1999年7月 福岡県北九州市
伊豆宏明がコンビニをオープンして1年が経とうとしていた。
宏明はコンビニ経営を始める前は旅行代理店に勤めていた。まだ中国や東南アジア諸国などが経済発展し、富裕層が来日するインバウンド消費の始まるはるか昔のことである。90年代の不況下、観光業の収益減は大きく、宏明は管理職にありながら早期退職を促された。そこで宏明はリストラされる前に一念発起。退職金のほとんどをはたいてコンビニの経営権を獲得し、営業を始めたのである。
今となっては、年中無休・24時間営業でフランチャイズ業のコンビニは過酷な労働環境にあり、ブラック企業の象徴と揶揄されることもある。
だが、かつて90年代の不況下にあっても業績を確実に伸ばし続けるコンビニ経営は新規事業者にとって魅力的であった。かつ、ノウハウがなくても経営できるフランチャイズ形式は斬新であり、一獲千金を夢見る多くのリストラサラリーマンがコンビニ事業に乗り出したころである。宏明もそんな一人だった。幸い、息子がコンビニバイトの経験者であったのもあり寮に入れていたのだが、寮を引き払い急遽実家へ呼んだ。息子は嫌がったが、なぜか200万円もの借金を抱えていたため、退職金の一部ですべてを返済するというと渋々戻ってきた。
コンビニ経営で大切なのは立地条件である。これも幸いなことに周りに商売敵がなかったこともあってすんなりと業績を伸ばすことができた。業績の良いフランチャイズ店の近くに本社直営の同じコンビニが出店するという悪辣なことをコンビニ各社が始めるのは21世紀に入ってからである。
そんなある日のことである。
午後3時半に宏明は起床した。昼夜逆転の生活である。店まで20分はかかる。慌てて着替え、最近あちこちで見かける右翼の街宣車を追い抜きなんとか時間には間に合った。そんな宏明を、バイトの中国人学生が呼んだ。この当時としては珍しく、宏明の店は中国人バイトを雇っていた。宏明はレジの裏でパソコンをいじり、収益を確認していた。初めて1年が経つが未だに経理の仕事はわからない。
「テンチョウ、お客様デス。ご了承ください」
「お客様というのはこの前遊びに来てた弓彦の友達じゃないか?」
宏明はぼんやりと天井を眺めながら聞く。先日弓彦の友達で穴生という男と数人がやってきた。弓彦がいないと言って落胆していたが、この中国人バイトと変な話で盛り上がっていた。おそらくこの語尾に付ける「ご了承ください」がいたく気に入って散々茶化したに違いない。中国人バイトは続ける。
「ソンナ、カタギの人じゃないです。ご了承下さい」
「カタギなんてそんな言葉どこで覚えたんだ?」
「ジンギなき戦い、で覚えました。私がコピーした、いえ、トモダチが知っていました。ご了承ください」
「わかった。それはいいんだがその、『ご了承ください』はいらないんじゃないか?」
宏明は立ち上がりながら聞く。中国人の留学生は片言の日本語で話す。
「ワカリマシタ。ご了承ください」
「だからさ、前にも言ったけど語尾にそれをつけると日本人はわけわかんなくなるんだ。そう日本語教室で習わんかったか?」
「ニホンゴキョウシツ?」
「ニホンゴ、ナラウ、ところ」
「ソウデス。そこで先生にこうやって教わりました。ご了承ください」
「だからなぁ」
宏明は頭を掻いた。
「先生のムスコ、同じように教わってました。ご了承ください」
「息子がいるのか?おまえ、いくつだ?」
「ワタシじゃないですよ。先生のムスコです。先生と先生のムスコは遼寧省にいます。先生の奥さん美人ですよ。ご了承下さい」
「ま、いいか。で、誰が来たんだ?」
留学生バイトは名刺を渡した。「松崎土木株式会社 社長・松崎茂」とある。住所を見ると大阪府岸和田市?わざわざこんなところに来たのか?レジに向かう。
「こんにちわ。伊豆はん」
松崎は浅黒い顔した男だった。にやりと笑うと真っ白な歯が見える。隣には背の低い、目の大きなずんぐりした男が立っている。昔見た怪獣映画に出てきそうな顔をしている。松崎は続ける。
「この土地、誰の土地でっか?」
「え?誰ってワタシの…」
「伊豆はんのもんじゃないことはわかっとるんですわ。ほれ、登記」
「わかりましたお義父さん」
「ここはお義父さんやなくて社長や」
「あ、すいまへん社長」
隣のずんぐりした男、確かゴジラだったか。ゴジラにこんな怪獣出てきたっけ?
男がファイルを開く。
「ここに書いてありますんや。昔は公団が持ってたけど何故か売っとる。きっとカネに困ったんでしょうな。今はここ、見てみい」
「株式会社日本青年社?」
宏明はファイルを見て驚いた。この土地は最近巷をうろうろしている右翼団体の持ち物なのか?そもそもあの右翼団体は株式会社なのか?
「い、いらっしゃいませ」
客が入ってきた。レジの目の前には松崎とその部下が立っている。明らかに極道から店長が絡まれている画である。客はおどおどしながら弁当を持って松崎の後ろに並ぼうとした。宏明はおどおどしながら聞く。
「お客さんですので…」
「あん?今は商売より大事な話をしとるんや。あの、語尾にご了承、ってつける変な中国人にやらせろや」
松崎は両手をポケットに突っ込んで威嚇した。吉本新喜劇に出てくる借金取りと同じポーズである。そっとバイトが出てきて「ご了承ください」と呟いている。
「あと半年以内に立ち退かんとこの店爆破するぞ」
「ひえっ、でもそれは業務妨害じゃないんですか?」
「ケーサツにチクってもキカンぞ。ここの県警のトップは右翼や」
松崎は真っ白な歯を見せてハスキーボイスで笑った。
「このまま営業続けたかったら最近流行りのUFOにでも火星に連れてってもらって火星人相手に商売するんやな」
2人はそういって笑いながら去っていった。どうしたらよいのか。宏明は頭を抱え、ぼんやりと天井を眺めた。




