7
GW中は投稿が止まるかもしれません。
結局、夏樹はリゼが解いた分の問題を全て書き直した後、無駄に居座ることもなく帰っていった。
「これだけが目的だったからな。ばーい、リゼちゃん。またよろしくー」
と、そんなことを言いながら、この部屋を出、すぐに何かにつまずいたのか、派手な音を鳴らしていた。
馬鹿だけど、自分の目的以上の何かをしようとしない男なのだ。夏樹は。
そして今は夜。夕食を食べ終わった後の、とりあえず風呂に入ろうか、それともゆっくりとしようかを考えている時間である。
が、今日ばかりはそうもいかない。
「なあ、明日もあいつは来るのか?」
昼に突然部屋にやってきた♯と名乗る男を思い出す。夏樹が来るのがもっと早かったらと思うと、ぞっとする。
「たぶん来るんじゃないかな? それも日中に」
「日中? どうしてそう言いきれるんだ?」
敵方の行動時間なんて、そんなものわかるはずもないのに。何か、そう言いきれる根拠があるのだろうか。
「タクって理解早いけど、あんまりモノは知らないのかな?」
少しだけイラッとしたが、我慢して続きをうながす。
「夜は吸血鬼の時間だよ。夜はわたしの力が完全な状態で発揮されるの」
「あー、なんかそんなことあの男も言ってたような」
昼の貴様は、夜よりも死にやすいだろう? 男は確かにそう言っていた。その言葉の通りなら、確かにやって来るのは日中ということになる。
「けど、あいつの魔銃にそれは関係あるのか? 夜でも君を殺しきる自信があるんだろ?」
曰く、『その世界に存在し得ないもの』『存在が不自然なもの』をコロスことに特化した魔銃。今ぼくの目の前にいるリゼが、どうしてその定義に当てはまらないと言えるだろうか。いくら世界の仕組みからこの世界に顕現しているとはいえ、『自然な存在』であるとは到底思えない。
「わかんない」
「わかんないって」
「わからないものはわからないよ」
「にしては魔銃に詳しかったよな」
「当たり前だよ。タクだって、自分の目で見たものしか知らないってわけじゃないでしょ?」
言われてみればそうだ。自分が見たことないものでも、聞いた覚えすらないものでも、いつの間にか知っている。それがそうであることを知っているなんてことは、普段から当たり前のように起こっていることだ。
「それに、今までだってアイツが夜にわたしに向かってきたことはないの。夜はわたしの時間だって知ってるから」
夜は吸血鬼の時間。確かにそうなのかもしれない。では、あの男の時間はいつなのだろう。あの男は吸血鬼退治を生業としているのだから、あの男の時間も夜になるのではないのだろうか。
「ないと思うよ。今まで夜に殺された吸血鬼なんて、吸血鬼同士の戦いでしか聞いたことがないし」
「吸血鬼同士で戦うのか?」
「戦うよ。人間だってそうでしょ? 領土。獲物の取り合い。つまらない諍い。吸血鬼なんて、結局そんなもの。他の生き物との違いなんて、それこそ不死力くらいのものなの」
あと馬鹿力も付け加えてもよさそうだ。吸血鬼は力が強いとも聞くし。
「だからね。まあ、うん。夜にはこないよ、♯は」
「そっか。安心した。寝ているあいだにあいつが来たらと思うと、オチオチ寝てられないからな」
「あのさ、タク」
「なんだよ、改まって」
「わたし、出て行こうか?」
「はあ? どうしてそうなるんだ?」
出て行く理由なんて、何もないのに。どうしてリゼは出て行くなんて言いだすのだろう。そんなに寂しそうな顔で、どうしてそんなことを言いだすのだろう。
「♯が、ううん、機関の他の人間も来るかもしれない。そうなったら危ないよ。今日みたいなことなんて、滅多にないんだから。次は、普通に殺されちゃうよ」
今日は♯の興が冷めたのだったか。勝手な奴だ。勝手に殺しに来て、勝手に殺す気が失せたと言い出すなんて。
「出て行ってどうするんだよ。行くあてあるのか?」
吸血鬼としてこの世界に顕現して、行くあてなんてあるはずがない。元いた世界なんてさっきから話しているけれど、それはあくまでそういう『設定』なのだから。それが世界の仕組みなのだから。
「そんなのいらないよ。わたしは吸血鬼だよ? それにわたしは寝なくても、食べなくても、そんなの全然平気なの。タクの料理はおいしいから食べてたけど、食事は基本的に嗜好品と同じなんだ。昨日と今日は、その嗜好品に助けられたけど」
血を滅多に吸わないといい、食事は嗜好品。一体こいつの体はどういう構造になっているのだろう。興味は尽きないけれど、それを聞くような空気じゃないことも知っている。
出て行ったあと不安で仕方ないっていうことも、顔を見ればわかる。
「君は――」
だから。
「本当に――」
ぼくは。
「そんなこと思ってるのか?」
聞かなくちゃいけない。
思えば、これがターニングポイントだったのかもしれない。
非日常から日常に回帰する、最後のチャンスだったのかもしれない。
けれど。
ぼくにはそうすることはできなかった。
むしろ、もっと積極的に関わりたいと、そう願ってしまった。
この吸血鬼。
リーゼ・ブリュスタンと関わりたいと願ってしまった。
「そんなこと……」
呟くリゼは、苦しそうに顔をゆがめていた。
「でも、死んじゃうかもしれないよ。わたしがこの部屋にいることで、タクは死んじゃうかもしれないよ」
「その時はその時だよ。死んでから考える」
思い残しがあるとすれば――いや、そんなことは考えない。そもそもぼくたちは死なない。もはや死ぬという見込みがない。
「意味わかんないよ……その自信」
もはや泣きそうな声で。
リゼはそんなことを言った。
「この世界は人の『思い』が形成してるんだ。君の存在がその証明だ。だから、ぼくは明日からも生きていると、そう信じるんだ」
こんな劇的な出会いをして、それですぐに死ぬような物語なんてぼくは知らない。見たことも、聞いたこともない。それは物語のクリエイターが、すぐに死なれたら、すぐに終わらせてしまったら、それは出会いに意味がないと、そう『信じている』からにほかならない。信じているということは、それが現実として起きてもおかしくないことだ。
少なくとも、この世界の仕組みでは。
「死なないよ。だから出て行くなんていうなよ。狭くて汚い部屋だけど、二人で生活する分には全く問題ないだろ?」
それはどこかプロポーズめいた言葉だったけれど、自然に口から出てきた言葉だった。
「いても……ここにいても、いいかな?」
「駄目なら――君に飯なんて食わせないさ」