忌み子
遡ると、そうあれは
招かざる客…
異形の獣共を始末し終えた時
「…たくっ…なんだっつーの…」
辺りの惨状を見渡し
盛大に溜息を吐き出しながら
目の前の巨木の根元で、
意識を手放している少女に視線を向ける
……咄嗟に割って入ってしまったが
面倒、厄介、不運、災難、トラブルの香り
間違いなく判断を誤ったのは明白
……何でこうなるかね
助ける義理も、義務も無かった
例えこの女が目の前で獣共に噛み殺されようが
イヤなもん見たとテキトーに誤魔化し
淡々と自身の害になる場合のみ
こいつらを排除することだけに徹すれば
それで終わっていた話だ
見て見ぬ振りをする
…ただそれだけ
たったそれっぽっちのことで
いつも通りの退屈なくっだらない日常に戻れたはずなのに
「あーーーーッ……!」
バリバリと頭を掻き毟る
面倒臭せぇ……
クッッ…………ソ、めんどくせぇ……
「ハァ…」
いくら溜息を吐いても
全く気は晴れない
どれだけ後悔しようが嘆こうが
現実は、何一つ変わりはしない
至極当たり前の話だ
…やってしまったことは、もうどうしようもない
項垂れ、脱力しながら
目の前で意識を手放している少女に近づく
相変わらず、目覚める気配はない
だがほんの微かに息をしている
……仕方ない
このまま、放置…という選択もなくはない
というかそうすべきと最後の最後まで
頭の隅で警鐘が響いている
…だが、
「………しゃあねぇよな」
自ら介入したのだ
どれだけ言い訳しようと
間違いなく自分の意志で、関わった
ならば、せめて
「…最後まで、責任を持てっ…てか?」
…いつだったか
昔馴染みのとあるお節介女に言われた言葉を
ふと思い出す
………まぁ、ご尤もだが
耳が痛い話だ
そんなもん全てかなぐり捨てた…つもりだったが
どうやらあの言葉は、
今でも俺自身の中に強く残っているようだ
後悔…いや、ここまでくると呪いか
アイツがどこまで考えて俺にそう告げたのか
それは分からないが
我ながら情けない程に
"効いて"いたらしい
「………ハァ…」
少々惨めな気持ちになりつつも
最低限の責任を果たす為に
見ず知らずの謎の少女抱き上げ、帰路につく
…これからどうすべきか、なんて
そんな事を考える気力は残っていなかった
「………やれやれ」
ようやく帰って来た我が家…いや我がボロ小屋か
招かれざる客を携えていなければ
ここまでの徒労感はなかっただろうに
ドサッ………!
無造作に、抱きかかえていた少女を
乱雑に敷きっぱなしにしていた布団の上に放り投げる
「……ぅ……」
僅かに、声を漏らすが
それでも一向に目覚める気配はない
そんな状態の彼女の一瞥し、
椅子にドカッと腰を下ろす
「……………ぁ〜」
疲れた
それ以外の感想はない
いや、あるにはあるのだが
今は疲労困憊の為か
考えることすら放棄している
疲れた
とにかく疲れた
全くもって疲れた
心身共に
………なんて
グチグチとボンヤリしているうちに
押し寄せるように睡魔がやって来る
やがて、眠気に抗う気力も無くなり
プツンッと糸が切れたように
微睡みに落ちていった
ガンガンガンッ!!!
「…………あっ………?」
束の間の休息は、乱暴な…何かを叩く無粋な音によって
いとも簡単に終わりを告げた
ぼんやりとした意識で音の発生源を探ると
ガンッゴンッガン!!!!
「……………」
玄関…というには、あまりに簡素な外へと繋がる扉の向こう側
ノック…という、生易しいものではない
もはやただ殴りつけているだけのような
…いや、実際に殴りつけているはずだ
こんな真似をする者に心当たりなどありはしない
………であれば、まだよかったのだが
生憎と思い当ってしまう
…というか、一人しかいない
「はぁ…」
最悪の目覚めだな…
そもそも椅子で寝落ちしている時点で快適な睡眠が出来ている筈はない
だが、この追い打ちさえ無ければ
もう少しマシな気分で起きることが出来ただろうに
ドガッ!!バキッ…!!ゴンゴンゴンッ……!!!!
気だるく体を起こしている最中にも、扉を叩きつける音は大きくなる一方だ
毎度のことだが…居留守は使えない
そんな真似をすれば、このただでさえボロい住処を破壊されかねない
のそのそと扉に近づき仕方なく声を掛ける
「いい加減にしろ、壊す気か毎度毎度」
うんざりしたようにそう告げると
「なーんだ、いるじゃない。てっきり野垂れ死んでるんじゃないかと思って。心配して損した」
ケロッとそう答える予想通りの訪問者
まるで悪びれる様子もない声色に、やれやれと肩を落としながら扉を開ける
現れたのは馴染みのある顔
二カッと晴れやかに笑いながら
「相変わらずのしみったれた顔ね。…ん?でもなんかこの前よりひどくなってない?」
いつも通りに憎まれ口を叩いてくる……もはや、文句を言う気にもならない
「…わざわざ、そんなことを言う為に来たのか?…リュナ」
叩き起こされ、いかにも不機嫌な声色で言う俺を全く意に介さずリュナは答える
「いや〜、私もこんな短期間でまたアンタの顔を見に来るつもりはなかったんだけどねー」
わざとらしく肩を竦めながら
やれやれと首を振る彼女に辟易しながらも
確かに、妙だとは思う
このお節介な女は懲りることなく俺に会いに来ては頼んでもいないのに何かと世話を焼いてくる
唯一の変わり者だが、それも月に一度程度の話だ
つい先日、来たばかりですぐに再訪問してくることなど今までは前例がない
…まさか妙な厄介事でも持ち込もうってんじゃないだろうな
チラッと未だに意識を取り戻すことのない謎の厄介少女の方に視線を向ける
…これ以上のトラブルは勘弁願いたいもんだが
そんな俺の様子を少々訝しみながらもリュナは続ける
「…?この間来た時に、ちょっと忘れ物をね。急ぎで必要になるかもだから面倒だけどわざわざ回収に来たのよ」
「…なるほどね」
予想とは違い、他愛もない理由に安堵と同時に少し気が抜ける
…そういや、なんかあったな
嵐のように去っていった前回の訪問後に妙な便箋が残されていたことを今、思い出した
どうせ次に来た時に必要であれば騒ぐだろうと大して気にも留めていなかったが、わざわざこんな場所に取りに戻って来る程には重要なモノであったらしい
…この女、しっかりしているようで案外抜けている所があったな
「…ちょっと、待ってろ今取って来てや」
「お邪魔しま〜す♪」
忘れ物とやらを、取りに行こうとリュナから離れながら言い終わろうとした台詞を遮り
ドーンッと勢いよく扉を開け放し、ズカズカと侵入してくる厄介女
…マズイ
こいつにあの拾ってきた少女を見られでもしたら…!
何を言われるか分かったものじゃない
…別に後ろ暗い事情がある訳ではないが
間違いなくクッソ面倒臭い事態に発展する
そんな俺の焦り方をニヤリと含みのある表情で嘲笑いながらも、遠慮なくリュナは歩みを止めない
「なーに焦ってんのよ?…はは〜ん、さては一人でお楽しみタイムだったかしら?朝っぱらからお元気なことね~」
ニタニタと下卑た笑いを浮かべよからぬことを想像しているようだが、そんな妄言に付き合っている余裕はない
「何くだらねぇこと言ってやがる!いいから、ちょっと待て…!」
必死に制止しようと試みるが、スルスルとまるで踊るように躱される
相変わらず身のこなしが軽い
平和ボケして感覚の鈍った今の俺では、リュナを引き留めておくことは難しいようだ
「まぁまぁ、そんなに恥ずかしがることないわよ?アクローくんも男の子だしねー。長い付き合いなんだから多少の変態趣味があっても、寛大な心で見逃し…」
饒舌に絶好調にからかいの言葉を紡いでいた口がピタリッと静止する
リュナの視線の先には、例の少女が
ボロボロの衣服も相まってか、うずくまるように丸くなりながら眠る姿は割とあられもない様相に見える
……あー、こりゃダメだな
割と必死の抵抗も虚しく予想通りに見つかってしまった
次にどのような反応があるかは言うまでもない
「…これは一体どういうことかしら」
リュナは、表情こそ笑みを浮かべているが
その言葉には、かなりの怒気が含まれていた
いや…そんな、可愛らしいものではなく…殺気だ
「…あー、いや…これはだな?説明すると長くなるが」
ほん少し、いやかなり気圧されながらもなんとか事態の収拾を図ろうとするが
「とうとう、やってしまった理由?」
「…は?」
「…いくら落ちぶれても、腐っても、最後の一線だけは越えるような馬鹿じゃないと思っていたけど、ねぇ!?」
あ、これ無理だわ
早々に諦めた
完全に暴走モードのスイッチが入ってしまった
こうなってはもはや、止めることは出来ない
「…一応言うが。誤解だぞ?間違いなく」
無駄だとは分かっているが、僅かな望みを捨てられず抵抗を試みる
…人とは全くもって愚かな生き物也
「ほー…?さぞかし納得できる理由があるんでしょうねぇ?こんな幼気な女の子がボロボロの状態で?あなたの住処に連れ込まれた状況で?」
「…いや、まぁ状況だけ見たらそりゃあそう思うだろうが…」
傍から見れば確かに完全アウトな状況だろう
何より肝心の当人が泥のように眠りこけている以上、弁明しようにもかなり苦しい
…いや、仮に目を覚ましていたとしても面識がある訳ではない
少女がこちらに友好的とも限らない
庇い立てを期待するのはそれこそ一縷の望みというものだろう
つまり…詰んでいる
ドン詰まりだ
今この場で何を言い訳しようとも苦しすぎる
ああ、無情也
間違いなく当事者なのだが、まるで他人事のように現実逃避の思考
もはや今の俺に出来ることは一つしかない
「ハァ……」
「コノ…っ…ド変態最低最悪のドスケベ誘拐犯罪クソ野郎がああああああああああああ!!!!」
そう、それは
眼前で怒りと憎悪の化身となった彼女が
可能な限りの激情を発散し、ほんの少しでも冷静になってくれることを
心の底から祈りながら
…覚悟を決めるだけだった
バッチーーーーーーーッッンンンン………ィイン!!!!!!!
最初に飛んできたのは渾身の右平手打ちだった
幸いにも、グーじゃなかったなぁ
…なんてことは決してない
フルスイングの遠慮や躊躇など微塵もない初撃だ
それだけで意識がぶっ飛びそうになる
こういう場合、衝撃のショックが先に訪れ痛みは遅れて来るものだ
なんて
いやに冷静にボンヤリ考えていた最中
「ぶっ…は…!?」
ドスッ…と鈍い音を立てながら
鳩尾にとても綺麗なボディーブローが決まる
一瞬息が止まる
思わず込み上げてくるものを吐き出さなかった自分を褒めてやりたい
「ウラぁ!!!!」
とても若い年頃の女性の口から出るものとは思えない雄たけびと共に
次は右足をこれまたやけに綺麗な形で振り上げつつ飛び上がる
あーあー…パンツ見えてやんの、ピンクかよお子ちゃまが
口にすれば更に攻撃の鋭さが増すであろうこと間違いなしのアホなことを考えていると
スパンッ…!!と妙に小気味いい音を伴い
見事と言う他にない踵落としが脳天を直撃する
「がっ…は……」
あーこりゃーあかんわー
直面している事態にはまるで似つかわしくない呑気な感想を思考したのも束の間
ガクッと崩れ落ちる身体をスローモーションに感じながら
意識はそこで途切れ、暗く沈んでいった
…それからどれくらい経っただろうか?
ふと、頬に違和感を感じて
また急に意識を取り戻す
いや、無理やり覚醒させられたの間違いだろう
モヤがかった思考が徐々に鮮明になっていった…頬の痛みと共に
目を開けると案の定、痛みの原因がこれまた不敵な笑みを浮かべていた
「よぉーやくお目覚めかしら?」
やれやれと溜息を吐きながら平然と宣うリュナ
…いや、それはこちらのとるべき態度では?
てゆうか
「…頬を引っ張んな、痛てぇ」
「あれだけぶちのめしてあげたのに出る台詞がそれでいいの?ったく」
…容赦なくやっといてよく言えたもんだ
まぁ全身に多少の痛みは残るが、全く致命傷ではない
これは別に俺が特別頑丈という訳ではない
リュナがお情けで回復法術でも使ったんだろう
毎度毎度懲りないもんだ…こいつも、俺も
何も知らない人間が見たらさぞかしバイオレンスな光景だろうが
こんなもんはただのじゃれ合いに等しい
…いや、今回かなり激しめではあったが
まぁそもそも彼女が本気で俺をぶちのめすつもりであったのなら、実際にはこんなものでは済まないことは明白だ
これっぽっちもありがたいとは思わないが、少なくとも最低限の手加減はしてくれたことに感謝すべきだろうか
…まっっっったく、納得はいかないが
まぁもういいや
むくりと身体を起こし、とりあえず周りを見渡す
窓から差し込む日の光から察するにとっくに日は登っている
気絶とはいえ多少の休息にはなったのか思ったほど疲労感は残っていない
…精神は別だがな
しゃがみ込んで様子を伺っていたリュナはそんな俺にはとうに興味をなくしたのか
立ち上がったかと思えば、近くにあった椅子に腰掛け視線をあの少女へと向ける
「…で?結局はどういう経緯でこうなったのよ」
不意にそう尋ねてくる彼女に皮肉たっぷりに返答する
「誤解は解けたと思っていいのか?結局」
「……それは、あんたの説明次第ってところね」
腕を組みながら顔を背ける彼女の様子を見ながら
意地っ張りなのも変わらねぇなと思わず苦笑する
「何ニヤニヤしてんのよ?気色悪い」
イライラした様子のリュナに催促され、頭を掻きながら溜息を吐く
…参ったなこりゃ
どう、説明したもんかね
ようやく話を聴いて貰える程度には落ち着いてくれたのだから
また、激怒させることがないようにしなければならないが
慎重に言葉を選びながら事の経緯を話し出した
「……ふーん…なるほどね」
一通りの説明を終えると、リュナは意外にも神妙な顔で考え込む
何はともあれ再び激昂はされずに済みそうだ
直情的ではあるが話の通じない人間ということはない
裏を返せば素直で自分の感情を真っすぐ表現する点は単純でありながら美点ともいえる
…多少暴力的な所を除けば、だが
「…ご納得頂けたかな?」
「まぁ、そうね。…考えてみれば、あんたみたいな面倒臭がりが自分の欲望の為だけに後先考えずに他人と関わりを持つような真似はしないでしょうし」
微妙に馬鹿にされているような気がしないでもないが話が拗れそうなので余計な口を挟まないように我慢する
「…でも、意外なのは確かね。一応聞くけど、これからどうするつもり?」
「………」
早速痛い所を突かれ沈黙する
あえて考えないようにしていたことだが
当然の疑問として追及されることは、もちろん分かってはいた
「……まさか、何の考えもなくってことはないでしょうね?」
「……………」
顔を逸らし、沈黙を続ける俺の様子にリュナは呆れたように溜息を吐き額に手を当てる
…そりゃあそういう反応になるだろうなとは思っていたが
「アクロー。…この際、どういうつもりでっていうのはもう言いっこなしにしてあげる。けどね」
途端に厳しい表情を浮かべお説教モードに入る
…昔からこういう時に、下手に反論等すると痛い目をみる
最小限の抵抗として顔を合わせはしないが、おとなしく耳は傾けておく
「どういう事情であれ……気まぐれか、気の迷いか何だか知らないけどね。この娘の運命に干渉したのはあなた自身の意思であることに違いはないわ。だったら当然、最低限の果たすべき責任てものがあるわよね?」
まるで捨て犬か捨て猫を拾ってきた子供を叱るような物言いに少々思う所がないわけではないが
彼女の言わんとすることについては、ぐうの音も出ない
…そうなのだ
どれだけグダグダ言い訳を並べても
関わると決めたのは紛れもなく自分自身なのだから
気まぐれで命を助けておいて後は知らぬ存ぜぬというのは、かなり無理があるだろう
…責任、ね
ずいぶん前にも同じようなことを言われたな
しかも同じ相手に
苦笑しながらも一応問い返してみる
「…ちなみに、その最低限のラインてのはどこまでだ?」
「自分で考えろバカ」
間髪入れずにバッサリ切り捨てられる
…手厳しいこって
いずれにしても、リュナの言う通りではある
今回ばかりは、その最低限の責任とやらから逃げ続けることは叶わないだろう
この眼前でいかめしい顔つきのまま腕を組んでふんぞり返っている女に見つかってしまった時点で
もはや、そんな選択が許されることはない
…仕方ない
そう、しょうがないのだ
分かってはいる
重々承知はしている
……のだが
「…めんどくせー…」
「あんたねぇ…………」
口から出る言葉は相も変わらずだ
そんな俺に、リュナはもはや呆れを通り越し哀れみを感じたような何とも言えない表情でこちらを見る
だが、そんなものでは改めることなど出来ない
…そんなつもりもない
これが俺だ
人間、そうそう変わりはしない
いい加減、諦めてほしいもんだ
「それよりも、気になるのは…」
心の中で謎の開き直りをする俺を無視して
不意にリュナが切り出す
「まさか…よりにもよって『忌み子』とはね」
「………」
―――そう、更なる問題はそこなのだ
「存在はもちろん知っていたけど、こうして直に見るのは初めてね。…アクローは?」
「…俺も同じだ」
「まぁ…そうでしょうね。…かなり希少なはずだし、そもそも実際に存在が確認されていたのなら、国でも大騒動になっているはず」
「その口ぶりだと、そんな話は無かったようだな?」
「…ええ。少なくとも私の知る範囲では、だけどね」
……なるほど。それならば少なくとも、この少女は公には誰にも所在を把握されていないらしい
…リュナの立場を考えれば、表の世界での厄介事を彼女が知りえない場合などそうそう起こりえない
「…なるほど、つまりこいつは想像通りの疫病神ってわけだ」
「疫病神って…まぁ…かなり危険な匂いはするわね…。少なくとも、何かしらの犯罪に巻き込まれているのは間違いなさそうだわ」
「…やっぱ、ここはお前が引き取るのがベストじゃねぇか?」
「ほぉ?……それで?あなたは何をしてくれるのかしら?」
「………」
問い詰められ答えに窮し沈黙で返す
我ながら情けないが、そう縋りたいだけのトラブルの香りを
この謎の少女から感じる
「…もちろん、私も出来るだけ協力はするわ。けど、この子を今すぐ連れて帰るわけにはいかないわね…少なくともどういう事情を抱えているのか把握するまでは、アクロー。あんたがここに匿いなさい。今更、嫌とか面倒とかいう権利は無いわよ」
「……チッ。…しょうがねぇな」
舌打ちと心底嫌そうな表情と一緒に渋々受け入れる
悪態をつく俺をリュナは構うことなく少女に近づきその様子を観察する
「…ひどい怪我ね。それにこの格好…とてもじゃないけど良い環境で生きてきたとは思えない」
昏睡する少女の状態を見ればそれは容易に想像がつくことだ
とてもじゃないが、自ら好き好んでするような風貌ではない
生々しい傷も然り
「奴隷…ってところか?」
「…ええ。可能性は高いわね。…胸糞悪い」
語気に怒りを含ませるリュナ
それも致し方ないだろう
奴隷制度などとうの昔に排除された悪しき慣習だ
…表向きには
そう、実情は違う
今現在でも貧困や差別…組織犯罪による誘拐や売買
戦乱、果ては国家による黙認や加担によっても横行している現実がある
醜く汚い人の業
その一つとして根付いた蛮行は
そう簡単に消え廃れるものではない
だがそんな不条理を憎み、決して屈することなく
本気で根絶を願うような女が目の前にはいる
正義感…なんて安っぽいものではない
意地と信念
情に厚く、お人好し
お節介の上、非情にはなれない
そんな俺には眩しすぎる程の特性を持ち合わせている彼女には
見ず知らずの少女の身の上にすら
心を締め付けられるように感じているだろう
ホント…相変わらず、だな
「よくもまぁ、こんな状態で生きてここまで辿り着いたわね…いくら特別、といっても…不思議だわ」
感心するように嘆息しながら
リュナは少女の身体を隈なく観察し負傷の程度や箇所を確かめていく
そして…丁度、胸の辺りに掌をかざし瞳を閉じる
深呼吸の後、意識を集中させながら姿勢を維持していると
ボォ……っと揺れる炎のような暖色を纏った光が
彼女の手から放たれる
そして、みるみるうちに少女の身体のあちらこちらに痛々しく刻まれていた傷が
徐々に、スゥ…と掻き消えていった
…回復法術
術者の技量により、外傷を治癒・回復することを可能とする魔法術の一種
リュナはいとも簡単に行使しているように見えるが
そんな誰でも簡単に使用することが叶うようなものではない
一般的には、もちろん術として使える者はそれなりに存在する
だがその大半は傷の深さや痛みを多少軽減する程度のレベル
才能が乏しい者では応急処置にすらならない些末な術になってしまう
例えば俺のような
だが、リュナは…『リュナ・レイリオーネ』は違う
才能、才覚はもちろんだが…その熟練度、技能は国でも指折りの実力を有する
はっきり言って優れているなんてものではない
稀代の才能…そして血の滲むような研鑽による能力によって発揮される術は
あっという間に醜い傷跡をまるで怪我など存在しなかったような綺麗な状態にまで修復していく
「…また腕を上げたな。どこまで昇れば気が済むのやら…恐ろしい女だな」
「お褒めにあずかり光栄ね。…まぁ碌に手当ても施さずに布団の上に放り投げて知らん顔している薄情者に比べたらマシでしょうけどね?」
…どうやら、嫌味と口撃の威力も成長を続けているらしい
その被害者はごく一部の人間だけ、だろうが
「へぇへぇ。そりゃすいませんね。…で?具合はどうなんだ」
「さぁね。…表面的な傷は問題なく消せるけど、心配なのは心身へのダメージがどの位蓄積されているかね…衰弱しているのは間違いないはずだし。…あとはこの子の生命力次第、かな」
「…ふぅん?…そうか。…ところで」
「何?」
「やっぱり本物か?その耳とか」
ズコッとまるで下手なコントのように気が抜けながら
呆れたように視線をこちらに向けてくる
「あんたね…気になるとこ、そこなの?」
「いや、気にはなるだろ」
「…まぁ…それはそうだけど…ったく」
口ではつんけんしていながらも
好奇心に負けたのか
リュナは少女の頭から生えている獣の耳をちょんちょんと
指先でつつきだす
「うわぁ…フワフワ」
恐る恐る触れていたが、すぐに感触の良さに我を忘れたのか
無遠慮にこねくり回しだす
…おいおい
「…ぅ…」
その無神経な手つきに
少女は僅かに息を漏らし反応する
それに気づかずか、それとも無視しているのか
リュナは手を止めずに触り続ける
「間違いなく、この子から生えているわね…作りものじゃない」
やや興奮気味にそう語り始める
…まるで小動物に目を輝かせ可愛がる子供のようだ
「伝聞通りね…所詮眉唾だとは思っていたけど、噂ってのも案外馬鹿にできないものね」
それは、まぁその通りだとは思う
こうして実際に存在を目の当たりにしてしまっては、もはや疑う余地などありはしない
何て悠長に考えていると
「…ちょっとゴメンねー」
小声かつ棒読みでいきなり少女にそう告げたかと思うと
ガバッ……!!
何を血迷ったのか、躊躇することもなくボロ服の裾…いや、スカート?
…とにかく下半身をかろうじて覆っていたそれを突然捲りあげる
「……!?何してんだ急に!!?」
唐突な奇行に一瞬戸惑ったが何とか瞬間的に顔を背ける
…いや、何でこっちがそんな気を回さなきゃなんねぇんだよ
焦っているこちらをまるで意に介さず
リュナは謎の感嘆を言葉にする
「おぉーー…!小っちゃい尻尾もある…可愛い」
「………はぁ……」
それを確かめる為にひん剥いたのかよ
…デリカシーのない女だ
「おぃ…いつまでやってんだ」
「あぁ、ごめんごめん。…何やってんのよ」
それは、こちらの台詞だ
恐る恐る振り返ると、大胆に引っぺがしていた衣服を整え
…嫌な笑みを浮かべてこちらを見てくる
「…変態」
「……………」
もはや何も言うまい
理不尽、不条理、不愉快
色々とこの不本意な状況に対し言葉は浮かぶが
…言葉にすれば、未だにニヤニヤし続ける性悪女のからかいの種になるだけだ
「まぁ、冗談はさておき」
いけしゃあしゃあ、というのはこいつの為にあるような表現だろう
顔をしかめる俺に対しコホンッ…とわざとらしく咳払いをし
平然とリュナは続ける
「耳に尻尾…もう間違いなく本物ね。…この女の子は、『忌み子』と呼ばれる存在で」
「…まぁ、そうなんだろうな」
こうして実物を見て確認してしまえば、半信半疑なんてことは現実逃避でしかない
…よりにもよって、というのが正直な感想だが
「…参考までに聞くけどアクロー。あんたはどこまで知ってるの?」
「……別に、お前とそう大差ないと思うがね」
「まぁ、そうでしょうけど。念の為の確認よ」
「……外見は、普通の人間とそう大差ない。一番目立つ特徴としては、まるで動物のような耳や尻尾を生やしている…伝説上の亜人種のような感じと」
「…続けて?」
「外見上の特徴を除けば……異常な程の魔法術に対する適性の高さ、だったか」
…この点については、具体的な中身はほとんど伝わっていない
適性の高さと表現したが
才覚とも才能とも異なる…異能に近いものだとか
あるいは、何らかの特有の知識や技術によって独自の魔法術体系を構築しているだとか
…人間には到底辿り着くことの出来ない神の領域にいる等々
はっきりいってどこまでが正しく伝わっているものなのか
怪しいとしか言い様のない不確かな情報ばかり
「まぁ…概ね認識は変わらないわね。…後は、とにかく現存数が少なくて希少な種、としか」
「…少なくともこの国じゃ、もうかなりの年月接触記録はないんじゃなかったか?」
俺の問いに、リュナや無言で頷く
…実在したことについてはそこまで驚きはない
なぜなら
「他国では、近年でも度々目撃例があったはずよ。…それにこれも本当かどうか知らないけど、国の中枢に要職として迎え入れていると表明している所もあるくらいだしね」
「…ああ。外交的にも、戦乱時の他国への威嚇にしても切り札にしている程だったな」
「…ええ。尤も、嘘偽りだとする声も多数あるけどね。実際…表舞台にはほぼ現れることがないらしいし…それに」
重苦しい表情とともに、リュナは言い辛そうにしている
…その内容に関しては、正しく一番の問題点とも言える
「迫害…差別の対象、だろ?」
「………ええ」
そうなのだ
人間の中には、そのあまりに不確かな伝承や噂
そして強大な『力』を持って生まれるとされる彼、彼女らを
恐れ、畏怖し、忌み嫌うべき存在として信じて疑わない者達も多く存在する
―――世界に仇成す忌むべき邪神の子供達
それ故、『忌み子』
真実か否かはさほど重要ではない
…いずれにしても、こいつは堂々とそこらを闊歩出来るような生易しい立場にはない
だからこそ扱いに困っている
どうしたものか
おそらく奴隷として何者かに飼われていた
何らかの目的の為に
それも、どこまでの厄介事を抱えているか
今の時点では判断しようもない
「…めんどくせー…」
小声でボソッと呟いたつもりが
地獄耳の誰かさんには、しっかりと聴かれていたらしい
「アクロー」
咎めるような声色に
ウンザリしながらも遮る
「あーあーわぁーてるよ。…責任だろ、責任」
…わかってはいる
わかってはいるのだが
俺にどうしろってんだよ
はっきり言って逃げ出したい
放り投げてしまいたい
――以前のように
…だが、今回は
この件についてはそういうわけにもいかない
自らの意思で招いた結果なのだから
…あの時と違って
そんなどうしようもないことをうだうだと考えている俺に
リュナは、よしっ…!と何かを思いついたように明るく表情を作り直す
「わかったわ、アクロー」
「…あ?」
何が?と問い返す間もなく彼女は
意気揚々と提案を持ち掛けてきた
「とりあえず、あんた。街で買い出ししてきて」
「…はい?」
意味が分からない
この流れでなぜそうなる
「この子から話をちゃんと聴く為にも、まずはしっかり元気になってもらわないと始まらないわ。つまり、アクローが普段テキトーに済ませてる不摂生な食事なんかじゃダメ。他にも色々と物入りだしね?そういうことだから、よろしく」
矢継ぎ早に放たれる言葉に未だに追いつけない俺を他所に
ひらひらと呑気に手を振るリュナ
…いやいや
いやいやいや
「なんでわざわざ俺が?リュナ、お前が行けば」
「最低限の責任、果たすのよね?」
「………」
訂正
これは提案じゃない
…命令だった
「いつまで突っ立ってんの?ほら早く」
しっしっ…とまるで野良犬を追い払うような仕草で追い立ててくる
…この女
「具体的に何が必要なんだよ…」
「食料。服。飲み物、ミルクとか。それから生活雑貨系。その他女の子がしばらくこのボロ小屋に滞在しなきゃならない上で必要だと思われるものを片っ端から」
マジかこいつ
あ、いやマジだわ
目が本気
「…街まで半日は掛かる。往復するにはかなり骨が折れ」
「『足』なら貸してあげる。すっ飛ばせば数時間で済むわ」
「その間、お前は何を」
「当然この子の看病よ。ちゃんと付いていてあげないとね」
……改めて痛感する
とっくに選択の余地はなかった
微塵も
「他に質問は?」
ドヤァ…と音がしそうなしたり顔で
言葉の弾丸を浴びせ続けた悪魔のような女がふんぞり返っていた
…そんな様子のリュナに
全てを諦めたった一言だけを返す
「…了解した」
何とも惨めで情けない返しをしてしまった
その無様な不甲斐ない己の対応を振り返りつつ
―――――俺は回想を終了するのだった