【9】 メスラム要塞
特別遊撃部隊カリバーン専用スキーシップ、ドゥスタリオンの一室。
持ち主がいなくなってしまった部屋を宛がわれたエコウは、無理矢理連れ込んだオルクの膝に寝転がりながら、昨日レナートから聞かされた話を反芻していた。
「オルク、君はどう思う?」
「何がだ?」
「竜の冬だよ。歴史が確かなら一度目の冬の檻は、竜の冬から始まった。今でも十分冷え込んでいるのに、魔獣に例えられるほどの大寒波に見舞われるそうだ。知ってるかい? 最北の永久凍土で当時のままで発見されたご先祖様を大真面目に蘇生させようって実験があったことを。このままじゃ私たちも未来に冷凍保存されて、実験体にされてしまうのかね」
「……馬鹿げた試みだな。感想でも聞きたかったのか?」
つまらなげなオルクの切り返しにエコウは手を叩いて笑う。ならば今のうちに未来人へ送る言葉を考えておかねばならないだろう。
「民は事態に気付いていないのか?」
「いやいや、皆何処かで察しているとは思うよ。だから鉱山都市の働き手たちは魔獣がすぐ傍に迫っていても資源の採集に注力している……それでも心の拠り所は、アレだろうね」
エコウが指差すのは空。即ち世界樹の枝が造り出す巨大な傘。
「この傘の下にいる限りは最悪な事にはならない。そう思い出いんじゃないかな」
「甘い考えだな。守って貰う事が前提では、いざという時に剣を取れずに死ぬだけだ」
「手厳しいね。王国にとっては世界樹こそがその剣だったわけだけど、さしずめ今の樹は刃毀れした鈍らかな。それでもね、この国が生き残るにはやっぱりあの樹に頼るしかないんだ」
「……」
オルクからの肯定はなかったが、同調も否定もしなかった。魔獣や黒雪の脅威を知るからこそ、それ以上はエコウの言葉を否定しない。
ちょうど会話が途切れたタイミングで部屋の扉がノックされた。
「そろそろ要塞に着く。二人とも下船の準備をしなさい」
扉越しにレナートがそう知らせてきた。
名残り惜し気に寝返りを打とうとするエコウをぞんざいに転がしたオルクはとっとと部屋を後にする。
不満を隠さずに後を追うエコウが甲板へ出ると、切り裂く様な風に歓迎された。風にあおられ転びかけたエコウの背をオルクが支えた。
眼の前には険しい山肌に左右を囲われた渓谷を塞ぐ石造りの砦と、メイナードと鉱山都市のものより更に一回り細い世界樹の大気根。
鉱山都市を発って半日。
エコウらを乗せたスキーシップは、魔獣たちの侵攻を食い止める防衛線に辿り着いていた。
少し耳を澄ませば砦の向うから魔獣の唸り声が聞こえてくる。
カーディアーカ王国の領土最南端。砦の先は例え世界樹の枝元であろうとも、加護は届かない。
「文字通り最後の砦だね。ここを突破されて鉱山都市まで魔獣が進行すれば、王国は滅亡に王手をかけられる。あのちょっと頼りない大気根を研ぎ直せるかどうかが、運命の分かれ目だ」
大陸の行く末を決める分水嶺が十年前に最南端となってしまったこのメスラム要塞。
エコウの旅の終着点でもある。
下船し要塞への道すがらエクシーダーの力を使い、大気根の精油の発散量をざっくり測定したエコウは自分の感覚を疑った。
(殆ど無い……!?)
此れまで訪れた都市と同じ手法・時間で回収できた精油はごく微量だった。つまりあの大気根には最早魔獣を退ける力が失われているに等しい事を意味している。
事前説明を受けた段階である程度予想はしていたが、いよいよをもってキナ臭い。
「最終確認を行う」
指令所に集められたカリバーンの全隊員及びエコウが地図を広げた机を囲み、レナートが今一度部隊に与えられた任務を確認する。オルクの姿はこの場には無いが、彼に求められる役割は極シンプル故に問題ない。
グリームニルが同席すれば無駄な軋轢が生じかねないために、オルクと部隊の接触は可能な限り最低限が好ましいというレナートの判断だった。
「我が部隊に下された命令は『遅滞戦闘』にある」
遅滞戦闘とは、簡潔に言ってしまえば時間稼ぎだ。通常の戦争では小規模な接敵を繰り返し、敵部隊の前進を遅らせながら部隊を撤退させる戦術。レナートは魔獣相手にこの遅滞戦闘を求められ、招集されたのだ。
「現在このメスラム要塞では魔獣との衝突が散発的に発生している。この渓谷が造り出した地形上、鉱山都市へのルートはこの一本道にほぼ限られている。ある程度の魔獣が束になっても、砲撃で一方的に蹴散らせる。だが――」
「数日前に此処より南方約十キロ地点に魔獣が集結しつつあると観測班から報告が上がった」
「アインズ中将」
一部のズレもなく隊員が敬礼を捧げる。
レナートの言葉を引き継いたのは、たった今部屋に入ってきた初老の軍人だ。
この砦の防衛を預かるアインズ中将である。王政は彼からの援軍要請を受けカリバーンを派遣したのだ。
「遅れて済まない。ああ、楽にしてくれて構わない」
自らも敬礼を返したアインズはエコウがいる事に一瞬懐疑的な表情を浮かべたものの、すぐに表情を引き締めポケットから取り出したチェス駒を地図に配置していく。
「まずは歓待の席でも設けたいところだが残念ながら備蓄に余裕は無くてな。この老いぼれの祝意一つで勘弁してもらいたい」
「老いぼれなど、御冗談を。中将はまだまだ現役でいらっしゃる」
「確かに魔獣共はピチピチもヨボヨボも区別せんと喰いにくるがな」
ガハハと豪快に笑い飛ばすアインズは砦にポーンを適当に並べ、すぐ後ろに大気根のクイーンを置き、駐留するカリバーンにナイトを宛がった。反対のポケットから取り出した黒の駒を南へ一塊に配置。
「レナート少佐のお褒めにあった通りこの砦の防衛力は並ではない。例え魔獣が束になって掛かってこようとも、やり様は幾らでもあった。その点で言えば先の魔獣の集結などは、まあ珍しくはあるが驚く話ではない。ところがだ――」
ダンッ! とアインズは手荒く魔獣軍勢の中央に白のキングを叩きつけた。
「半月前に奴が現れ、この砦は手痛い損害を被ってしまった。……お主等の部隊も道中合間見えたと聞いたぞ」
「巨獣……オルクが言うには白鯨モービィーディックだね」
「儂も長いこの砦の指揮官を任せられているが、巨獣を眼にしたのは今回が初めてだ」
おかげでこの様だと天を仰ぐアインズ。つられエコウらも上を見れば、そこに遮る天井は無い。
指令所は半分から上が消失しており、部屋の隅には真新しい瓦礫が転がっている。
メスラム要塞は寸詰をされたように、ある高さから上が消失していた。まるで何かに斬り飛ばされたように。
誰も口にはしなかったが、まず間違いなくカリバーンを襲ったあの高圧水流のブレス。超々長距離狙撃はこの要塞をも容易く破壊し、その爪痕を深く刻んでいた。
「半月前は儂個人で雇っていたグリームニルたちの手を借り辛くも撃退に成功したが、奴がいる限りこの要塞が陥落するのは時間の問題だ」
隊員に一層の緊張が奔る。
要塞が落ちれば巨獣は次には大気根を撃ち抜き、此処を橋頭保とするだろう。そうなれば後ろに控える鉱山都市は破滅的被害を被り、王国の滅びへのカウントダウンが始まる。
「我々カリバーンの任務は現在魔獣の軍団から離れている巨獣の足止めだ。可能であれば撃退、或いは撃滅が最高の戦果だが、最初に説明した通り遅滞戦闘に徹する」
「巨獣はその図体のデカさに比例してノロい。諸君らの鉄の狼の機動力であれば、翻弄は幾らでも叶うだろう。諸君らが時間を稼いでいる間に――儂らがコレで大気根の加護に強化を施す」
アインズが机に置いたのは今度は駒ではなく、淡い緑色の小瓶だ。カーディアーカ国民であれば見慣れた代物、灰塵病の薬、その材料となる世界樹の精油だ。
しかしアインズが取り出した精油はやや色が薄く、やや赤みがさしている様に見える。これもレナートの事前説明にあった作戦の要。人工精油だ。
レナートたちの任務は巨獣を退けられる所定量の人工精油を大気根へ注入が完了する三日間、巨獣を砦に近づけさせない事。
「確認だけどその人工精油は本当に信用できる代物なのかい?」
「エクシーダーのソフィア嬢を筆頭に王国の研究者が技術の粋を結集させて完成させたものだ。試験運用もクリアしていると聞いた」
「材料は?」
「此処に来るまでにも通った巨大樹の精油だ。世界樹の原種となったあの木の精油をベースに製造されている。エコウ、君なら分かるだろう?」
確かにエコウがオルクへ支払った薬は巨大樹の精油から合成したものだ。薬に仕上げるには高度な化学知識と設備を必要とする為に廃れてしまった技法だが、エコウは常に実験器具一式を持ち歩いており、地下街で薬を合成したのだ。
しかし説明を受けてもエコウは懐疑的だ。
既に人工精油の注入は始まっているとの事だが、エコウが観測する限り精油の発散量はいかほども増えていない。
だが人工精油を分析しようにも手持ちの道具や薬品では限界がある。エクシーダーは魔法使いではなく、《性質操作》の力はあくまでの物理法則の延長上にしかない。
疑問は残るがエコウに人工精油なる代物を否定する材料はなく、それ以降は口を噤んだ。
「知っている者も多いとは思うが、以前このメスラム要塞は最南端の防衛線ではなかった」
壁がなくなった指令所からアインズが見やるのは、要塞の更に南。雪で霞む彼方にはぼんやりと細い塔の様な影があった。
十年前に死に絶えた大気根だ。
「あえて皆口にしていないが世界樹にかつての加護はもうない。十年前、魔獣の大規模侵攻に敗れ、多くの英霊があの樹を墓標とした。いわば此れは再戦でもある」
軍刀を抜いたアインズは正眼に構え、レナートたちもまた拳銃でこれに習う。遥か昔、賢者と共に魔獣の軍勢に果敢に挑んだ騎士団から脈々と続く、勝利を誓う決戦前の儀礼。
「諸君らに重荷を背負わせることは重々承知している。しかしどうか成し遂げて欲しい。この国が新たな矛を求めるとしたら、それは諸君らにおいて他にない。心して掛れッ!」
「ハッ!」
皆が使命感を胸にこれから赴く戦場を見据えた。
此処から先は掛け値なしに命掛けだ。軍人ではないエコウはこの砦で待機することになる。
幸か不幸かエクシーダーの派遣は王政から許可が下りず、人工精油の注入中は大気根の経過観察が叶わなかったが、エコウがそれを引き受けた。当初の目的通り堂々と大気根の観察が出来る口実を手に入れたわけだが、どうしてだか胸騒ぎがしてならない。
胸騒ぎの正体に辿り着く前に、新たな問題が浮上した。
「隊長、やはり自分は反対です」
指令所を出る間際、一人の隊員が堪えきれないといった様子でレナートに抗議を申し入れた。
副官のウル・ブラックだ。
「何がだ?」
「グリームニルを戦線に加えることです」
この作戦ではオルクとアインズが雇用した二人のグリームニルが戦力として数えられている。彼等には巨獣が率いる軍団への斥候と攪乱を請け負って貰い、部隊とは殆ど独立している。戦況を見据え必要とあらばレナートの号令で巨獣との戦闘に加わってもらう手筈。
それは鉱山都市で一度隊員全員に了承を取ったはずだが、まさかここで蒸し返すとは。
レナートは今一度噛んで含める様にオルクたちを起用した理由を説く。
「ウル、メスラム要塞からも人員を割いて頂くとはいえ、我々は巨獣だけではなく魔獣の軍勢とも相手取らなくてはならない。魔獣は此処まで引きつければ砲台の餌食ではあるが、既に我々は巨獣に完敗を喫している。此処にいる中で彼等グリームニルだけが巨獣との対峙経験を有しているのだ。その戦略的価値を理解出来ない君ではないだろう」
「ですが奴らは信用できませんッ。それは何も俺だけではない」
見れば隊員たちの半数以上がウルに同調するように固く頷いていた。
レナートの横に立つアインズが同情するような視線を送った。本来であれば隊長として部隊の統率が取れていない事を激しく叱責されるところだが、彼もグリームニルを雇いこの作戦に推薦した身。黙ってウルの言葉に耳を傾ける。
「隊長の意図は理解出来ます。この作戦が如何に重要なものであるかも」
「なら……」
「ですが、奴らは十年前の大規模侵攻で軍を裏切り、その結果として大気根を失っております。いいやそれ以前に、奴らは歴史においても裏切り者の一族だ。この重要な局面に信の置けない罪人の末裔を起用するなど、到底俺達は受け入れられません」
「いい加減にしたまえよ、君――」
黙っているつもりだったが、エコウは柳眉を逆立てウルに詰め寄ろうとするも、レナートが手を上げてそれを制した。
「君達がそこまで言うのであれば、彼等を作戦から外すこともやぶさかではない」
「なっ、レナート!」
「ご理解頂けましたか。では――」
「――ただし君らが彼等の分の働きを全て賄う、というのであればだ」
穏やかだが異論を挟ませないレナートの最大限の譲歩にウルたちは息を呑む。
「君達の本来の役割に加え、グリームニル三人分まで走り、魔獣を攪乱し、そして殺す。それを君達はやれるか?」
誰も、はい、とは口に出来なかった。
カリバーンは精鋭部隊だ。例えばデュガー一体相手ならば隊員一人でも十分に対処する実力を持ち、鉄の狼に騎乗すれば三倍の数であろうと対処してみせる。
だがメスラム要塞周辺は渓谷に囲まれ樹木が乱立している。鉄の狼の機動力を十分に生かせる環境はごく限られている。巨獣の誘導を含め、十全に任務に当たる為にはどうしても多くの陽動人員が必要であり、巨獣との戦闘経験を有するグリームニルたちの協力は絶対だった。
いまのカリバーンにもメスラム要塞にも、任務を自己完結する力はないのだ。
「もしこれ以上不服を申し立てるのであれば、君達には本作戦から外れてもらう。ハッキリ言って作戦直前に指揮を乱す君達に私は信を置けない。だが納得するというのであれば、この話は聞かなかった事にする。ただし時間が無い、五秒で決めろ」
「………………軍人としての責務を全うします」
「宜しい。奮戦に期待する」
心の底では納得はしていない様子だったが、ウルたちは絞り出すようにしてレナートの決定を受け入れた。他の隊員たちも殆ど逃げる様にして出撃準備に船へと戻っていく。
指令所から隊員たちが退出して直ぐにレナートはアインズに頭を下げた。
「申し訳ありません。私の力が及ばず、作戦に支障をきたす事態を招いてしまいました」
「そう自分を責めるな少佐、貴官の責任ではない。寧ろよく治めた方だろう。これは軍の……いや、このカーディアーカ王国そのものの問題だ」
肩に手を置きアインズはそう労う。
レナートは指揮系統をハッキリとさせつつも、最終的な判断はウルたちに任せた。強引に命令で抑圧してしまえば、必ず何処かで爆発していただろう。あくまでも本人たちに自分を納得させた形に落とし込んだレナートを、アインズは高く評価していた。
「この国は少々宗教色が強すぎるきらいがある。偏った視点に留まり続け、グリームニルたち辺境の民を自分達で理解しようとはしない。学者の中には王政が発行する歴史書は彼等への迫害について腑に落ちない点がある、と唱える者もいるほどでの」
アインズは辛うじて窓枠だけが残る窓から死に絶えた大気根の影を見据え、やるせない思いに耐える様に眼を伏せた。
「中将殿は王政が虚偽の歴史を語っていると?」
「さあの……ただ十年前に関しては、グリームニルが裏切ったというのは全くの嘘じゃ」
「それはどういう……!?」
レナートの質問をはぐらかしたアインズはしかし先のウルが口にした過去を否定した。
十年前。末子の大気根にまで侵攻した魔獣の軍団に対し、メスラム要塞は数人のグリームニルと結託し、当時の最大勢力で迎え撃った。
だが決戦時になって突如としてグリームニルは姿を消し、彼等が請け負うはずだった区画の守りが薄くなり、魔獣の突破を許してしまった。
その時の混乱で武器庫に火がつき、延焼は大気根までに及んだ。王国は末子の大気根を放棄せざる負えなくなり、敗戦の咎は全てグリームニルに掛けられ、事の顛末は国中が知る事となった。
「だがの彼等は裏切ったのではない。無知な男どもに裏切られ、背後から殺されたのじゃよ。真の戦犯はその馬鹿どもだ」
なぜ背後から殺されたと知っているのか。
まさか――
エコウとレナートが瞠目する中、天を仰いだアインズは告白した。
「そう。彼等を殺したのは、この儂と仲間だった」
アインズは若かりし頃は狙撃手として名を馳せていた。指揮官として現場を退いた今もその技量に陰りは無いと聞く。十年前も前線に立ち、たった一人で百近い魔獣を沈めた逸話はいまも語り草であった。
その彼が、自らこそが大罪人だと打ち明かした。我こそが大気根殺しの犯人だと。
「それは、軍には……」
「報告した。だが軍の信用を損なう、英雄を処罰するわけにはいかんとグリームニルに全ての罪を擦り付けて事実を闇へ葬った。処罰らしい処罰と言えば、この前線に縛りつけられたぐらいかの」
自分に加担した仲間は罪に耐え切れずに皆自ら命を絶ったという。
今の世界樹の状態では遅いか早いかの違いでしかなかったが、竜の冬が迫る今となってアインズたちの過ちは致命傷に成り得る。
エコウはメイナードでオルクたちに浴びせられた非難の数々が蘇り、怒りに身を震わせた。
身勝手極まりない理由で、理不尽に虐げられる原因の一つが眼の前にある。衝動的な殺意に脳が沸騰しそうだった。
瞋恚の視線に気付いたアインズはエコウと正対すると、あっけからんとこう口にした。
「儂が雇った二人にこの話を打ち明けたら『死ぬまで戦え』とぶん殴られて終わりにされてしまった」
お蔭でマヌケな面になったと、アインズはニィと歯を見せる。左右の奥歯が殆ど根元から粉砕され、中途半端に歯が残っている。
面だけはようやく罪人らしくなったと嬉しそうに笑うアインズに、エコウは毒気を抜かれてしまった。まるでおもちゃを貰った子供のようにアインズはグリームニルたちが与えた罰を嬉しそうに語るのだ。
十年前の失態は別として本人たちが納得しているのなら、他人がこれ以上首を突っ込むのは野暮だろう。それこそ、死ぬまで戦って貰うまで。
「さっきは肝を冷やしたぞ、少佐。今の話、必要であれば隊員に打ち明けて貰って結構。爺の昔話に付き合って貰って悪かった。諸君らの検討を祈るッ」
「はっ!」
再び敬礼を交わし、レナートはエコウを連れて指令所を後にする。後は準備が出来次第出発するだけである。
要塞内も破壊された防壁の修繕や兵站の運搬などでひっきりなしに怒号と作業音が飛び交っている。ここが戦場なのだとエコウは改めて実感する。
「エコウ、オルクたちを呼んできてくれ。彼等とも最後に作戦の擦り合わせをしたい」
「分かったよ」
一度レナートと別れ、エコウはオルクを探しに行く。
別行動する前に櫓にいると言っていた事を思い出す。近年の通信技術の発展で遠方の斥候から魔獣の接近は事前に伝えられるために、眼に頼る見張りは斥候が見逃す様な小さな群れの発見が主な役割である。
櫓から見渡せる範囲には限りがあると思うが、オルクの感覚は数キロ先の巨獣の存在まで察知していた。今も何かを探っているのだろうか。
「おーい、オルク! レナートが呼んでいる。済まないが来てくれ」
「……」
半壊した櫓に上がると、オルクはジッと南へ視線を投げ続けていた。その光景にエコウは既視感を覚え、すぐに思い至った。初めて会った汽車でもああして微動だにせずに立っていた。あの時はただガン無視されていると勝手に思い込んでいたが、ああして知覚を張り巡らし、魔獣の気配を探っていたのだろう。
傍に立つ仲間の二人も同じようにしてオルクと視線を同じくしている。
「どうしたんだい皆揃って。好きな女の子でも水浴びしているかい?」
ふざけた冗談を口にするエコウにオルク以外の怪訝な視線が刺さるが、直後にエクシーダーと分かると驚愕にすり替わる。新鮮なリアクションに気を良くしたエコウはごく自然な足取りでオルクの隣に並んで見せ、驚愕のお替わりを頂いた。二度おいしい。
それでも悪ふざけは此処までだ。
「何かあったのかい?」
「……魔獣共の動向が少しおかしい」
「おかしい?」
「気のせいでなければ、徐々に退いていっている」
最初、エコウは耳を疑った。
退く? 純粋な生物としての性能でも、物量で人間に勝る魔獣たちが撤退?
あまりにも距離がある為に勘違いという可能性もあるが、無視するにはあまりに不可解な情報だ。
「確かかい?」
「遠すぎてこれ以上は分からん。人工精油とやらの効能ではないのか?」
言われエコウは大気中の精油を掻き集めてみる。
精油の発散量が増加したのなら魔獣たちが退いていくのは道理だ。しかしつい小一時間前と結果は殆ど変わらない。
ひとまずレナートに知らせようとオルクの手を取り踵を返した時だった。
けたたましい警報が要塞に鳴り響き、一つの凶報が舞い込んだ。
巨獣たちの動向を探っていた観測班からの定時連絡が消失したと。