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なんか毎回前書きを書いていますけれど、実際書いても書かなくてもどっちでもいいんですよね…。書くのが義務みたいな気でいました。
空き教室から机と椅子を調達して、その帰り道。ぼくは手ぶらだった。かわりにリゼが机と椅子を軽々と持ち上げていた。
「まあタクとわたしとじゃ、種族的に性能が違うからね」
笑いながらそう言うけれど、これをクラスの連中の誰か、いや、学校の誰かに見られたらぼくは一体どうなるのだろう。想像するのも怖いのだが。
「リーゼ・ブリュスタンだったか?」
と、後ろから声をかけられた。
「灰谷」
「ああ、そうだ。オレの自己紹介がまだだったな。オレは灰谷琴音だ」
「よ、よろしく」
「ああ、よろしく。……さっきは悪かったな」
え? と、リゼは首を傾げる。
「なんだ。謝るほどのことでもなかったのか?」
「なんのことかわからないけど」
あ、もしかしたら。
「ほら、さっきのHRのことじゃないか?」
「そうだ」
「ああ、あれだったら大丈夫だよ。わざわざありがとう」
「いや、礼なんていらない。じゃあな、吸血鬼の転校生」
なんだかトゲのある言い方だった。
「わたし、何か悪いことしたかな?」
「さあ? 灰谷は誰に対しても大体あんな感じだから気にしなくてもいいぞ」
「そうなんだ」
リゼはどこか不思議そうな顔をしていたけれど、どうせ人間の心が解せなくて不思議な気分なのだろう。ま、ゆっくりと慣れていけばいいと思う。
「じゃ、そろそろぼくが持つぞ。灰谷ならいいけど、ほかの連中に見られたら面倒だからな」
「え、うん」
リゼから机と椅子を受け取る。空の机は軽い。ぼくでこの重さなら、リゼはこれをどれくらいの重さに感じているのだろう。もしかしたら紙程度の重さなのかもしれない。個人的にはダンボールくらいの重さは感じていてほしいものだ。
休み時間。リゼはさっきの休み時間に集まってきた連中の質問攻めにあうことになった。その波はぼくにも及び、とうとうぼくとリゼがどうして同棲することになっているか、という最も重要かつ説明しにくい質問がなされた。
「その質問の答えはリゼに任せる。ぼくの口から答えるより、リゼの口から言ったほうが説得力があるだろ」
「タクがそう言うならわたしが説明するよ」
雨の日に出会ったこと。
風呂に入れてやり、飯を食わせてやったこと。
ヴァンパイアハンターと戦ったこと。
リゼは包み隠さず(さすがに細部は説明しなかったけれど)、リゼは説明した。ヴァンパイアハンターのくだりで、もしかしたらリゼに対して恐れを持つ人も出てくるかもしれないと思ったが、幸い誰もそのような感情を持たなかったようだ。むしろかわいいから許す、みたいな雰囲気だった。
ふと気づく。リゼを囲む輪は非常に大きい。それこそクラスの全員が集まっているのではないかと思ってしまうほどだ。いや、事実そうだった。こちらに来ていないのは、元からあまり興味が無さそうだった灰谷と、内気で大人しい女の子。それから……あれ? あのお調子者が来ていない。そいつは夏樹と同じ属性なので、普通なら真っ先にやって来るはずなのに。確か名前は……なんだっけ? あんまり話もしないから忘れてしまった。目立つやつだけど、あんまり名前を呼ばれないのだ。あいつは。
「へー、そりゃまた漫画みたいな出会い方だね」
女子が言う。
「俺もそんな出会いしてえよ」
男子の誰かが言う。
「ぼくは死ぬかと思ったけどな」
これは本音。あんな人外バトルはもう嫌だ。リゼと一緒にいる限り、それは避けられないのだけど。まああの男、♯から〈虚構殺し〉を受け取ったときから、それは覚悟している。来るなら来い、とはさすがにいかないけれど。
「いいじゃんよ。で、そのヴァンパイアハンターはどうなったわけ?」
「さあ? そこまでは知らないよ。機関に何かしらの罰でも与えられてるんじゃない?」
何てことも無さそうにリゼは言う。正直どうでもいいのだろう。あの男が何をされても、それは対岸の火事以上のことではないのだ。
「で、リゼちゃんが戦ってるあいだ、タクは何をしてたんだ?」
「あ? それはお前、リゼの戦いの邪魔にならんようにしてたんだ」
これは仕方のないことだ。ぼくがあの場で何かをしていたなら、邪魔以外の何ものでもなかっただろうし、まず一番にぼくが死んでいた。
「馬鹿じゃないのか?」
と、さっきまでいなかった男がそこに現れた。いつもならお調子者のクラスメイトだ。それは、今までのこいつからは考えられないような冷たい声だったが、ぼくはいつものように軽く返そうとした。
「いやいや、お前だってあの場にいれば――」
「俺はそういうこと言ってんじゃねえよ。なあ、考えろよ。世界学が本当だなんて、誰が証明したよ。なあ、考えろよ。どうしてこの女が妄想で吸血鬼だなんて名乗ってると考えない?」
一同が押し黙る。それはこいつが言っていることが正論だから、というわけじゃない。突然現われてこんなことを言うこいつのことが理解できないからだ。クラスメイトの大半はもう見ているのだ。リゼの超人的な身体能力を。一度の跳躍で天井を蹴り、そのまま人ごみを飛び越えてしまうその身体能力を。
「考えろよ」
けれど、そんなことより。
この次の言葉のほうがぼくには衝撃的だった。
「まあ、仮にこいつが本物の吸血鬼だとして、どうして平野――」
そこでこいつは大きく息をついた。
「――お前はどうして、人間サイドであるはずのヴァンパイアハンターを倒しちまったんだ?」
どうしてだろう。
ぼくにはわからない。
リゼを助けたいとか、そういう気持ちがあったわけではない。リゼと共に戦うこと、それが当たり前のように感じていた。
「吸血鬼には魅了って力がある。異性を虜にする力だ」
冷たい声。こいつがこんな声を出せるとは思いもしなかった。
「どっちにしても……リゼっていったか?」
「やめろ。石動」
そうだ。このお調子者の名前は石動だった。
……今の声。
「……灰谷」
灰谷は教室のドアに悠然ともたれかかっていた。どうしてこいつはこういう芝居がかった仕草がこうも似合うのだろう、とかそんなことはどうでもよくて。
灰谷からは、たかが高校生から出ているとは思えない剣呑な雰囲気が漂っていた。
「なんだよ、灰谷。俺の言ってることは間違ってるか?」
至極客観的に見て、ぼくという個人の感情を一切殺してしまえば、たしかに石動の言おうとしていることもわからないでもない。いや、これが一般論なのかもしれない。大体、リゼが自己紹介をしたとき、ぼくはクラスメイトに対して、どうしてそう思わないのかと疑問に思ったではないか。
どうしてリゼの自己紹介で素直に安心できたのか、と。
どうしてもう少し疑わないのか、と。
けれど――。
だからと言って――。
「おま――「知らん」」
さすがに我慢ならなくなって腰が少し浮いたとき、ぼくの声に被せるように灰谷の声がした。
「はあ? なんだよ、それ」
「お前が言おうとしていることはわかるぞ、石動。だが、人として言っていいこと悪いことくらいの分別くらいはつかないか? それに石動、世界学を肯定するのと同じくらい、お前の考えを肯定することは難しい。世界学の考えが正しいか否かなど、立証するすべなど本来的に――ない」
「何が言いたいんだよ」
苛立ちを隠そうともせず石動が言う。
「言いすぎだと言いたいんだ。オレの言いたいことが伝わらないか? それ以上言うなら、オレは我慢できんぞ」
灰谷の射殺すような、噛み砕くような視線が石動を見つめる。それはぼくたちですら寒気を覚えるほどの眼光だった。それを直接浴びている石動は、一体どういう気持ちなのだろう。
想像するだけでも嫌だ。
「かっ! そうかよ。だったら、そう思って過ごすといいさ。世界学なんてただの妄想でしかない」
「世界学にも根拠はないが、お前の言い分にも根拠はないぞ。まあ、否定するだけならその必要もないか。何事も、肯定するよりも否定するほうが簡単だからな」
そう言って、灰谷は席に戻って本を読み始めた。もはや石動には興味もないといった態度だった。
そして。
その言葉と態度は、石動を沸点まで熱くさせるには十分すぎた。
というか、こいつの沸点が低い。
「言いたいことだけ言いやがって!」
石動が走り出す。当然目的地は灰谷の席だ。
「灰谷!」
反射的に叫ぶ。リゼも立ち上がって、石動を止めようとする。
「舐めてんのか!」
灰谷の襟元を掴み上げ、石動が吠える。
けれど。
一瞬後には、灰谷が石動の腹を踏みつけていた。ぼくの目には何も見えなかった。気がつけば、そう、一度瞬きをした後にはすでにこの状況だった。
「リゼ、見えた?」
「う、うん。でも人間にあんな動き……」
苦しそうに石動が灰谷の足首を掴む。
「ぐっ……このっ!」
けれど、足はびくともしない。
「リゼは吸血鬼だが……」
灰谷の瞳の色が変わる。黒い瞳は徐々に青のような、緑のようなそんな色に変わっていく。
「オレはドラゴンだ」
灰谷の口から青緑色の光が漏れる。けれど、それは口から少し漏れる程度で、それ以上出てくることはなかった。
「なっ……!」
絶句する。
「ああ、お前の質問にもう一度答えてやるよ。お前の言っていることは決定的に間違っている。世界学は――真実だ。わかったか? オレもリーゼ・ブリュスタンも紛い物じゃない」
もう一度強く腹を踏み、灰谷は足をどけた。石動は床で呻いているけれど、灰谷はそれに目もくれずに読書に戻った。
大丈夫なのか?
これからの学校生活は……。