12、ああ、わたくしたちの天女皇妃様!
実家の父が訪ねて来たのは、昼過ぎだった。
華凛と父は、血が繋がっていない。
孫家は歴史ある名家で、当主である父は夏国の有力者である。
ゆえに、華凛にとっての父はたいそう近寄りがたく、とにかく偉く、恐れ多い存在だった。
その父が訪ねてくるなり平伏して謝罪してくるので、華凛は天地がひっくり返ったような心地になった。
「天女皇妃様、これまでの振る舞いを謝罪申し上げます。申し訳ございませんでした」
「え、えっ……?」
父は、華凛のことを「天女皇妃様」という謎すぎる呼称で呼び、父自身のことを「臣(あなたの臣下)」という一人称で話し始めた。
「臣が愚かなために、ご心痛を与えてしまいました。臣自身の許されざる尊大で無礼な振る舞い。そして、それに影響された家族の暴走……天女皇妃様に……ああ、言葉にするのもおぞましゅうございます……」
華凛は唖然とした。
(この目の前にいる方は、わたくしの父であっていますよね……? い、一体、どうしてしまったの?)
父が額を床に擦り付けて「皇帝陛下にもお叱りを受け申した」と言う――そこで華凛は皇帝が孫家を訪れて妹を成敗した悪夢を思い出した。やはり、あの悪夢は現実に起きた出来事で、父は皇帝の恐ろしさに震えて華凛に謝罪している……ということだろうか。
なんとも気味の悪い現実だが、子どもの親に対しての礼儀や徳を考えると、謝罪する父を黙って見下ろしているのは、気弱な華凛には居心地が悪い。
自分が「すみません」と頭を下げて縮こまっている方が、よほど収まりがいいのだ――ずっと、そのように生きてきたから。
「た……立って、くださいませ、お父様。どうか……どうか」
狼狽えながら椅子を勧めると、侍女たちが好奇心で目を輝かせながら白茶を淹れてくれる。
父は人が変わった様子で畏まり、勧めを三度遠慮してから着座した。
「臣は一度、戦場で一度死にかけたことがあるのですが、長い間、その時の記憶が朧げでした。しかし、主上にお叱りを受けた際に、臣は思い出したのです」
彼は、両手を拝むように合わせ、神妙な面持ちで語った。
語る内容は長かったが、その内容を簡潔にまとめると、以下の通りである。
父は、崖に誘い込まれ、落ちた。
普通に考えれば助からない状況であったが、赤子を抱いた天女に助けられ、生還した。
天女はこの世の者と思えない美しさで、赤子を娘だと告げた。
そして、「事情があり育てることができないので、命を助けたお礼に娘を育ててほしい」と頼んできた。
父は恍惚と頷き、拝み、「この貴きお嬢様を養女にお迎えし、大切にお育て申し上げます」と誓った――はずなのだが、なぜか、その記憶に霞がかかり、忘れていたというのである。
「て……天女……で、ございますか……」
不思議な話だ。
侍女たちが袖で口元を隠して「まあ! 天女様」「お妃様は、常人ではないと思っていましたわ」と興奮気味に反応している。
この話は、何もしないでいると侍女たちの噂話で広まる――広まると、また自分が色々な人に「お妃様、すごい」と勘違いされてしまう。止めなくては――華凛は危機感を覚えた。
「み、み、みなさん……どうか、……こ、このことは……内密に。他言は、なりません……」
女主人としての風格を出そうと努めながら目を伏せ――目が合うと怖いので――扇で震える口元を隠して命じると、侍女たちは心得顔になった。
「天からの使命を帯びて地上に降りた天仙様や天女様は、正体を隠して目立たないようにするものですものね」
「ああ、わたくしたちの天女皇妃様……!」
「私たち、とてもすごい秘密を知ってしまったのね」
物凄く勘違いされている……!
全員が深く深く頭を下げて「我らが地上にご滞在くださり、ありがとう存じます」などを言うので、華凛は眩暈がする思いであった。
「ふ……普通に、してください。わ、わ、わたくしは……天からの、使命など、抱いていません。わ、わたくし、常人ですの」
必死に「普通の人」だと主張するが、もう遅い。
何を言ってもみんな、「正体を否定しないといけないのですね」とか「普段あまりお話にならないのも、天上の住人が地上にいるときの制約のようなものがあるに違いないわ」とか、どんどんと妄想を膨らませていくのだ。
(……ひぃ)
「天女皇妃様」
「そ、そ、その呼び方を、やめて、くださいっ」
父は、「承知いたしました」と恭しく応えて「皇妃様」と呼び直してくれた。
そして、「主上は女人の扱い、特に閨事に自信がないご様子であり、臣に指導をお求めであった。今後指導する。何かあれば教えよ。教導の師として改善させる」と言い、華凛の心を恥じらいで染めた。
(こ……この面会時間は、なんなのかしら)
恥ずかしくて堪らないひとときであった。
「あ、あのう。侍女のみなさん、お下がりください。わ、わたくし、父と二人でお話を……しとうございます」
おそるおそる言うと、侍女たちは下がってくれた。
最初から侍女を遠ざけていればよかった――華凛はそっと後悔した。




