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【15】 勅令・辺境の民を一掃せよ

 パンッ、という乾いた破裂音がエコウの時間を引き延ばす。


 スローモーションで流れる視界一杯に、穏やかな笑みに困惑を交えた少女が額を真赤に染めて仰向けに倒れた。硬い地面に倒れた華奢な少女が小さく跳ね、その身体がビクンと痙攣するとそのまま動かなくなった。


 血溜まりが少女の頭部を超えて広がっていく。


「――ユー……っ!?」


 我に返ったエコウがユーリへ駆け寄るより早く、無数の足音が広間へ侵入してきた。その内の一つがエコウの両腕を掴み取り、強引にユーリから引き剥がされる。


「くっ、なんだ離せ――」

「暴れるな小娘」


 咄嗟に振り解こうと暴れるも、冷え切った言葉と共にエコウの両手首が万力のように締上げられ、痛みで強引に屈服させられる。


 何処かで聞き覚えのある声だったが、それを意識する間もなくエコウの横を全身黒づくめの男たちが駆け抜けていく。フルフェイス型のガスマスクで顔を覆った黒づくめの手には最新式の突撃銃。それだけでなく全身をタクティカルベストやサバイバルナイフ、極地仕様の拳銃や手榴弾で武装している。


 そのどれもがカーディアーカ軍の正式採用兵器であり、最新鋭の武装だ。


「――特殊暗殺部隊レイヴン!? 何故こんな部隊が此処に……っ!?」


 背中から銃口を突き付けられ、諸手を上げていたレナートは驚愕に声を上ずらせる。


 その名はエコウも知っている。レナートたちカリバーンが対魔獣戦闘に特化した部隊なら、レイヴンは主に国内の犯罪組織やテロリストを専門に排除する殺し屋部隊。


 故にレイヴンが現れた場所では必ず屍が積み上がる。


「ユーリ、ユーリっ!! 返事をするんだ、お願いっ!!」

「暫く見ない内に眼が腐ったか? もう死んでる。頭蓋を撃ち抜かれて生きている人間がいるわけないだろ」

「何なんだ貴様――……っ!?」


 烈火の如き悲壮と憤怒に痛みさえ忘れたエコウは、しかし己を拘束する人物を視認した途端、凍り付いた。


 レイヴンを纏め上げるのは王国最強の戦士にして賢者の末裔・エクシーダー。


 エコウを拘束するのは黒づくめの部隊で唯一惜しげもなく顔を露わにした絶世の美女。腰まで伸びたエクシーダー特有の銀髪、豊満な胸を大胆にはだけさせた一方でその肢体は極限まで鍛え抜かれ、引き絞られている。特注の突撃銃の長大な銃身は槍と見紛える程であり、弾帯を腰布の様に腰に巻き付けている。


 かつて黒雪に沈んだ故郷から幼かったエコウのみを連れ帰った、戦乙女ヴァルキュリアの名で畏れられる最強の軍人。


「シルヴィア・ロストハート……どうして君がっ!?」


 声が震える。心が委縮する。


 エクシーダーとしての師であるシルヴィアの実力はエコウも知るところ。その彼女が辺境へ踏み込んで来たという事態が、エコウに此れから起きる惨劇を想像させる。


「ロストハート殿っ。何故その子を殺したっ!? 彼女は異邦の我々を受け入れ、癒し、持て成した。今すぐ武装を解除されよッ」

「ああ。婿殿じゃないか。通信が途絶したと報を受けた折にはこの胸が張り裂けそうだったぞ。よくぞ生きていたものだ」

「貴殿との縁談は正式にお断りしたはずだ。それより質問に応えて頂きたい。我が隊を救けに来たのだろうが、此処の民は敵ではないッ。そこに倒れる少女は我が隊の恩人の妹君。貴殿は取り返しの付かない事をしたぞッ」

「救けに? ……ああ、いやはや流石はミュンヘンベルク家の次期当主。演技にも余念がないとは。敵を騙すにはまず味方からというわけか。王の勅命を賜ったオレより先に此処に辿り着いたその手腕、感服致した。お蔭で一匹楽に始末できた上に、殆どの鼠も此処に集められているようだ」


 恍惚とした表情でレナートに振り返ったシルヴィアは銃口で広間の端、光るリオン結晶の影に隠れた辺境の民たちをなぞる。彼女だけでなくシルヴィア以外の十数名の兵士全員が結晶越しに辺境の民を捉えている。


 エコウの心臓が警報のように早鐘を打っている。そのくせ凍える様な悪寒に襲われていた。

 駄目だ。絶対に駄目だ。これ以上一滴たりとも血を流してはならない。


「勅命、だと……?」

「ああ。婿殿らカリバーンがメスラム要塞へ出動してすぐに、不味い知らせが気象屋たちから王政に入った。此処へ来る際に通り過ぎた鉱山都市では、既にその余波を受けていた」

「竜の冬だろう。そんなことは承知しているし、あの街には魔獣の軍勢も迫っている。貴殿らはそれを無視してきたというのか!?」

「いやなに多少の兵は引き連れて来たとも。それに遠目から流し見ただけだが、山羊みたいな仮面の獣が魔獣共を荒らしていたものでね。確かグリームニルというのだろう? 我々が介入するにしても、アレが思う存分暴れた後でも問題はあるまい」

「……っ、オルク!」


 シルヴィアが見たというグリームニルはまず間違いなくオルクだろう。眼が覚めて以降、エコウはずっと彼の姿を探してついぞ見えなかったのは、此処にいなかったからだ。


 もう戦っているのだ。エコウ達が眠っている間も、今も。

 もし彼が此処にいればシルヴィアたちの蛮行を許すはずがない。

 いや。それ以前にこの村にはもうグリームニルらしき戦士も見受けらえなかった。戦う術を持つ人間がいない。


「それと婿殿、知らぬのも無理らしからぬが、気象屋の悪い知らせは竜の冬だがそれは正確ではない。今この大陸には大陸と見紛う規模の黒雲が迫っているそうだ」

「黒、雲……?」

「そうだ。じきに南は黒く染め上がる事だろう。大陸の果てと同じく、人間は立ち入る事さえ困難な死地。魔獣共は領土拡大に先んじて乗り込んできたようだが」

「まさかッ――」


 エコウとレナートの脳裏にメスラム要塞でみた兎型魔獣、その《黒化現象》が過る。


 あの時オルクは黒雪が原因だろうと語っていた。内臓にまで色素沈着が及ぶほどの長時間、黒雪の降雪化で常時活動してきた魔獣であろうと。


 そして今鉱山都市を襲っている世界樹の加護を打ち消す魔獣と巨獣を産み出した天変地異。それが大陸を襲うとシルヴィアは示唆した。


「黒雪を大量に孕んだ大寒波!? そんなの、一体どれだけの被害が出るか」

「――黒竜の冬、だそうだ。もう鉱山都市には余波が到達している。駅には避難民が押し寄せていたな」


 対岸の火事とでも言いたげに、淡々と語るシルヴィアの声がエコウには酷く耳障りだった。


 魔獣の軍勢に加えて、黒雪までもが鉱山都市を襲っている。どちらか一方だけでも死を覚悟する天災だ。非力な人間に抗う術などありはせず、ただ幸運に身を任せて地下に閉じこもるしかない。


 死に絶える。大勢の人間が。だというのに


「なんで……」

「んん?」

「だったらなんでお前たちは此処にいるんだッ。どうして都市で戦わないッ? どうして彼等に銃を向けているッ!? どうしてユーリを殺したんだッ!!?」

「止せエコウっ!?」


 絶叫するエコウ。レナートの制止を置き去りにエクシーダーの力が不可視の風となって振り乱れ、レイヴンの隊員に差し向けられた。

 無数の鎌鼬が地面を抉りながら殺到する。挽肉機の様に容易くレイヴンを解体するはずだった不可視の刃は、しかして――


「笑止」


 エコウの倍するシルヴィアの力の奔流に呑まれ、ガラス音めいた破砕音を上げてあっけなく霧散。レイヴンの軍服を揺らすそよ風にすらならなかった。


 それどころか脚を払われたエコウは地面に叩き付けられた。関節を極められもう一度力を練ることも許されない。


「がっ、あああッ……!?」

「未熟者め。放浪ばかりの小娘の力で何が摘み取れるものか」


 お手本だと言わんばかりにシルヴィアから電流が流し込まれ、電光がエコウを焼く。生体電流を増幅した電撃。エコウの技量では逆立ちしたって抗えない。


「やめろォッ!!」

「動くなッ」


 咄嗟に止めに入ろうとしたレナートもまた後ろからレイヴンに抑え付けられる。首と関節を的確に押さえられ、完全に動きを封殺される。

 電撃は容赦なくエコウの肌を引き裂き、肉を焼いた。時間にすれば数秒程度だったが、圧倒的な力量差を痛感させるには十分過ぎた。


 ブスブスと肉が焦げた黒煙が上がる。激しい痙攣に襲われ、呼吸するだけでも全身に激痛が走った。


「ユー……リ……」


 無意識のうちに少女の名を呼んだ。電撃の一部はユーリにまで達したのか手足を焼かれ、穢れを知らなかった細肌は酷い痣に侵されていた。遺体さえ辱められた。


 その怒りを火種になけなしの克己心を奮い立たせて、エコウはシルヴィアを睨み上げた。


「目的は、何だ。貴女達に下された勅命とは、何なんだッ」

「ほう。まだ盾突く気力があるか。だがオレ達が何をしに来たのか、もう薄々気付いている筈だろう。お前たちは偶々此処に居合わせたに過ぎない」


 エコウの背を踏みつけたシルヴィアは鷹揚に手を広げ、自らと部隊に課せられた存在意義と共に宣言する。


「殺戮だ。王国に潜む不穏分子の排除こそが王より賜りしオレ達の使命。悪魔の末裔、辺境の民よ。今日をもってお前たちを一掃するッ」


 広間に悲鳴が上がる。村に滞在しているのは殆どが女子供ばかりだ。戦える者はいない。確実に根絶やしにされる。

 けれど逃げ出せない。この広間はエコウ達が入ってきた道以外に出入り口は無い。あったとしても限りある洞窟内。逃げ場はない。


「この非常事態に力なき人々を殺戮することが王の御意思だと貴殿は言うのかッ!? 即刻部隊を引き下がらせるんだロストハート殿ッ!!」

「婿殿。先程のは聞かなかったフリをしたが二度目は目に余る。先程そこの子鼠が自供していたでしょう。『自分達は王国崩壊を招く危険分子』……だと。オレ達が軍人としての責務に忠実である事がご不満か?」

「だとしても黒竜の冬など王国存続そのものが危ぶまれる未曽有の事態に、何故辺境の少数民族の殲滅に乗り出す必要があるッ」

「――だからこそ、南に手が出せなくなる前に駆逐する必要がある。この鼠どもが待ち焦がれる《約束》というのはそれほど危険なものなのですよ。それに婿殿、貴殿も王の勅令に一枚噛んだ後でしょう」

「何を言ってっ……」

「大気根へ注入された人工精油。本当にアレは人が作りし世界樹の精油とお思いか?」

「……っ!? どういう意味だッ。あれは大気根を再生させるものではないのか?」

「少し考えれば貴殿なら思い至ろう。王はより多くを生かすための選択を成された。我々への勅令も国を思ってのため」


 シルヴィアはこの場では王政の思惑を詳細に語る気は無いようだった。


 しかし気付けるだけの材料は揃っていた。


 加護が薄れた世界樹。魔獣の侵攻。そして黒竜の冬。


 これらを目の当たりにした王が何を思ったが。エコウとレナートが気付いた時には、何もかもが遅かった。


 シルヴィアはゆっくりと銃を掲げる。己が使命を果たすため。


「辺境の民よ。王国の安寧のため、此れより貴様らをただ一人の例外なく殺し尽くす。抵抗は許そう。魔獣さえ屠るというその能力をもって存分に抗って見せろ」


 最強のヴァルキュリアはマルコシアスの威光を意に還さず、付き従う鴉たちへ命令を下す。


 エコウは喉が裂けながら叫んだ。レナートもまた腕が外れようとも構わず暴れた。異常を察したカリバーンの隊員たちがレイヴンたちへ飛び掛からんと走った。


 しかし、何もかもが無力であった。


「――殺せッ」

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」


 シルヴィアの銃が振り下ろされた瞬間、数多の銃声が命を貪った。


 悲鳴が飛び交う。血が零れる、肉が弾ける。骨が砕けた。


 赤だ。赤い、赤く、赤し、訳も分からず逃げ惑う命が冷えた赤へと散らされていく。結晶の奥に手榴弾が投げ込まれ、バラバラになった肉片が火の尾を引く。


「連れて行け。仕事の邪魔だ」


 手足を拘束され、泣き叫ぶエコウたちは広間から連れ出される。悲鳴と銃声が幾重にも洞窟へ反響し、地獄は何処までもエコウたちへ追い縋った。


「ああああああああああッ!!! 救けてくれ、助けてくれオルク!! 救けてよ、お願いだ救けてくれオルクッ!! あああッ……うああああああああああああああああッ!!!」

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