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この「スクランブルワールド」からルビ機能を使い始めたのですが、結構打つのがけっこう面倒ですね^^;
ルビ機能がきちんとつかえていない可能性がありますが、ご容赦ください(発見次第訂正します)
ぼくは思わず足を止めて、その少女の様子をうかがった。
その少女は、明らかに日本人ではなかった。金髪で長髪のその髪は肩よりも少しだけ下まで伸びていて、身長はあまり高くない。細江さんと同じくらいだろうか。雨に濡れた衣装は、フリフリのついたワンピース……というよりはシンプルなドレスといった感じ。その上に、薄手の白いコートを着ている。前は閉められていない。かなり薄着のようにも見える。服が雨でべっとりと体に張り付いて、少女の体のラインを強調している。控えめな胸に、すらりとした身体。スタイルはかなり良い。……何を見ているんだ、ぼくは。
その少女は雨などに興味はないとばかりにその場でじっと立って、空を見上げていた。何を見ているのかとぼくも少女の視線を追ってみたけれど、何も見つけることはできなかった。あったのは、普段はそこにあるはずの月を隠してしまっている雨雲だけである。
「あの……大丈夫?」
とりあえず日本語で対応。下手に英語とかで呼びかけて、ぺらぺらと応えられても、ぼくはそれには応えられないだろうから。
「……」
しかし、少女は返事すらもしなかった。ただ呆然と、空を見上げていた。それは酷く寂しそうな表情だった。
「あのさ、酷い雨だから帰ったほうがいいじゃない?」
何度か同じ台詞で呼びかけ、やっとその少女はこちらに意識を向けた。
「風邪ひくぞ」
「……」
無言でぼくの顔を見つめる。初めて顔を正面から見て、ぼくは息を呑んだ。きれいな白い肌。雨に濡れて、体温も下がっているだろうに、赤みを帯びた唇。澄んだ赤い(赤い!)瞳。
「風邪ひくから、帰ったほうが……」
何度目だろう。さっきから何度も言ったその台詞をその少女に向ける。しかし、少女は芳しい反応を返さなかった。
「……、キャ、キャン、ユー、スピーク、ジャパニーズ?」
勇気を振りしぼって英語を話してみる。ただ、あまりしゃべるのは得意じゃない。完全なカタコトの英語になってしまった。
「……」
けれど、少女は無反応だった。
英語すら伝わらないのだろうか。そうだったら完全にぼくはどうしようもない。日本の義務教育では英語くらいしか外国語は習わないのだ。
しかたないので、言葉いらずの世界共通語に挑戦してみよう。平たく言えばジェスチャーだ。身振り手振りで状況を説明してみる。どうして自分が初対面の子相手にここまで必死になっているのか、だんだんと疑問に思ってくる。
やっぱり少女は無反応だった。感情が欠落したかのように、何の反応も示さない。警察に電話したほうがいいのだろうか? しかし、そうするにしても携帯電話は今アパートの鞄の中にある。交番はここからは離れていて、アパートのほうが近い。やっぱり一度帰ったほうがいいだろう。
「あのさ、早く帰りなよ? ほんと、風邪ひくから」
もう一度それだけを告げ、ぼくは後ろ髪引かれる思いでその少女に背を向けて歩き出した。もはや走る気にもなれない。もうどうしようもないほど濡れてしまっている。
「風邪ひくのはぼくのほうだな」
自虐的に呟いてみても、あまり楽しい気分にはなれなかった。
大きな水溜りにさしかかる。飛び越える気にもなれず、ぼくはそのまま水溜りに進入した。びしゃ、という水音が二度した。水溜りを超えると、後ろからまた水音がした。
振り返ると、そこにはさっき別れたはずの少女が立っていた。
「どうした……?」
少女はやっぱり無反応で、ぼくが一歩後ずさると、少女も一歩歩いてきた。
どうも、ぼくについてきているらしい。
「君の家、こっちなの?」
問いかける。
「…………」
反応はない。
「何とか言ってくれよ。わからないって」
「――――」
少女の口が動く。初めて彼女がぼくの言葉に反応を示したが、しかし、何を言っているのかは聞き取れなかった。
「? なんて言った?」
「――――」
やはり聞き取れない。
「やっぱり聞えないけど……。とりあえず、君は帰ってるんだろ? 風邪、ひかないようにね」
ぼくはもう一度少女に背を向けて歩き出す。後ろに意識を集中してみると、少女はぼくと同じくらいの歩調で歩いてきているようだ。
なんだろう。普段なら絶対に気味悪く思ったり、怖かったりするだろうけど、全然そんな気にはなれなかった。むしろ、ついてきていることが予定調和のようにも感じられる。それが普通だと感じてしまう。
「錯覚だ」
そう。こんなことは錯覚でしかない。この少女は内気で内向的な性格で、あまり感情を表に出さない子なのだ。で、家もコッチの方面だから、ぼくについてくるような形になっている。種を明かせばその程度のものだろう。
雨が唐突に止んだ。通り雨だろうというぼくの読みは当たったが、そんなことはもうどうでもよかった。雨音が聞えなくなって、後ろの足音がよけいに聞こえてくる。
ぼくが歩くと、後ろから足音がついてくる。
ぼくが止まると、後ろの足音も止まる。
けれど、不思議と恐怖心は出てこない。
とうとう安アパートに到着した。少女はまだぼくの後ろに立っているはずである。あれから確認はしていないが、足音だけはずっとぼくの後ろから聞こえていた。アパートの敷地に入っても、その足音はぼくの後ろから聞こえてくる。案外、ぼくがしらなかっただけで、このアパートの住人なのかもしれない。それか、このアパートの住人の誰かの知り合いかのどちらかだろう。
階段を上がって、部屋の鍵を開ける。それでもやはり、少女はぼくの後ろに立っていた。
振り返ると、やっぱり少女はそこに立っていた。
「君の家はこの部屋じゃないだろ?」
「――――」
何かを言っているようだったが、やはり聞き取れなかった。
「自分の家に帰りなよ」
けれど、やっぱり少女は何も応えなかった。そこで一つの仮説が頭に浮かぶ。
「君、家出してきてるのか?」
少女は何も応えない。けれど、きっとそうなのだろう。だから、帰れといっても帰らなかった。そう考えれば納得がいく。けれど、だからといってぼくについてくる理由にはならないのだけど。
「困ったな……君さ、名前、なんていうの?」
「――――」
少女は口を動かす。けれど、何度も言うように、何も聞き取れなかった。
「? ぼくは平野拓っていうんだ」
「――――……――」
何かを言ったようだった。
「はあ……。行くあてがないなら、今晩は泊まっていきなよ」
こうなったら仕方がない。一晩あれば、家に帰る決心くらいつくだろう。
「ほら、狭いところだけど」
ドアを開けて少女を部屋に招く。少女はゆっくりとした足取りで、玄関をくぐった。入ったすぐの段差を、少女はまじまじと見つめ、靴を脱いで、一歩だけ進んだ。
「シャワー浴びるだろ?」
部屋に入ったすぐで、どうして部屋に入れたのか疑問に思いつつも部屋の外に出てもらう。共同の風呂場なのだ。
風呂場に案内して中に入る。
「自由に使っていいから。あ、何かあったら呼んで」
言ってから、少女の声が聞き取れないことに気づいた。
「いや、ドアを叩いて」
少女は何も反応はしなかった。
「タオルはここに……っ!」
タオルを置いて少女に向き直ると、すでに服を脱ぎにかかっていた。
「ちょっ、おいおいおい。じゃ、じゃあ、着替え、君がシャワー浴びてるときに置いておくから」
早口にそう言って、ぼくは脱衣所を飛び出した。
下着も白かった。……じゃなくて。
白いワンピース(ドレス?)に白い上着。白い下着。どうも、あの少女は白が好きらしい。
「だから……」
ぼくは一体何を見ているんだ。
オスとしては普通の反応だろうが、まあ、恥ずかしいことこの上ない。と、シャワーを浴びる音が聞え、少女の着替えを準備していないことに気づいて、タンスを漁る。身長は頭一つくらい違う。まあ、シャツなら少しくらい大きくても問題はないか。下はどうしよう。スウェットなんて持ってないし。……ジャージでいいか。
そんな感じで適当に服を選び、脱衣所に置いておいた。
ほどなくして、少女が脱衣所から姿を現した。
着ていたのは、さっきまで来ていたドレス(もうドレスと勝手に呼称しよう)だった。
「濡れてるだろ!」
思わず声をあげてしまう。慌てて駆け寄り、そのドレスに触れる。しかし、それは完全に乾燥していて、さっきまで大雨に晒されていたとは思えないものだった。
「どうなんてるん……クシュッ! ああもう、後回しだ」
まず自分がシャワーを浴びないことには始まらない。脱衣所にはいると、さっきぼくが準備していた服がそのままの状態で置かれていた。少女の服はどこにも見当たらない。当然だ。少女は今、その服を着ているのだから。
「どうなってるんだ?」
服を脱いでシャワーを浴びる。冷え切ってしまった身体に、心地よい湯の感覚。しかし、どうしても頭を支配するのはさっきの不条理。
いつもよりも早めにシャワーを切り上げて、外に出る。少女は扉の横で立っていた。
「君は……一体何者なんだ?」
「――――」
何かを言った。けれどわからない。
「ああもう。どうして聞えないんだ。ったく。もういいや。君とは今日だけの縁だろうしな。何か食べる?」
部屋に戻りながら聞いてみる。
「――」
「聞えないんだった。まあ、二人分適当に作るから待ってて」
身体が温まってすぐにできるもの。言葉が通じてるから、きっと日本食にもある程度対応できるはず。なら。
ぼくが作ったのはうどんだった。一応、箸とフォークを一緒に渡した。少女はぼくとうどんを交互に見、その後、じっとぼくを見つめた。
「食べなよ。口に合うかどうかはわからないけど」
そう言ってやると、少女は迷わずに箸を手に取り、遠慮がちに麺を掴んで口に運んだ。静かに麺をすすり、それを飲み込む。口にあったのか、少女は無心にうどんを食べていた。
ぼくも食事に取り掛かる。二日連続のうどんだったが、あまり気にしない。身体の冷えをどうにかすることのほうが、今は優先してしかるべきことだろう。
食事が終わり、食器を片付ける。少女はそのあいだ、やっぱり部屋の片隅でちょこんと座っていた。
「ぼくはそろそろ寝るけど、君はどうする?」
反応はない。そろそろいい加減悲しくなってきたけれど、思い返してみれば、最初に話しかけていたときから無反応だったことを思い出し、また悲しくなった。
「布団敷いておくから、適当なときにちゃんと寝なよ」
二人分の布団を敷いて、片方の布団に潜り込んだ。どうせ、盗まれて困るようなものはない。お金に関するあれこれ(預金通帳とかもろもろ)は、人目につかない、人の発想が及びそうにもないところに保管しているし、財布と携帯は少女がシャワーを浴びているあいだに預金通帳と同じ場所にしまいこんだ。そのほかには特に何もないのだ。
電気はつけっぱなしにしておく。
ほどなくして、ぼくは睡魔に負けた