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1998年10月 大阪府岸和田市

 夫の様子がやっぱりおかしい。


 実家に帰ってきた公子はそう家族に打ち明けた。


 公子の実家・松崎家は夫の実家の国広家と同じ建設業である。岸和田で代々続くコンクリート会社を経営している。よく、『公子と喧嘩したらコンクリートで埋められて大阪湾に鎮められる』と冷やかされたものだが、会社に出入りしている強面の男たちを見るとまんざら嘘でもない気がする。

外では最近とみに活動が活発になった右翼団体・日本青年社の街宣車が走り回っている。


「やかましいわ。こころわるい。富幸君がUFOにはまってる?最近噂のかいな?」


 父・茂が浅黒い顔をして驚いた。母は横で韓国ドラマを見ながら子供と遊んでいる。


「最近20万もする天体望遠鏡を何も言わへんで買って、子供そっちのけでずっと眺めてるんや。何しとんの、って聞いたら『UFOや』って、そればっか」

「趣味があるのはいいことやあらへんか。定年して趣味がないわ、って困っとる友人を何人も見たで」

「定年って、うちらあと40年あるんやけど」


 公子はため息をついて出されたインスタントコーヒーに少しだけ砂糖を混ぜると一口飲んだ。


「それもこれも父さんの買ってきたあの変なTシャツと靴下のせいや」

「シャツと靴下?」


 茂は、韓国ドラマをつけっぱなしにして母と鉄道模型で遊ぶ孫をニコニコしながら眺めていたが、公子に話を振られて思い出したかのようだった。


「ああ、あのドイツとバングラのヤツか」


 父の趣味は海外旅行である。年に数回はどこかに出かける。バブル崩壊で急に景気が悪くなった世紀末にしてはたいそう羽振りのよい生活だ。父が言うには「うちは健全や。いろんなことをやって儲けているから心配ないで。円安で海外も行きやすいで」という。「いろんなこと」について言及すると怖いので触れないが、この不景気の中、父の会社の業績は何故かよく、海外旅行ができる収入があるのは事実だ。玄関には世界中で父が買ってきた置物で溢れている。


 そんな父・茂がドイツから買ってきたときに、夫・富幸に渡した土産が『1MARK』と書かれたシャツだった。1マルクと読むのだろう。


「あと3年もしたらマルクはユーロに代わるで。もう使えなくなるからヨーロッパに行くのはだいぶ便利になるで。ほんまにこのシャツは貴重やからしっかり見とけ」


 そういって浅黒い顔に口をあけて笑った。なかなかのハスキーボイスである。父は歯並びがよく、真っ白でキラキラしている。父は夫にシャツを渡したのだが、白地の記事に大きく文字が書かれているだけのTシャツである。


 父の土産はもう一つあった。バングラディシュで買ってきたという粗悪な織物で出来た靴下である。ドイツから帰る途中で急にインドに行きたくなったらしく、インド、ネパール、バングラディシュと回って帰ってきたという。急にインドに行きたくなる心境はよくわからないが、父に言わせると「トイレに行きたくなるようなもん」だそうだ。ますます意味が分からない。


 公子はバングラディシュの場所が分からなかったが、インドの隣だという。靴下には『BENGAL』と書かれていた。「これはあの辺でとれるいい麻で出来ているんだ」と父は語るが、一回洗っただけで紐がほつれてしまい、あまり長く使えない。粗悪品なのだろうか。父はただでさえ浅黒い顔をさらに黒くして「バングラはベンガル人の国や」と聞かれもしない靴下の由来を自慢げに語るのだった。


 公子は変なシャツと靴下をもらったのだが、このままごみ箱に捨てるわけにもいかないので仕方なくタンスに入れていた。ところが、数日して、夫はこのよくわからないデザインを見つけてしまった。しかもたいそう気に入ったらしく、ほつれた靴下とTシャツを着て現場に出かけるようになった。


 父も現場で夫の姿を目撃するようで、自分のあげたお土産をヘビーローテーションする義理の息子を痛く気に入ったようだった。ちょうどそのTシャツと靴下を履き始めたころから、UFOの観測にはまり始めたのだ。


 公子はつぶやく。


「うるさいわぁ。あの軍歌流してる車」

「そんな話をしに来たんか?」


 茂が聞く。そうではない。


「もう二日も口をきいてくれないんや」


 公子がそうぼやくと父は浅黒い肌に真っ白な歯を見せて笑った。


「自分で好きなことをやっとるんや。ええやんか。それこそ美しい人生、限りない喜びや」

「そりゃそうなんやけど」


 公子は今日になってもう何度目かの深いため息をついた。


「お前も好きなことをやったらええんや。毎日子供の相手じゃおもろないやろ。インド行ってこい。人生変わるで。赤ちゃんは生後七日で飛行機乗れるんや」

「そう言う問題やないんやけど」

「はけ口がいるんや。富幸はんも自分の好きなことやっとるんや。そういえばこんなのもあるで」


 父は携帯電話を取り出すと液晶画面を開いた。細かい字がたくさん並んでいる。


「これはチャットいうてな。旅行好きの仲間とこれで情報交換しとる。趣味の仲間や恋愛相談、中には恋人探しもやっとるもんもおるんや」

「へえ」


 父は職業柄相手先と連絡を取ることが多い。携帯電話が出始めた昨今はすごく便利になったと喜んでいた。しかも扱いにも精通しているとは。公子は中をのぞいた。北京からのアクセスやロサンゼルスのおいしい飲食店など、現地に行ったことがないとわからないような情報が載っている。こんな便利なツールがあるとは。


「うちもやってみようかしら」


 公子はほんの少しだけ興味が沸いた。

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