1、天は、人は自ら助けよと言うものなり
三歳児が、母親に殺された。
子どもの父親は、大陸に栄華を誇る『夏国』の皇帝、滄月。二十二歳。
殺した犯人は、皇帝の妃、二十歳の華凛……冤罪である。
我が子殺しの冤罪を着せられた華凛は、孤児の身分から名家の養女となり、皇帝妃になった美女だ。
彼女は人と話すのが苦手な小心者の気質があり、孤立していた。
冷淡な皇帝との関係も、初夜の一度きり。
ろくに会話もせず、儀式のように淡々と関係を持った夜だった。
その一夜で華凛は子を孕んだが、皇帝は初夜の直後に遠征に出て以来、本日まで帰ってこない。
「華凛妃は前から何をお考えかわからないと思っていたが、正気ではないな。我が子を殺すとは」
「妹君にも毒を盛ったというのだから、恐ろしい」
処刑台にのぼる華凛は、元々は月光に照らされた水晶のように清雅な美貌で有名な妃であった。
だが、今は別人のように痩せ細り、長く豊かだった漆黒の艶髪は乱雑に切られている。
処刑台に引き倒されて何かを叫ぶ姿には、「悪女め」「見苦しい」「醜悪だ」という非難が集まった。
「罪状を告げる。華凛妃は、我が国の世継ぎである皇子を殺害した。余罪として、側妃候補である瑶華姫への毒殺未遂も挙げられる……」
眉を寄せ、ざわざわと華凛を非難する人々の視線の先で、たった今名前が出たばかりの『側妃候補の瑶華姫』が処刑台に近付いていく。
瑶華は、華凛と血のつながりのない妹。今回の事件では、姉に毒殺されそうになった被害者として皆に記憶されている。
「ああっ……お姉様……なんということでしょう」
加害者に近付く被害者の構図に、誰もが心配し……目を奪われた。
瑶華姫は儚げな容姿をしていて、その表情には自分を傷つけた相手への負の感情はなく、どこまでも深い憐憫の情を湛えていた。
「みなさま、なにとぞ、お聞きくださいませ……私が悪いのです」
声は高く、か細く、聞いているだけで胸が痛むような哀れっぽさがあった。
「私が主上から恋文を賜ったと告白したせいで、お姉様は妬心に駆られ、お心を闇に堕としてしまったのですわ。お止めしようとしたのですが間に合わず……こんなことになってしまうなんて」
淡い紅色の化粧に彩られた眦から、綺麗な涙がこぼれおちる。
可憐な姫君がすすり泣く姿は、見る者に「優しい心を痛めている」という感想を抱かせた。
……けれど、瑶華は身を屈め、姉にだけ聞こえるように囁いた。
「やっと目障りなお姉様を消せますね。ああっ、……胸が空きますわ。んふふ……っ」
姉にだけ見せる表情は、愉悦の笑顔に歪んでいた。
小さく歓喜を伝える声には、肉食の猛獣が獲物をいたぶり、舌なめずりする気配があった。
「卑しい出自の養子ごときが見染められて、私を差し置いて妃になって。子どもまで授かって……身のほどを知ってくださいな」
「……っ」
姉、華凛は口を開いたが、言葉は出ない。
舌を抜かれているのだ。
『わたくしは、無実です』
『愛しい我が子を暗殺したのは、目の前にいる妹です』
『妹は、倒れたふりをしただけなのです』
そう訴えたくて仕方ないが、ひとことも発することができないのである。
(ああ、天よ。お助け下さい……)
我が子の命が失われようとした時からずっと、華凛は「助けてほしい」「なんとかしてほしい」と祈り続けてきた。
けれど、天は祈りを聞き届けてくれる気配がない。
「皇帝の妃ともあろう方がこんなに簡単に処刑できてしまうのは、お姉様が悪いんですよ。皇帝が不在なので唯一の妃に気に入られて権勢を高めたい臣下は多いのに、お姉様ったら社交性の欠片もない。ですから、皇子を産んでいても……もっと簡単に仲良くできる妃の方がいいって思われちゃったんですよ」
華凛は首を刎ねられた。
壮絶な痛みと苦しみの中、想うのは我が子のことだった。
(……あの子を守ってあげたかった)
死に際の心には未練があった。
我が子を守れなかった悔しさと哀しみと、恨みもあった。
苦しい。辛い。
恨めしい。 悔しい。
悲しい。助けて。助けて。助けて。
そんな心に、異質な何かが眩く閃き、波紋を立てた。
――『天は、人は自ら助けよと言うものなり』……
「――この事態は何事か!」
皇帝が帰還したのは、彼女が首を斬られた直後だった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「……い、いやっ――――……」
悲鳴をあげて、臥牀で眠っていた華凛は飛び起きた。
「…………?」
生きている。呼吸が出来る。拘束されていない。
今いる場所も、処刑台ではない。非難の声を渦巻かせる観衆のいない、静寂を友とする清潔な寝室だ。
侍女に確認すると、今日は我が子が死ぬ前日だった。
可愛い我が子が、まだ生きている。
「陽奏……っ!」
「おかあ、さま?」
我が子を抱きしめると、温かい。
あどけない声で母を呼ぶ。
(ああ――生きている……!)
呼吸にあわせて体が動いていて、小さくて柔らかな手が心配そうに母の頬をぺちぺちと触るのが、愛おしい。
「どおしたの。おかあさま。どこか、いちゃいの? こわいゆめ、みたの?」
母を心配する声に笑顔を返そうとして、華凛は顔をぐしゃぐしゃにして涙をあふれさせた。
「っ、……あぁ、よう、そう……っ、よかった……よかった……っ」
「なかないで」
我が子は心配してくれて、きれいな布で頬をぬぐってくれる。
それが愛しくて、ますます涙が止まらなくなってしまう。
怖い夢だった。
あってはならない未来だった。
けれど、自分の中に「あれは単なる夢ではない」という生々しくて深刻な感覚がある。
『天は、人は自ら助けよと言うものなり』
引き寄せられるように壁を見ると、『西王母』を描いた水墨画が飾られている。
『西王母』は、古くから信仰されている、天界を統べる母なる最上位の女神だ。
(あれは実際に起きた未来の現実で、わたくしの願いを西王母様が聞き届けてくれたのではないかしら)
「あ、あ、愛しているわ。お、お母様、あなたが大好きよ」
「どうちたの、おかあさま。……ぼくも、おかあさま、だいすきよ」
「――……っ、ありが、とう――、ありがとう……っ」
生きていてくれるのが、嬉しい。
我が子をこうして抱きしめられるのが、ありがたい。
華凛は西王母に手を合わせ、感謝した。
そして、心から誓った。
「お母様、あなたを守るわ。ぜったい、守るわ。もう苦しい思いはさせないわ……っ」
今度こそ、今度こそ――この命は、奪わせない。
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