが僕らの影を長く伸ばし始めた頃、タカシがふと尋ねた。
「ケンタ、最近元気ないな。悩みがあるなら聞くぜ?」
その瞬間、ケンタの顔から表情が抜け落ちた。まただ。あの影だ。
「……ううん、何でもない。考え事してただけ」
ケンタは無理に笑顔を作ると、足早に校門へ向かっていく。その後ろ姿を見送りながら、僕の胸には嫌な予感が広がっていた。
「何か、変だったよね……」
アカリが呟く。ヒロキは腕を組み、難しい顔をしていた。
「あいつの家は、少し妙だと聞いたことがある。詳しくは知らないが……」
僕らは何も言えず、ただ夕焼けに染まる彼の小さな背中が、やけに頼りなく見えたことだけが心に残った。
翌朝。昨日の胸騒ぎが嘘のように、教室はいつもの賑やかさに包まれていた。朝の会が始まる直前、ケンタが少し遅れて駆け込んでくる。
「寝坊した!」
彼はそう言って笑い、自分の席に着いた。ランドセルを机に置き、蓋に手をかける。
「さてと、今日の宿題は……」
その時だった。
ケンタがランドセルの留め具を外した瞬間、耳をつんざく轟音とともに彼の席が閃光に包まれた。爆風が教室を蹂躙し、窓ガラスが粉々に砕け散る。何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
耳鳴り。焦げ付く異臭。そして、熱。
煙が晴れた先に広がっていたのは、地獄絵図だった。
ケンタが座っていた椅子は無残に吹き飛び、壁にはおびただしい量の赤い飛沫が広がっている。ランドセルは跡形もなく、黒く焦げた革の破片が散乱していた。ケンタの上半身は木っ端微塵になり、肉片が教室中に飛び散っている。天井に張り付いた肉塊。僕らの机や教科書を汚す、ねっとりとした赤いもの。
隣の席のハルカは、顔半分を血に染めて倒れていた。後ろの席のケンジは、腕に突き刺さった木片を見てうめき声を上げている。何人かのクラスメイトは、爆風で意識を失っていた。
そして、僕の目の前。数センチ先に、ゴトリと小さな塊が落ちた。
それは、ケンタの右目だった。まだ潤んだままの瞳が、僕の顔を真っ直ぐに見つめている。まるで、何かを必死に訴えかけるかのように。その奥には、恐怖と、そして深い絶望が宿っていた。
先生の絶叫が、僕らを悪夢の底へと突き落とした。アカリはその場に泣き崩れ、タカシは呆然と立ち尽くす。ヒロキは顔面蒼白で唇を震わせ、僕は腰が抜けたように座り込んでいた。目の前の目玉から、一瞬たりとも視線を逸らせなかった。昨日まで笑い合っていた友達が、一瞬にして消えた。赤い染みと、焦げ付く匂いだけを残して。
事件は、前代未聞の「小学生ランドセル爆殺事件」として世間を大きく揺るがした。学校には警察が押し寄せ、僕らも事情聴取を受けた。何人かのクラスメイトは重傷を負い、入院を余儀なくされた。
「ケンタくんのことで、何か変わったことはありませんでしたか?」
刑事の優しい問いかけに、僕は前日の彼の暗い表情と、目の前に転がってきた目玉を思い出す。だが、どう伝えればいいのか分からなかった。子供の勘、で済まされてしまう気がした。
先生も親たちも、ただ悲しみに打ちひしがれている。ケンタの母親は、テレビカメラの前で涙ながらに犯人への怒りを訴え、世間の同情を集めた。憔悴しきったその姿に、誰もが心を痛めた。
しかし、捜査は完全に行き詰まっていた。ランドセルに仕掛けられた爆弾は極めて巧妙で、犯人に繋がる物証は一切ない。ケンタが誰かに恨まれる心当たりもなく、事件は早々に迷宮入りが囁かれ始めた。
「警察は何も分かってない」
放課後の公園で、タカシがブランコを蹴りつけながら吐き捨てた。
「ケンタが、ただの事故で死んだなんて絶対に思えない」
「あいつが見せた暗い顔。あれが鍵のはずだ」
と、ヒロキが冷静に分析する。
「僕たちで調べるしかない。ケンタがなぜ死ななければならなかったのか」
アカリが涙を拭い、強く頷いた。
「そうよ。ケンタのために、私たちが犯人を見つけるの」
僕も、固く拳を握りしめた。そうだ、僕らは探偵団だ。友達の無念を晴らす。僕ら自身の心の傷を癒すためにも。大人たちが見つけられない真実を、この手で必ず暴き出す。
「東京少年探偵団、捜査開始だ」
僕らの捜査は、ケンタの母親から話を聞くことから始まった。憔悴しているであろう彼女に会うのは気が引けたが、何かを知っているとすれば、最も身近な家族のはずだ。
四人でケンタの家を訪ねると、やつれた顔の母親、カヨコが出迎えた。僕らがケンタの友達だと知ると、彼女は涙を浮かべて中に招き入れた。
「あの子のために、来てくれてありがとう……」
リビングにはケンタの大きな遺影が飾られていた。写真の中の彼は、僕らの知っている太陽のような笑顔だ。カヨコは、ケンタがいかに素晴らしい息子だったかを涙ながらに語る。その姿は、息子を失ったごく普通の母親にしか見えなかった。
だが、些細な違和感が僕の心に引っかかった。
ヒロキが尋ねる。
「ケンタくん、最近、何か悩んでいる様子はありませんでしたか?」
母親は一瞬、本当にほんの一瞬だけ、目を泳がせた。
「いいえ……あの子はいつも明るくて、悩みなんて……何もない子でしたわ」
嘘だ。僕には分かった。あのわずかな動揺は、何かを隠している者のそれだった。
その日から、僕らはカヨコの身辺を徹底的に調べ始めた。子供にできることは限られている。それでも、諦めなかった。ヒロキの提案で、役割を分担して動いた。
まず、ケンタの家の周辺で聞き込みを続けると、近所の噂好きの女性から奇妙な話を聞き出せた。
「そういえばカヨコさん、ここ数ヶ月、不審な車が家の周りをうろつくって、警察に相談したとか言ってたわねぇ」
ストーカーか、誰かからの嫌がらせか。カヨコが被害者である可能性が浮上した。
次に僕らは、カヨコの過去の行動を追った。インターネットの地図で彼女のパート先やよく行くスーパーを調べ上げ、その周辺の店をローラー作戦で回った。
図書館で新聞を調べ、近所のおばさんたちにそれとなく話を聞いて回る。そして、少しずつ、恐ろしい事実の欠片が見え始めてきた。
ケンタの家は、もともと資産家の家系だったこと。しかし、ケンタの父親の代で事業に失敗し、多額の借金を抱えていたこと。そして、健太には遠い親戚から、莫大な遺産が相続される予定だったこと。その遺産相続の条件は、非常に複雑だった。ケンタが特定の年齢に達した時点で相続権が発生するが、もしケンタがそれ以前に死亡した場合、その親権者、つまり母親のカヨコが全額を相続するという、特殊な信託契約が結ばれていたのだ。
そして、点と点が線で結ばれ、恐ろしい計画の輪郭が浮かび上がってきた。
カヨコは数ヶ月前から、自らが「何者かに狙われている被害者」であるという状況を、計画的に作り上げていたのだ。近所への相談、警察への通報。すべては、事件が起きた際に自分に捜査の手が及ばぬようにするための偽装工作。犯人像を「外部の人間」に仕立て上げるための罠だった。
爆弾の材料も、決して一箇所では購入されていなかった。ヒロキがネットで得た知識を元に、僕らは可能性のある材料をリストアップした。そして聞き込みを続けるうちに、驚くべき事実が判明する。
「ああ、園芸用の肥料なら、二ヶ月前にうちで買っていったな」
「電子タイマーの基板だけ買っていきましたよ。カヨコさん、何か工作に使うとかで」
「ロケット花火の点火装置、一つ売れてました。買ってったの、カヨコさんだったかなあ」
購入時期も、場所も、品物もバラバラ。一つ一つは怪しまれない、ありふれた買い物。カヨコは数ヶ月をかけ、現金払いで少しずつ部品を買い集めていた。それは、捜査線上に浮かび上がることを絶対に避けるための、執念深い偽装だった。
化学や電子工学の知識はどこで得たのか。僕らは、彼女が数ヶ月前、地域のカルチャーセンターで偽名を使い、たった一日だけの「電子工作入門講座」に参加していたことを突き止めた。ごく基本的な回路を学ぶだけの講座だったが、彼女にとっては起爆装置を組み立てるための、最後の知識を埋めるピースだったのだ。
背筋が凍りついた。これは衝動的な犯行ではない。何ヶ月も前から偽装を重ね、周到に準備された悪魔の計画だ。ケンタが見せた暗い顔は、この母親の狂気を言葉にできずとも肌で感じていたからに違いない。そして、あの目玉が僕に訴えていたのは、母親への憎しみと、助けを求める最後の叫びだったのかもしれない。
僕らは、自分たちがたどり着いた結論に震えた。だが、証拠がない。状況証拠だけでは警察は動かないだろう。
決定的な証拠。それは計画の全貌が記された何かに違いない。
僕らは、カヨコが外出する僅かな隙を狙ってケンタの家に忍び込むという、最後の賭けに出た。タカシが見張りに立ち、僕とヒロキ、アカリが家に滑り込む。心臓が張り裂けそうだった。遺影の中のケンタが、僕らを見つめている。
「家中を探す時間はない。証拠を隠すなら、一番見つかりにくい場所だ」
ヒロキが囁く。僕らはケンタの部屋に入った。その時、アカリがクローゼットの奥に隠された小さな金庫を見つけた。鍵がかかっている。万事休すかと思われたその時、ヒロキが学習机の写真立てに目を留めた。
「ケンタの誕生日だ……」
ヒロキが呟きながら、写真立ての裏に書かれた数字をダイヤルに入力する。カチリ、と小さな音がして重い扉が開いた。
中には、一冊の日記があった。カヨコのものだ。
ページをめくった僕らは、息を呑んだ。そこには、僕らの想像を遥かに超える、冷徹で緻密な計画の全貌が彼女自身の筆跡で記されていた。
遺産相続の条件と、ケンタを「排除」するという結論。偽の被害者像を作り上げるための、警察や近隣住民への接触記録。数ヶ月にわたる材料の購入リストと、それぞれの購入品が本来の目的を偽るためのメモ。爆弾の設計図。それはランドセルの底板に偽装され、日常的な衝撃では決して作動しない巧妙な構造になっていた。そして、最も恐ろしかったのは起爆装置に関する記述だった。
『ランドセルを閉じた時点で第一スイッチがON。留め具を外した時点で第二スイッチが作動、起爆する。公共の場で爆発させることで、テロの可能性を捜査陣の頭に植え付ける』
日記に、息子への愛情などひとかけらもなかった。あったのは、自らの計画の完璧さに対する陶酔と、邪魔な存在を排除する冷たい計算だけだった。
僕らは日記を手に、交番へと走った。
最初は半信半疑だった警察官も、日記の内容に顔色を変えた。
数日後、カヨコは逮捕された。テレビのニュースで、連行される彼女の姿が映し出される。その顔から悲劇の母親の仮面は剥がれ落ち、能面のように無表情な、悪魔の顔だけがそこにあった。
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長く、深く、煙を吐き出す。
事務所の窓の外は、いつの間にか雨が上がっていた。冷めきったコーヒーを一口で飲み干し、俺は灰皿に煙草を押し付ける。
結局、俺は探偵になった。いや、探偵でいるしかなかった。あの日、目の前に転がってきたケンタの目玉。何かを訴えかけるあの瞳が、今も脳裏に焼き付いて離れないからだ。
あの瞳が見つめる先にあった真実を、子供だった俺たちは暴き出した。だが、世界にはまだ、誰にも気づかれずに埋もれた真実や、救いを求める声が無数にあるはずだ。
俺は立ち上がり、コートを羽織る。
ドアを開けると、雨上がりの湿った夜気が流れ込んできた。
さあ、次の事件だ。この街のどこかで、また誰かが真実を求めて泣いている。