それは本心か言い訳か
「…眠ったみたいね…」
すやすやと寝息を立てる少女……フィルの頭を撫でながら
リュナはポツリとそう呟いた
その声色は、安堵の色を浮かべつつも決して楽観的な様子ではなかった
…まぁ、当然といえば当然のこと
今は綺麗に見える少女の身体には
とても痛々しい傷跡が無数にあったのだ
転んで擦りむいた傷や打ち身の跡
肌着同然で森を駆け抜けたせいか鋭利な草の葉による切り傷
真新しい生傷のそれらと
―――比較にならない程の、人為的な、継続的な、負傷の痕跡の数々
殴打による打撲、刃物で切られたような傷、鞭で打ちつけられたような腫れ
薬品による火傷のようなものから...注射痕まで
…生きているのが不思議なくらいだった
「…回復法術で、目に見える傷は大体消えたけど身体への負荷…ダメージそのものは完全に消すことは不可能だしね。まだ、油断は出来ない状態…かしらね」
「…だろうな。しかし、まぁ…応急措置としては十分すぎるくらいだろ。相変わらず、回復術はレベル高えなお前」
「回復術は、じゃなくて、もでしょ?」
「…あー…はいはい。すいませんでしたー。」
「…たくっ…あんたの減らず口のほうが相変わらずでしょうが」
いつも通りの軽口の叩き合いも、互いに覇気が無い
いや、俺はいつも通りだが
「…どう思う?」
「あ…?」
一瞬の沈黙の後、リュナは
飽きもせず、フィルと名付けた少女の頭を撫でながら
不意にそう投げかけてくる
「アクロー…あんたもこの子の怪我…負傷の具合は見たでしょう?正直、生きているほうがおかしい程の暴行…いいえ、拷問といってもいいでしょうね。…ひどい仕打ちを長い間、受けていたのでしょうね。…それなのに…」
…そこまで聞いて、彼女が何を言わんとしているのかをようやく理解した
確かに、それは当然の疑問だろう
回復法術等も使えず、医学的知識も無いに等しい
ド素人の俺から見ても少女の状態はひどいものだった
それだけの日常的な暴行、虐待…もしくは拷問を受けながらも、こいつは…
ここまで来たのだ
『人でなしの森』、まで
たった一人で
いくら異形の獣に追われながらとはいえ
人の手がほとんど入っていない、不可侵の森の中まで
…当然、道は舗装などされていない
獣道という表現すら、生温い
そんな場所に、ぼろぼろの身体で、見るからに貧弱そうな小娘が...素足で
命からがらとか、火事場の馬鹿力なんてものでは到底納得出来るものではない
不自然極まるとしか言いようがない
そもそも、あれだけ見るに堪えない程の傷で
骨折すらしていないとは――――――
何て、ぼんやりと思考を巡らしていると
「あー…」
唐突に、納得した。
少女がここにたどり着いた理由にではないが
「ん?…何よ」
なんか心当たりでも?と表情で訴えかけてくるリュナ
彼女の不審げな様子に、納得の声を漏らしてしまったことを少し後悔する
…説明しない訳にはいかなくなってしまったからだ
憶測でしかないが、恐らくほぼ間違いないであろう
…胸糞の悪い内容について
「…リュナ。お前の見立てじゃ、拷問を受けているような状態だったんだろ?こいつは」
「…ええ。…それが?」
「生きてんのが不思議なぐらい、だったと」
「……そうね。…てゆうか、まどろっこしいわね。何が言いたいわけ?」
「そんなひどい状態でどうやってここまで来られたのかは知らねぇが…興味もねぇが、なんで生きていられてんだと思う?」
「何で、ってそりゃぁ…今は…さっき私が治癒の法術で…」
「今は、ねぇ」
「………っ!?、…そう。………そういうことね」
回復、治癒の法術というものは万能ではない
だがある程度の技量と知識を持った術者が行使すれば、かなりの大怪我でも軽傷にすることが可能だ
更に熟練した者であれば傷跡がどの程度残るのか
身体へのダメージをどの程度に抑えるのかをコントロールすることすら出来る
つまり、即死と致命的な身体機能への影響を免れさえすれば
どれほどの傷を負ったとしても最低限の生命活動維持に問題はない
疲労や衰弱、痛みによる負荷等は蓄積するが
自然治癒と併せれば外傷というものへの脅威を大きく軽減する
まさしく聖なる法術
…だがそれは、悪意を持って利用すれば全く逆の邪悪な外道の術へと変化する
例えば殺さずに痛めつけたい場合
拷問というのは、野蛮な行いだが対象を死なすことなく継続して行うには
それなりの技術と熟練を伴う極めて難しいものだ
…人は頑丈なようで、案外脆い
場合によってはあっけなく命を落としてしまう
致命傷を避けて痛みだけを与え続けるというのは
何の知識も無い素人にはハードルが高い
…だが、そこに、外傷をある程度自在に、すぐに治療出来てしまう方法が介在してしまうとどうなるか
痛めつけられ
その傷を治癒され
また痛めつけられ
…それを繰り返される
いとも簡単に
心身のダメージを考慮しながら
決して死ぬことのないように工夫されていたら
それは、まさしく地獄だろう
永遠にも感じる程の
「…反吐が出そうだわ」
「………」
呟いたリュナの声は怒りという感情を隠そうとすらしていない
確かに想像しただけでも全く気持ちのいい内容ではない
だが、彼女の怒りという感情は
……殊更に厄介なものなのだ
「…ちょっとだけ、席を外すわ」
そう言うと、フラフラとした足取りで外に繋がる扉へと進んでいく
「…おい、リュナ」
無駄だと理解しつつも、そんな様子の彼女を呼び止める
その声に反応しピタリと動きを止めたかと思うと
「…あ?何?」
ゆらりと、獲物を仕留める直前の猛獣の如く
鋭く尖らせた眼光と共にこちらを振り向く
「……いや…程々にな…」
その様子に気圧されつつも、何とかそう声を掛けた
そんな俺の忠告をひらひらと手を振りながらテキトーに答えつつ
乱暴に扉を開閉して…外へと出て行った
「…はぁ~~…」
盛大にため息を吐き出す
(…こりゃあ…しばらく狩りは出来ないだろうな)
何てことを考えてすぐに
ドッゴォオオオオォオオーーーーーーーーーーーーーーーーーーンン…!!!!
外から盛大な音が響き渡る
その余波で、ぼろい小屋のあちこちがミシミシと軋む
幸いというべきなのかどうか…
これだけの騒音ですら深い眠りに落ちた厄介の種の少女は目を覚まさなかった
それだけの疲労と疲弊
あるいは、緊張の糸が切れたことによる安堵も伴って
心身のダメージを回復しようとする生物としての自己防衛本能か
…まぁそんなことはどうでもいいか
だだひとつ確定していることは
…しばらくこの近辺に野生の動物達は決して近寄らないであろうということだけだった
「ふぅ~~~…あー…ちょっとだけすっきりした」
…しばらくして
八つ当たりという名の破壊行為を終えたリュナが
いい汗かいたとばかりに額を拭いながら戻ってきた
(…やれやれ…相変わらず気性の荒い女だ…)
「それで?…結局、どうするつもりなのよ」
はしたなくバタバタと上着を扇ぎながら
そう問い掛けてくる
何が?等、聴くまでもないことだが
敢えて平然と問い返す
「…何がだ?」
「とぼけんな」
まぁ、そう返すわな
想定通りの切り返しに苦笑する
その俺の様子に苛立ちを隠す気もない様子で
詰め寄る彼女をぼんやり眺め
「変わらねぇな…」
ボソッとそう呟く
「それで?」
ささやかな抵抗も
このお節介焼きの顔見知り……昔馴染みの女には
何の意味も成さないようだ
「別に、どうもこうもねぇがな。気まぐれで拾ったはいいが、やっぱ扱いに困るな」
「…………あんたね…」
ふぅ~~~…と深く溜息を吐きながら
苛立ちを抑える為か、呆れ過ぎて言葉を失ったのか
リュナは何とも言えない微妙な表情でこちらを見る
…まぁそりゃ当然の反応、か
自分でもかなり無理のあることを言っている自覚はある
だが、それでも本心に違いはない
見捨てれば良かったんだ
厄介事になるのは、分かりきっていた
……だが、そうはしなかった
何も見なかったことにして、気づかなかったことにして
いつも通りの退屈な日常に戻る―――――
―――結局、それを選ばなかった
(…気まぐれねぇ…)
本心のはず、なのになぜだか妙に言い訳がましい
まるで自分にそう言い聞かせているように
……まるで目の前にいる、彼女にそう取り繕っているように
「………」
「………」
訝し気にジロジロとこちらを伺うリュナに対し
俺は顔を逸らし、行き場に迷った視線を泥のように眠る厄介者へと向ける
すやすやと呑気に寝息を立てる少女………『フィル』
妙な巡り合わせ…いや不運か
想定外の事態とは、こうも重なるものなのか
刺すような視線から現実逃避するかのごとく
こんな面倒臭い状況へと至る過程を
ぼんやりと、思い出す
偶然 だろう
だが、なぜだろうか
強く、違和感を覚えるのは