引きこもり令嬢は迷い込んできた猫達を愛でることにしました
初めまして、私はリリアナ・クラークと申します。
絶賛引きこもり中の公爵令嬢です。
「引きこもり公爵令嬢」……ものすごいパワーワードですよね。
ええ、言いたいことはわかります。
公爵令嬢なのに引きこもって大丈夫なのかって聞きたいんですよね?
そんな身分の高い人がニートなんてやって良いのかと。
……私もそう思います。
普通の公爵令嬢なら王族の婚約者候補として舞踏会で人脈を広げたり、お茶会を開いて情報収集をしたり……と、上げ出したらキリがありませんが沢山やることがあります。
社交会に参加しない公爵令嬢なんて異例中の異例です。
ですが、私には少し特殊な事情がありました。
事情をお話しするにはこの世界のことも話さなければならないので、少しお付き合いくださいね。
この世界には魔法というものがあります。
そう、誰もが一度は憧れを持つであろうあの魔法です。
魔法には火、水、地、風の自然を司る4つの属性と光、闇の対になる2つの属性、そしてそれに該当しない無属性の7つが存在します。
そして、3歳になるまでに貴族ならば誰もが何かしらの属性を使えるようになります。
平民でも発現する方もいますがかなり少なく、魔法が使えることがこの国では貴族である証明……誇りになります。
その為、属性がわかったら基本的には国に報告することが義務付けられています。
しかし、私は3歳になっても魔法を使うことができませんでした。
本来ならお父様の水属性かお母様の地属性のどちらか、もしくは両方を遺伝しているはずなのですが、一向に使える兆しが見えません。
私のことを溺愛してならないお父様は、私が魔法を使えないことで他の貴族から非難されることをとても危惧しておられました。
そして、国に水属性であると虚偽の報告をしてしまったのです。
魔法は属性が定まらないと使うことができません。
魔法を扱うにはイメージが大切ですから、水属性の人が火を出そうとしても出てこないように、属性がわからないと何も進展しないのです。
お父様は私が中々魔法を使わないのを魔力量が少ない為だと周りには言っています。
その甲斐あって、私は外で魔法を使わなくても何も咎められることはありませんでした。
しかし、魔力量が少ないというのも貴族にとっては致命的です。
魔力が少ないと判断された私は、3歳にして王族の婚約者候補から外されてしまいました。
一般的に、魔力量は両親の魔力の多さに影響を受けると言われています。
ですから、王族……引いては王太子ともなれば、魔力の多さが婚姻の決め手となります。
周辺国はそうでもありませんが、この国は魔力至上主義な所があります。
身分が高くても魔力量が少なければ、結婚はシビアなものになってしまいます。
そんな国で魔法が使えないなんて論外です。
なのでお父様のしたことは、私を守るための最善だったと言えるでしょう。
ただ、生活に魔法はほとんど使わないので、魔法が使えなくとも生きてはいけます。
魔道具という便利な道具がありますから、わざわざ魔法で火を起こそう!なんてことにはなりません。
幸いなことに、魔道具は魔力を流せば使うことができます。
なので、今のところ私の生活に魔法の有無は関係ありませんでした。
私は王子様になんて興味もありませんでしたし、結婚も貴族として望まれるなら……とその程度の感覚でした。
高く望まななければ、それなりに生活も保証されていますし、私はこの現状に満足していました。
…——だから、魔法が使えないだけならまだ良かったのです。
それは私が5歳を迎えた日の出来事です。
誕生日で浮かれてしまっていた私は、前をしっかり見ておらず、思いっきり階段を踏み外してそのまま落下してしまいました。
その時、思い出してしまったのです。
……私がリリアナとして生まれる前の記憶を。
そうです。私は、落下の衝撃で前世の記憶を取り戻したのです。
そしてあろうことか、魔法も使えるようになってしまいました。
いきなり飛躍しすぎてしまいましたので、1からお話しいたしますと、階段から落ちた私は頭を強くぶつけ、その衝撃で前世の記憶を思い出しました。
その後、記憶を整理する為か3日間寝込んでしまいます。
そして目を覚ますと、体から何かが湧き出るような不思議な感覚に陥りました。
お父様にそのことをお話しすると、それは属性が定まったからだと告げられました。
魔力は魔法が使えなくても感じることができましたが、属性が定まることでそれを体外に出せるようになる=魔法が使えるようになるそうです。
魔法に憧れがあった私は、早速使ってみることにしました。
属性は遺伝することが多いので、最初はお父様と同じ水魔法に挑戦することにします。
……結果、とんでもない量の水を生み出してしまい、屋敷中を水浸しにしてしまいました。
そして、無意識のうちに乾かそうと火魔法まで発動してしまいました。
水は無事に蒸発させることができましが、お父様にはとても驚かれました。
どうやら私は、とても魔力量が多いようです。
その後色々と試した結果、私は全属性を使えることがわかりました。
ええ、全属性です。
わかります、何を言ってるんだと思いますよね。……私もとても驚きました。
もはやチートですよ。
ですが、屋敷が危ないとのことでコントロールができるまでは、あまり使わないようにと釘をさされてしまいました。
全属性なんてもはや伝説級ですし、魔力の多さから見ても、私はたったの5歳にして国一つを滅ぼしてしまうほどの力を手に入れてしまったのです。
……それがお父様の過保護をさらに加速させました。
舞踏会は断れないものだけ出席し、お茶会も月に一度だけ。
本当なら貴族の勤めを果たすべきですが、お父様は私を守るために最低限だけで良くなるように取り計らってくださいました。
その甲斐あって、現在私は公爵令嬢としては足りないけど、引きこもりにしては少しアクティブな生活を送っています。
ちなみに、王都にいたら人目に付いてしまう、という理由で今は王都から少し離れた公爵家の領地で過ごしています。
なんとお父様は私が暮らしやすいようにと新しく屋敷を建ててしまったのです。
屋敷は別の場所にもありましたが、あまり遠くには行かせたくないというお父様たっての希望で、王都のすぐそばに本邸の半分くらいの屋敷を新たに作らせてしまいました。
それもこれも全て私の力が露見して、利用されることを避ける為です。
もう感謝しかありません。
私が住むことになったその場所は、田舎……とまではいきませんが、自然豊かで、すぐそばには森が広がっています。
そんな私のここでの1日は、侍女に起こされる所から始まります。
目が覚めるとすぐに顔を洗い、ラフな格好に着替えさせてもらってから朝食を食べます。
食べ終わると屋敷の内外を散歩して、庭で薬草を育てたり、魔法の練習をしたりとのんびり過ごしています。
この生活を始めて早10年、私は15歳になろうとしていました。
前世でいうところの中学生です。
来年からは、魔法学園に通わなければなりません。
正直、この生活が気に入っていたので憂鬱でしかありませんが、これ以上お父様に迷惑をかけるわけにもいかないので、そこは割り切っているつもりです。
魔法学園とは魔法を極めるための学校です。
魔法を扱えるように学んだり同学年との交流を深める場でもあります。
他にも貴族として必要な教育とかも学べるので、高校に魔法の授業が加わったような感じの場所です。
国内には十数個の魔法学園がありますが、その中でもステラ魔法学園は群を抜いています。
優秀な人材が集まり、毎年高倍率となるステラ魔法学園に入ることが貴族としての価値を高めることにも繋がります。
魔法が使えなかった昔ならともかく、全属性が使える今の私ならきっと、入ることはできるのでしょう。
しかし、一つの懸念がありました。
そこに入学してしまったら、攻略対象と会うことになってしまうかもしれないのよね……。
「ステラ魔法学園」その言葉を聞いた時、私はようやくここが乙女ゲームの世界だと知ることができました。
妹がやっているのを見聞きしていただけなので、学園の名前を聞くまでは転生先が乙女ゲームの世界だなんて全くわかりませんでした。
しかも、どうやら私が転生したのはヒロインでも悪役令嬢でもなく、ただのエキストラだったようです。
妹にゲームソフトの表紙を何度も見せられていましたが、その中に私と同じ顔はありませんでした。
多分、私が転生していなければリリアナは魔法が使えないままだったからかもしれません。
だから、ステラ魔法学園の試験に合格できず、乙女ゲームには登場すらしなかったのでしょう。
私が入ることで物語に影響が出てしまうかもしれないと、最初は別の学園を考えていましが、何せステラ魔法学園はこの国最高峰の魔法を学べる学園です。
魔法を学ぶ為の施設が整っていることを知った私は、その魅力に抗えず……試験を受けることに決めました。
試験はまだ先ですが、今は試験に向けて勉強も頑張っています。
ちょうど今も魔法の練習をしようと、庭に出てきた所です。
いつものように土魔法を使って薬草の成長の調整をしていました。
すると、ガサガサと森の茂みから音が聞こえてきたので、手を止め耳を澄ましてみます。
今度は同じ場所から動物の鳴き声のようなものが聞こえてきました。
気になった私は、音がする方へと近寄ってみます。
不用心ずきるとお父様からは叱られてしまうような行いですが、その行動にも理由がありました。
私は常に、この屋敷を覆うように結界を張っています。
なので、ここまで入ってきたということ則ち害のないお客様だということになります。
この前もうさぎが屋敷の近くまで入ってきていたので、今回もその類でしょう。
そう思った私は、茂みを掻き分けて音のする方を覗き込みました。
「……っ、なんてこと!」
悠長に構えていた私の視界に飛び込んできたのは、血塗れになっている2匹の猫。
おそらくこの森の動物にやられてしまったのでしょう。
黒い艶のある猫さんはぐったりと倒れていて、もう1匹の白く滑らかな毛並みの猫さんは心配そうに周りを行ったり来たりしています。
しかし、私に気づくと警戒心をむき出して、黒猫さんを守るように立ちはだかりました。
その光景に思わず顔を顰めてしまいます。
「猫さん。大丈夫ですよ、私は危害を加えるつもりはありませんから。」
取り敢えず警戒心を解こうと、私は意識のある白猫さんにできる限り優しい声色で話しかけてみました。
白猫さんは安心とまではいきませんでしたが、少し横にはけたので、どうやら私が黒猫さんに近づくのを許してくれたようです。
許可を得た私は急いで黒猫に近づきます。
「回復」
そして、回復魔法をかけました。
ふわっと黒猫さんの周りに暖かい光が舞い、傷口が塞がっていきました。
それを見た私はほっと息をつき、今度は白猫さんの方へと目線を向けます。
白猫さんは驚いたように目を見開いた後、ゆっくりと私に近づいてきました。
警戒を解いてくれたのでしょう。
そのことに嬉しくなった私は、白猫さんの方にも回復魔法をかけました。
これで、大丈夫なはずです。
黒猫さんの方は出血が酷かったので今だにぐったりしていますが、その表情は苦痛から柔らかいものへと変わっていったので痛みはひいたようです。
私は優しく黒猫さんを抱き上げ、次に白猫さんの方へと歩み寄りました。
おいでというように塞がっていない片方の手を差し出すと、白猫さんはするっと私の手を避けました。
「にゃー(大丈夫、1人で歩けるよ。)」
「そうですか?2匹を抱っこするのは大変だったので助かります。」
「にゃにゃ?(どうして言ってることがわかるの?)」
私が感謝を述べると、きょとんと首を傾げて先程会話が成り立っていたことに疑問を呈してきました。
「私の無属性魔法があらゆる言語を理解できる、というものなんです。」
私は黒猫さんの頭を撫でながら白猫さんの質問に答えます。
「にゃっ!?(無属性魔法!?)」
猫さんは驚いて思わず声に出してしまっています。
無属性魔法の使い手は少ないですから、ビックリするのも無理はありません。
不思議なのは、猫さんが魔法に付いて多少なりとも知識があるということです。
私はそのことに驚いてしまいました。
無属性魔法はその名の通りどの属性にも当てはまらない特殊な魔法を指します。
使える人の数だけ種類があると言われるように、無属性魔法はどの型にも該当しない、いわゆるその他の部類の魔法です。
国にも片手で数えられるほどしかいないと記憶しています。
……それが、お父様が私を隠そうとする訳でもありますが。
そして、2属性以上使える人も珍しいです。
確か、魔法を使える人の1割にも満たないとか。
ちなみに3属性はそれより更に少なくなります。
扱える属性の数に比例して魔力量も多くなるので、3属性ともなればかなり優遇されるそうです。
この国の第一王子は3属性だった気がするので、王太子になるのも時間の問題だと思います。
そして、無属性魔法の使い手は3属性の人よりも珍しい……ともなれば、私の力がどれだけチートなのかが解るのではないでしょうか。
猫さんは、そのことについて知っているようです。
飼い主の方から教えられたのでしょうか。
だとしたらとても賢い子であることは間違いありません。
私は屈んでそっと白猫さんの頭を撫でました。
白猫さんは気持ちよさそうに喉を鳴らしています。
でもすぐにしまった!というような顔になり、私から少し距離を取ってしまいました。
まだ信用には値しないようです。
避けられたことを少し残念に思いながら、私は屋敷へと歩き始めます。
黒猫さんを早くベッドで寝かせてあげたいと思ったからです。
白猫さんも私の後についてきました。
私は白猫さんが付いてこやすいように少しスピードを落として、自分の部屋へと向かいます。
部屋についた私はクッションの上に黒猫さんを寝かして、白猫さんに向き直って、優しく声をかけました。
「疲れてますよね?良かったらこちらで休んでください。」
私はもう1つクッションをひき、ポンポン軽く叩いてここで寝るように促してみます。
白猫さんは何か言いたげな表情しましたが、余程疲れていたのでしょう、クッションに乗ったらすぐに寝息を立ててしまいました。
ようやく2匹を休ませることに成功した私も、緊張の糸が溶けたのか眠気に襲われてしまいます。
時計を見ると8時を回っていました。
少し早いけど、寝ようかしら?
そう思ってベッドに横になると、ドッと疲れが現れたのか、すぐに眠りについてしまいました。
……これが後に運命を揺るがす猫さんとの始めての出会いでした。
「……ん」
カーテンの隙間から入ってきた朝日が目に当たって、私はその眩しさで目を覚ましました。
むくっとベッドから上半身を起こすと、視界の端にいつもとは違った光景が映り、自然と顔が緩んでしまいます。
か、可愛すぎるわ……!
何を隠そう、視界に入ってきたのは、すやすやと寝ている猫が2匹。
白猫さんは、丸まっていてすごく上品な寝方をしています。
一方黒猫さんは、伏せて寝ていますね。
どちらもとても可愛らしくて、微笑ましい光景です。
確か猫がお腹を隠して寝るのは警戒しているからだと前世の友人が言っていたので、この場所はまだ完全に安心できる環境とは言えないのでしょう。
可愛いと思う反面、距離があることに少し寂しさを覚えてしまいます。
会って間もないのですから、当然のことですけど。
「……にゃー?(んー?)」
じっと猫さんを眺めていたら、私の視線が気になったのか白猫さんが起きてしまいました。
慌てて目線を逸らします。
猫は見つめられるのが苦手だと何処かで聞いたことがあったからです。
私の行動に白猫さんは疑問符を浮かべるように首を傾げています。
人間では不思議に思うときに行う仕草ですが、猫だとどうなのでしょう?
飼ったことがないのでイマイチわかりません。
……それにしても不思議な猫さんです。
時々人間ではないかと疑ってしまうような行動をします。
この世界で動物と会話してわかったのですが、基本的に動物は本能のままに生きているみたいです。
なので、思っていることと反対の行動をとることはあまりありませんでした。
「お腹すいた」とか「眠い」とか言葉に変換してもそんなことしか言ってきませんでしたから。
だけどこの猫さんは……。
自然と猫さんに視線が吸い寄せられてしまいます。
「にゃ?(どうかした?)」
私がチラチラ見ているのがわかったのでしょう。
白猫さんは、質問を投げかけてきました。
「いえ、お腹が空いていないかと思いまして……」
そういえば昨日から何も食べさせていません。
誤魔化そうとして口から出た言葉でしたが、予想以上にその重要性に気づき、私はあわあわとしてしまいました。
この猫さんが森からきたのなら、何日も食べていない可能性だってあります。
そんな予想が頭をよぎり、不安になりながらも猫さんの様子を伺いました。
猫さんは困ったように眉を顰めています。
どうしたのでしょうか?
思ったことはすぐに口に出すのが今まで会った動物の特徴でした。
こうも人間のように遠慮をされてしまうと、どうすれば良いのかわからなくなってしまいます。
「にゃにゃ?(魚は焼いてくれる?)」
どうやら注文があって躊躇っていたようです。
猫さんの表情の意味がわかった私は安心して答えます。
「もちろんです!」
可愛いお願いに、笑顔になってしまいました。
そんな私を見て猫さんはほっとしたように息をつきました。
本当に人間みたいな猫さんです。
私はすぐに侍女を呼んで、猫さんのご飯の用意をお願いしました。
本当は私が作りたかったのですが、料理長が許してくれませんでした。残念です。
ご飯の問題が解決したからか、白猫さんは黒猫さんを心配そうにずっと見つめています。
2人は友達なのでしょうか。
このままだと気を張ったままになってしまいそうです。
少しでも安心させるために、私は白猫さんに話しかけることにしました。
「黒猫さんは出血が多かったのでまだ眠っていますが、後1日もすれば目を覚ますと思いますよ。」
私の言葉に白猫さんは本当!?というように近づいてきます。
「にゃにゃー?(ルークは大丈夫?)」
どうやら黒猫さんはルークという名前らしいです。
お名前があるってことは、やっぱり飼い猫だったのでしょう。
私はニッコリと笑って答えます。
「ええ、大丈夫です。体力を回復させるために眠っているだけだと……」
そこまで言って言葉に詰まってしまいました。
今の表現だと、猫さんにはわかりにくかったでしょうか。
そう考えたからです。
眠る=体力が回復するは猫さんにも通じるのかわからず、少し不安になってしまいます。
でも私の考えは杞憂だったようで、白猫さんは今度こそ安心したのか笑顔でお礼を言ってくれました。
ビックリです。
猫さんがお礼を言いました……。
そのあまりにも人間らしい行動に、私は目を白黒させてしまいます。
そう言えば私、人間に飼われていた動物と話すのは初めてかもしれません。
もしかしたら、この世界では一度飼われた動物は人間のようになってしまうのかもしれません。
そんな仮説が浮かびます。
もしくは魔法をかけられて人間の思考ができるようになった猫さんかもしれません。
そんな考えも思い浮かびました。
この世界は魔法がありますし、知らないだけでもしかしたらそんな魔法があるのかもしれません。
色んな仮説が立てられましたが、真実がわからない私は、この猫さんを賢い猫さんだと思うことにしました。
「猫さんはお名前ありますか?」
黒猫さんにあったので、白猫さんにもあるかと思いそう問いかけると、白猫さんは困ったように眉を下げました。
聞かれたくないことだったのかもしれません。
そうですよね、2人ともに名前があるとも限りませんし、もしかしたら傷つけてしまったかもしれません。
言ってから後悔してしまった私は、すぐに言葉を紡ぎます。
「あの、言いたくなかったら……」
「にゃー(テオだよ)」
私の言葉に被せるようにして、白猫さんは名前を教えてくれました。
テオ……確かフランス語で神様って意味がありました。
白く透き通るような毛並みと、金色の瞳を持つ神秘的な目の前の猫さんにピッタリなお名前です。
「にゃにゃ?(君の名前も教えて?)」
私が飼い主さんのセンスに尊敬の念を抱いていると、テオさんはこてんと首を傾げてそんなことを聞いてきました。
か、可愛過ぎます……!
その愛らしい仕草に、私のハートは見事に撃ち抜かれてしまいました。
「私の名前は……」
言いかけて途中で止まってしまいます。
リリアナ・クラークは猫さんには少し長すぎるかもしれないと思ったからです。
短い方が動物は覚えやすいと聞いたことがあります。
それで少し頭を捻ってから言い直すことにしました。
「えっと、私の名前はリリーです。」
リリーはリリアナの愛称です。
家族や仲のいい友人にはそう呼ばれています。
同じ言葉が2度繰り返されていますし、きっとテオさんにとっても覚えやすいものだと思ってそう告げました。
「……にゃー。にゃにゃ。(……リリーね。よろしく。)」
「こちらこそよろしくお願いします……!」
テオさんは私の名前を繰り返した後、優しく笑って挨拶をしてくれました。
どうやら少しは打ち解けられたようです。
可愛い猫に名前を呼ばれて満足した私の顔は、無意識のうちに綻んでしまいます。
……2匹とも名前があるということはやっぱり飼い猫だったのかしら。
少しの間幸せに浸っていた私は、ふとそのことに気がつきました。
あの森の近くは公爵家の領地です。
ですが、森の近くには屋敷以外に人は住んでなかったような気がします。
森を抜けた先はお父様の弟であるヘンリー伯父様の領地になります。
その情報からもしかしたら伯父様が何か知っているかもしれない……と一瞬思いましたが、すぐにそれはないと思い直します。
領地と言っても住んでいるのは領民です。
領民が猫を捨てたとしても伯父様が何か知るはずもありませんし、捨てられたかどうかさえわからないこの状況で疑うのはあまりにも理不尽です。
もしかしたら逃げ出したかもしれませんし、異世界ですから私の知らない事情があってもおかしくありません。
……何にせよ、テオさんが話してくれるまで待つしかありませんね。
そこまで考えて、私はそう結論付けました。
勝手に事情を想像されて同情されるのも無理矢理聞き出そうとするのも失礼になります。
私はテオさんを改めてじっと見つめました。
どんな事情があっても、助けたからには責任を持って世話をするので安心して下さい!……とそんな意味を込めながら。
「にゃーにゃにゃ。(リリーは何も聞かないんだね。)」
そんな私の視線をどう受け取ったのか、テオさんは寂しそうに言いました。
もしかして尋ねた方が良かったのでしょうか。
言い出しにくいことは相手から聞かれた方が話しやすかったりすることもあります。
私はそうするべきだったのかもしれません。
テオさんの憂いを帯びた瞳を見て、急に不安になってき私は、何が正解かわからず、どうしようかとあたふたと手を動かすことしかできませんでした。
「にゃにゃ(クスッ)」
私の様子が面白かったのでしょう。
テオさんに思わずというように笑われてしまいました。
猫に笑われる公爵令嬢ってどうなんでしょう……。
なんて思いは、テオさんの笑顔を見たら吹っ飛んでしまいました。
それくらいとても可愛らしいものでした。
私もつられて笑顔になります。
「にゃ、にゃにゃにゃ。(リリーにお願いがあるんだ。)」
2人でしばらく笑い合った後、テオさんは意を決したように口を開きました。
その表情は真剣そのもので、一気に空気が張り詰めたのを感じます。
「はい、なんでしょうか?」
きっと何か大切なことを話してくれるつもりなのでしょう。
そしてそれはテオさんが緊張するほど重要なことだということもすぐに理解しました。
だけど何を言われても受け止めようと思っていた私は、テオさんに気負って欲しくない一心で、できる限り落ち着いたトーンで聞き返しました。
どうやらテオさんはまだ踏ん切りがついていないようで、私とルークさんを交互に見つめて悩ましげな表情を浮かべています。
……そっか、ルークさんと相談がしたいんですね。
これは私の勝手な予想ですが、ルークさんとテオさんは同じ境遇であると想像できます。
つまりテオさんの境遇を話すことはルークさんの境遇を話すことと同義になってしまうから、テオさんは悩んでいるのでしょう。
もしくはそのお願いがルークさんに関係があるから勝手に決めて良いのかわからないのかもしれません。
「にゃー、にゃにゃにゃ?(リリー、もし良ければ僕達をしばらくここに置いてくれないかな?)」
深刻なお願いだと思って少し身構えていた私は、その予想外の嬉しい言葉に目をぱちぱちさせてしまいます。
私の反応にテオさんは不安そうに「にゃーにゃにゃ?(やっぱり難しい?)」と上目遣いで聞いてきました。
これは意図的にやっているのでしょうか。
だとしたらとても……ん゛ん゛っ、確信犯としか言いようがありません。
「だ、大丈夫ですよ……」
その可愛さにやられた私が、YESの返事しか出せなかったのは仕方がないと思います。
元々怪我が治るまでは居てもらうつもりでしたし、願っても無い提案なのです。
私の返答を聞いたテオさんは安堵したのか、ふぅと息を吐いていました。
私は嬉しくてテオさんをニコニコと見つめてしまいます。
「にゃーにゃにゃー?(リリーは貴族の令嬢なの?)」
肩の荷が降りたからか、もしくは状況を把握できるほど心に余裕ができたからなのか、テオさんは部屋を見渡した後にそんなことを聞いてきました。
私はその質問に驚きを隠すことができません。
まさか、身分制度まで理解しているなんて……!
テオさんの知識は一体どれ程のものなのでしょう。
私が知る一般的な猫とはかけ離れているように思えます。
「……一応、そうです。」
なんとか沸々と湧き上がる疑問と好奇心を抑えつつ、テオさんの質問に答えました。
一応……と付けたのは、公爵令嬢としての役割をちゃんと果たしている自信がなかったからです。
なんだか私が貴族と名乗るのは申し訳ないような気もします。
テオさんは一応という言葉が引っ掛かったようですが、深入りはしてきませんでした。
なんてできた猫なんでしょう……!
私はそのさりげないの気遣いに感動してしまいます。
相手が聞いて欲しくなさそうなことを察してそれ以上懐に入り込まないなんて、人間でも難しいことです。
それを平然とやってのけるなんて、テオさんは絶対猫界でモテるでしょうね。
テオさんの周りに猫が一杯……あ、絶対天国ですね。
そんな風に想像を膨らませていると、コンコンと扉を叩く音が聞こえ、侍女がご飯を運んできてくれました。
「ありがとうございます。」
いつものようにお礼を言ってから受け取った私は、魚の骨をお箸で丁寧に取っていきます。
実は、この世界に来てから最初にやったのがお箸作りだったりします。
ここは中世ヨーロッパをモデルにしたゲームの世界なので、食事はフォークとナイフ、スプーンを使って食べるのが当たり前でした。
家庭科の授業である程度マナーが身に付いてたとはいえ、日本人にとって骨付きのお魚をフォークとナイフで食べるのはものすごく難しかったです。
そこで私はお箸を作ることにしました。
成果としては上々で、今では使用人のほとんどがお箸を使って料理を食べることができます。
さらに良かったのが、お箸によって食べにくくて避けられていた料理も出てくるようになったことです。
その避けられていた料理は日本食に近かったので、私に取っては一石二鳥な結果となりました。
……と、そんな経緯でこの世界でも故郷の味を楽しめるようになった私にとって、いつのまにかお箸は当たり前だと感じるようになっていたようです。
テオさんがまじまじと骨と身を分けているのを見て、この世界では珍しいものだったことを思い出しました。
「にゃにゃー?(その道具はなあに?)」
「これはお箸って言って、ご飯を食べるために使うものですよ。」
「にゃー!(そうなんだ!)」
テオさんが興味津々というように聞いてくれたので、私は嬉しくなってそれに答えました。
やっぱり自分の文化に興味を持ってもらえることは、とても誇らしい気持ちになります。
それに、テオさんの反応が初めてお箸を披露した時のお父様のキラキラとした表情と重なって、二重で幸せな気持ちになりました。
「にゃー……?(ここは……?)」
「にゃーにゃ!(ルーク!)」
お魚の匂いに刺激を受けたのか、今まで眠っていたルークさんが目を覚ましました。
正直、何も食べていない状態が続いてそうだったので、予定よりも早めに起きてもらえたことに安心しました。
私は食べやすいように小さくしたお魚を差し出そうとして動きを止めます。
いきなり固形物は良くないでしょうか?
そんな考えがよぎったからです。
そういえばテオさんもしばらく食事はしていなさそうでした。
2人とも少し痩せて……、というかやつれてしまっています。
まずはお水の方が良いかもしれません。
私は早速侍女にお水を持ってくるように指示を出しました。
部屋を出て行く侍女を見送った後、私はテオさん達に視線を戻しました。
テオさんはなにやらルークさんにことの顛末を教えているようです。
ルークさんは頷きながらそれを聞いています。
なんて可愛らしい光景なんでしょう……!
2人の仕草一つ一つに癒されて、笑みが溢れてしまいます。
テオさん達がきてから、笑顔になる機会が増えたような気がします。
なんだかとっても幸せな気分です。
私が上機嫌で2人を眺めていると、ふいにルークさんと目が合いました。
ルークさんは気まずそうに会釈をしてくれます。
……そうでした!
ルークさんは気を失っていたので、私のことを覚えてないかもしれません。
それなのに目が覚めたらいきなり知らない人がいてびっくりしてしまいますよね。
私はルークさんにできる限りの笑顔を作って無害だとアピールしてみます。
「にゃーにゃにゃにゃ。(助けてくれてありがとうございます。)」
ルークさんは目を少し見開いた後に、ぺこりと頭を下げて感謝を伝えてくれました。
「いえいえ。困った時はお互い様ですから。」
警戒されてないことを嬉しく思い、ニコニコしながらルークさんに返事をしました。
ルークさんは私の反応にもう一度目を見開き、今度はふっと優しく微笑み返してくれました。
かわっ……!
その笑顔に私は瞬殺されてしまいます。
テオさんもそうでしたけど、ルークさんもどうしてこうも可愛いのでしょうか。
心臓が幾つあっても足りません。
「にゃにゃ……にゃ。にゃーにゃにゃにゃ?(ところで、でん……テオ様。この方に手伝って頂くのはどうでしょうか?)」
「にゃー……にゃにゃにゃーにゃ。(うーん……ただでさえ迷惑をかけているからこれ以上頼るのは避けたいかな。)」
猫が2人で話し合っている姿は見ていてとても癒されるのですが、どうやらその内容は少し不穏なもののようです。
私に出来ることならお手伝いしたいですけど、無理に聞くなんて無粋なことはできません。
テオさん達は多少なりとも私に恩を感じているようですし、きっと質問したら言いたくなくても答えようとしてしまうかもしれません。
そんな未来が容易に想像できてしまいます。
取り敢えず今私が出来ることといえば……
「テオさん、ルークさん。腹が減っては戦はできぬ、ですよ。ご飯を食べてから作戦会議はして下さいね。」
2人とも会話に夢中でご飯のことが頭から抜け落ちてしまっていたようです。
私の声にようやくお腹を空かせているのを自覚したのか、2人同時にぐぅ〜と可愛らしいお腹の虫を鳴らしています。
2人は恥ずかしそうにお互いを見た後、用意したお水とお魚を口に運び始めました。
これで一安心です。
私も一息ついてから朝食に手を伸ばしました。
どうやら食欲はあるようで、2人とも勢いよくお魚を平らげて行っています。
朝食を食べて満たされると、2人は何かを言いたげな顔で私の方に視線を送ってきました。
もしかして先程の作戦会議の結論が出たのでしょうか?
そう思った私は、どうしたのかと2人に尋ねました。
「にゃ……、にゃにゃ……っ!(実は……、僕達はの……っ!)」
「大丈夫ですか!?」
私に何かを話そうとしたテオさんは、話している途中で言葉を詰まらせてしまいました。
……というよりは、言葉が出なくなってしまったという表現の方が正しいかもしれません。
心配して近寄った私に、テオさんは大丈夫だと言うように片手を上げました。
私はそこでピタッと立ち止まりおろおろとテオさんの様子を伺うことしかできませんでした。
「にゃにゃにゃ。(やはり無理でしたか。)」
「にゃにゃにゃーにゃにゃ。(まさかここまで制約があるなんてね。)」
制約というワード……そして、まるで喋らせないと言うように言葉が出なくなるこの現象に、私は心当たりがありました。
その最悪な可能性に辿り着いた私は、無意識のうちに眉間に皺を寄せてしまっていたようです。
テオさんが心配してワンピースの裾を少し引っ張って、大丈夫かと聞いてくれます。
その動作に幾分か落ち着きを取り戻すことができました。
でも、どうしましょう……。
この事実を伝えたとして、逆に2人を絶望させることにつながらないかしら……?
私の心の中は不安で一杯になってしまいます。
だって、この2人は多分……。
心の中でも決定的な言葉を言うのは躊躇ってしまいます。
ふぅ……と息を吐き、なんとか気持ちを沈められるよう試みてみます。
2人は私の様子がおかしいことに気づいたのでしょう。
心配そうに私を見つめてきました。
出会って間もないと言うのに、2人は私のことを気遣ってくれています。
そんな優しい2人が辛い目にあっているのは耐えられそうもありません。
……私は覚悟を決めることにしました。
すぅと思いっきり息を吸って、重くなってしまった口を開きました。
「…——お2人には、呪いがかかっているのですよね?」
「……っ!」
お願いします、どうか違うと言って……!
そんな願いも虚しく、2人の息を呑んだような声に俯いていた顔を上げました。
微風が私の頬を掠めます。
その冷たさが私の体温を下げるのを後押ししました。
顔を上げるとすぐ、目を見開いてこちらを見ている2人と視線がぶつかってしまいます。
そん、な……。
その反応から、私は自分の発した言葉が当たってしまっていることがわかりました。
2人はほとんど何も情報がない状態から、私が的確な答えを導き出したことに驚きを隠せないのでしょう。
しばらく固まったまま、誰一人として何も言えずに恐ろしいほどの静けさが部屋を包み込んでいます。
その静寂を破ったのはテオさんでした。
「にゃ。……にゃにゃにゃ?(そうだよ。……どうしてわかったの?)」
テオさんは冷静にそう問いかけてきました。
私はその毅然とした態度に感心してしまいます。
きっと気持ちを整理しきれていないはずなのに、すごいとしか言いようがありません。
どうして……そう問いかけてきたテオさんの声はとても冷たいもので、疑われているのだと直感しました。
私は見たこともない冷めた瞳にぐっと喉を詰まらせます。
……テオさんの言葉は何も間違っていません。
呪いは知っている人が限られるものですから、警戒するのは当然のことです。
だけど、柔らかな笑顔を知ってしまっている私にとって、その差が心の距離が開いてしまったのを示唆しているようで、鋭い瞳に耐えられずに目線を逸らしてしまいました。
呪い……それは魔女のみがかけることができるとされている魔術の一種です。
魔法は体内にある魔力を用いてそれを放出、変換することによってイメージを具現化するという仕組みで成り立っています。
一方魔術は大気中にある魔力の源を魔法陣を使って変換し、イメージを具現化します。
結果は同じ炎が出たとしても、元にしているエネルギーの種類が違うので全く別物と言っても良いでしょう。
基本的に魔法を魔術で解くことはできないし、逆も同じことが言えます。
つまり呪い……魔術は魔術によってしか解除することができないということです。
そして最初に言った通り、魔術は魔女にしか扱うことができません。
それなら魔女に解いてもらえば良いと思うかもしれませんが、私が最悪だと言ったのはそこにあります。
魔女はこの世界に立ったの1人しか存在しません。
……ここから導き出されるのは、2人はその魔女に呪いをかけられ、そして呪いを解除できるのはかけた本人しかいないということになります。
絶望的……というしかない状況というわけです。
…——そう、本来ならば。
私は彷徨わせていた視線をもう一度二人へと向けました。
ぎゅっと胸の前で拳を握って、覚悟を決めます。
「……私は2人を助けたい、と思っています。なので、お2人を信じて呪いについて知っていることをお話しします。ですが、これから話すことは、ここだけで留めてくれると約束していただけませんか?」
私の言葉に2人が動揺しているのが伝わってきます。
きっと、私はこれから国家機密相当のことをお話しすることになるでしょう。
2人もそれはわかっていると思います。
そもそも呪いを知っている時点で……考えたくもありませんが、お2人は相当身分高い貴族、もしくは王族なのでしょう。
……貴族には弱者を守る義務があります。
呪いについて解明することは苦しむ人を救うことにつながります。
それを差し置いて私が話すことを内密にするということは、2人にその救える人間に手を差し伸べず、無視しろと言っているようなものです。
残酷なことを要求しているのは百も承知です。
……ですが、私にもそうしなければならない理由がありました。
「呪いは危険なものである」……その考えは貴族側の見解、と言えるからです。
呪いについての魔女側の見方はほぼ真逆といっていいものです。
それなら魔女は呪いをどう思っているんだと思いますよね。
それに関しては、どうして魔女が呪いをかけたのかを考えると、正解に辿り着けるかもしれません。
呪いは……願いを叶える為の対価なのです。
……魔法は万能ではありません。
今日本で生活している人からするとだいぶ便利だし、万能だと錯覚してしまうのも仕方がないと思います。
なにしろ私もこの世界に来るまではそう思っていました。
しかし、実際は自分で能力を選べるわけでもなければ、魔力の量によっても使える魔法が制限されてしまいます。
果たしてそれは、万能と言えるのでしょうか?
……その点においては、魔術の方が万能と呼ぶに近いものであるかもしれません。
魔法陣を組んで大気中のマナを操る技術さえ高めれば、どんなことも叶えられる可能性を秘めています。
そんな魔術に魅入られた人々が不可能を望み、その対価として呪いをかけられているのです。
一言で片づけて仕舞えば、自業自得と言えるでしょう。
だって魔女は、基本的に人間に興味がありません。
なので近づくのははいつだって人間からで、魔女は願いを叶える代わりに対価を貰っただけに過ぎないからです。
……そんな経緯で呪いをかけられた人間を救いたいと思いますか?
自分で望んだ結果が納得のいかないものだからと、魔女を敵、呪いを悪としたそんな自己中心的な人間を。
少なくとも私は報いを受けるべきだと思ってしまいます。
私は物語の中の、いわゆる聖女と謳われるような全てを許せる人間にはなれません。
こんな私を残酷な人間だと思う人もいるでしょうし、私はその人の言い分も理解できてしまうと思います。
……そうでなければ、目の前にいる2人を助けたいとも思わないでしょう。
私は2人の人となりを、優しさを知ってしまいました。
少なくとも私利私欲を満たすために魔術を頼ったのではないとわかってしまいます。
……だから、助けたいと、力になりたいと思ってしまったのです。
「にゃにゃ。(わかった。)」
緊迫感が漂う中、テオさんは静かに……だけどはっきりとした口調で約束してくれました。
そう告げた顔には迷いがなく、私は信じてもらえたことで全身に一気に血が通ったようなそんな抑揚感に包まれました。
「……ありがとう、ございます。」
私は熱くなった目元を隠すように勢いよくテオさんに頭を下げました。
空気の抵抗を受けて、ふわっと目の前を風が通り過ぎたような錯覚に襲われます。
さっきまでは冷たく感じていたはずなのに、今はその冷たさが心地よく感じられました。
……この決断はテオさんにとって辛いものだったはずです。
それにも関わらず、何も言わずに条件を呑んでくれたのが信頼に値すると言われているようで、それが何よりも嬉しく、私もこの人なら信頼できると思わせてなりませんでした。
「お話をする前に一応確認させてもらうと、お2人に呪いをかけたのは……、あの森に住んでいるマルテさんで合っていますか?」
私は2人が居た森を指差しながら問いかけます。
何か思うことがあったのでしょう、2人とも神妙な顔つきになった後に、ゆっくり頷いて肯定してくれました。
やっぱり、マルテさんですか……。
私はなんとも言えない表情になってしまいます。
……どうしましょうか。
私からお願いすれば、マルテさんは呪いを解いてくれる可能性はあります。
そして私は、その対価が何であれ差し出してしまうでしょう。
そうすれば2人の呪いは解け、私の心のしこりはなくなります。
でも……。
その先を想像して、きゅっとワンピースを握りしめてしまいました。
私が怖い顔をしてしまったからか、テオさんに心配そうに見つめられてしまいます。
ルークさんは、私を品定めしているのでしょうか。
じっとこちらを観察したまま動こうとしません。
緊張からか私の鼓動は段々と大きくなっていきます。
私は心を落ち着かせるために一度目を閉じて深呼吸をしました。
「……私は、マルテさんとお友達なのです。」
そして2人の瞳をしっかりと見つめて、その言葉を告げました。
「……にゃにゃ?(……本当なの?)」
テオさんは信じられないというように、だけど確かめられずには居られなかったのでしょう独り言のように呟きました。
私はゆっくり頷きます。
ルークさんも驚いて固まってしまっています。
なんだか私はお2人を驚かせてばかりですね。
「……にゃにゃ、にゃーにゃ?(……それなら、呪いを解く方法を知ってるの?)」
テオさんは恐る恐る問いかけてきました。
その瞳は希望の光が差し込んだようにキラキラと輝いています。
私はその期待された眼差しに耐えきれず、一歩後退ってしまいましたが、すぐに首をを横に振りました。
テオさんはガクッと項垂れたように下を向いてしまいます。
申し訳ないことをしてしまいました。
「……呪いを解く方法は知りませんが、マルテさんに解いてもらえるように頼むことはできると思います。」
私の言葉にハッと2人が顔を上げます。
期待と不安が入り混じったようなそんな目で私を見ています。
「……必ず説得するので、一緒に来ていただけますか?」
2人にとってあの森はトラウマになってしまっているかもしれません。
なので私1人で行くべきなのでしょう。
だけど……。
マルテさんはあの森でしか魔術を使えないから、2人にもついてきてもらわなくてはなりません。
その為、魔術を使って呪いを解いてもらうには、必然的にあの森に行かないといけないのです。
「にゃにゃ。(うん、もちろん。)」
「にゃにゃにゃ。(微力ながらお力添えいたします。)」
私の心配を他所に、2人は明るい返事をくれました。
その表情から無理はしていないことが伝わった私は、ほっと息をつきます。
……私も良い加減に腹を括りますか。
正直不安しかありませんが、2人の為にできる限り力を尽くしましょう。
そんな決意を秘めて、私達3人は森へと向かう準備を始めました。
「リリー、来てくれて嬉しいよ。」
私の目の前には水色の透き通った長髪を一つに束ねた美男子が満面の笑みを浮かべて座っています。
左隣にはテオさん、右隣にはルークさんがいて、私を挟むようにして2人は椅子に乗っているような形です。
そしてマルテさんを怖い顔で見つめています。
どうしてこうなったのか、私もイマイチ状況を把握しきれていません。
確か、支度を終えた私達はすぐに森へと向かいました。
森に張られている結界を前にして足を止めてしまった2人に変わり、私は意を決して一歩を踏み出しました。
すると何故か森に入った瞬間、「リリー!」と嬉しそうに私の名前を呼ぶマルテさんが現れたのです。
結界の反応から私が来たことがわかったのでしょうが、いきなり抱きつかれたのは驚きました。
呆然としていると、あれよあれよと言う内に森の奥にあるマルテさんの家まで連れてこられてしまったと言うのが私が整理できた状況になります。
「今日もリリーはとびきり可愛いね。ほら、朝日が君のはちみつ色の髪に反射して、まるでリリーが輝いているみたいだよ?それとルビーのような鮮やかな赤い瞳が相まって、まるで天使がこの地に舞い降りたかのようだ。」
「……あ、ありがとうございます?」
マルテさんはいつもこうやって私を褒めてくれます。
社交辞令だとわかっていても、褒め慣れていない私にとってはむず痒く感じてしまいます。
何故だかマルテさんが私を褒めるたびに2人の表情が険しくなっていますが、気のせいでしょうか?
久しぶりに来たので、懐かしく感じてしまいます。
そう言えば、初めて会ったのも今日のような暖かい日でした。
……マルテさんとの出会いは去年のことです。
私は薬草に興味を持ち始め、あちこちに薬草を取りに行っていました。
その過程で誤って森の結界をくぐってしまいました。
この森と魔女についての知識がなかった私は、領地を出てしまったから違和感があるのだと思って、特に気にすることもなく森の中を探索し始めました。
すると結界に入って1分も経たない内に、マルテさんが姿を現して、すぐにこの森から出るよう促しました。
薬草を取りに来たのだと告げると、面白いものを見つけたかのようにマルテさんはニヤリと笑い、私がここに入るのを許可してくれたのです。
それから週に2、3度この森に入っては薬草を採取して、マルテさんと話をする……そんな日々を送っていました。
そんなある日のことです。
いつものように薬草を取って満足した私は、マルテさんの家で他愛もない会話を楽しんでいました。
ふとマルテさん顔色が良くないことに気がついた私は、マルテさんに回復魔法を使ってしまったのです。
私の魔力を受けたマルテさんはありえないというように目を瞬かせた後、急に私に優しくなりました。
元々親切にしてもらっていましたが、それが比にならないくらい甘やかしてくるようになったのです。
なんでも、私の魔力と相性がとても良くて、側にいると癒されるのだとか。
その日を境に、薬草が毎日屋敷に送られてくるようになりました。
どれもこれもマルテさんの森でしか取れないものだったので、すぐに送り主は分かりましたが、ここまで優しくしてくれることに戸惑いを覚えました。
一方的に貰うことに申し訳なく思った私は、マルテさんに私に何かできることがないかを尋ねます。
すると、魔力を定期的に放出してほしいと言われました。
どうやら魔術は魔法が空気中に放出された後の物質を源としているようです。
なので私が大気中に魔法を放つと、それが魔術のエネルギーになるのだとか。
通りで魔法より魔術が強力な訳です。
魔方は体内の魔力を使うことでしか放つことはできませんが、魔術は大気の中に大量にあるマナを集めて放つことができます。
どちらの量が多いかなんて比べるまでもありません。
話はズレてしまいましたが、そういう偶然が重なって、マルテさんと友人になるに至ったと言う訳なのです。
「……あの、マルテさん。来て早々で申し訳ないのですが、この2人の呪いを解いてもらえませんか?」
再会の余韻に浸っていたい気持ちもありますが、2人の雰囲気がこれ以上悪くならない内に、私は早速本題に入ることにしました。
ニコニコと女性ウケが良さそうな笑顔を浮かべていたマルテさんの表情は、途端に不敵な笑みへと変貌します。
「……いくらリリーのお願いでも、それは無理な要求かな。」
声のトーンを落として話すマルテさんにゾクッと背筋が凍るような感覚に襲われました。
まさに魔女の笑みと言うべきか、一瞬で雰囲気がガラッと変わりました。
……魔女と聞いたら、女性を思い浮かべたかもしれませんが、実は男性の魔女もいます。
そもそも魔女という呼び方が勝手に人間が付けたイメージからできたものだそうです。
本人は魔術使いだと言っていました。
それはさておき、これはまずいことになったかもしれません。
私は先ほどの言葉に危機感を募らせます。
マルテさんの機嫌を損ねてしまったら、もう頼みは聞いてくれないでしょう。
短い付き合いですが、性格はある程度わかっているつもりです。
今は不機嫌の一歩手前の段階です。
1つでも言葉選びを間違えれば、多分強制的に屋敷に返されてしまいます。
ごくんと無意識に唾を飲み込みました。
ここからが腕の見せ所です。
「えっと、もちろんこちらからお願いしているので、マルテさんのお願いも……」
「あーごめんごめん、そうじゃないんだよ。」
不安になりながらもなんとか言葉を綴りましたが、マルテさんが慌てて謝ってきました。
どういうことなのでしょうか。
対価が必要というわけでは無さそうです。
それなら何か他に問題があるのでしょうか。
考えてみても答えは出ず、私が首を傾げると、マルテさんは困ったように笑いました。
「うーんとね、リリーからの頼みだから叶えてあげたいのは山々なんだけど……」
ポリポリと頬をかきながらマルテさんはそこで言い淀んでしまいました。
何か良くないことなのでしょうか。
私は更に不安を募らせます。
「……実はさ、俺にも解けないんだよね。」
「……えっ!?」
呪いを解除できない……。
その言葉を聞いて、2人が息を呑んだのがわかりました。
お2人の顔を見ることができません。
ここまできたのに、他に方法はないはずなのに解けないなんて……。
解けないとわからないのならまだよかったですが、私は2人にはっきりと残酷な現実を突きつけてしまったようです。
申し訳なさと不甲斐ない自分が嫌になり、私は俯いてしまいました。
「でも、呪いを解く方法ならわかるよ。」
そんな重々しい空気の中、マルテさんはけろっと重要なことを告げてきました。
えっと、マルテさんには解けないけど、何かをすれば解けるということでしょうか。
なんだか希望が見えた気がします。
私はその方法を聞く為にマルテさんの瞳を真っ直ぐに見つめました。
マルテさんはニコッと微笑みかけてくれます。
「……多分2人とも、好きな人にキスされたら解けると思うよ?」
「……にゃ?(……は?)」
何を言っているのか分からずに私達は呆気に取られてしまいます。
そんな様子を見かねたマルテさんは、
「いやね、俺は望みを聞くに値する人間か確かめる為に呪いをかけてるわけ。だから、その人が1番苦手なものとかことに関連のあることをしたら解けるようにできてるの。むしろそれ以外の方法だとかけた本人の俺ですら解けないよ。」
と早口に説明してくれました。
「にゃにゃにゃ、にゃにゃ……。(1番苦手なこと、それで……)」
「にゃにゃ、にゃにゃ。(なるほど、試練というわけですね。)」
どうやら2人には心当たりがあるそうです。
苦手を克服するという試練を与えることで、マルテさんは願いを叶えるかどうかを決めていたんですね。
それに関しては初耳でした。
そして2人の呪いを解く方法が想い人からの口付けということは、2人は女性が苦手なのでしょうか……?
それともキスに苦い思い出があるとか?
あまり聞きづらい話題ですね。
……触れない方が良いかもしれません。
そう結論づけた私は、紅茶を口にします。
2人とも少し混乱しているようなので、何も言わずに待つことにしました。
待っている間、無言が続くのも気まずかったので、私はマルテさんに話題を振ってみます。
「そういえば、私は何も呪いをかけられていませんが、どうしてでしょうか?」
2人はこの森に入ったせいで呪いをかけられてしまったのでしょう。
だけど同じく森に入った私には、そんなことは起きませんでした。
この違いが生じたのがどうしてなのか気になったので質問することにしたのです。
「だってリリーは願いを叶えてもらう目的で入ってきた訳じゃなかったでしょ?結界を潜った人の情報は筒抜けだから、間違って入ってきた人にまで理不尽に呪いをかけたりしないよ。」
どうやら無差別に呪いをかけているのではなく、ちゃんと呪いをかけるべきか判断しているそうです。
結界にそんな効果があったとは驚きましたが、それを聞けて安心しました。
「にゃ、にゃにゃにゃ?(あの、キスは口にしないとダメかな?)」
ほっと息をついていると、テオさんが恥ずかしそうにマルテさんに質問しています。
私は驚きのあまり紅茶を吹き出しそうになりましたが、なんとか耐えました。
かなり危なかったです。
チラッとテオさんの方を盗み見てみると、真っ赤になっていました。
よっぽど恥ずかしかったようです。
聞いていただけの私でさえ動揺してしまったくらいですし、テオさんの羞恥心は計り知れません。
「いやー?好きな人からならどこへキスされても解けるよ。」
「……にゃー。(……そっか。)」
テオさんはほっとしたようなだけどなんだか残念そうなそんな複雑な表情を浮かべています。
一方私は好きな人からのキスで呪いが解けると聞いて白雪姫を思い浮かべていました。
王子様のキスで目を覚ます、そんなロマンチックな物語です。
女の子なら一度は憧れるのではないでしょうか。
私が思考を飛ばしていると、いつの間にかテオさんとルークさんが真剣な表情で私を見ていることに気がつきました。
一体どうしたのでしょう?
不思議に思った私は、2人を交互に見比べます。
やっぱりなんだか思い悩んでいるようで、何かを言いたそうに口を開いては閉じ……を繰り返しています。
「……にゃにゃにゃ。(……キスしてくれる?)」
「……にゃにゃ、にゃにゃにゃ。(お願い、できますか?)」
かと思えば、2人同時にそんなことを言ってきました。
ちょっと待ってください。
2人同時に話したせいで、とんでもない内容に聞こえましたよ。
2人は不安そうに私を見つめています。
……えっと、これはどうしたら良いのでしょう。
猫さんにキスをするのは構いませんが、この2人は多分人間の男性で、キスをしたら元に戻るということは……。
「……っ。」
想像してしまい、頬が赤くなってしまいます。
そもそも「好きな人」からのキスなはずですが……。
はい、流石にそんな無神経なことは聞けません。
多分そういうことなのでしょう。
しばらく沈黙が続きます。
ええと、どうしましょう……。
困ってしまったのは事実ですが、私の答えはすでに決まっていました。
私はここにお2人の呪いを解く為に来たのです。
例えその対価が何であろうと差し出すつもりでした。
だから……。
私の一挙一動に反応している2人と向き合います。
ここまでくれば、もうあとは勢いに任せてしまいましょう……!
私はテオさんとルークさんの頬にそっとキスをしました。
するとぼんっと音を立てて、あっという間に2人は物凄いイケメンへと姿を変えました。
「リリー、ありがとう!」
「呪いを解いてくださったこと、感謝いたします。」
元の姿に戻った2人は口々に感謝の言葉を述べてくれました。
呪いが解けたことで安心したのも束の間で、お返しと言わんばかりにちゅっとリップ音を立てて2人から両頬にキスをされてしまいました。
頬の柔らかい感触に一瞬固まってしまいます。
「……!?!?」
すぐに状況を理解し、顔を真っ赤に染めながら後退りました。
2人から離れることに成功はしましたが、パニックに陥っていた私は、口をぱくぱくさせることしかできませんでした。
そんな私の反応を見て2人は満足そうに笑っています。
「あはは、かわいい。……これでやっと伝えられる。」
「……本当に想像通りの反応をしてくださいますね。」
2人から距離を取っていましたが、壁に追い詰められ、すぐにその距離は埋まってしまいます。
そっと左手をテオさんに、右手をルークさんに取られてしまいました。
「あ、あの……」
状況が把握できていない私は、説明を求めるように2人を見つめました。
「……っ。それわかっててやってるのかな?」
「あまり煽ると、セーブが効かなくなってしまいますよ。」
どうやら逆効果だったようです。
更に熱のこもった目線で見つめられて、フリーズしてしまいます。
そんな私の様子を2人して楽しそうに眺めていましたが、突然ふっと含みのある笑みを浮かべました。
「これから本気でアタックするから覚悟しててね?」
「全力で口説かせて頂きますので、そのつもりでいてください。」
「……っ!?」
顔面偏差値の高い2人挟まれて、私のキャパはもう限界を迎えていました。
引きこもりには刺激が強すぎます!!
その後不機嫌になったマルテさんに2人は強制転送されてしまいました。
2人とも無事に屋敷に送り届けたと言っていたので、多分大丈夫なのでしょう。
……私は素性も教えてませんし、もう会うことはありませんよね?
そう高を括っていた私が魔法学園で彼らと再会し、溺愛生活を送る羽目になるなんて……この時は想像すらしていませんでした。
…——なんの因果か、運命を変えることを恐れていたリリアナが本来なら亡くなっていたはずの2人の命を救っていたと気づくまで、後もう少し。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
面白いと思ってくれた方は是非アルファポリスにも番外編付きで掲載する予定なので、読んでくれると嬉しいです。
ここにはおまけとして屋敷に帰ってきた後のお話を載せました!
【おまけ】
屋敷に帰ってきたのは太陽がほとんど沈んでしまった頃です。
疲れ切った私は行儀は良くないですが、ドサっとベットに倒れ込みました。
……今日は本当に色んなことがありました。
横になってようやく落ち着きを取り戻した私は、お2人のことを思い浮かべます。
そう言えば、テオさんにはなんだか見覚えがありました。
引きこもり歴が長い私にとって知人は数えるほどしかいません。
なので、見たことがある……というのは珍しく、違和感を覚えました。
もしかしたら何処かで会ったことがあるのでしょうか。
うーんと頭を捻ってみましたが、思い出せそうもありません。
そうして考え込んでいる内に、強い眠気に襲われてしまいます。
瞼が重くなって、遂には閉じてしまいました。
『お姉ちゃんこの人だよ!超かっこよくない??』
「……っ!」
私は飛び起きてしまいました。
前世の夢なんて最近は滅多に見ていなかったから……というのもありますが、1番の原因は妹が指を指したその先に映っていた人物に驚いてしまったからです。
一気に眠気が覚めました。
……間違いなくあれは、テオさんです。
そうなのです。
画面に映し出されていたのは、まさしくテオさんでした。
その事実に気がつき、私は青ざめてしまいます。
だってテオさんは……、乙女ゲームに登場した時点で亡くなっていたはずです。
確か疫病が流行って、それを食い止めるために魔女を頼ったのはいいものの、そのまま行方不明になったのだとか……。
「……そっか。猫の姿に変えられていたから、誰も気づかなかったんですね。」
多分あの時私が気づいていなかったら、ゲームの通りにテオさんは……。
「……っう」
一歩間違えばそうなってしまった未来を想像し、拳に力が入ってしまいます。
「よかった、本当によかったぁ……」
気がつけばポロポロと涙がこぼれ落ちました。
私は、私の行動のせいで本来のルートから外れてしまうことを恐れていました。
それで幸せになるべき人が不幸な人生を歩んでしまったら……そう考えると怖くて、そうならないように何もしないのが正解だと思っていました。
でも……。
私は今日、テオさんの未来を変えたんですよね。
……それも、良い方向に。
そう思うと心が温かくなりました。
……今日は眠れそうにありませんね。
ふと窓の外に目を向けました。
1番星が強く光り輝いているのが目に入りました。
まるで私を後押ししてくれているように。
ふふっと思わず笑みが溢れてしまいました。
怖がっていては前には進めませんよね。
……決めました。
私はこの世界で、前世で成し遂げられなかった目標を叶えようと思います。
…——今世こそ、幸せを掴むために。