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【4】 駆け付けた後見人

「死にかけちゃった」

「ちゃった……ではない! あと少し黒雪を吸い込んでいたら本当にあの世行きだったぞ」


 大陸南方第一都市メイナード。その国営病院の一室でエコウは説教を喰らっていた。


 ベッドに腰掛けるエコウに詰め寄るのは三十代前半の赤毛の男性だ。

 軍服に身を包んでいる事から分かる通り、軍人。肩章が示す階級は少佐。更に胸元に視線を下ろせば、王国軍特別遊撃部隊カリバーンの記章が輝いている。


 レナート・ミュンヘンベルク。代々士官を輩出してきたミュンヘンベルク家の十七代目当主であり、身寄りのないエコウの後見人でもある。


 任務で南へ向かう傍ら、エコウの後を追っていたレナートだったが、一つ前のワグナールに到着して間もなくの事だった。

 エコウが搭乗したと思われる汽車が魔獣に襲撃されたという知らせが届き、予定を前倒しにして専用の雪上船スキーシップでこの街に到着したのがつい先程。


 最悪の事態さえ想定したが、病院に駆けつけてみればエコウは殊の外ぴんぴんしていた。

 結婚どころか子供がいてもおかしくない年齢でありながら、レナートがいまだ独り身である理由が、自由奔放に飛び回るこのエコウにあったりするのだ。


 大きく溜息をついたレナートは、何度言ったか分からない問いを投げた。


「エコウ。君はエクシーダーだ。十といない君達にどれだけの資金と民意が寄せられているか理解していない訳ではないだろう。改めて聞くがその自覚はあるのか?」

「黒雪が振り撒く死の病、灰塵病。その特効薬を十全に作れるのはエクシーダーだけだから……って事だろ。そんなことは分かってるさ」

「だったらどうしていつも脱走紛いに王都を抜け出す。正式な申請を通せば自由に何処にでも行けるんだ。護衛も付けずに旅に出るなんて……」

「私はエクシーダーだけど王国の所有物じゃないし、君は私の親でも保護者でもない。立場・役職共に私の自由意思を束縛する権利は君にはないよ、レナート」


 軽い口調を一転させ、エコウはレナートを突っ撥ねる。


 確かにエコウらエクシーダーは王政直属の人間であり、少佐とはいえレナートは軍の一部でしかない。エコウは本来、レナートが傅く人間だ。いわば女王と騎士のような力関係。


「それに厳密に言えば製薬はエクシーダーにしか出来ないんじゃない。材料の精油を世界樹から最も効率よく、なお且つ樹を傷つけずに採取出来るってだけだ」


 一般的な樹木から造られる精油は葉や花弁、種子などを蒸留して採取する方法が一般的だが、大陸の生命線そのものである世界樹を傷つけることを王政は堅く禁じている。ここ数年は特に厳しく取り締まられており、ユグド教の信者たちも神経質になっている。

 エクシーダーは立場、能力共にそういった世情を躱せる唯一の例外なのだ。


 近年では特にエクシーダーの重要性は高まっている。


 エコウも一時期意識不明にまで陥った天災、黒雪がその最たる原因。

 降雪域内に五分も留まればまず命はなく、降雪後も風に乗って数十㎞先まで拡散する為に被害者も比例して増加していくのが黒雪の最も恐ろしいところだ。


 急激な気温低下と暗雲以外予兆も殆どないために予報も難しく、少しでも対応が遅れれば大量の死者さえ出かねない、まさしく天災。昨晩エコウが搭乗していた列車もその一例に数えられていたかも知れないのだ。


 半年もすれば暦上の冬もやって来る。少しでも薬の備蓄を増やしておきたいというのが、王政の偽らざる本音。エクシーダーを王政直属という破格の地位に置いているのは、何も稀有な能力や血筋に由来するばかりではない。


 エコウといえどそれは重々承知の上。


「君達のいう御役目を二月先までこなしたうえで此処にいるんだ。文句なんて言わせない」

「そういうことを言っているんじゃない。君が死んでしまえば、都市一つが滅ぶことだってあり得ると言っているんだ」

「世界樹の枝なり樹皮を直接材料にすれば時間は掛るけど今より大量の薬を生産できる、とも私は繰り返し説いてきたよ。たかだか十人ぽっちのエクシーダーに頼るより、よっぽど建設的だ」

「国民の混乱を招くと何度も棄却されてきただろう。最近ではユグド教の政治介入も無視できなくなっている」

「なら十人に満たないエクシーダーらに国民全員の命を背負わせる方が現実的かい? あんな化物が侵入して来てるのに、賢者の末裔たる私たちは王都に引っ込んでいろと?」


 エコウが窓の外を指し示す。

 最上階の個室のここからは都市の全容を俯瞰できる。エコウが差したのは都市の玄関口。


 外堀と外壁に囲まれた都市に数か所設けられた大門から、今まさに運搬車両で搬入されてきた巨大生物の死骸が見えた。

 昨晩、たった三人のグリームニルによって撃滅された魔獣たちだ。


「少しでも余力があるうちに冬の檻も、魔獣の進行も、黒雪の原因も調査も可能な内に進めるべきだ」

「……それは最もな意見だが。だからといって君自ら危険を犯す必要はない」

「へえ? じゃあ君はいまの異常事態が何に起因していると考えているんだい?」

「それは……」


 レナートは答えに窮する。


 議論するまでもなく、それは世界樹だろう。

 一度目の冬の檻が終結して以降、明けることのない冬も魔獣の侵入、ましてや黒き雪が降ることも無かった。世界樹に異常事態が起きている事は想像に難くない。


 裏を返せば、それは現在に至る神聖視と不可侵が招いた、人類への手痛いしっぺ返しといってもいい。

 原因を突き止めなくては、王国は手詰まりだ。その為にはエクシーダーの力は絶対条件。


 エコウの主張は至極真っ当なものであり、何よりも優先されるべきことだ。

 それでもレナートはエコウが動く事に否定的だ。


「だったら尚更護衛を付けるべきだ。魔獣も黒雪も観測されているのは殆ど南ばかりなんだぞ」

「ほう! つまり護衛さえあれば文句はないわけだ」


 ――しまった!

 レナートは慌てて口を塞ぐも遅きに失した。まんまとエコウの誘導に引っ掛かり、南への調査活動を容認するような事を口走ってしまった。


「相変わらず迂闊だね、レナート。もう少し知略・策略を学ばないと出世出来ないぜ」


 意地の悪い笑みを浮かべながらエコウはベッドからひょいと飛び降りると、荷物を纏め始める。早速動こうというわけだ。


「待ちなさい。もうこの際君を止めることはしないが、君を野放しにするわけはない。私の部隊に同行してもらう」

「そういえば君はどうしてこっちに来てるんだっけ?」

「鉱山都市の南方、末子の大気根を守るメスラム要塞から応援要請が入ったんだ」


 キナ臭いものを感じ、エコウは眉を顰める。


 メスラム要塞は大陸の果て、つまり魔獣の生息域の目と鼻の先だ。最も世界樹から遠いために魔獣除けの加護も薄く、要塞こそが魔獣を退ける実質的な防波堤だ。


 昨日のデュガーの様な例外はあるが、魔獣がカーディアーカ王国に侵入するルートはほぼここ一つと言っていい。

 逆にいえば此処を抜かれてしまえば、南は一気に人が住める環境では無くなってしまう。


 実際、十年前に大攻勢を受けた結果、王国は敗北を喫し現在のメスラム要塞まで後退を余儀なくされてしまった。


 今回レナートに応援が入ったのは、再び魔獣たちに大きな動きがあった為だ。

 このタイミングでデュガーの侵入が重なったのは、単なる偶然ではあるまい。


 レナートが部隊長を務める特別遊撃部隊カリバーンは軍でも数少ない対魔獣戦闘に特化した部隊。万全を期す意味でも、彼の舞台に招集が掛るのは当然と言えよう。


「いま部下たちが襲われた汽車の生存者の捜索と、残存魔獣の索敵に出ている。彼等が帰還次第直ぐにでも鉱山都市へ出発する。それまで君は此処で待機だ」

「黒雪の除去も治療ももう済ませたさ。他にベッドを必要としている患者は他にもいるんだ。君は医者の大袈裟な診療を真に受けすぎだよ。何なら確かめてみるかい?」


 バサバサと着替えをベッドに広げたエコウは、病院服の襟元を広げて見せる。

 健康的な白磁の肌と、薄手の病院服を持ち上げる女性的な膨らみ。レナートが訪れる前に身体を拭いていたのか、水気を帯びた肌が照明の光をキラキラと跳ね返していた。


「……ぇっ、遠慮しておく!」


 早足に廊下に出たレナートは後ろ手に扉を閉める。一族代々に遺伝する髪と同じくその顔は赤い。扉越しに衣擦れの音が聞こえ、冷え切った廊下にいるにも関わらず顔は火照る一方だ。


 挑発されている。理解しているが、年上の男性らしく切り返す事がレナートは出来ない。

 だが同時に後ろめたい気持ちも覚える。


 レナートがエコウと引き合わせられたのは十年程前。まだエコウがレナートの腰ほどの背丈の、幼い少女だった時だ。事前にエクシーダーだと聞かされ、緊張しながらエコウが待たされていた部屋の扉をノックしたものだ。


 身寄りがないエコウの後見人に任命され、突然歳の離れた妹が出来たような感覚に戸惑っていたのをつい昨日のように思い出せる。

 自由奔放な振る舞いに参ることも多いが、少女から女性へと花開き、贔屓目なしにしてもエコウはここ最近でとても綺麗になった。先のようにレナートを揶揄うマセた一面も覗かせるように。


 幼い頃から彼女を一番間近で見守ってきた。

 そんな彼女を異性として意識している自分にレナートは言い知れぬ忌避感を募らせていた。エコウが綺麗になればなるほど、彼女が彼女らしくあればあるほどに。


 エコウがレナートの眼の届かない場所に行ってしまうことは堪らなく不安でありながら、反して彼女を束縛する自分も、王政にさえ反感を抱いてしまう。


「はあ……」


 思わず、溜息が零れる。

 これから戦場に赴くというのに、自分は何を浮ついているのかと心底呆れる。


「隊長、どうかなさいましたか?」

「……ウル伍長か。いや問題ない。何かあったのか?」


 いつの間にか副官であるウル・ブラックが傍に来ていた。レナートは頭を振ってからウルに向き直る。

 まだあどけなさが残る副官は踵を鳴らし敬礼する。


「ハッ! 先程捜索隊から入電。遺体の回収完了並びに警戒区域に敵影はなしとの事です」

「了解した。それと此処は病院内だ。声は少し抑えて」

「あ……、失礼しました」


 しゅんと分かり易くウルは身を竦める。格式高い敬礼もハキハキとした発声も本来は褒められるべきものだが、それも場所による。特にレナートたちカリバーンは先の襲撃には間に合わず、全てが終わった後に悠々と馳せ参じた形だ。国民の楯となるべき軍が今更病院でそれらしく振る舞うなど滑稽だ。


 それ以前に病院では静かにが鉄則。


「それで。そんなに慌ててどうした?」


 此処まで走って来たのか、ウルは微かに息を乱していた。緊急事態、というほどではないにせよ、レナートの耳に入れなければならない案件が舞い込んだのだろう。

 ウルはやや言いにくそうにして切り出す。


「隊長、それが……索敵範囲に新たな魔獣こそ発見されませんでしたが、デュガーとは別の足跡が見つかりました。推定十五メートルの大物です」

「なにっ!?」


 先程自分が部下へした忠告を忘れレナートは驚愕に声を上げる。


「確かか?」

「今朝までの降雪でも残るほどの足跡ですよ!? 見間違うはずもありません」


 冷や汗を禁じ得ない。


 デュガーが通常の群れの倍以上の個体数で観測されたのは単なるイレギュラーでは済まされそうにない。


 体長十五メートル級の魔獣はその上位種、巨獣と称される化物中の化物だ。メスラム要塞であっても滅多に観測されることは無い。それが北の玄関口に侵入していたとなれば、いよいよ大陸は世界樹以前の時代へ逆戻りだ。


「捜索隊が帰還次第、情報を纏めて本部に増援要請をする。ウル、不要とは思うが待機中の隊員に念押ししておけ。厳しい戦いになる。気を引き締めろと」

「はっ!」


 事態は予想以上に悪い。鉄道会社や都市の自警団とも協議の場を設けて、運航計画を練る必要があるだろう。一度船に戻り、出発までに速やかに必要な手続きに着手しなければ。


「エコウ、少し仕事に出て来る。また来るから、今日一日は療養しなさい」


 扉越しに要件を伝える。彼女がどんな気かは知らないが、死に目に遭ったのだ。どんな屁理屈を捏ねられようとも此処だけは譲る気はない。

 しかしながら返事は無く、レナートの声が僅かに廊下に反響するばかり。


「エコウ……?」


 もう一度呼び掛けるも、やはり返事はなし。訝しむレナートが三度名前を呼ぼうとした時、扉の隙間から冷たい風が漏れているのに気づく。


 まさか――と慌てて部屋へ突入するも、時既に遅し。

 もぬけの殻となった病室は窓が開け放たれ、カーテンがはためいていた。


 逃げられた!

 わざわざレナートの眼の前で着替え始めたのは彼を部屋から追い出すためだったのだ。


『――もう少し知略・策略を学ばないと出世出来ないぜ』


 脳裏にエコウの意地の悪い笑みが浮かぶ。

 レナートは心に固く誓った。

 今度見付けたら殴ってやる。

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