2、皇妃様は伏龍である?
幼い陽奏が困惑している。
思えば、我が子にこんな風に直接的な言葉でわかりやすく愛情を伝えたことが、あまりなかった。
貴き身分の御子にはよくあることだが、我が子は普段、乳母役の侍女である明蘭と教育係の宦官である瑞軒が主に世話をしている。
子育て経験がなく気の弱い華凛は、基本、指示されるまま、言われるまま。
『専門知識があり、子育て経験が豊富な者にお任せください。大切な世継ぎ様ですから』
『お子を産まれただけで、皇妃様のお勤めは果たされたようなもの。あとは我らに任せていただき、皇帝陛下がお戻りになるまでお健やかに日々をお過ごしくだされば』
『定期的にご成長ぶりをご覧いただく場を設けます』
しかし、それは完全に間違いだった。
我が子が亡くなってから知ったのだが、乳母は義妹に金を掴まされていた。
陽奏に「殿下の出来が悪いから母妃様は殿下のことがあまり好きではないのです」「私があなたを叩いたり厳しく当たるのは、母妃様が望んでいるからなのですよ」と言いながら、冷たく厳しく接していた。
そして、義妹が訪ねてきて母子が一緒に茶席についた時に、華凛以外の茶杯に毒を盛った。
結果、陽奏は死んだ。義妹も倒れたが、すぐに回復した――華凛は見ていた。
義妹は、その時お茶を飲んでいなかった。飲むフリをして、苦しむ演技をして倒れたのだ。
人と話すのは、苦手だ。
自分の考えを伝えたりすることに、抵抗感がある。
……だって、「それは違います」と言うと、相手は不機嫌になるから。
嫌われてしまうから。言ってもわかってもらえないから。言い返されて、事態が悪化するから。
華凛が幼い頃から、大人というのは彼女の言い分を聞いてくれなかった。
孤児だった頃も名家に引き取られてからも、「お前は今こう考えているのだろう」と決めつけた。例えば、「妹を妬んで人形を奪ったのだろう」と言われて「妬んでいない」「奪っていない」と言っても嘘だと決めつけられる、といった調子だ。
「その考えは違う」と言うと、大人たちは逆上した。
『お姉様。反論して相手を否定するから、ご機嫌を損ねてしまうのですよ。「その通りです、ごめんなさい」って言うだけにしておけば、傷が浅くて済むのに』
義理の妹、瑶華は姉に教えた。
反論すると、状況は悪化する。だから、言いたいことは飲みこんでおく――それは、長い年月をかけて華凛の深いところに根付いた考えだ。
……けれど、それでは我が子を守れない。
「華凛様、突然いかがなされたのですか? 本日は陽奏殿下とお話される予定はありませんでしたが……? なにより、そのように甘やかされては、殿下の情操教育に悪影響でございます」
乳母の明蘭が口を挟んでくるので、華凛は覚悟を決めた。
「な……なぜですか?」
「え?」
声を返してくると思わなかった、という顔色だ。
華凛の胸でどくん、と心臓が脈打った。
自分が考えを伝えたことで他者がなんらかの反応を示すのが、怖い。
だけど、腕の中の我が子が勇気をくれる。
「わ、わたくしは、母です。母が、会いたいときに我が子に会っても、いいでしょう。わ、わたくしは、甘やかしていません。つ、……冷たすぎるくらいだと、思います。会うこともなく、愛情を伝える事もない方が、よほど悪影響だと……思います……っ!」
必死に言えば、明蘭は顔色を変えて肩を怒らせた。
「わたくし、知ってます。め、明蘭は、陽奏に嘘を言ってます。今日からわたくし、ま、……毎日、我が子と過ごします……っ」
喉が詰まったようになって、うまく言葉が出て来なくなる。
長い年月かけて出来上がった性格は、一瞬では変われない。
……けれど、うつむいた時に息子の目が心配そうに自分を見ていることに気付いて、華凛は言葉を押し出した。
「ず……、瑞軒」
房室の隅に控えていた陽奏の教育係の名を呼ぶと、宦官の青年が頭を下げた。瑞軒という名前の青年は、義妹の息がかかっていない中立の立場のはずだ。
「め……明蘭の、房室を、調べてください。わ、わたくしの妹から、贈り物が届いている、はず……」
「……なにを……っ?」
明蘭が目を見開く。
調査させると、彼女の房室には毒入りの茶葉が届いていた。
送り主も義妹だとわかり大騒ぎになったが、実家は関与を否定した。
事態の調査に後宮が騒がしくなり、やり直す前と違って陽奏が死ぬ茶会自体が無くなった。
明蘭は口封じのためか獄中で殺されて、義妹は実家で軟禁状態になったという。恐らく、父が直々に事実確認と今後の方針を考えるのだろう。
(ひとまず、直接的に死ぬはずだった事件は防げたわ)
今まで大人しかった華凛が自分の意思を表示したこと。
何も知らないと思っていたのに、侍女がよからぬことをしていたのを把握していて、懲罰したこと。
この二点は周囲を驚かせた。
「妃は何事にも興味がないと油断させて奸臣が尻尾を出すのを誘ったのだ」
「能ある鷹は爪を隠すというが、華凛妃は普段は爪を隠し、油断した獲物を狩る鷹なのかもしれない……?」
と、噂が駆け巡る。
(だ、誰が鷹ですか……っ)
「皇妃様が鷹だと? それは間違いだ」
(そ、そうそう……っ、間違いです)
「我らが皇妃様は伏龍である。鷹よりも格が高いのだ」
(あ、悪化しました……っ⁉︎)
「皇帝陛下が長くご不在なのも、不在中に佞臣を炙り出そうとご夫婦で計略を巡らされたのだ」
「なんて恐ろしい……」
(こ、怖がられてます……⁉︎)
この勘違いは放置していていいのかしら。
でも、おかげで自分の意見を言いやすくなったし、聞いてもらいやすくもなった。
陽奏も、「これから、おかあさま、毎日おはなしできるの?」と喜んでくれている。
我が子を守ることができて、喜ばせることができたなら、よかった。
それにしても、自分の義妹の件は、現在調査中となっているけれど、下手をすると自分の妃としての地位も危険になってしまう恐れもある。
頭を悩ませていたところに、皇帝が帰還した。
初夜以来なので、実に四年ぶりとなる夫婦の再会だ。
父親である皇帝は、我が子を初めて見ることになる。




