気まぐれ
いつも通りの一日のはずだった
いつも通りに、起きて
いつも通りに、顔を洗い
いつも通りに、飯を食い
いつも通りに、ダラダラと過ごし
いつも通りに、何の意味もなく終わる
そんな、しょうもない
当たり前の、平凡な
しかし、何によりも大切な
平和な一日
だが、それは
ほんの少しの気まぐれで
いとも容易く崩壊することを
あの時の、軽率な自分に教えてやりたい
盛大にぶん殴った後で、な
…きっかけは、些細な事だった
「あー? マジかよ…」
備蓄の食料が底を突きかけていることを知ったのは、
遅めの朝食を終え、しばらくしてのことだった
「面倒くせぇ…」
思わずため息が出る
まだまだ、余裕があると思っていたが
前回の調達からもう消費したのか
しばらくは、大丈夫だろうと調子に乗って
料理の品数を増やしたのが原因か
それとも単純に食いすぎか
…両方かもな
ぼんやりとそんなどうでもいいことを考える
やや、現実逃避気味に
何をその程度で、と思うかもしれないが
もちろん理由がある
『禁足地』
足を踏み入れれば、二度と出れない場所
禁じられ、恐れられ、忌み嫌われる土地
立ち入り禁止区域
神隠しになるとか、ならないとか
そんな、曰く付きの森の中の奥
嵐が来ればすぐにでも倒壊しそうなボロ小屋
こんな誰も好き好んで近づかない所に
住んでいるのだから
食料の調達だけでも一苦労だ
「どうすっかなー」
近い街まで歩きで半日以上は掛かる
小さい街だ
夕方になれば、大体の店は閉まる
酒場くらいなら空いてるだろうが
夜に
誰も近づかない森の方向から
怪しい男が来れば、当然不審に思われるだろう
下手を打てば面倒なトラブルに発展
最悪の場合は…
「あーっ…やめだやめだ」
痒くもない頭をバリバリ掻く
「あいつも、しばらく来ねぇだろうしなー」
一週間程前に、訪ねて来た知人の顔を思い浮かべる
知人というか、腐れ縁か…
気がつけば長い付き合いだ
そういえば奴が帰る際に、いつもの如く
グチグチ言っていたっけ
部屋を片付けろとか
身嗜みをちゃんとしろとか
しっかり飯を食えとか
………食料は計画的に消費しろ、とか
「…クソ…小姑が」
ボソッとそんな悪態をつく
言えた立場ではないのは百も承知だが
ほれみたことかというような顔が浮かび
ややイライラしたのは間違いない
どっちにしろ忙しい立場のあいつは
月に一度来るか来ないかというところ
この短期間で再度訪問することはないだろう
ということは、
残された選択肢は一つだけだ
「狩りに行くか…」
言葉に出してはみたものの
そんな程度でやる気に満ち溢れ
元気いっぱいに行動出来るような
純真な精神は持ち合わせていない
口から洩れる言葉は、いつもと変わらず
「かったりぃなー…クソっ」
ひどく乾ききった、生気のかけらもない
やる気など微塵も感じられない
そんな声だった
―――その日は、快晴だった
茹だるような暑さということもなく
適度に風が吹き、木々を揺らし
聞こえてくるのは鳥のさえずりや
小動物達の鳴き声、足音
近くを流れる川のせせらぎ
環境音としては悪くない
人によっては癒される、とでも感じるだろうか
だがそんなものは、俺にとっては日常の切り取りでしかない
特別なことはない
ありふれた風景
そう思う程に、永い時をここで過ごしてきた
独りで
『人でなしの森』
…いつだったか、街の人間がそんな呼び名で
この場所のことを話していたのを思い出す
どういう理由か、くわしい事情など興味はないが
恐れられ、忌み嫌われ、誰も近づこうとしないこの森を
いつの間にかそんな風に呼ぶようになったのだろうか
―――つまり、この場所で暮らすような物好きは
すでに人ですらないということになるだろうか
(…馬鹿馬鹿しい)
くだらない思考に終止符を打つように
心の中でそう吐き捨てる
人でなしね
まさしく、その通りだ
自ら進んでここに来たのだ
今更だ
意味もなくそんな結論を出し
無駄な思考を止め
今やるべきことを考え出した
(…魚はそれなりに捕れたな)
いつも定期的に訪れる近場の釣り場所で
先程、収穫した魚を入れたボロいバケツに目を向ける
人の手が入らないせいか
大物揃いだ
釣りをするには絶好のスポットも多い
基本入れ食いなので、調達にも困らない
問題は調子に乗って捕りすぎることがあるくらい
(さすがに、一か月連続の魚料理はもうこりごり、だな)
干物等にすれば日持ちはする、が
物事には限度というものがある
過去に経験した苦行を繰り返すようなマネは避けるべきだろう
…当たり前のことだが
(あとは、野草…きのこ類か? 肉もいるな…野兎でも捕れればいいが)
そんなことを考えながら、周囲を見渡す
歩き慣れた土地とはいえ深い森だ
あまり小屋から離れすぎるのは良くない
…それこそ遭難でもすれば命の保証などない
禁足地というのは伊達ではない
人の往来など皆無のこの場所で迷えば一巻の終わり
(まぁ、それでも)
『以前に』比べれば
なんてことを考えた時だった
バサバサバサッッーーーーー!!!!!
「ん…?」
前方にそびえ立つ巨木
樹齢何年になるのかも想像すらつかない程、大きな樹
小屋からほぼ直線上にある為目印として馴染みのあるそれから
突如として何十羽という数の鳥が飛び立った
それだけならば、特におかしいとは思わなかったのだが
ガサガサガサッーーーーーーー!!!!!!!!!!
それは、森の動物たちだった
リスやタヌキ、サルに
イノシシ、クマまでも
ありとあらゆる種類の動物たちが
まるでパニックを起こしたかのように
草を掻き分け
鳴き声を挙げながら
慌てふためいたように
霧散していく
…例の巨木の方向から
「まさかな…」
異常事態…嫌な予感…妙な違和感
正直な話、確認しに行く気にはならない
だがこの事態に心当たりがないわけではない
もしも、今考えている通りであれば
ノコノコと小屋に帰っても意味はないだろう
寧ろ更に悪い状況へと変わるだけ
「ハァーーーー…」
溜息を吐く
それは、今日という日がツイていないものになるであろう予感と
出来ればそうあってほしくないという願いを込めたものだった
魚の入ったボロバケツにボロ釣り竿を地面に置き
姿勢を低く、前傾に
左足を前に、右足を後ろに
息を殺し、目を閉じる
一呼吸置き、意識を集中する
目を開き、それと同時に
――――瞬時に森を駆け抜ける
目的地は当然、目の前にそびえ立つ巨木の近くまで
そこで目にしたのは、予想通りの光景と
全くもって想定外の光景の
両方だった
「…は⁇」
巨木を取り囲むように
無数の黒い影がいる
大型犬のような、狼のような形だが
普通の動物ではないと一目でわかる
『異形』
そう形容するのが相応しい
禍々しい雰囲気の獣
だが、驚いたのはその異形の獣達に対してではない
というか、そいつらは想定内の存在だった
―――驚いたのは、巨木の根本
異形達がこちらに見向きもせず注目している所
―――そこにいたのは…
「……女?」
思わず口をついて出たが正確には少女と呼ぶのが正しいだろうか
まだ少し、あどけなさの残るような外見
(15、6... いやもっと上か…?いや…もう少し、下か?)
容姿から正確な年齢などわからない
だが、とても成人の女性には見えない
だが、そんなことよりも
注目しなければならない点があった
「耳…?」
透き通るような白髪の上
そこにはまるで、獣のような耳があった
犬のようなとも猫のようなとも言えるような
不思議な形
そして本来、人間にあるべき場所に耳は見当たらない
(…尻尾もあんのか?)
なんて、どうでもいいことが頭をよぎる
角度の問題か、服で隠されているのか
それらしいものは見えない
というか、服
まるでその辺の布を適当に繋ぎ合わせただけの
かろうじて服の形を成しているかのような
とてもじゃないが、女性が好き好んで着るような代物ではない
何よりも…
(裸足、か。それに全身傷だらけ)
意識があるようには見えない
―――死んでいる?
いや、微かだが胸部が上下している
息はある
辛うじて、かもしれないが
「グルうぅううううあああああああああああああーーーーーーーーーー!!!!!」
「…ッチィ‼」
異形の獣の一匹が突然の咆哮を挙げる
それによって、呑気に観察していた思考が切り替わる
(今は、そんなことっ…どうでもいいだろうが!!馬鹿か!!)
―――鈍っている
それも、分かりきっていることだった
咆哮を挙げた一匹に釣られてか
残りの異形も次々に吠える
だが、それでも目の前の正体不明の少女は目を覚まさない
徐々に距離を詰めている
このままでは、どうなるかなんて
誰にでも想像がつく
―――見捨てるか
助ける義理などない
何の関わりも、情も、ありはしない
たまたま見つけてしまっただけの
恐らく、かなり厄介な事情を抱えた
真っ赤な他人
そんな面倒の塊でしかない少女を
助けるメリットなんかありはしない
異形どもは、始末する
こいつらを野放しにしてぐっすり眠れる程
先のことに頭が回らないわけではない
…囮に夢中な所を強襲すれば
鈍りに鈍ったこの腕でも簡単に始末はつく
―――やめたはずだ
―――そういうことは全て
――――投げ出したんだ、全てを
――――だから、ここにいる
―――――そうだ、考えるまでもなく
―――――答えは決まっている
無数の黒い影は、無情にも飛び掛かる
白純の少女は、目を覚まさない
そのまま
彼女から鮮血が噴き出る様を
ただただ、見届ける――――――
――――――ことはなかった。
瞬時に動く
迫る異形と少女の間に立ち、相対する
そこでようやく、獣達は
こちらの存在を認識したようだった
(10、15、…20匹くらい、か)
巨木を中心に、ぐるりと囲まれている
どういう訳か
余程この少女にご執心らしい
突如割って入ってきた邪魔者に対して
隠す気もない殺気が四方八方から向けられる
迷いなど微塵もない
それは、明確な殺意
脅しなんて器用なマネをこいつらはしない
ただただ、
自然の流れのように
そうする為だけに生まれてきたように
何の躊躇もなく、実行に移す
まるで示し合わせたかのように
一斉に飛び掛かってくる
だが、それは
全ての個体が完全に同時にというわけではない
当然だろう
いかに異形であっても、生物だ
どれだけ統率された群れ、チームであっても
必ず動きには誤差…乱れが生じる
腰からぶら下げた【それ】を瞬時に抜き放つ
―――短刀、長さは30㎝程
随分と使い古されてはいるが
その刃は輝きを失ってはいない
…当然だろう
手入れはもはや日課だ
しなければ落ち着かない
まずは前方
瞬時に振りぬく
一見リーチは短い
横に薙いだその刃はまるで届いてはいない
…ように見えるのだが
―――ザンッ!!!!!
「ギャウ‼」
「ガァ…!?」
頭部と胴体が
切り離され瞬く間に弾け飛ぶ
真っ先に飛び掛かってきた前方の5体は
その刹那、一斉に沈黙する
次は右
そして左―――
まるで流れるように
だが、決して無駄な動きはなく
振るわれた短刀の軌道が
一つ、また一つと
絶えず向けられていた殺意諸共薙ぎ払っていく
やがて、その動きを止めた時
咆哮も呻き声もなく
残ったのは、静寂と死の匂いと
ひどく懐かしい感覚だった
「ふぅーーー…」
上を向き、息を吐く
気がつくと日は傾き
夕焼けが間もなく暗い闇に染まろうとしていた
…さっさと戻ろう
こんなところで突っ立っていても
気分は晴れやしない
(やっぱ、今日は最高にツイてない日だったな)
そんなことを思った時だった
「あな…たは…?」
か細い、今にも消え入りそうな声だった
いつの間にか
意識を手放していたはずの少女が
細く瞳を開き
こちらを見ていた
「…………」
絞りだしたその問いかけに
答えはしなかった
ただただ、彼女の方を見据え
立ち尽くしていた
諦めたのか、限界だったのか
少女は再び目閉じる
――――どうすべきかなんて、答えは決まっていたはずだった
少なくとも、直前までは
だが結局、選んだ選択肢は全くの逆
とっくの昔に捨て去ったわずかな良心だろうか
全てを捨て去り、投げ出し、放棄した
後悔だろうか
(…いや、違うな)
今まで何度となく繰り返した自問自答
そこから目を背けるように
無理やり言い聞かせるように
ぼんやりとした思考に結論を出す
「こんなもん、気まぐれだ。単なる…な」
独り寂しく小声で呟いた
そんな、言い訳は
――――――少女の耳に届いただろうか
初めまして。 サンカ ヒラナリと申します。
何の実績も、経験もありませんが ぼちぼち書いていこうと思います。
お暇つぶしに生暖かく見て下されば幸いです。
完結出来るかなー 出来たらいいなー。