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【18】 悪魔になるしか無かった王

「愚王……まさしく我の為にある言葉だ」


 三十八代カーディアーカ王、アルセーヌ・フィン・カーディアーカの眼元は深い隈に縁どられていた。頬は痩せこけ、王族貴族特有の金髪はくすんで輝きが失せている。何日も食事が喉を通っていないのか、肌は疲労で土気色になり肉が削ぎ堕ちた首筋には血管が浮き出ていた。


「だが未来で我を謗る者がいるならば、さらに百の愚を犯すことも厭わん」


 その双眸だけは爛々と輝いていた。


 例え歴史に稀代の愚王と罵られようとも、大陸の半分の国民を切り捨てようとも、僅かでも王国と国民が存続する可能性を選び取る覚悟。大量虐殺の罪はこの身が全て背負おう。


「王よ。全て背負わないで頂きたい。それでは臣下の我々の取り分が無くなる」

「皆罪人です。地獄であっても我らは貴方様の臣下であります」

「今は一人でも多くを生かすことに注力致しましょうぞ。魔獣も黒竜の冬もすぐそこまで迫っています」


 王の間。玉座に座るカーディアーカ王の前に集った臣下たちの忠義に、王は小さく「すまない」と目を伏せる。臣下たちの顔にも疲労が色濃く、しかしてその声には確かな芯が通っている。


「レナート・ミュンヘンベルク少佐。貴殿らには酷な命を下しその真意を黙していたこと、改めて詫びる」

「……いえ。任務であれば従うのは軍人。詫びなど、不要です」


 臣下たちの更に後ろで傅いていたレナートが抑揚のない声で返した。深く頭を垂れている為にその表情は伺い知れない。


 レナートが率いるカリバーン。メスラム要塞へ救援に奔った彼等に与えられた真の任務は、世界樹の南への精油の生産を完全に止める為の時間稼ぎ。


 生き残ったカリバーンの面々は粛々とこの事実を受け止めていた。王の間に招来されたレナートもまた例外にあらず。


「多くは語らん。貴殿の能力、王国の未来の為に振るってくれるか?」


 ギュッと硬く拳が握られる音の後、レナートは更に頭を下げる。


「……王命とあらば如何様にも」

「貴殿の忠義、受け取った。次にシルヴィア・ロストハート。並びにエコウ・チェンバース」

「はっ」

「……はい」


 レナートの横に同じく控えていた二人のエクシーダーに王は眼を向けた。レナートに倣い跪くシルヴィアに対して、エコウの纏う雰囲気は何処か退廃的であった。


 短い瞑目を挟んだ王は声を一段固くして、彼女たちの意思を確認する。


「賢者を祖に抱く其方らのその稀有な力、国民の命を繋ぐ為にどうか捧げて欲しい」

「御意に。此処にいない他六名も志を同じく、王国に忠を尽くしましょうぞ」


 ヴァルキュリアの異名を轟かせるシルヴィアの宣誓に王は一つ頷き、臣下たちも内心で安堵に胸を撫で下ろした。


「理論上では南の剪定で北の加護は王都数百キロ圏内であれば最盛期に迫るものです。最前線のワグナールでも効果は十分でしょう。エクシーダーの力で更に強化すれば更に強固なものとなるはずです」

「問題は北上を続ける魔獣でしょう。進行速度は随分と落ちてきたようですが、黒化個体は予想以上に世界樹の加護を打ち消している。黒竜の冬が到来すれば北も安全と言えるか……」

「薬の問題もある。ハッキリ申し上げて今の生産量と備蓄では、この先に予想される疾病者の半分を賄うのが限界です」

「国民に南の剪定をどう説明するかも大きな課題です。対応を間違えればそれこそ国が分裂しかねない」

「いや。それ以前に食糧問題が――」


 臣下たちが口々に上げる問題はどれも耳を塞ぎたくなる惨憺たるものばかりであった。たった一つの問題でも対応を誤れば、王国の滅亡は必至。例え国土が半分になっても楽観視できる要素はありはしない。


「エコウ、大丈夫か?」

「……」


 先程から微動だにしないエコウはレナートの呼び掛けにさえ応じない。先程の王の問い掛けはシルヴィアが上手くフォローしたものの、あれ以降一言も発する事もなく、その表情は髪で隠れて伺い知れない。


 軍人であるレナートでさえ内心は穏やかではなかった。南には同僚も顔見知りも大勢いる。その彼等が生贄として死ぬ運命を強要されたと聞いた時は発狂しそうであった。ナイフの刀身を強く握り込んで無理矢理気を鎮めたが、何がキッカケで噴出するか。


「王よ。まず最優先するべきは国防でしょう。前線への派兵に滞りはありませんが、魔獣との大戦など世界樹創生のただ一度きり。それも数百年前の話です。十年前を経験したアインズ中将を失った今、的確な陣頭指揮を執れる者は皆無といってもいい」


 大部分の大臣、そしてレナートと同じく招集された軍上層部の高官も北上する魔獣の脅威を強く訴え、王もそれに異論は挟まない。


 だが指摘があったように王国には魔獣相手の戦争のノウハウは皆無。報告によれば魔獣の軍勢はメスラム要塞で観測された時からその数を殆ど減らしていない。その数凡そ千八百体。


 例え北が強固な加護を得ても、大気根を端から潰されてしまえばそれも無意味。黒竜の冬が到達する前に戦争の終着は必須だった。


 最新の軍用スキーシップに加え、戦車や装甲列車を初めとした大型兵器も続々とワグナールへ結集している。魔獣に対して現代兵器が有効である事は疑う余地はなく、短期決戦も決して見込みがない訳ではない。


 だからといって楽観視出来る程、メスラム要塞の陥落もカリバーンの壊滅の事実は軽くはない。


 二千弱の軍勢を率いるは巨獣モービィーディック。レナート達を二度に渡って襲撃した個体とは別の様ではあるが、脅威は変わらない。


 鉱山都市の時と同じく脚の早い種族が先行し、巨獣擁する本隊の到着は半日以上先と推定されている。黒竜の冬が迫る以上、それが実質的に王国に残された魔獣を迎え撃つまでの時間といっても過言ではない。一度本格的に戦争が始まってしまえば、王国に退路は無いのだ。


 レナートはおもむろに立ち上がると一歩前へ出た。


「一つ、作戦を提言致したい」

「二度に渡って惨敗を喫した貴官が、王の御前で何を語るという」


 すかさず批難する国防大臣を王が手で制する。


「よい、非常事態だ。一部隊で済んだ敗因が国へ蔓延させないためにも、ミュンヘンベルク少佐の考えを聞こう。その為に此処へ呼んだ。申せ」

「……既に軍へも報告致しましたが、私が今王の御前に在るのは偏にグリ……現地での協力者の能力に大きく依存した結果です。本来であれば我が隊は一息に壊滅させられていたでしょう。私を含め巨獣の……いえ、魔獣の脅威を真に知る者はこの国にはいません」

「貴殿は王国に勝機は無いと申すか?」

「世界樹の加護を過信し、防衛に徹すれば敗北は必至でしょう。高圧水流のブレス、投木、黒雪の噴霧……どれも部隊を粉砕して余りある。後手に回っては必ず敗北します」


 特に黒雪の噴霧は最悪だ。息吹一つで防衛線が崩壊しかねず、現状カーディアーカにこれを防ぐ手段は無い。


 王都に帰還してからずっと、レナートの脳裏に焼き付いて離れない光景がある。


 二度目の襲撃でレナートたちを逃がす為に、全身全霊を賭して巨獣に突貫していったグリームニルの散り様。


「私に、我が隊に巨獣への奇襲をお許しいただきたい。巨獣が前線に達する前に仕留めるか撃退しなくては王国に勝機は無いと具申致します」


 乾坤一擲。


 魔獣が巨獣の統率下にあるのであれば、司令塔を潰せば一気に趨勢は王国に傾く。真正面から衝突しても必ず王国が擦り潰される。


 無謀は承知。それでも生き残ったカリバーンの面々もレナートと覚悟を同じにしていた。自分達の敗北がこの事態を招いた一因でもあるのなら、最前線で命を張るのは必定。


 王は厳しい面持ちでレナートを見据えると、首を横に振った。


「ならん」

「――っ、何故で御座いますか!?」

「婿殿。惨敗を喫したとはいえ貴殿は依然として名門ミュンヘンベルク家の嫡男であり、カリバーンの部隊長。その貴殿がそのように死にたがっていれば士気に関わる。自分の顔を確かめられよ」

「聞き捨てならない! 私がいつ……っ!?」


 自殺願望と変わりないと王に変わり指摘するシルヴィアに掴みかかったレナートは、そこで窓に映る自身が眼に入り、言葉を失った。


 覇気も使命感も、軍人としての誇りさえそこには介在していない。平常心を装っていただけで、そこにいたのはレナート・ミュンヘンベルクという皮だけが残った虚ろ。


 部下を失い、恩人を裏切り、魔獣から守るべき人々を見捨てておめおめと逃げ帰った敗北者。レナートはただ尤もらしい死ぬ理由を求めたに過ぎない。


「巨獣が首魁である事に疑いの余地はない。だが少佐にはロストハート大佐と王都の防衛に当たってもらう。避難民もカリバーンの名を耳にすれば幾らか心を落ち着かせるだろう」


 それは遠回しに避難民に不安を与える顔はするなという厳命でもあった。同時にレナートたちカリバーンは最前線から外された事を意味する。


 王命にレナートはただ儀礼的に傅くことが精一杯であった。握りしめた拳の痛みが覚悟の甘さ責め立てる。死に場所を求めるにはあまりに遅すぎたと。


 レナートの心境を置き去りに、戦争の舵きりの議論は続く。


「エクシーダーを最低でも二……いえ三名ワグナールに派遣して加護を強固なものとしましょう。北上する魔獣は地形の関係上ワグナールは無視できません。加護が魔獣に影響を及ぼすギリギリのラインに防衛線を形成し、迎え撃つのが最適かと」

「巨獣は爆破地点へ誘導し巨体の下から崩し、集中砲火を浴びせる事が最も現実的かと。特攻は士気を削ぐ。第二は第三波が無いとも限らない以上、戦力は可能な限り維持する事が望ましい」

「ならば最悪ワグナールそのものを使い捨てにすることも視野に入れねばなりますまい。避難地域の拡大と並行して第二次防衛線以降も念頭に置かなければ」

「何を弱気なっ。どのみち長期戦は敗北も同然。多少の損害を覚悟してでも一気呵成に攻めかからなければ王国に勝機など有り得ない」

「しかし……」


 南の玄関口であるワグナールは実質魔獣の侵攻を喰い止める北方唯一の防波堤だ。陥落すれば破滅的な被害は免れない。


 さらに言えばメスラム要塞の陥落、カリバーンの敗北、南の剪定と続き、王国はいま限界まで精神的に疲弊している。残された戦力は想定よりずっと少ない。


 王は座した状態で手にした宝剣の石突で激しく床を鳴らした。


「勅令である」


 謁見の間に大臣たちが跪く音が重なる。


「エクシーダー五名を選出し世界樹の加護を不動のものとし、カーディアーカ軍全勢力をもって魔獣の一群の撃滅に当たるのだ。ワグナールの陥落は王国の敗北と同義。しかし我らが世界樹の恩恵を最も厚く賜る要衝でもある。退路は要らぬ。都市が廃墟になろうとも手段を問わず大気根を死守し、国民の安寧を勝ち取るのだ。魔獣にこれ以上一歩たりとも侵入を許してはならん。王国の興廃この一戦にあると心得よッ!」

「「「御意!」」」


 一度の決戦に王国の行く末の全てを賭けた、王の気迫に臣下は即座に応じた。歴史上、幾度となく外部勢力からの侵略を経験しながら王国が存続してきた最大の理由が、王族のカリスマであろう。


 如何なる時代であろうとも王の号令のもと国民は奮起し、王国を護り抜いてきた。大臣たちが即座に王の言葉に応じたのは立場ではなく、カーディアーカに住まう人々の資質であり、連綿と受け継がれてきた魂そのもの。


 自責と嫌悪に腐食されていたレナートもまた王の威光に奮い立つものを覚え、同時に破滅の匂いを感じ取った。


 何かから決定的に眼を背けた、そんな印象であった。


「ロストハート大佐、貴殿とチェンバースは除いたワグナールへ派遣するエクシーダーの選出を命じる」


 巨獣撃滅の算段は軍上層部の面々に一任し、矢継ぎ早に臣下たちに命令を下した王はシルヴィアにも指示を飛ばした。


 それを受けシルヴィアは早々に派遣する面子を告げると、王はこれを承諾。レナートを旗下に加え派遣メンバーの招集に王の間を後にしようとした時であった。


 突如として悲鳴と発砲音が鳴り響いた。


「銃声!?」

「城門の方からだ」


 直ぐに外に控えていた近衛兵が王の間に入り、玉座と入口を固めた。同じく待機していた部下にシルヴィアは様子を見に行かせ、レナートはエコウを背に隠した。


 やはり暴動が起きたかと、王の間に緊張が奔る。


 途絶えることのない銃声と悲鳴に濃密な殺気を孕んだ咆哮が重なる。


 人だと、軍人であるレナートとシルヴィアは確信する。この城を揺るがす煮え滾るような情念は魔獣では有り得ない。


「手練れだな」


 預けていたサーベルの柄に手を置いたシルヴィアの口元が弧を描く。鬼が出るか蛇が出るか、まだ見ぬ襲撃者に戦乙女が闘争本能を高鳴らせる。


 シルヴィアの独白にレナートは人知れず息を呑んでいた。王国最強と称される彼女の実力はレナートも知るところ。国内最大のテロリストのアジトをたった一人で壊滅させた逸話は軍では余りにも有名だ。


 その彼女をして手練れと言わしめるとは。


「エコウ、私の傍を離れるな」

「……」


 背中越しの呼び掛けに反応はやはりなく。此れだけの騒ぎが起きながらエコウには些かも反応を示さなかった。

 この時までは。


「報告します!」

「人数、武装、特徴、犯行声明。簡潔に述べよ」


 息せき切り王の間に駆け込んできた近衛兵にシルヴィアが前のめりに襲撃者の情報を求める。

 そして怯え切った近衛兵の報告に、誰もが耳を疑った。


「襲撃者は一人。単身このカーディアーカ城を襲撃しております! 武装は突撃銃と剣一本、犯行声明はなく、迎え撃つ兵を薙ぎ倒しています。特徴は……」

「何だ?」

「その……」

「言え」


 突然言い澱む近衛兵に痺れを切らしたシルヴィアがサーベルの鯉口を切る。


 まるでこの世ならざるモノを目撃したかのように喉を引き攣らせた近衛兵が言葉を絞り出そうとしたその時、ふとあれだけ城内を満たしていた怨嗟の咆哮が途切れている事に誰ともなく気付く。


 しかし恐怖に染まった近衛兵はその事どころかシルヴィアの苛立ちにすら気付かず、うわ言の様に青白い唇を動かした。


「その者は……その者は動物の皮の外套に身を包み、捻じれた角を持った山羊のような仮面で頭部を覆っていますっ」


 はっと、エコウの顔が上がる。


 レナートは眼を見開き、シルヴィアは怪訝そうに眉を顰め、王は玉座から腰を浮かした。


 果たして、それは姿を現した。


 絢爛豪華な装飾が施された大窓が突き破られ、剪定の報いは一人の修羅をこの場へ寄越した。


 黒雪に狂った地をその身で捻じ伏せ、前人未到のオリンピア山脈さえ踏み越え、数百年前の時を超え再び彼の一族は玉座の前に降り立つ。


「カアアアアアアアアアアディアアアアアアアカアアアアアアッッッ!!!」


 恩讐に猛り狂う仮面憑き《グリームニル》のオルクが血に濡れた剣を王へ振り抜いた。

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