1999年6月 福岡県福岡市
私が東京に貧乏旅行に出かけたのは大学四年生の夏だった。巷がノストラダムスの大予言と右翼の街宣車、UFO騒動でにぎわっていたころのことである。
私はこの3年間ろくに勉強してこなかったので卒業できないのは確実だった。3年目にラストスパートをかけたのだが、2年分のツケは取り戻せなかった。
そんなわけで周りの友人が糞暑い中、リクルートスーツを着て走り回っているのを横目で見ながら、『今は超氷河期だから頑張ったってろくなところに入れないぞ』と、僻み根性丸出しの会話を居酒屋で酒を飲みながらよく友人知人に語っていたものである。
親からはとっくに見放されていたので学費は自分で稼がなけらばならなかった。だからバイト三昧の日々だった。そのためそこそこ貯金があった小金持ちの私は一大旅行に出かけようと画策したのだった。
その計画は、私が東京へ飛行機を使って向かい、東京に住む友人宅で散々遊んでから青春18きっぷを使って鈍行列車で京都まで向かう。そして、福岡からも別動隊が出発し、京都で待ち合わせをする。目的地は京都太秦・広隆寺。
広隆寺の宗派は真言宗系単立。山号を蜂岡山と称する。蜂岡寺≪はちおかでら≫、秦公寺≪はたのきみでら≫、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれる。帰化人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した、京都最古の寺院である。国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られ、聖徳太子信仰の寺でもある。
待ち合わせ時刻と日程を決め、あとは集合するのみ、という壮大な計画だ。今のようにソーシャルメディアの発達していない、しかも携帯電話すらようやく普及し始めた20年前である。連絡を逐一取れない状況は非常にスリリングでもあった。
そして、その当時仲の良かった籾井という男に計画を話すと、彼はノリノリで行くと言い出した。彼は大阪に親族がいるのでそこを宿にしてほしいと頼んだらしい。すると家を空けてくれるので好きなようになってよいと親族が返事をしてくれた。至れり尽くせりである。話を聞くと大阪の籾井の親族宅から京都までは電車で30分という。おもったより大阪と京都は近いようだ。
その当時、私と伊豆弓彦の関係は悪くなかった。オーケストラを退団して1年以上が経っていた。私も半年間ほど休団していた。
そんなある日、私たちは学生食堂で食事をしていると、肩を揺らしながら入ってくる伊豆弓彦の姿が見えた。籾井が横でささやく。
「今日はいつもの赤と黒のシマシマのラガートレーナーじゃないよ」
「8月にトレーナーはないよ。ええと、今日は白いTシャツ。『1MARK』って書いてある。ドイツ?」
「最近よく着てるよ。洗わないからだんだん小汚くなってる」
私たちは食堂内をうろうろする弓彦を冷やかし交じりに監視していたが、そのうち泰彦のことはどうでもよくなって、某ロボットアニメの話で盛り上がっていた。
「映画版の主題歌は関西の大物歌手らしいよ。深夜番組出てた」
私が担々麺を食べながらそういうと、サンドイッチを口にした籾井がうなずく。
「そうそう。有名らしいね」
「そうなんだ」
「彼は関西のローカル番組のレギュラーを何本も持ってる有名人らしいよ。親戚のおばさんが言ってた」
「こっちじゃ全然知られてないけどね」
「大阪?」
突然、弓彦がサラダを持ってやってきた。泰彦は基本、朝晩と寮の食事が出るので昼食だけでよいのだが、貧乏学生のため昼食はサラダで済ませる節約学生だった。そうなると普通やせるのだが体型は小太りである。これは、コンビニで深夜のバイトをちょくちょくやっているため食生活が乱れているためだと推測される。
「関西の大物歌手がアニメの映画の主題歌を歌ってるって話」
籾井が隣に座ってきた泰彦に答えた。私は話を続ける。
「かなりの毒舌らしいよ。籾井君もすごいけどね」
「あんたに言われたかない」
そういって二人してげらげら笑ったが、弓彦は関西というワードがどうも引っかかっているようだった。
「おいって。カンサイ」
「そうそう。籾井君、大阪のおばちゃんによろしく頼むね」
「明太子でも持って行ってあげようか」
「腐るんじゃないの?冷蔵して宅急便にしたら?」
「それだとお土産の意味がないんじゃないの?」
「豚骨ラーメンでもいいんじゃない?」
「このクソ暑いのにラーメンもどうかな」
「いいんじゃないの?名物だし」
「そうかなぁ」
「今日も街宣車うるさいねえ」
「そうだねぇ」
「おいってカンサイ」
「宇宙人襲来見た?」
「あれオスプレイなんでしょ?何か興ざめしちゃって」
「おいってカンサイ」
完全に二人の蚊帳の外に出された弓彦はなかなか話に入れない。
「ああ、伊豆くん。どうしたの?」
籾井が何か言いたそうな弓彦に気づいた。弓彦はむしゃむしゃとサラダを食べながら続ける。
「カンサイ行くってもんよ?」
「そうだけど。旅行。こいつが東京から。僕が福岡から京都に向かうんだ」
「京都に泊まるってもんよ?」
「ちがうよ。宿泊先はうちの大阪の親戚んち。天下茶屋ってとこに住んでる。南海本線のなんばのすぐ近く」
「なんば?南海本線?」
弓彦はそのワードにずいぶん反応した。
「そこでお好み焼き屋さんをしててね。そこの二階を空けてもらったんだ。ちょっと焦げ臭いけど2泊ぐらいならできるよって。だから宿泊費はタダ」
「おいって。大阪泊まるってもんよ?」
「そう。大阪」
「俺っちも大阪行きたいってもんよ」
「たしか伊豆くんは前に大阪行ってなかった?穴生が言ってたけど。また行くの?」
私がふと尋ねた。
「そうだって。俺っちは関西好きだってもんよ」
初めて聞いた。3か月ほど前に、泰彦は不倫話を聞き出した郎党の一人、穴生と一緒に瀬戸内海をフェリーで渡り、和歌山に出かけている。この時は学部のゼミ旅行だったようだが、最近起きた和歌山カレー事件の舞台となった和歌山市を訪問し、気持ち悪くなったといっていた。そんな観光地でもない事故現場に向かうのはどうかと思うが、帰りのフェリーの甲板で会場をたたずむ弓彦に哀愁を感じたと穴生は語っていた。
ともかくも、今回行くとなると半年を置かずして泰彦は関西に2度も行くことになる。知り合いがいるわけでもないのに…。と思った時、私はあることに気づいてしまった。もしかして弓彦は…。私は言った。
「伊豆くん、一緒に行こう。といっても最初は籾井くんとだけど」
「は?」
籾井は目を点にした。行きは弓彦のお守りをすることになるのか。そんな顔だった。
「おいって。わかったってもんよ」
弓彦は籾井とは対照的にうれしそうに笑った。




