第184話 首輪(1)
『ノヴァ様、ノヴァ様』
『どうしたんだい、マリナ? また頓痴気なアイデアを基にしたビックリドッキリメカを作って欲しいのかい?』
『いいえ、今回はビックリドッキリメカではなく派閥を作りましょう!』
『いきなり難易度の高い政治工作が来たな!?』
『落ちついて下さい。<世界管理計画>における我々の役割は裁定者ですが、計画の初期段階では強大であっても一プレイヤーでしかありません。何故なら、我々には裁定者としての実績も信頼も信用もありません』
『現状だと軍事力だけが突出した一組織でしかないのか?』
『そうです。ですから計画の始動と同時に実績や信頼等を積み上げ、全体では要所で意見を出しては我々にとって都合の良い世論を形成する必要があります。そうした下準備を経てからでないと名実共に裁定者として振舞う事が出来ません』
『まぁ、支配者じゃないと公言するなら、それ相応の実績がないと暴走する人が現れるだろうな……』
『理解が早くて助かります。ですから世論の形成は人任せにはせず、基本的には<木星機関>が描く大まかな未来予想範囲内で意見交換や交渉を行わせます。その際に、<木星機関>を筆頭とした派閥があれば各種政治工作を仕込み易くなります』
『マリナの言わんとする事は理解出来る。なら派閥に組み込む予定の勢力に目は付けてあるのか?』
『現時点では、我々の一強状態なので少数精鋭でいこうと考えています。その為に、組み込むコミュニティーも基本的には横のつながりの薄い新興コミュニティーを中心とする予定です』
『手始めはそれ位がいいか。そこら辺の政治工作で俺がするべき事はあるか?』
『現時点では事前交渉を重ねる段階なのでありません。それらが終わって、トップ同士の会談が必要になった時にはノヴァ様に出てもらいます』
『了解。それにしても事前準備だけで大変だな』
『大変ですが必要な事です。あ、それと此方の書類にサインを下さい』
『あ~、はいは……………………、え、マジで?』
『マジです』
『いや、お上品に言い換えているけど、これ首輪だよね? 行動を制御するとか、誘導するとか書いてあるけど? 思いっきり内政干渉じゃないの? いや、マジで??』
『単なる比喩表現ですよ! それに、泥船状態で地獄の底にいる様な彼らは例え細い糸であっても掴むしかありません。但し、掴む糸がカーボンナノチューブの様な代物で、握ったが最後、今度の組織運営に欠かす事が出来ない重要な位置を占めるだけです!』
『うわ、諸々の命綱を握って飼い殺しにするつもりだ。黒い、流石マリナ、腹黒いぞ!』
『これも高度な交渉術の一つ。それでも札束で交渉相手の頬を殴るのは、言葉にし難い高揚感を伴いますね!』
『なんか変な性癖に目覚めてない? まぁ、何はともあれこれは勝ったな、風呂入って来る』
『……まぁ、そんな調子の良い事をノヴァ様が言いたい気持ちも分かりますが、解決すべき最大の問題があります』
『やっぱりあるんだ』
『はい。非常に利用価値の高い組織の一つに目星を付けているのですが……』
『今迄の情報から予測するに、協力体制を築けるかが読めないのか?』
『はい、彼らの理性がどれ程残っているか、現時点では推測するしかありません。ですから最悪の場合も想定して動く必要があります』
『……まぁ、手加減していても、軽く再起不能になるぐらいに叩き潰したからね』
『其処をどうにかするのが私の仕事です。それでも、私単独で作成した草案だとインパクトが足りないと思うのです。ノヴァ様、何かいい考えが浮かびませんか?』
『…………それじゃ、これも付け足して、いや、これもいるかな? いや、此処までするならいっその事………………………………。よし、これならマリナから見てもインパクトはありそうか?』
『これは……』
『…………』
『ノヴァ様』
『なんだい、マリナ?』
『これ、思いっきりノヴァ様の趣味嗜好入ってますよね?』
『いや、違う。これは高度な政治的判断に基づいた考えであり、決して己の欲望を満たす為に──────』
『ノヴァ様』
『なんだい、マリナ?』
『私の目を見て答えて下さい』
『…………黙秘権を行使します』
『ノヴァ様』
『…………小さじ一杯、趣味嗜好が入ってます』
『やっぱり。ですが検討する余地は大いにあります。後は私が条件を纏められるかですね。勿論、言い出しっぺのノヴァ様に協力してもらいますよ!』
『ああ、そっち方面なら何とかして見せるさ』
◆
ダムラ・フォルスワーグ国際空港は元連邦有数の国際空港であり、現在では< Establish and protect order >が拠点を構えた事で要塞として生まれ変わった。
広大な敷地と滑走路に加え各種設備に多くの利用可能な建物が残っていた事もあり、徹底的な再武装が行われ、ミュータントの大群が押し寄せようと跳ね除ける程の防衛力を備えていた。
「定期連絡。此方、第三監視塔。遠方に小規模のグールの群れを確認。数は四体、対応指示を頼む」
『此方、本部。グールの群れについては此方からの手出しを禁ずる。警戒線を超えない限りは放置するように』
「第三監視塔、グールはたった四体、危険度は高くない。小隊一つで片づけられる程度の脅威だ。再考を願う」
『此方、本部。繰り返すが寄ってこないなら放置しろ。貴重な弾丸の浪費は許さない。これは正式な命令だ』
「……了解」
「それで、本部は何て言ってます?」
「グールに使う弾はない。監視だけに留めろ、だ」
本部から送られた指示を、隊長はペアを組んでいる相棒に誤魔化さずに告げる。
隊長の声にはやりきれない思いが見え隠れし、何よりも疲れ切ったものだ。
「あいつ等を追い払う弾も無いのですか?」
「ああ、そうだ。配給された弾丸は今や貴重品だ。大事に懐に仕舞っておけ」
「そうですか……」
そして隊長と同じ様に、ペアを組んでいる相棒の声もまた疲れ切っていた。
第三監視塔に配備された< Establish and protect order >に所属する二人は互いに辛気臭い雰囲気を漂わせながら、胸の内では言いようもない悲しさを抱えていた。
そして示し合わせた訳でもなく、二人は何も言わずに揃って視線を背後に控えている本部に向ける。
視線の先にあるのは< Establish and protect order >が、総力を挙げて作り上げた難攻不落の大要塞。
拠点たる空港を囲うように設置された幾つもの機銃やタレットは、傍目には針鼠の様に見えただろう。
外に向けられた幾つもの銃口から吐き出される圧倒的な火力は、不用意に近付いたミュータントを一匹の例外もなく挽肉へと変えた。
多くの仲間達によって入念に整備された滑走路には、幾つもの輸送機兼攻撃機であるティルトローター機が並び常に慌ただしかった。
要塞を維持するのに必要な大量の物資が収められた倉庫は、戦いに赴く兵士の腹を満たし、巨大な宿舎は戦いに疲れた仲間を癒した。
法螺を吹いている訳でもなく、過度な誇張が施された訳でもない。
確かに視線の先には、二人が心の底から誇っていた要塞が君臨していたのだ。
──だが、全ては過去のものとなった。
現在の空港を囲んでいた機銃やタレットの残骸が片付けられることなく放置され、滑走路には大穴が幾つも空き、緊急離陸が間に合わずに標的となったティルトローター機の残骸が幾つも放置されている。
ありとあらゆる武器と兵器は入念に破棄され、原型を留めないスクラップとなった。
そして、隊員宿舎への攻撃は無かったものの、< Establish and protect order >という巨大武装組織の運営に必要とされる大量の物資を収めていた倉庫群は軒並み全焼。
兵士達の心の拠り所となる要塞でありコミュニティーは、戦端が開かれてから僅かな時間で、機能の大半を喪失する最悪な結末を迎えたのだ。
「隊長、俺達、負けたんですか?」
「……ああ、そうだ。俺達は負けた。完膚なきまでに叩き潰された」
< Establish and protect order >は、敵と見定めていた<木星機関>の実力を見誤った。
<木星機関>の攻撃は彼らの基準では考えられない程に正確であり、何より無慈悲で容赦が無かった。
それでも、< Establish and protect order >は、猛攻をしのいで生き残った超兵器である二隻の飛行戦艦に残存する全戦力を載せて起死回生の反撃に転じた。
──それが<木星機関>の誘導であったと終始気付くことなく。
そして、<木星機関>の計画通りに< Establish and protect order >は敗北したのだ。
「隊長。俺達これからどうなるんですか?」
「……分からん」
痛み分けであれば、勝てなかった理由を分析して戦略戦術を練り直しただろう。
惜敗であれば志半ばで亡くなった戦友を思い、再戦の決意を固められただろう。
だが、手加減をされたうえで終始掌で転がされたとあれば話は全く違う。
前提となる情報が不足していては満足に分析が出来ず、幾ら勇ましい言葉を唱えようと戦意は奮い立たない。
そればかりか、< Establish and protect order >の敗北を刻みつけるように滑走路には二隻の飛行戦艦が静かに佇んでいた。
武装が悉く破壊され、胴体部には大穴が空き、剥ぎ取られ、火災によって変色してまで起こした、超兵器としての価値を失った巨大な置物として。
「隊長。うちら、これからどう──」
「同じ質問をするな。……だが、本部にいる奴らが何かいい考えを出してくれる筈だ。今はそう考えるしかない」
「そうかもしれないですけど、戦艦は二隻共使いものになりませんよ。それに武器や外骨格も……」
「それ以上は考えるな。不味い配給食が更に不味くなる」
「……すみません」
「気持ちは理解出来る。それでも俺達ではどうしようもない」
そして、何よりも救いようが無いのが、敵である<木星機関>の都合によって戦闘は一方的に中断され、興味を失ったとばかりに敵から放置される現状だ。
敵の企みを見抜けず、決着をつける事も出来ずに放置され続ける事は、兵士である彼らにとって敗北より惨たらしい仕打ちだ。
だが、結末に幾ら不満を抱こうと< Establish and protect order >には<木星機関>に再戦を挑む余力は何処にも無い。
戦いに負け、貴重な戦力の大半を失い、壊滅以外に表現しようがない被害を前に誰もが戦意を折られ、自信を失い、抵抗の意思は消えてしまった。
それが、今の< Establish and protect order >の姿である。
──そして、過酷な世界は戦意を失った< Establish and protect order >に優しく寄り添う事はしない。
「ヤバい!? 隊長、グールが徒党を組んで近付いてきた!!」
「数は!?」
監視塔から少しばかり離れた場所にある廃墟群。
其処は< Establish and protect order >であっても、時間と労力の物資の無駄遣いであるからと放置された場所であり、嘗てはスーパーマーケットであった巨大な店舗や人々が住んでいた家屋が立ち並んでいた。
それから長い月日を経て荒れ果て廃墟と化した其処は、今や多種多様なミュータントが棲み付く危険地帯として監視が欠かせない場所となっていた。
そんな危険地帯に生息するグールが三十を超えて集まり集団を形成しているのを見つけたのだ。
そして最悪な事にグールの集団はゆっくりと、しかし確実に本部がある方向に向けてゆっくりと近付いていた。
「本部! 此方、第三監視塔! グールの集団が接近、数は30体以上!! 対応の指示を!!」
『此方本部。それは見間違いではないのか? 確認を求める』
「あの腐った奴らを見間違えるか!! さっさと応援を寄越してくれ!! 二人で抑え込める数ではない!!」
只の見間違いだと、只の気紛れな行動であって欲しいと願っていた。
だが人間としての理性を全て削ぎ落し、本能のみに従うグールの虚ろな目と望遠鏡越しで目が合った瞬間に隊長は諦めた。
そして、自らに課された職務に則り、近付いてくるミュータントの情報を即座に本部に送信した。
しかし、本部から返って来たのは煮え切れない返答であった。
『此方本部、グールの集団の進行方向の再確認を求める。進行方向が僅かでも逸れているのなら脅威とは見なさずに静観に徹しろ。またグールの襲撃が予想された場合は、既に配置されている罠と手持ちの武器で何とか対応出来ないか?』
「さっきから出来ないと言っているだろう!! 聞こえないのか!!」
人型であるグールは歴としたミュータントの一種であり、人間を食料としか認識しない危険生物である。
そんなグールは一定数を超えて集まると、食欲という原始的な本能に支配されるのか他の生物がいる場所に向けて集団で移動する習性がある。
そしてミュータント全般に共通する強靱な生命力の前では、足止め程度の罠とたった二丁の銃で押し返す事は不可能。
それを理解している隊長は、他の場所から戦闘可能な部隊を引き抜き、此処に送るべきだと通信機に向って大声で訴える。
『そんな事は言われずとも理解している!! だが、無い袖は振れないのだ!!』
だが、通信機から返って来たのは取り付く島もない返事であった。
『武器が足りないんだ!! 投入可能な貴重な戦力をそっちに送った瞬間に、別方向から襲撃があれば本部の防衛が崩れる!! こっちはこっちで手持ちの戦力をギリギリまで遣り繰りしている!! 何処の持ち場も余力は無いんだ!!』
隊長に勝るとも劣らない怒声混じりの返答は、本部に詰めている幹部達の職務怠慢による結果ではない。
要塞が万全であれば幾らミュータントが押し寄せようと問題にはならなかった。
だが、運用していた兵器や武器の多くが予備も含めて大量のスクラップと成り果てた結果、戦闘可能な人員に対して満足な装備を支給が出来ない問題が発生していた。
部隊によっては小銃が四人に対して一丁しか配備されない部隊もある程に< Establish and protect order >は追い詰められていた。
『無理を言っているのは理解している。それでも……頼む』
「……だとしても迎撃は不可能だ。代わりにグールの集団を別方向へ誘導させる。成功する保証はない、失敗の可能性を頭に入れておいてくれ」
『分かった。此方も何とか戦力を抽出して送る。それまで凌いでくれ』
「了解」
救援を求めた通信は願い叶わず、現状の厳しさを再確認させる酷い結末となった。
それでも隊長の傍にいた相棒は貴重な小銃を構えて命令を待っていた。
「隊長」
男は通信機から聞こえた命令を全て聞いていた。
そして、下された命令がどれ程無謀なのかを理解していた。
「奴らを倒そうと思うな。本部から遠ざけてれば俺達の勝ちだ!」
「了解!」
「よし、いくぞ!!」
彼らは敗残兵である。
それでも彼らは兵士であった。
下された命令に応える為に二人は支給された銃を構え、監視塔から飛び出す。
そして、近付くグールの集団に対して廃墟に素早く隠れると同時に側面から攻撃を行う。
「先ずは一匹!」
銃声が廃墟に響き、先頭に立っていたグールが頭を貫かれて斃れる。
その瞬間、グールの集団は敵を認識して進行方向を変える。
雄叫びをあげ、人間よりも優れた五感を頼りに硝煙の匂いを辿っていく。
「誘導成功!」
「よし! 距離を保ったまま本部から引き離す」
圧倒的な数のグールに対して二人は正面から戦う愚は犯さない。
一発の弾丸で一体のグールを仕留め、時に注意を引く為に身を晒し、気紛れを起こして本部に進もうとするグールの頭を吹き飛ばし、常に進行方向を誘導し続ける。
鍛えた肉体、磨いた技術、積み上げた経験を総動員した二人はグールの集団を翻弄し、その集大成として進行方向を変える大金星を掲げた。
「隊長、俺凄く頑張りました……」
「ああ、そうだな」
──だが、勝ち星の代償は二人の運命であった。
グールの集団は時間が経つほど、そして本部から離れた場所に誘導する度に増え続けた。
足止めと誘導の際には、それなりの数のグールを仕留めていた二人だが、殺した以上に敵が増えていく光景は絶望以外に表現できなかった。
そして、二人が最後に振り返った時にはグールの数は50を超え、何時の間にか取り囲まれていた。
そんな絶体絶命としか言い表せない窮地であっても二人は必死になって生き残ろうと足掻いた。
だが、全ての希望を断ち切る様に追い詰めるグールを前に二人は、袋小路に追い詰められてしまった。
「此処が俺達の死に場所らしい」
汗と埃と返り血で薄汚れた二人は精魂尽き果てたように床に座り込んでいた。
窓がない廃墟の一室、その唯一の出入り口である扉は即席のバリケードが塞ぎ、何者も入れない様に固く閉ざしていた。
そんなガラクタで作ったバリケードと扉を破ろうと数えるのも馬鹿らしい数のグールが汚らしい雄叫びを挙げ、扉にガリガリと爪を立てていた。
「長くは持ちませんね」
「無茶に付き合わせた、すまん。詫びにこれをやる」
部屋にあったガラクタを材料に突貫作業で作ったバリケードの耐久はたかが知れていた。
そう遠くない内に破られると予想した隊長は、無茶に付き合った相棒に一発だけ弾丸を残した拳銃を差し出す。
「……これで生きて喰われる前に死ねますね」
「ああ、そうだ」
それは、隊長が最後まで残していた自決用の弾丸。
生きたまま喰われる恐怖から逃れる為に残していた、最後の希望であった。
「隊長はどうするんですか?」
「これがある」
「手榴弾で派手に吹っ飛ぶのもアリですね。まぁ、俺は遠慮しますけど」
拳銃というお手軽な自決方法を失った隊長だが、相棒を安心させようと一つだけ残った手榴弾を目の前に見せる。
それを見た男が安心したのか笑い、隊長も釣られて笑い始める。
グールが即席のバリケードを叩く音を背景に、部屋には男達の笑いが木霊する。
そして始まるのは、最期を目前に控えた男達の本音の暴露大会であった。
「ああくそ! 死ぬ前に女と寝たかった!!」
「お前チェリーボーイなのか?」
「だって、ずーと訓練訓練で、いざ実戦だと思ったら戦う前に負けたんですよ!! 手柄なんて何もないから褒賞にありつけないんです!!」
「はは、残念だったな!! まぁ、仮に手柄を挙げてもありつける贅沢はたかが知れている上に、いい女は幹部連中のお手付きだ!! それと女の当たり外れは大きいが、アルコールには外れが無いぞ!! そのせいで俺は未だに清い身体のままだ!!」
「え、その年で!? 気持ちわる!?」
「おいコラ拳銃返せ」
最早、死ぬ以外に道は無いと悟った二人は、年齢も立場も超えて軽口を叩き合った。
それは、死出に旅立つ事を恐れる己を慰める儀式であり、迫りくる恐怖を少しでも遠ざけようとする最後の悪足掻きであった。
だが、二人の細やかな願いをグールは無下にする。
グールが束になって叩き続けた扉の一部が壊れ、バリケードの隙間越しに二人を見つけた捕食者が食欲に支配された叫びをあげて木霊となった。
「……此処までですね」
「ああ、そうだな」
「先に逝きます。それと……、隊長としてアンタは悪くなかった」
「お前は生意気だが良い部下だった」
グールの姿が見えた瞬間に二人は覚悟を決めた。
相棒は拳銃を自らの口に差し込み、隊長は手榴弾のピンに指を掛け、全ての準備を終える。
後は指を動かすだけ、それで全てを終わらせられる状態になった。
だが、二人は最後の一線を踏み越えられないでいた。
引き金に掛けた指が、手榴弾を握る手が震える。
悲壮な覚悟を決めようと二人は死にたくなかった、生きたかったのだ。
だが、グールは二人の心情などを慮る事もなく、新鮮な肉を食べようとバリケードの空いた隙間から手を伸ばし──
『それじゃ、助さん格さん、やっておしまい!!』
『『ヨ、ヨロコンデー』』
だが、突如として絶体絶命の場面に相応しくない棒読みの声が廃墟に響き渡った。
「あ?」
「はぁ?」
「グルァア?」
それを聞いた人間もグールも一様に動きを止め、その直後に大きな音が廃墟に響き渡る。
二人の耳に聞こえて来る音は銃声でも爆発音でもなかった。
敢えて言うのなら、何かの肉を地面に叩きつけ潰す際に出る音に近い。
そんな生々しい音が大音量で響く度に、グールの雄叫びと悲鳴が廃墟に木霊する。
そればかりか、先程までバリケードの向こうにある新鮮な肉に夢中だったグールが、敵意を露にしながら人間を放置して離れていく。
敵意を剥き出しにしたグールが何処へ向かって行くのか、バリケードによって視界が遮られている二人には知る事が出来ない。
だが、代わりに聞こえて来る何かが潰れるような音とグールの悲鳴が、バリケードの向こうで何が起こっているのかを雄弁に物語っていた。
そして、先程の場違いな声から暫くするとグールの雄叫びは消え、何も無かったかのように廃墟は静寂に包まれた。
「た、隊長?」
「分からん、分からんが──」
──俺達は生き残ったかもしれない。
そう隊長は口にしようとしたが、バリケードの向こうから聞こえて来る軽快な足音が、隊長の言葉を遮る様に響き渡る。
そして、軽快な足音はバリケードの手前で止まり、その直後に再び場違いな声が廃墟に響き渡る。
『あ、あ~、お部屋の中に閉じこもっているお二人。部屋の外にいたグールのお掃除は完了しました! 部屋から出ても大丈夫ですよ!!』
バリケードの向こうから聞こえるのは、場違いにも程がある明るい女性の声。
一瞬自分の耳がおかしくなったのかと二人は疑ったが、その疑念は直ぐに消えた。
何故なら、壊れた扉の隙間から漂って来るのが鼻に突き刺さる程の死臭であるからだ。
間違いなくバリケードの先にあるのは大量のグールを材料にした血生臭い光景だろうと二人は予測出来た。
出来てしまったからこそ、先程の場違いな女性の声との組み合わせが尚更理解出来ない。
余りにも異様な組み合わせを前にして二人は、自分達を納得させられるだけの理屈を思い浮かべる事が出来ずに一歩も動けなかった。
だが現実として幾ら耳を澄まそうと廃墟は耳に痛い程に静かであり、グールの雄叫びも喧騒も全く聞こえて来ない。
そうした一つ一つの事実を積み重ねながら、二人はゆっくりと現状を理解しようとした。
──しかし、バリケードの向こうに立っている人物は二人とは違った事を考えていた。
『あ、もしかして怪我をして動けませんか!? それなら、助さん格さん、やっておしまい!!』
『『ヨ、ヨロコンデー』』
「「うぉおおお!?!?」」
場違いな掛け声の直後に、即席ではあったが押し寄せるグールを押さえ続けていた筈のバリケードが二人の目の前で紙屑の様に吹き飛ばされる。
それは発破か、或いは迫撃砲弾が直撃したとしか言いようがない突飛な光景。
人伝に聞けば質の悪い冗談だと二人とも馬鹿にしただろう。
だが、それが現実に、しかも当事者として自分達の目の前で起こってしまったのだ。
その結果として、安心しつつあった二人の度肝を抜くのは当然の成り行きであった。
「二人とも無事ですか、生きていますか!? 怪我をしているのなら応急措置をしましょうか!!」
一体何が起こったのか全く分からない。
自分達の目の間にいる人間は何者なのか。
そんな理解を超えた出来事の連続を前にして、立場も恥も外聞も捨てて互いに抱き合う二人の前に現れたのは頭まで白い外套を被った四人組。
その中でも一番身長の低い一人が外套を外すと人懐っこい顔をした女性の顔があった。
皴も、日焼けも、シミも無い人形の様に美しい顔を持つ女性の突然の登場は混乱の只中にあった二人の思考を中断させる程度には衝撃的だった。
そして中断された事で正常に回り出した思考は、此方を心配する女性とその後ろに控える三人組の姿を捉える。
「お、お」
──お前達は何者だ。
そう誰何しようとした隊長の喉と口は、制御を離れてしまったかの様に動かない。
だが、二人の動揺を理解しているのか女性は何も言わず、動揺が落ち着くまで静かに待っていた。
そのお陰で、冷静になる事が出来た二人は警戒心を抱きながら、頭まで白い外套を被った見るからに怪しい四人組に改めて視線を向けることが出来た。
「きゅ、救援感謝する。貴方達がいなければグールによって我々は死んでいた」
もし彼らの救援が一秒でも遅れていれば二人は間違いなく死んでいただろう。
それを理解しているからこそ、二人は見知らぬ集団であっても素直に感謝を示した。
「だが我々は< Establish and protect order >の兵士である。貴方達の目的が分からない以上、放置する事は出来ない。無礼である事は承知の上で答えて頂きたい。貴方達は何者で、何処から来た」
命を助けてもらった恩は確かにある。
だが、それ以上に二人は人生のほぼ全てを< Establish and protect order >に捧げて生きてきた生粋の兵士なのだ。
だからこそ、全身白尽くめの怪しい四人組を恩人だからといって放置する事は出来ない。
そんな二人の気構えを理解したのか、女性が後ろに控えていた一人にアイコンタクトを送ると、今迄黙っていた一人が前に進み出て来た。
「我々の目的は< Establish and protect order >の代表との会談です」
女性に代わるように口を開いた人物は、二人に対して抑揚のない平坦な声で目的を話す。そして、目的を伝え終えると同時に頭部を覆っていた外套を二人の前で外した。
「な!?」
「き、貴様は!?」
「改めて名乗らせていただきます。私は<木星機関>に所属するアンドロイド、デイヴと申します。この度は<木星機関>からの使者として< Establish and protect order >のトップとの面会に伺いました。お取次ぎをお願いできますか?」
外套の下にあったのは人間の顔では無く、無機質な量産型アンドロイドの顔。
そして<木星機関>という名前を聞いた二人の脳裏には、閃光の様に今迄の遣り取りがフラッシュバックすると同時に理解を拒んだ脳が情報をシャットアウト。
「「……ふぅ」」
「あっ」
「あ、ちょ、何やってんですか、1st!?」
操り人形の糸が切れる様に気絶した成人男性二人。
その身柄をどうするかで、デイヴとマリナの間では短いながらも激しい会話が繰り広げられることとなった。