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【13】 辺境の神樹

 不遜にも自分は天国に招かれたらしい。

 目を覚ましたエコウはそう確信して疑わなかった。


 最後の記憶は存外にも鮮明だ。

 巨獣と魔獣の包囲網を辛くも抜け出したエコウ達はそれでも死神の足音を振り切ることは出来なかった。それは巨獣でも魔獣でもなく、この大陸では有り触れた極寒だ。


 カーディアーカ王国最南端のメスラム要塞から更に東、大陸の果てと隣接するというオルクたちの故郷を目指すも、ただ逃げ出してきた彼女達に雪中行軍を耐えられる装備は碌になく。


 風雪が容赦なくエコウ達の気力と体温を奪い取り、自然の猛威は容赦なく弱った人間たちを凍らせていった。


 一人、また一人と脱落し、エコウもまた半日と経たずに動けなくなった。


 暫くは背負われたオルクの体温も感じていたが、それすら直ぐに遠のいた。オルクもまた限界に達していたのか、それより早くエコウが死神に捕まったのか。


 こんな冷え切った世界だ。死ぬのなら誰かの温もりを感じて死にたいと、我が儘でオルクには無駄な体力を使わせてしまった。その辺に捨ててもらって、彼だけでも助かっているといいなと、意識が落ちる間際に強く願った。


(気持ちいな……)


 ぼんやりとした頭で全身を包み込む温かさに感じ入った。


 お湯に浸かっているのだろうか。凍てついたエコウの身体を見知らぬ少女が丁寧に揉んでくれている。


 儚げで、それでいて不思議な風体の少女だった。歳の頃は十三~十四辺りだろうか。今では絵画にのみ残る草原を思わせる若草色の髪、同色の長い睫毛の下には水晶の様に澄んだ空色の双眸。簡素なワンピース一枚を着るのみで惜しげもなく露わになる肌は、カーディアーカ人よりも色素が薄いも健康的な血色を示していた。


 案外天使とはこういう姿なのかもしれない。


 まだぼんやりとする意識の中で周囲を見渡した。


 エコウが寝かされているのは巨大な洞窟、そこに湧き出たお湯の泉の畔らしい。中心に巨大な樹が屹立するその泉は天蓋から時折滴る水滴を受けると、金粒の波紋を広げていた。見れば天蓋は星空の様に無数の光が瞬いており、やんわりとした光を泉に落としている。


 ふと首を巡らせると少し離れたところにレナートたちがエコウと同じ様にして寝かされ、緑色の少女によく似た人々に介護を受けていた。


 オルクの姿だけが視えなかった事にエコウは安堵した。どうやら彼は生きているらしい。

 あの状況だ。決して楽ではなかっただろうが、オルク一人であれば何とかなったのだろう。


 エコウ達を護る為に仲間を犠牲にさせてしまった事を詫びたかったが、彼が安らかな最期を迎えて此処を訪れるまで待っている事にしよう。


 憑き物が落ちた様に胸の内が少し軽くなると眠気を覚えた。死んでいるのに可笑しな話だと思うが、お湯の揺籃と緑の少女の介抱が心地よくて仕方がないのだ。重い瞼を下ろし睡魔に誘われるまま眠りに付こうとした時だった。


「失礼致します」


 小さく断りを入れ緑の少女の手が労わる様にエコウの頭に触れると、痛みが走った。

 痛覚を引き金に五感が覚醒していく。痛覚がある、お湯の手触りが鮮明になる、新緑の匂いが鼻腔を擽る、心臓の鼓動を今更ながら再認した。


「ボク、生きて……いる?」

「ああ、お眼ざめになられましたか。良かったです、本当に」


 半信半疑なエコウに緑の少女が優しく微笑む。鈴を転がしたようなソプラノに湿り気が混じっていた。

 その素直な反応にエコウは不覚にも心臓を撥ね上げた。そっちの毛は無い筈だが心臓の音はいつもよりずっと忙しい。


「御気分は如何でしょうか? 何処か身体に違和感は御座いませんか? 喉が渇いておいででしょうし、まずはお水をお持ち致しますか?」

「んん!? い、いやその……」


 長い睫毛を震わせ緑の少女は矢継ぎ早にエコウの身を案じてくるも、エコウは視線を泳がせるばかりで言葉が出てこなかった。何しろ少女が身につけているものは簡素なワンピースのみで、お湯に濡れてほっそりとしたボディラインが丸わかりだ。光の加減によっては布の向うさえ透けて見える。年下で同性とはいえ目のやり場に困るというものだ。


 反射的に身を引こうとしたが、身体中に走った鈍痛で脚がもつれる。


「あ、やば……!」


 手を着くこともままならず、水飛沫を上げて再びお湯へ落ちた。身体が麻痺している、という訳ではなく単に筋肉が鈍って急な運動に悲鳴を上げた感じだ。


「大丈夫ですか!? ご無理はなさらないでください」

「けほっ、けほっ……いや、すまない」


 少女の手を借りて身を起こしたエコウは鼻にお湯が入った痛みに顔を顰める。

 そう、痛い。痛いのだ。船で負傷した頭の痛みも記憶のままだ。


「此処は天国でも地獄でもないのか。生きてる……本当に?」

「はい。ですがもう少しお休み下さい。貴女も皆様も危ない状態でしたので」

「皆……あ、レナート!」

「あ、お待ちください」


 緑の少女の制止も聞かず、今度は転ぶことなくエコウはレナート達の元へ駆け寄った。彼らを介抱する緑の人々はお湯を跳ね上げて走るエコウに驚いた様子を見せたが、直ぐにレナート達の傍らから一歩引いた。


「おいレナート生きているかっ? 返事をしろ!」


 呼吸は規則的で血色もいいが、眠りが深いのかレナートはいくら揺さぶっても起きない。他の隊員も似たようなものだ。


 仕方なしとエコウは立ち上がると、咳払いを何度かして喉の調子を確かめる。首を傾げる緑の人々を後目に大きく息を吸ったエコウは、彼女の隠し芸の一つ、カーディアーカ軍採用の起床ラッパのモノマネを披露した。


 普通であれば難しいがエクシーダーの力で空気の振動にちょっと手を加えれば、ラッパの音の再現など容易い。目を丸くする緑の少女達の反応が実に新鮮だ。


「……ぅっ! 起床!」

「「「起床!」」」


 流石は軍人と言うべきか。一度苦しげに顔を顰めたものの、次の瞬間には音がするほど勢いよく瞼を開きレナート達は飛び起きた。軍人に擦り込まれた規律と規則を悪用したモーニングコールだ。


 思惑通りの結果にニンマリと笑みを浮かべるのも束の間、エコウは見知らぬ場所に呆けるレナート達の姿に悲鳴を上げた。


 その理由というのが、先の緑の少女と同じ。介抱を受けていたもの全員が薄手の貫頭衣に着替えさせられていた。それも緑の少女のようにほっそりとしたボディラインとは異なり、普段は厚手の防寒具にしまわれた肉体が浮き彫りとなっている。


 生死の境を彷徨ったからか、特に腰周りの主張が激しい。


「な、なな、なんて格好をしてるんだ君達っ!? 前を隠したまえ!」

「いきなり何をおぉっ!? ぐ、軍服は何処にっ……!? というかエコウ君も、その……」


 そしてそれはエコウも同じ。いつものドレスローブは何処にもなく、多少布面積に配慮は感じるが大差はない。普段は隠している銀髪が光を受け艶めき、露わとなった肢体は微かに未熟を香らせながらも女性として成熟しつつある。簡素に過ぎる服が逆に彼女の魅力を引き立てている。


 誰かから生唾を嚥下する音が鳴った。


「えっ……はっ! 見るんじゃないっ、この変態!」


 遅まきながらエコウは自分が際どい恰好である事に気付き、我が身を掻き抱きながら足元の小石を男どもへ蹴り飛ばした。わっと逃げ惑うレナートたちは、そこでハタと自分達が寝かされていた場所に気付く。


「此処は……!?」

「これ全部お湯ですよ。王宮の大浴場だってこんな広くはないでしょ」

「それよりあの樹は一体……俺達、ちゃんと生きてますよね?」


 桃源郷と見紛う光景に誰もが眼を奪われ、立ち尽くした。つい数分前のエコウと同じく死後の世界だと説明されても納得してしまうだろう。


 エコウも改めて見渡せば、羞恥を忘れて魅入ってしまう。

 もうこの大陸は地の底まで凍てついていると疑わなかっただけに、温泉が湧き出る地など考えたことも無かった。光粒を発する水など少なくとも北方では聞いた事すらない。


(あの樹……)


 エコウの視線は自然と泉に屹立する樹へと吸い寄せられる。


 なぜだかあの樹を見ていると妙に心がざわつくのだ。まるで自分のモノではない記憶があの樹を求めてやまい、そんな言い知れぬ感覚。既視感さえ覚えるようだった。


「皆様、無事ご回復なられたようで嬉しく思います。ですが本当にご無理は禁物ですよ」

「君達が私たちを助けてくれたのか?」

「我々は皆さまがお眠りの間お世話をしたに過ぎません。此処まで皆様をお連れしたのは殆どがオルクによるものです」

「――ッ! 彼は無事なのかい!?」


 レナートの質問に答える緑の少女に我に返ったエコウは血相を変えて詰め寄った。


 この洞窟と緑の少女達に押し流されていたが、オルクの安否だけは今だ不明なままだ。


 見間違えだろうか。緑の少女は一瞬だけ何かに耐える様に唇を噤んだように見えた。しかし直ぐに優しく微笑んで見せると、エコウが欲した言葉を口にした。


「御心配には及びませんよ」

「本当に? 本当だろうね?」

「ええ。兄はその脚で皆さんをこの村へ送り届けました」


 ほっと膝から力が抜けていった。目尻に浮かんだ雫をそのままにエコウはただただ安堵に胸を撫で下ろす。


 グリームニルといえど巨獣の一撃をその身に受けての雪中行軍だ。エコウ達よりもダメージは大きかった筈だ。その彼に最後まで寄りかかる無様な結果になってしまったが、今はただただオルクの無事を喜んだ。


「兄? という事はつまり君は……」

「はい。オルクは私の実の兄です。兄はずっと仮面を被っていたのでお気づきにならなかったでしょう?」


 ユーリと名乗った緑の少女はレナートが続けざまに口にした疑問にも直ぐに答えた。


 エコウらが目覚めてから、兼ねてより浮上し続けた疑問。即ち此処が何処であるか。


 皆薄々察してはいるがそれは信じ難くあった。

 しかし大陸最南端であるメスラム要塞より東に人が住んでいると言われる場所は、唯の一つしかない。


「――此処は我らの村。皆さまが辺境とお呼びになる、世界樹が届かぬ大陸南東の端です」

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